2012年の来訪者

 事務所に来訪された宣教者の方々

 (日付けは事務所来訪の日です)

 

12月某日 東ティモールから一時帰国

 信徒宣教者会(JLMM)渡辺 怜子

 東ティモールと私の4年間
私は、2008年に日本カトリック信徒宣教者会から東ティモールで活動を行うNGO東ティモール医療友の会(AFMET)に派遣されました。AFMETでは保健関係の事業を広く展開しています。東ティモールのような国で多い病気は、呼吸器感染症、下痢、寄生虫、マラリアなどがありますが、このような病気は衛生面を改善すると予防できるものばかりで、最近は事業の傾向も衛生的な生活の推進に重点を置いています。例えば保健省と協力して行ったプログラムでは、保健ボランティアと一緒に村の中で家を一軒一軒回って、その家にはトイレがあるのか、蚊帳を使って寝ているか、水は清潔に保管しているか、台所には通気口があるか・・・などをチェックし、衛生レベルを付けます。そのうえで、改善すべき点を保健ボランティアが住人にアドバイスするのです。トイレが無い人にはトイレの必要性を伝え、いつまでにトイレを作る、と約束したりもします。
このような事業を続けてきましたが、最近になってうまくいっていないと思うことが多々あります。保健ボランティアは「調査に同行したら、お金くれるんでしょうね!」と言い、トイレを作れと言われた住民は「AFMETはいつトイレを作ってくれるんだ?」と言います。独立して10年、様々な援助が入っていることで「援助慣れ」のような現象が起きているように感じます。何もかも誰かがやってくれればいい、助けてくれて当たり前、そういう雰囲気があるのです。仕方ないか・・・と思いながらも、納得できない気持ちになることがあります。
沢山の犠牲を出して彼らは独立したのです。それなのに、その後頑張らなかったら、いつまでも人に頼っているのなら、独立の意味が薄れてしまうような気がするのです。でももちろん、彼らだけが悪いとも思いません。援助の仕方にも問題があると思います。
この国で、いろんな機関の、いろんな援助を見てきました。私たちも含めて他のNGOなどの働きなどを見ていても、結果重視、常に時間に追われて予算消化、目的達成が第一に大切なことになっています。地元のペースや東ティモール人がどうしたいのか、将来どうなりたいのか、という最重要ポイントはそっちのけになっていると思うのです。
私が一番嫌いなのは、なんでもかんでも、あげる、配るというスタイルの援助。栄養サプリメントをわざわざ輸入して配ることになんの意味があるのでしょうか? 東ティモールにも栄養価の高い食べ物は沢山あるのに・・・。配るサプリメントが無くなったら、また元の食生活に戻るだけで、なんの意味も感じられません。援助は、必要だと思う、いいところも沢山ある。でも、彼らのペースで、必要に応じて援助をするには長い時間と忍耐、いつでも必要なだけ使えるお金、が必要なのです。でも残念ながらそんなふうに使えるお金はなかなかありません。結局、開発、開発と、地元の人はよく分からないまま、引っ張り回されているようなものです。
今私のしていることも例外ではないと思うと、これでいいのか分からなくなります。正しくないのなら、何をしたらいいのか、自分がどう行動すべきなのか・・・毎日毎日考えても答えは見つかりません。派遣終了を目の前に控えて、最後の、そして今までで最大の疑問にぶつかっています。
こんな風に毎日、心はもやもやしていて、なかなか晴れません。でもその一方で、もちろん私の4年間には素晴らしいことも沢山ありました。仕事では、毎日毎日悩み、時にはスタッフとケンカしたり、彼らのことが理解できなかったり・・・、大嫌いだと思うことの方が多かったかもしれません。でも、私が彼らの雇い主ではなく、一人の日本人になった時、私は彼らをとっても好きだなーと思うのです。自然の中で、自然と共に強くポジティブに生きている人々、生活はシンプルだけど、家族で寄り添って和気あいあいと暮らしている姿。人懐こくて、「サトコ、本当にテトゥン語が上手だよね!もう、一生ティモールに住んでいればいいのに!」って、いつも、一緒に生きようって提案してくれるのです。
田舎のちょっと野蛮で頑固、でも人情あふれる人達とのかかわりが、私をいつも励ましてくれました。それから、電気や水が十分に無い中での生活。「大変だねー」ってよく言われますが、慣れてしまうと案外平気なものです。見たことのない野菜や果物の食べ方、パイナップルはどういうふうに生っているのか、カシューナッツが一般に売られている姿になるまでのプロセス、水汲みの大変さ、薪の重さや選び方、4駆のマニュアル車でデコボコの山道を上がる方法、タイヤの交換の仕方・・・。みんなみんな、ティモール人が教えてくれました。そして、自分をさらけ出して生きること。卑怯な自分も、弱い自分も隠さないで、ありのままの自分で体当たりすること。ここにきて、私は今まで知らなかった自分に出会えたと思います。「全部隠さずに見せなさい、大丈夫、ちゃんと受け止めてあげるから!」そんな感じなのでしょうか・・・。彼らの大きな心が、人の仮面をバリバリと剥がしていくのです。何がどう変わっていようと、それは個性。ティモール人自身もかなり個性的な人が多いけど、それを受け入れ合って、共存しているのだと思います。
東ティモールでの生活は、私を豊かな人間にしてくれました。今は、どんな形になるか分からないけれど、東ティモールの大地、そして人々からもらったエネルギーや強さを、私なりに何かの形で返していきたいと思っています。
最後に、東ティモールで有名な歌の一節を紹介します。私が気に入っているのは、ティモールの大地を「O=お前」と呼ぶところ。この歌だけではなく、多くの歌で人びとは祖国を愛する人、友人、そんな感覚で呼ぶのです。長い戦争を終えて、手に入れた東ティモールという国と平和を、東ティモール人の手で大切に未来に繋いでいってほしい。私はこの国に来ることができて、彼らの生き方を見ることができて、本当に良かったと思います。非力ながら、これからも彼らを応援したいと願っていますし、今彼らへの感謝の気持ちでいっぱいです。
Oh Rai Timor furak Timor Lorosae(あぁ、美しいティモールの大地、東ティモール)
Tasi o nian hau la haluha(お前の海を、僕は忘れないよ)
Hau hadomi o(僕はお前を愛している)

