「支援する会」に出会えて
東京教区徳田教会信徒 中村 文子
151 号の巻頭言を、と言われた時には文字通り頭が真っ白になりました。なぜなら私は海外 宣教の活動については、この会にかかわらせて頂くまで、全くと言ってよいほど何も知らなかっ たからです。確かに以前、よく存じ上げている神父様がフィリピンにいらしたことはあります。
その時私は「神父様は遠い所に行ってしまわれる」と漠然とした淋しさを感じ、戻っていらし た時には「ああ、良かった、無事に帰っていらした」と喜びました。でもそれだけで、その神 父様のフィリピンでの活動を深く知ろうとはしませんでした。またある若いシスターが南米に 行かれると聞いた時にも、「まあ、こんなに若い方が大変でしょうに」と心配しましたが、そ れで終わってしまいました。今思えば、本当に恥ずかしい限りです。
「支援する会」とのかかわりは、事務局のお手伝いをさせて頂いたことが始まりでした。仕 事を辞めた時、これからも何か社会とつながっていたい、そしてそれならば、今まで仕事や生 活にかまけてついついなおざりにしてきた「教会」にかかわることをしたいと思ったのです。 何も知らない私は、ここ2~3年の「きずな」を読み出しました。そして宣教者の方々の色々 な活動を知るにつれ、まさに目が開かれていく思いをいたしました。内戦や自然災害のさなか、命の危険にさらされながらも現地に留まり続ける方、ご高齢にもかかわらず、意欲と献身の気 持ちを失わずに前向きに仕事に取り組まれる方、ご自分の技能を活かして人々との交流を深め られる方、おおっぴらに「宣教」することもできないような所でも、長い年月をかけて現地の 人々の信頼を勝ち取っていかれる方、日本に一時帰国なさっても、ご自分の「我が家」は宣教 地であると、戻ることを切望し、喜ばれる方。そしてまた、宣教者の活動は決して「美談」の 一言で表されるようなことではなく、文化も生活習慣も異なる地で様々な壁につき当たり、時 にはいらいらさせられたり、失望させられたりもしながらも、それでも神様への信頼を失わず に小さなことから地道に積み重ねていく、そういう活動なのだと私は知りました。そのような ご苦労をされながらも、仕事に対する使命感と喜び、そして感謝の思いを語られるシスター方 の姿には、深い感銘を受けずにはいられません。
昨年 11 月に日本を訪問された教皇フランシスコは東京ドームのミサで、私たちキリスト者 は「傷ついた人を癒し、和解と赦しの道を常に示す野戦病院となること」を求められている、 と言われました。宣教者の方々の生き方はまさにその通りだ、と私は思います。
言わば最前線 の野戦病院で目の前にいる一人一人の人に手を差し伸べているのだと。そして私自身を振り 返ってみれば、私の問題の核心は「知らなかった」ということではなく、「知ろうとしなかっ た」ということにあるのだ、と気付かされました。教皇のメッセージは私たち一人一人に他者 に向かって歩みよれ、と求めているのだと思います。「海外宣教者を支援する会」にかかわらせて頂くことによって、私はその歩みを一歩進めることができたように思います。本当に小さ な一歩ではありますけれども。私が知ろうとしてこなかった世界を教えてくださる宣教者の 方々、そしてこのような私を受け入れてくださった会の方々に出会えたことを神様に感謝いた します。
冒頭で触れた神父様とはフランシスコ会の中谷功神父のことですが、その中谷神父に先日久 しぶりにお会いすることができました。私が運営委員になったと聞いて神父様はちょっとびっ くりされたようでした。こんなに何も知らない私でも務まるのでしょうか、と申しますと、神 父様は「そういう人が加わることも大切なんだよ」と仰ってくださいました。その言葉を杖に、これからも少しでもお役にたてますように努めてまいりたいと思います。
最後に、私がこの原稿を書いております今、世界は新型コロナウィルスの蔓延という災禍に 見舞われています。こうした中、各地の宣教者の方々がどのような状況に置かれているのか、 本当に案じられます。どうか神様が皆様の健康と安全を御守りくださいますよう、心よりお祈 りいたします。151 号が発行される6月にはこの病の大流行が少しでも終息に向かっているこ とを願い、神様を信頼し、希望をもって進んでいきたいと思います。海外宣教という大きな大 きな野戦病院の、後方支援部隊の一員として。