久しぶりに司祭叙階式に与りました。毎年開かれるフランシスコ会の東アジア管区長協議会の集まりが、8月1日から5日まで、フィリピンで開催され、その初日が叙階式でした。マニラの管区本部修道院の隣には、バジリカ聖ペドロ・バウチスタ教会があります。叙階式はこの教会で行われました。保護聖人である聖ペドロ・バウチスタは、26 聖殉教者のフランシスコ会士のリーダーです。彼はスペインからフィリピンに派遣され、さらに日本へのスペイン王大使として秀吉のもとに派遣され、そのまま宣教者として残りました。
叙階式では叙階の按手の前に荘厳な連願の祈りがあります。受戒者たちは床にひれ伏し、聖歌隊が先唱して祈ります。司式した大司教は説教の時、その祈り方に触れて受戒者に話しかけました。大司教が強調したのは、「地にひれ伏す者」としての心構えでした。人間は「地」の塵から創造された弱い存在であること、ひれ伏した姿は「架け橋」であり、人々をキリストにつなぐ存在であること。「架け橋」は人に踏まれ、多くの人がその上を通ってキリストのもとに行く時に存在意義があること、などでした。
満員の大聖堂でこの説教を聞きながら、わたしの心は引き締まってきました。というのも2022 年はわたしが司祭叙階されて、ちょうど 40 年になる年である事を思い出したからです。
久しぶりに叙階式に参列した日、わたしが初心に帰ることが出来るように気付きと促しを、神様は与えてくださったのです。とてもありがたいことです。
今年は「日本カトリック海外宣教者を支援する会」が設立されて 40 年になります。ご存知のように「40」という数字は、聖書では特別な意味があります。ノアの箱舟のエピソードでは「40日 40 夜」雨が降り続いて……、出エジプト記ではエジプトから解放されて約束の地に入ったのは「40 年」後でした。また、イエスは宣教生活に入る前に「40 日間」荒野で断食しながら祈りの時を過ごされました。
40 年というのは世代がすっかり交代する期間です。また、孔子によれば「四十にして惑わず」というように、人が成熟するのに必要な年月でもあります。そして、40 日の断食ののち、イエスは神の国を宣言する「新しい」生活を始めました。
40 年の経験を振り返る時、わたしたちは、個人、団体、組織にとって新しい在り方、新しい方法について再考する機会を得ます。歴史を振り返り、わたしたちの使命(ミッション:存在理由)を再確認しながら新たな一歩を踏み出していきたいものです。
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