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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『南米』

パラグアイ ブラジル





『入植40年、地域に共生の輪広がる』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 山田 雲江
 いつも、「きずな」を送って頂き有り難うございます。同じ宣教者として、海外で奉仕していられる多くの宣教者の方々のお便りを読ませて頂き、共に、励まされ、感謝しております。私の方も、今までの奉仕に重ねて「希望の電話」を週に一度ですが、必要な方の話を聞いたり、相談相手になっております。今、末期ガンの方お二人をお見舞いしておりますが、その信仰の
深さと神への信頼を、心豊かに生きておられる体験を分かち合って下さるのに、逆に私の方が励まされ、支えられ、生かされていることを感じます。
 8月22日にイグアス移住地入植40周年の記念祝典に招かれて行って来ました。
 移住地を離れて約12年ぶりに、素晴らしく発展した移住地を目にし、今日まで開拓に励んで来られた移住地の方々に、心から「ご苦労様でした」と声をかけ、喜び合いました。私が何より嬉しく感じたのは、地域の人達(パラグアイ人、ブラジル人など)との共生の輪が広げられ、協力し合って、友好、親善の絆を強めようとの気配が感じられることでした。
 教会の方も、ドミニコ会のシスター方の後を引き続いて、ノートルダム修道会のシスター方が宣教に当たっていて下さり、こうして宣教が続けられて行っていることは、何よりのお恵みと感謝しております。
 (以下は)「イグアス移住地入植40周年記念誌」に頼まれて書いた原稿です。皆様への感謝の印と受け止め、読んで頂ければ幸いです。
 ‥移住地の方々との出会いは各家庭を訪ね回ることから始まりました。狭い移住地のこと「日本人の尼さんが訪ねて来られた」ということがすぐに伝わり、私が訪ねるのを待っていて下さるようになりました。どこを訪ねても、仕事の手を休め、快く迎えて頂きました。既に他界された方々、後継ぎの息子さん達に任せ余生を送っている方々との出会いが移住者の方々と共に生きて行く私の「心の在り方」を方向づけてくれたようです。また、教会の庭造りで、振り上げた鍬に振り回されて膝をつき、倒れた私の手に触れた、「土の温かみ」に、「移住者の方々には、この土のような温かみが必要なんだ」と教えられました。移住者の方々を訪ねる度に移住と開拓当初の夢と希望とは逆に、厳しい現実との戦いだったと話されるのを聞いたものです。
 「エルマーナに何かしてくれというのじゃないんだ!。傍に居て聞いてくれるだけでいいんだよ」等と言われ、苦しかったことや、耐えていることを確かに聞き知って欲しいと願っておられるのだな・・と、受け止めて来ました。
 このような移住者の方々の心の叫びや苦労話に耳を傾けながら、開拓の苦労がこの方々の心を頑くなにするのではなく、その苦労を通して心が豊かになるようにと祈り続けて来ました。
 今は首都アスンシオンで、パラグアイの人達との出会いとつながりに恵まれながら、修道院での務めと貧しい病人や子供たち、奉仕を必要としている孤(ひと)り暮らしの老人たちのための活動を続けています。この活動は、私に与えられている使命と思い、神様のお恵みと共に文化と宗教、国籍と職業、そして年代の差を越えて出会いとつながりが大きな礎となって、これからも続けられて行くことを思うと感謝と幸福でいっぱいです。
 40年の歩みを経て来た移住地も発展と同時に後継者やリーダーを養成する人づくりに重点を置く時期を迎えていることと思います。
 移住地で生まれ育った人達が、移住地に止まって営農に精進し、また、勉学と研修を終えて移住地のために各分野で活躍し始めていることを知り、私の心の短いが移住地の皆さんによって生き、生かされていることを何よりも嬉しく思っています。






『パニブ通信』

〜ブラジル〜
日伯司牧協会 (PANIB)
☆全国パニブ宣教者大会
 7月16日夕方から19日午後4時まで、サンタ・フェ(アニャングェラ)に45,6人の宣教者信徒、リーダー達が集まって、2日間テーマ「新世紀におけるマリア崇敬」についてペドロ岩下神父(聖霊奉侍布教修道女会)の指導のもとに勉強しました。フランシスコ・ザビエル吉田神父様が久しぶりにご高齢ながら元気な姿で参加して下さいました。それに、日本管区のフランシスコ会井上神父、国際会議に出席するために来伯中のフランシスコ古里神父それから大阪教区の河邑助祭が参加して、若さを感じさせる大会でした。

