私の人生を導く神
―おそい宣教地赴任―
イエズス会司祭 浦 善 孝 (東ティモール)
Abri, Senhor, os meus lábios, E a minha boca anunciará o vosso louvor.
Senho, sois o meu Desu: desde a aurora Vos procuro. A minha alma tem sede de Vós.
(主よ、私の唇を開いてください。私の口はあなたを賛美します。主よ、私の神。夜明け から私はあなたを探し求めます。私の魂はあなたを渇き求めています。)
毎朝4時に起床し、水浴びをして、朝の祈りをこのポルトガル語の言葉ではじめます。新しい学校(聖イグナチオ・デ・ロヨラ中学校・高等学校と聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学)の設立運営に携わるため、東ティモール(2002 年独立)に派遣されてもうすぐ丸9年になります。年に数回司教区の泊りがけの会議に召集されるので、司教座聖堂がある町まで片道 135キロの悪路を辿ります。初めて会議に参加した時、司祭団が集う夕の祈りや朝の祈りは旧宗主国の言葉のポルトガル語(現在の公用語)だと知りました。その時は右も左もわからず恥ずかしい思いをしました。取って返し首都のポルトガル語書店に向かい、ポルトガル語の教会の祈りを買い求めました。
司祭叙階後ずっと学校で働いていました。50 歳を目前にしたころ、独立戦争で荒廃した東ティモールに新しい学校を設立するプロジェクトに派遣されました。この歳で宣教師になるのは遅すぎる感がありましたが、50 歳になるまでの2年間で現地語(テトゥン語)を覚えて、それから 75 歳まで 25 年間は仕事ができるだろうと思い赴任しました。主に中学・高等学校で働いていて、教頭・事務長を務めています。中高生に宗教科を教え、学校図書館を運営し、事務室では会計に携わっています。奨学金支給業務も私の仕事です。2020 年は、全校生徒840 人中 123 人が奨学生で、主な原資は日本の皆様からのご寄附です。日本で長く働いていたため旧知の方々から恩顧を頂くことができます。また狭い場所を飛び出して仕事を始めたので、新しい方々との出会いもたくさんありました。
開校9年目を迎えた聖イグナチオ学院は、名実共に東ティモールのトップ校になりました。
これまで卒業式を3回挙行しましたが、毎年の高校卒業認定国家試験では成績1位に私たちの学校の生徒の名前が並びます。教育熱心な家庭はわが子を受験させ、評判の進学校になってしまったのです。私たちのミッションは、「貧富の隔たりなく、学びたいすべての子どもたちによい教育を提供できるきちんとした学校」のモデルスクールになることにあります。これは国連が提唱する SDGs の目標4に応ずるものです。そのため、意図して貧しい家庭の子どもたちに奨学金を支給し入学させるようにしました。彼ら彼女らは入学試験の成績が芳しくないので、特別な合格基準点も設けました。洋服やカバン、靴や交通費も補助します。私は奨学生採用にあたりすべての子どもたちの家庭訪問をしますが、貧しい生活を目の当たりにしてそうそうに立ち上がることもあります。
1月の半ば、デング熱に罹り国立病院に入院しました。血液の問題を併発し十数名の方々から献血をいただき輸血をうけました。退院後、「いのちが危なかったんだ」と聞かされました。
今は、1か月間の静養期間を修道院で過ごしています。日本では滞りがちだった聖務日課も、当地では唱えることができます。時折、「人々を助け、奉仕して、大変ですね」とねぎらいの言葉を受けます。しかし宣教地に赴くことは、派遣された者が修道者の生き方を全うし、トランスフォームできる途でもあります。私の人生を導く神。神様もう少し命をください。そうすれば、それを細く、長く使います。
*ブログで聖イグナチオ学院を紹介しています。
<東ティモール ワニ通信>で検索できます。