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10月5日 カンボジアから一時帰国

 信徒宣教者会(JLMM)浅野 咲子

 毎年JLMMの活動地であるコンポンルアン水上村にご寄付頂き有難うございます。
カンボジアは急速に発展していますが、貧富の格差が広がっています。お金持ちはますます豊かになり、貧しい人たちは置き去りにされています。拠り所のないひとたちの傍に少しでもいけるように、これからもみ言葉に自分を照らし合わせ、回心していきたいと思っています。これからもご支援の程、宜しくお願い致します。

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9月25日 カンボジアから一時帰国

 信徒宣教者会(JLMM)石田 咲子

 勤勉に働く人々の姿とトイレの立派さに驚く感覚が抜けないままのあっという間の2週間でした。
顔を合わせて分かち合える時間の恵みをたっぷりいただきました。力づけられてカンボジアへ戻ります。

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9月21日 カンボジアから一時帰国

 
ショファイユの幼きイエズス修道会 シスター橋本 進子

早いものでカンボジア派遣を受けて8年が過ぎ4度目の休暇帰国、関西空港から本部修道院に向かう車の中で「日本は美しい、本当に美しい!」と連発しては笑いを誘いました。また、大都会東京のビルの間に点々と見える緑は日本人の心のあらわれのひとつでしょうか。ホッとさせてくれます。
ご挨拶に伺った日が運営委員会の前日と知って、ご支援くださっている皆さまの「ありがたい心」をひしひしと感じました。神さまの恵みと、友人、知人、一面識もない多くの皆様に支えられて、まだまだ貧しい国、カンボジアで安心して奉仕が出来ているのだと再認識させられました。本当にありがとうございます。更なる2年に向かって行ってまいります。