☆パウリノ山下公輝神父大阪教区の仁川に赴任
 7年間モジ・ダス・クルーゼスを中心に働いていた、山下神父様は、日本管区長からの任命に基づいて、7月12日、日本に帰国しました。仁川教会助任として日本での活動が始まりました。

☆アルノールド神父
 1年間ポルトガル語を勉強して、日本でプラジルからの出稼ぎの人達のために名古屋で働いている神言会のアルノールド神父様は、休暇で帰る途中ブラジルに立ち寄り、短期間ですが、アサイ(パラナ)で司牧を助けながら言語の再習得をしています。

☆パニブ本部の管理人
 パニブ事務局は1週間を2人のイルマンが交代して働いて居ますが、家の管理やオフィスの仕事が重なって動きが取れないので、本部の奥にある家に管理人として住み、仕事をして下さる人を探しています。日本語と少しはポルトガル語(その反対でも)を理解して下さると助かります。誰かご存知の方がいらっしゃいましたら、お知らせ下さい。詳しくは事務局のイルマ
ンまでご連絡下さい。

PANIB宣教者大会
PANIB宣教者大会






『アフリカ』

チャド チャド マダガスカル モーリシャス





『チャドの子どもたちと…』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 大和 ひろみ
 「ボンジュール・マスール!」園児達の元気なかけ声で、私の一日が始まります。
 アフリカのチャド共和国、南西に位置する、ライ市に派遣されて3年が過ぎました。
 此処は多言語地域で、幼稚園児はカバライ、ガンパイ、サール、アラブ等々、そして公用語のフランス語が入り交じり、片言しか話せない私はイメージを豊かに湧かせて、楽しくコミュニケーションをとっております。
 チャドの現状は、豊かな日本の子供たちには想像も出来ないほどの貧しさです。でも、そんな中で、自分の持って来たマンゴーを一口づつかじって分かち合う優しさや、一粒のピーナツを取り合う逞しさ、一個のキャンディをなめながら家まで持って帰る子供たちを見ていると、戦後の貧しかった子供の頃の日本の姿が思い浮かぴ、生活の原点に帰ったような気がします。
 時々、日本の子供たちの悲しいニュースを聞く時、一握りのピーナッツを貰って大喜びをしている子供達と、どちらが幸せなのかと考えます。でも、やはり、この貧しさの根源は、北の国の豊かさにあるように思われます。こんな中で、彼らの自立を助け、共生していくことの、難しさを感じている今日この頃です。皆様の暖かいご支援で支えられている「レーヌ・アンティ
エ幼稚園」も、17年目を迎えます。
 (「チャドの兄弟達・ライ支部ニュース」より転載)
 
木陰で幼稚園児の朝の体操
木陰で幼稚園児の朝の体操






『ひでり・大雨・疫病・ゴザ生活』

ショファイユの幼きイエズス修道会 永瀬 小夜子
 チャドへ再入国して3カ月過ぎ、日本で春を満喫しても、私の体は、この地の暑さは覚えている筈と高をくくっていましたのに、砂漠の乾いた45度〜48度の暑さにフウフウで、頭の動きも止まってしまいました。しかし、食べること、眠ることは忘れず元気です。
 この時期、チャドは一番多忙です.今年も雨期が遅れてやっと種まきが出来ると、大雨で、畑が荒れ、流されてしまい、本当に貧しさに、追い打ちをかけられています。
 LaiやGuedariのシスター達も飢える人達への対策で、教会共々、大変です。
 此処ND'jamemaは首都です。畑は無く、岡や谷のない平地で9カ月間一滴も雨が降らなかったので溝は詰まり、大雨が降ったので人々は汚物、汚水の中の生活でトラコーマや、コレラが蔓延し死者も出ています。食料も、働き場のない難民は部屋を追い出されて、「薬を」「食べ物を」とミッションに来ます。「石油が出る」とか「パイプライン道路を」ということで、マンゴーの木を売り畠を捨てて金は握ったものの、持ったことのない金は2〜3年で消え、家は土の上、相変わらずゴザの上に寝ている人々がいます。
(8月26日)

新入園児全員集合!!
新入園児全員集合!!






