神言修道会 司祭 北 島 泰 治
引退した宣教神父として日々なんとなく管理人の仕事をしています。今年僕も 70 歳になります。いたって健康です。もうかつて僕を指導してくださった先輩宣教師たちは天国へ行かれました。今はこの歳でいかに宣教し続けられるかを模索しています。そう言ったわけで週2回のグループミサと病人訪問、葬式、週末の家庭食事会、誕生日会と信者さんたちと共に過ごす時間を大切にしています。中でも信者さんと行く巡礼は楽しい時間の一つです。先日の聖金曜日の日に十字架の崇敬式の司式を頼まれて4時間かけて車でサン・フランシスコ・ハビエル小教区の Serra monnje の丘の上でブラジルを眺めながら十字架崇敬の司式をしてきました。この催しを企画したのは昨年創立された神言会の在俗会・信者の会です。僕はそこの霊的指導者となっています。この日のために教会のメインの十字架を取り外して持って行きました。この丘の上には小さなお御堂がありまして、そこからの景色はとても素晴らしいものでした。
その説教の中で十字架は愛のしるし。そして、その十字架を如何にして自分のこととできるのかをふまえて話をしました。僕のスペイン語がブラジルに近い人たちに分かってもらえるか心配でした。僕はパラグアイに近い方でもっぱら宣教をしていますので。
「…一人の子が学校でいつも友達からの嫌がらせで泣いて家に帰ってきていました。ある日この子は母さんの顔がどうしてそんなやけどをしているのか、そのために、どうしていじめられなければならないのかと。するとお母さんはアルバムを見せてくれました。そこにはお父さんと一人の美しい女性が写っていました。この人は誰なのかと尋ねると、それはお母さんだと聞かされました。その子が赤ん坊だった時の冬、ふと振り返ってみると坊やがちょうど煮えたぎるやかんに手を伸ばそうとしているところで、急いでその子を抱え上げたのですが、そのお湯はお母さんの顔にかかったのだそうです。お母さんは鏡を見て世を儚んだのですが、でもこの子を一人にしてはいけないと思いとどまったそうです。それを聞いた坊やは お母さんのお顔のやけどは愛のしるしだということを知りました。坊やはその日以後、学校から泣いて帰ってくることはなくなりました。神様の愛のしるしは勿論十字架なのですね。
十字架を崇敬するときの気持ちについて、長崎での踏み絵のことを思い出します。十字架を踏めば命は助かる。でも十字架を踏まなければ命がなくなる。ある信者さんはそれを拒んだので役人が力ずくで踏ませようとしたところ、十字架を抱いてキスをしたそうです。死んでも悔人の信者さんは今まで語り継いでいます。その思いを今ここで共にしましょう。」説教の後、信者さんたちは静かに涙と共に十字架の崇敬に臨みました。とても心に残る巡礼になりました。
後で聞いたのですが この丘の上での十字架の崇敬はこれが最初だということでした。来年も招待があれば続けたいと思いました。
(アルゼンチン・ミシオネス州在住)