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9月4日 ペルーから一時帰国

 礼拝会 シスター川俣 恭子
この度の休暇を利用して、カンボジアにいるシスターたちを訪ねて、東南アジアの貧しい人々と共に生きる体験学習をしてきました。自然豊かなこの国では、多すぎるほどの水と青々と広がる稲畑に恵まれながら、奥地の農村では開発の手が届かず、旧式な文化のままに取り残されている貧しい人々と出会いました。そして私の住んでいるペルーでは、一年中雨が降らない気候のために、緑の草花一本も生えない郊外の荒地に住んで、給水車の水を買いながら生きている都会からはみ出された多くの貧しい人々がいます。でも、どちらの国でも都会では高層ビルが建ち並んでいる発展途上国です。異なった国の異なった環境の中で、共通しているのは、少数の金持たちが自己の利益を求めるばかりで、他の人々、数知れない貧しい人々の幸せを踏みつけにしているのではと思いました。

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8月3日 カンボジアから一時帰国

 信徒宣教者会(JLMM) 篠田 正司

 「カンボジアに派遣され、1年半が経ち初めての一時帰国でした。水上村での活動は大変ですが、日本に帰ってきて支援をしてくださっている方々とお会いすると、いつもエネルギーをもらいます。
日本カトリック海外宣教者を支援する会のスタッフの方々にも歓迎してもらい、直接お礼を言うことが出来たことは大きな喜びとなりました。3週間の一時帰国はバタバタと沢山の人と会って終わりそうですが、このエネルギーを糧にまた1年水上村で頑張っていこうと思います。

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7月31日  チャドから一時帰国

 ショファイユの幼きイエズス修道会 シスター有薗 順子

先日は、海外宣教者を支援する会を訪れ、いつもの優しい笑顔でお迎えいただき、楽しい、嬉しいひとときを過ごすことができて、とても幸せでした。暑さも忘れて、話に花が咲きました。ありがとうございました。
神の恵みと、友人、知人を始め、一面識もない多くの方に支援されての私があるのだと、再認識させられました。皆様の上に神様の恵みと平和、喜びがいつもありますようにと、感謝の心を込めて、お祈りしております。

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2月4日 モンゴルから一時帰国

サレジアンシスターズ シスター小島 華子

初めまして。3年前にモンゴルに宣教女として派遣されましたSr.小島華子です。宣教女になって初の休暇で日本に帰って参りました。今回の帰国中に沢山の方々と知り合うことができ、たくさんの人々が宣教地を支えてくださっていることを知りました。私はサレジアンシスターズの一員としてモンゴルに派遣されましたが、日本のカトリック教会からも派遣されているのだな、ということを実感しております。これからも皆さんの支えに信頼しつつ宣教活動に励みたいと思います。

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3月16日 ボリビアから一時帰国

福岡教区 野原 昭子さん

今回の一番の目的は霊的充電です。自分がどんどん神様の道からそれているような、そんな怖さを感じています。 日本中が大地震を恐れているように、肉体的な回復は後からついてくるでしょう。

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4月3日 カンボジアから一時帰国

ショファイュの幼きイエズス修道会 シスター谷村 恵子

この度の一時帰国に際しましては、当日嵐の予報にもかかわらす、私の事務所訪問を受け入れて下さり、有り難うございました。お昼のお弁当を美味しくいただきました。お礼もそこそこに、嵐に遭わないように、急いで帰ったことも思い出となりました。 事務所では色々な国に派遣されているシスター方の派遣先の政府との関わりや、援助のあり方などを話して下さり、また私への問題提起をして下さり、刺激になりました。 援助していただいているお金が本当に貧しい人の側に立った視点で、使われているか、主に村の母親たちである援助の受益者が、子供たちの将来のため自らの生活を少しでもより良くするために、私たちのプログラム(ボボーの提供、衛生・栄養の勉強など)を本当に必要としているのか、事あるごとに見直して行かなければと思います。 私の側からの思いばかりでなく、親としてどうしてあげたいと考えているのか、親御さんたちと一緒に考える場を作ることが、今後の課題かも知れません。関わりは始まったばかりです。これからもお祈りと励ましをお願いいたします。有り難うございました。