『砂漠化防止・緑化活動に希望!』

〜チャド11年のミッションから帰国して〜
援助修道会 天野 洋子
 青い空とタムタムのひびき!!。
 太陽と灼熱と砂竜巻の多い国、アフリカの、チャド国の人々に私がお別れしてから、早や、4カ月になろうとしています。
 喜び、悲しみ、苦しみにつけ、教会では、タムタム(太鼓)の響き、イスラム教寺院からはコーランの祈りの響き合いの渦の中での11年間のミッションでした。
 私のチャドでの職務は、友愛モンゴー女子小学校での創作教室で、工夫と研究を重ねながら、子供達と創作活動をすることでした。
 その活動のために、教室の整備と教材のご支援を頂きました。私の役目は、「きずな」の皆様とチャドの子供たちのために希望の虹の懸橋となることでした。
 私がゲラ県のモンゴーの町に現地入りした日から、環境保護問題と砂塵化防止対策に大きな関心を抱いていました。子供達には伝えて来た積もりでしたが、大人達が関心を示さないので心配でした。しかし、昨年、植林活動に関係する組織の若い責任者に出会いました。
 その協会は既に2年もその活動をしており、非常に主体性に富んだ意識の高い人々でした。
 私は、「繚のサへル」という日本の活動グループに引き合わせました。以来、協働は続いています。彼等のお蔭で、私は、心に希望を抱き、チャドを去ることが出来ました。
 長い年月がかかるでしょうが、いっの日か、愛するモンゴーの町とゲラ県の村々が緑に包まれるであろうとの希望とともに!、これからは「緑のサへル」を日本の人々と支えることにより、チャドの人々を支えて行く積もりです。
 海外宣教者を支えて下さる皆様、既に世を去られた方々、または、病床で祈りを捧げて下さっている方々、本当に有り難うございました。
デオ・グラチアス!!

苗の植付技術の研修
苗の植付技術の研修

砂漠緑化・植栽・育成技術研修会場で
砂漠緑化・植栽・育成技術研修会場で

緑化・植林の苗を栽培している苗床
緑化・植林の苗を栽培している苗床






『民営化は進んでいるが…』

〜マダガスカルから一時帰国して〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 平間 理子
 マダガスカルは最近、観光客が多く、日本人も大分増えているようです。
 マダガスカルの観光ブックが出たとか…。
 ここ最近、表面上は、良くなっているように見えます。スーパーマーケットも増え、ガソリンスタンドも民営化して、共に24時間営業、観光客の増加、いずれも、世界銀行からお金を借りてですが…。
 とくに、民営化は、銀行、ガス、航空面などで進められ、実現したところもあります。
 しかし、これと同時に、今まで、国立病院は無料診療をしていましたが、有料となり、本当に貧しい人は行く所がなくなり、私どもの病院に波は押し寄せ、支払えない人が増えております。貧富の差は拡がるばかりです。
 医療面でも、あまり進歩はなく、病気もマラリアは勿論、ベスト、コレラ、腸チフス、ハンセン病、結核、そして寄生虫症等いろいろあります。昨年、コレラが流行し、ペストよりもコワイ病気と言われ、今まで野放しだったトイレがあちこちに作られ、学校では、子供の手洗いを教えるようになり、これも、コレラの流行のお蔭?…と思っています。
 少しづつでも、国全体が清潔面を重んじると随分、病気も少なくなると思います。
 日本に一時帰国してみますと、日本はゴミーつない清潔さ、あらゆる技術の高変化と進歩、そして、溢れるような品物の数々…世界のアンバランスを考えさせられると同時に、「人間にとって何が一番幸せなのか」「幸せが人類共通の願いでは」と思い、世界に目を向け人類の幸せと平和を祈らずにはいられません。

