トライアル(2025/3/1)

北 村 文 代(成城教会信徒)

 密かに脱藩クリスチャンと呼んでいる友人達の群れがある。若い頃受洗したか、ミッションスクールに学び、キリスト教の空気にどっぷり浸かって、過呼吸気味になって、その囲いの中から逃げ出した人たちである。 「何がムカつくって、自分たちだけが真理を知っていて、他のものをすべて見下す上から目線の態度よ」 海外宣教者というと、その言葉を思い出し、無意識に引いてしまっていた。しかし、「きずな」で語られる世界各地の邦人宣教者のレポートには赴いた現地で育んだ、のびやかな楽しい関係性が描かれている。 1人の脱藩人に「きずな」を見せた。彼女の感想は「この宣教者にとって、キリストの福音を告げるためには、現地の人たちの無垢なる笑顔が絶対に必要なんだね」 そのことがわかっているから、決して上から目線にはならず、ともにキリストの愛を成就させるためのパートナーシップを育んでいるのではないか。海外宣教者たちは一時帰国して1週間もするとホームシックにかかり、赴任地に帰りたい病になるという。 もう1人、かの脱藩人も敬服した1人の宣教者を思い出す。ノルマンディ上陸の凱旋兵をブルターニュの街道でワインで出迎えた少年は長じてパリミッション会に入り、パリの大学で同級生となった邦人シスターの影響もあり、日本への布教を希望する。以来90歳で帰国するまで、ずっと日本に留まり、弱い人、苦しんでいる人の友として、キリストの愛を体験された。
そこには神様のこと、イエス様のことを知っているのは自分だけ、という選民意識は微塵もない。神の愛、息吹が感じられない状況を見るとー自分の働きが足りないからとうなだれて胸を打ち、奇跡的な僥倖を体験すると、ただただ神の栄光を無言のうちに賛美する!どこまでも謙虚で自然体でなによりもみんなが笑っているのを見るのが好きだった。だから暇さえあれば、サムいジョークを連発して周囲を凍らせていた。 こんな事があった。なかなか娘に子供ができないことを悩んで、司祭にお祈りを頼んだところ、すぐ懐妊し、その女性は喜んで「神父様のおかげで妊娠しました」と。一瞬間をおいて司祭は「困ったなぁ!この年じゃ責任持てないよ」 その悪戯っぽい笑顔、そしてその後に起こった爆笑の波!あの時確かにイエス様も私たちのバカ話の中にいた。たまたまその場に居合わせた脱藩クリスチャンもお腹を抱えて笑い、こういう集いなら、またきたいと呟いた。 「きずな」のレポートには、そんな温かなキリストの息吹が溢れている。
ふと思う!異文化の人たちの中に空の手で入っていくときの唯一の武器は自分の内側に燃える神への愛ではないか。そこからこぼれ落ちる無邪気な笑顔!恐れ知らずの行動力!自分と他人との垣根がなくなった共感力!そして、強かな計算力と世の流れを察知する予見力! 「それにしても」と脱藩人が呆れたように言う。「あの人たち、怖がらないよね。戦争だって、疫病だって、なんか平気な顔でやり過ごしている!栄養ドリンク飲まないのに、元気だし、占い師に頼らなくても、どうにか災禍を逃れてる。何より驚くのは顔の色ツヤがいいのよ。私、思わず聞いちゃった。シスター、どんなお手入れしてるの?って。そしたら、あら、なんにも。ただお水でさっと埃を流すだけって。私、おもわず言ってしまったの!ずる~いって」 何がずるいんだか知らないけど、脱藩人はその後、海外宣教から一時帰国したシスターの佇まいに心動かされて、時々教会に足を運ぶようになった。