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4月10日  ボリビアから一時帰国

イエスのカリタス修道女会 シスター白濱 チエノ

主のご復活おでとうございます。 3年ぶりこ日本の春を迎え、満開の桜の花を見る事ができ、日本の春の美しさに感激しております。先日、3年ぶりこ六本木の事務所を訪ね、事務担当の八幡さんとお手伝いしてくださっている高橋さんに暖かく迎えて頂きました。 この度もガソリン代を支援して頂きありがとうございました。ボリビアのオキナワ移住地での宣教は、3か所のコロニア・オキナワだけでなく、その周辺にある14か所のボリビア人の住む村の教会活動のお手伝いをしています。各村には教会があり、現地のカテキスタの協力を得て、主任司祭の教会司牧のお手伝いをしています。 広大な土地を、遠い村は30キロ、近くは7キロを走りまわるので、ガソリン代を支援していただくことは、奥地に住む素朴な人たちの宣教ができる大きな支えになっています。皆様に、いつも感謝しながら思いをはせています。 海外で宣教する宣教者のために、キリストにおける兄弟的愛の絆に結ばれて、事務関係一切の仕事に奉仕して下さるスタッフの方々、また寛大に物心両面での協力をして下さる多くの会員の皆様に、「きずな」を通して、心からお礼を申し上げます。 皆様に、神さまの豊かな祝福と聖母マリアのご保護をお祈りし、お礼の言葉と致します。

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4月20日 ドイツから一時帰国

聖パウロ女子修道会 シスター比護 キクエ

 4年ぶりに支援事務所にお伺いし、八幡さんと高橋さんの暖かい笑顔に再び勇気をいただきました。「この小さな事務所が、私たち全世界にいる宣教者を祈りと支援によって支えてくださっているのだ」と、改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。 5月末に再びドイツへ出発の予定です。どうぞ続けてお祈りください。

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5月15日 南アフリカから一時帰国

聖霊捧侍布教修道女会 シスター吉田 彰子

事務局、会員の皆様 先日は突然お邪魔したにも関わらず、事務所の方々に温かく迎えてくださり、本当にありがとうございました。帰国したらぜひ伺おうと決心しており、小金井市にある共同体に行ったときに、六本木に行く計画を立てておりました。ところが、当日の雨模様のお天気と、とてつもなく深く潜る「地下鉄 大江戸線」に少々ブルーになって、必死でようやくたどり着いた、という感じでした。それだけに、事務所のお二人の親切な歓迎と面会にはとても救われた思いで、神様に感謝いたしました。 支援する会には車の購入の資金を一部援助していただきましたことのお礼も直接お伝えできましたが、1年経った今もなお、残りの資金がそろわず、まだ宙づりの状態です。最終的に購入できましたら、何よりも真っ先にお知らせしたいと思います。 皆様のお支えと、事務局でのたくさんの働きに心から感謝を込めて。  

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5月22日 ボリビア・サンタクルスから一時帰国

サレジオ会 司祭 倉橋 輝信

 なんて便利な日本!!  日本と同じ面積のサンタクルス県には中央郵便局が1つ、配達制度も郵便ポストもない県です。従って、200キロ、300キロ離れた郊外に住む人、シスターや神父は、手紙を出しに、受け取るために200キロ、300キロを車で郵便局に行くのです。日本の街のいたるところに赤いポストがあり、配達の赤いバイクや車が見かけられます。なんて便利な、ありがたいわが祖国、日本!!

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6月8日  パキスタンから帰国

フランシスコ会 修道士 松本 貢四郎

パキスタンでは、近年ますます社会情勢が悪化しています。思想の違いや宗教の違い、政党間での争いなどで、何百人もの人々の尊い命が奪われてしまいました。生き方や思想の違いがあっても、互いを理解し合い、尊敬しながら生きる平和への道は、石ころばかりですが、正義と平和の主である神さまに信頼しながら、福音の証しびととなれますように。 皆様の力強い支援の祈りに心から感謝申し上げます。

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