イエスのカリタス修道女会 末 吉 順 子
6年のブランクをおいて、再び宣教女として、ボリビア、サンタ・クルス州の共同体の一員となった。もう若くはないことを自覚し、自分にできることを精一杯やらせていただこうと思いながら、少なからず胸を躍らせて戻った。この国は社会的にも経済的にも、少しづつ発展へと向かっているだろうと思っていたが、3年にも及ぶパンデミック、Covid19 感染の影響は、サンタ・クルス市内よりも市外地の小さな村々に大きな爪痕を残しているように感じられる。
高齢化は、ボリビアにも少しづつ顔をのぞかせているが、まだまだ街には若者や子供たちがあふれている。
今年から、以前住んだことのある、オキナワ移住地での宣教のお手伝いを、通いでさせていただくことになった。オキナワ移住地の教会は、現在、韓国、光州教区から派遣された3名の司祭が司牧している。オキナワ第一、第二、第三移住地では、この 2、3 年で他界された方が多く、若者たちは街に出て職を見つけ、移住地の人口も減少している。近年は、子供たちもサンタ・クルスの大きな学校で学ぶようになり、移住地の学校の学生数はボリビア人の方が多数を占める。大型農場を営む日本人の日雇いとして、毎日の生計を立てていた多くのボリビア人が、パ
ンデミックの影響で仕事を失い、自分の小さな貧しい家を残して、生活のために町に出て行ったケースが、特に小さな村には多い。数年前、メリノール会の一宣教師が、高齢のためアメリカに戻る前に、「小学校までしか学ぶことのできなかった小さな村の青少年たちを高校まで学ばせ、未来への可能性を広げてあげたい」と願い、高校がある大きな村に、学生のための寄宿舎を建てた。その頃は、男女それぞれ 20 名ほどの学生が寄宿していたが、コロナの影響で寄宿舎は閉鎖となった。そのため、村には3年間、高校での勉強ができず、村に残って家の手伝いをしている青少年が数名いる。村に残された家族のいない高齢の夫婦や盲目の一人暮らしの老人に、村人たちが毎日声をかけ、気遣っている。この状況は、村人たちにとっても、想像できなかった現実だと言っていた。
50 数年間、このオキナワ移住地で行ってきた宣教が実を結んでいると感じさせる、喜ばしい、明るい現実もある。私たちの修道会は、移住地開拓時代から、人々の支えとなりながら司牧してきたメリノール会の司祭に協力し、13 の村にカテキスタたちを養成してきた。彼らを通して根付いた信仰の種は、今、第二世代のカテキスタたちに受け継がれ、村の教会は毎日曜日、ミサあるいはみ言葉の祭儀が行われ、洗礼、初聖体、堅信の準備も行われている。私が従事していたころ、オラトリオのリーダ―として子供たちに教えていた青少年たちが、今は立派な青年となり、その中の数人はカテキスタとして、村の教会を支えている。その教え子に、顔を見るなり、「シスターたちが修道院を閉鎖して、私たちは見捨てられたと思った。」と言われた。その時は胸が痛かったが “だから彼らが、より一層力を発揮した” と思う。修道院を閉鎖した後も、身体に障害を持つボリビア人の若い会員は、村の青少年たちの養成のために、霊的なビデオや資料を、SNS を通して送り続けている。
時代も、人々の生活も、私たちが置かれる状況も確かに変わり続ける。私たちの修道会も、高齢化と召命減少のため、ボリビアの二つの修道院が閉鎖された。5年先、10 年先を見越した宣教をしていく必要もあるのだろうが、時代の流れに合わせて、ありのままで寄り添っていくのも悪くないと思う。『Sinodo の3つの柱「一致・参加・宣教」によって共に歩む教会』の中で、自分にできる宣教の形で歩みを進めたい。救い主と信じていたイエスが十字架にかけられた後、絶望してエマオへと旅する二人の弟子に、同伴して歩む復活したイエスの姿は、まさに目指すべき現代の宣教者の姿であるように思う。起こったことを思いめぐらしながら、それでも復活の希望へと向かわせる、寄り添う宣教を続けていきたい。