神言修道会 司祭 傍 島 義 雄
私は2023年3月に名古屋で司祭に叙階され、同年9月に初任命地のザンビアに到着しました。その時、すでに43歳でした。神学生の頃にガーナで2年4カ月の研修をしたことがあるので、アフリカでの生活ははじめてではありません。神言会ザンビアミッションの現在の活動場所は、小教区5つとミッションハウス、哲学生養成の家、修練院、ゲストハウスであり、終生誓願宣立会員数は20人強です。
ザンビアにある神言会の共同体をすべて訪問した後、私はザンビア北部のルアプラ州で現地語の一つであるベンバ語の学習コースに参加しました。授業にはほとんどついて行けない状態でしたが、何とかベンバ語でミサをささげることはできるようになりました。体調不良からの回復後、私はまずセントラル州にある小教区で6カ月ほど奉仕しました。そのうちの4カ月弱は主任司祭代行として独り暮らしをしました。英語もまだまだ片言で、ベンバ語も挨拶以外ほぼ分からない中で、人々に助けられながらの生活でした。ザンビアには、親切で平和的な人々が多いと感じます。
そして2024年10月に、私はその小教区の近くにある神言会の修練院に異動になりました。当時は10人の修練士(コンゴ民主共和国3、トーゴ2、ケニア1、タンザニア1、マダガスカル1、ジンバブエ1、ザンビア1)がいて、修練長(ガーナ)と会計のブラザー(インドネシア)と私(日本)で生活していました。その修練士たちは、今年2025年7月はじめに初誓願を宣立して修練院から旅立って行きました。私は自分が司祭になって養成担当者になることを想像もしていませんでしたが、9カ月間生活を共にした若者たちが初誓願を立てる姿を見ると、感慨深いものがありました。
6月の終わりには9人の新たな修練士たち(ガーナ3、トーゴ2、ケニア2、ザンビア1、マダガスカル1)を迎え、新たな共同生活が始まっています。修練院に移り住んだ当初、私はここでの滞在は6カ月程度になり、私の英語力がもう少し向上したらまたどこかの小教区に派遣されるだろう思っていました。しかし、会計のブラザーが異動になり、私はこの7月から修練院の会計担当に任命されました。会計係として、共同体のための食料品と日用品の買い出しを担当しています。そして、私が共同体のためにした買い物の領収証と修練長が持って来る領収証をまとめて、手書きのノートとコンピューターに記録しています。様々な市場や店舗を巡りながら、思い描いていた司祭の仕事とは異なると思うこともあるのですが、これも宣教生活の一部なのだと前向きに考えるようにしています。現地の人々の日常生活の喜怒哀楽を垣間見ることができるし、徐々に人々と知り合い、対話することができます。
もちろん、司祭としてミサや病者の塗油、ゆるしの秘跡も行なっています。私は修練院で週日に4回、英語でのミサ司式の機会があり、日曜日にはおもに村の巡回教会でベンバ語のミサ司式の機会があります。その他、小教区の司祭が不在または多忙の際に私がミサのために呼ばれます。病人や老人を訪問して聖体を授けることも大切な奉仕です。舗装されていない凸凹の道を行くとき、そして、人々が外国人司祭である私が来るのを喜んでくれるとき、宣教師としてこの地で奉仕を続けようという決意が新たにされます。私たち宣教師を通して、主がおおいに働いてくださいますように。