「主はほかに七十二人を任命し、ご自分が行こうとするすべての町や村に二人ずつ先にお遣わしになった。」 ルカ福音書10章1節
鹿児島教区 司教 中 野 裕 明
標記の福音書の言葉は、日本カトリック海外宣教者として、各地に派遣されている方々の身分をよく表していると思います。先ず、「主はほかに」とは、イエスが先におこなった12使徒の派遣を想起させます。(ルカ9章1~6節)また、「ご自分が行こうとするすべての町や村」、という文言は、宣教師たちは、いわば、イエスにとって、ご自分の到来の準備をする人たち、という意味であると言えます。
換言すれば、宣教師は自分の教区を離れて、他の教区(海外の)で働く場合、受け入れ先の教区の1人のメンバーとして、福音宣教にいそしむ、という事になります。そうすると当然派遣された教区の必要にお応えする、という形になると思います。
次に、イエス自身が行こうとする町や村のことですが、宣教師の役割は、愛徳の実践を通して、そこに、三位一体の交わりのある信仰共同体を創設し、人々を秘跡に与からせることによって、キリストとの一致を実現する、という事ではないでしょうか。
私は、42年の歴史を経た一般社団法人JLMMの存在は、嘗てのカトリック信徒宣教者会の頃から存じています。1981年の教皇聖ヨハネ・パウロ2世の初訪日をきっかけに、司教団は、日本の教会の優先課題の第一番目に、福音宣教を掲げました。これはもちろん、日本国内での福音宣教を念頭に入れていたと思いますが、当時、来日していた多くの宣教師の方々から、日本は宣教を受けるだけではなく、自らも外国に宣教師を送ってこそ、宣教する教会になれるとの声があがり、各修道会は競って、日本人の司祭、修道者を海外に派遣するようになったのでした。その流れが、信徒宣教者も生み出したのだと思います。鹿児島教区から、近藤西紀さんや、泉じゅんこうさん、東チモールで交通事故に遭いましたが、シンガポールで一命をとり止めた徳恵理子さんがいます。皆さん奄美大島出身です。
あれから、40数年、グローバル化する世界になるに沿って、日本人の宣教者が、世界のいたるところで、世の光、地の塩のごとく存在する有様は逞しく、かつ、誇りに思います。皆さまのお働きの上に神様の豊かな祝福をお祈りいたします。