清潔になった(?)子供たちと (左)Sr牧野幸江と(右)Sr平間
清潔になった(?)子供たちと (左)Sr牧野幸江と(右)Sr平間






『援助金で盗難防止の窓枠設置』

〜モーリシャス〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 桐野 香
 アメリカでテロ事件、そして、遂にアフガニスタンで戦闘が開始されるという暗いニュースに心が痛みます。多くの人々が平和を願っているにもかかわらず、世界が反対の方向に動いていることは本当に悲しいことです。
 さて、幼稚園の方はご支援金で、盗難防止の窓枠を取り付けたお蔭で、泥棒の侵入を防ぐことが出来るので安心だと一同感謝しています。
 あとは小さな中庭にある貯水タンクからの水道管が度々壊されるので、それを防ぐための扉と、新年度に備えて盗難にあった教具、壊れたり古くなった教具等を更新したいと考えています。間もなく今年度も終わりますので、今は、最後の締めくくりに皆張り切っています。






『レーニン像の立つキャンプでミサを』

−教皇様、カザキスタン訪問−
〜ロシア〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
 8月にサマーキャンプ。こちらではキャンプのことを「ラゲ」と言います。スターリン時代は、国営のラゲに、子供たちは無料で入り、6月から9月までの夏を遊んだり、共産主義を学ばされたようです。しかし、自由化で今は、強制的でなく、一般の人はお金を払って入るようになりました。7月の一番暑い時を原点に、1カ月とか10日間でやって来るようです。
 ラゲの校長先生も昔と違い、いろいろと良い所を宣伝し、来年もどうぞと生徒集めが必要になって来ました。
 私達は子供一人当たり1日4ドル、約30名の予定で120ドル、10日間で1200ドル、(約14万5000円)払って参加しました。
 教会までバスが迎えに来てくれますし、無料の博物館、フェリーでの1時間ポルガ河見物、3度の食事、おやつ付き、つまり、一人当たり10日間でる000円ですから決して高くないと思います。貧しい家庭では、とても、これを出して子供を送れませんから、子供たちの親は大助かりです。子供達の中には、帰るのが嫌で泣いていた子もいました。
 ラゲでの食事は、戦時中の“おじや”とか“すいとん”を思い出させるようなメニューで決して美味しいとは言えませんが、こちらの子供達にとっては、毎日ヨーグルトも出たし、ソーセージか肉がたとえ一切れでも付きますから、多くの子供が自分の家庭よりも良いものを、頂ける訳です。
 このラゲはサラトフ郊外にあり、水道局、資源局の経営です。小高い岡の上にあり、林に囲まれ、10軒位家があります。私達は大きな部屋二つ、小さい部屋一つを借り、30人が其処に休んだわけです。私は廊下の角にカーテンを仕切って休みました。お蔭様で沢山の蚊の攻撃で大変でした。それにキャンプですからトイレは外にしかありません。子供達は夜、外に出ることは許されません。廊下に置かれた掃除用のバケツで用を足しなさいとのこと。はなやかな音がする度に目が覚めてしまい、これには、さすがに私もショックでした。
 サラトフの子供達にとって食べ物は貧しいし日本のような便利さは何もありません。けれどもラゲでは思う存分遊べますから、塾に追いやられる日本の子供達より遥かに幸せなのかもしれないと考えてしまいました。
 それでも、12歳頃までの子供は良いのですが、高校生になりますと、ラゲの職員も大変なようです。こっそり隠れてタバコを吸ったりしますから、毎晩あるディスコでも指導員が監督しています。それでも10時になると外出禁止、外には、警護のおまわりさんが大きな犬と共にパトロールしていますから誰も外には出ません。子供達は聖書の劇をしたり、讃美歌を歌い踊り、小さな福音宣教になりました。
 毎日、神父様が来られ、ミサが捧げられました。
 中央にレーニン像が立つ国営のラゲでミサが出来るとは、夢のようなことです。
 
「教皇様、カザキスタン訪問」
 教皇様がカザキスタンに来られ、9月23日に式典があり、私たちもそれに出て、その日のうちにまたサラトフに戻らねばなりませんでしたので、僅か12時間の滞在でしたが、教皇様のカザキスタン訪問にどのように参加したかを述べてみます.
 私達の司教様は、今回の教皇訪問に対して、教区民を是非参加させようと、飛行機を一機特別にチャーターしました。
 9月22日(土)夜サラトフ出発。テロ事件が騒がれているので空港の警備は厳しく、出発3時間前には全員集合。チェックポイントではトラブルもありましたが、やっと無事通過して夜11時過ぎに飛行機は出発しました。
 何しろ、飛行機は初めて、自分のお金では全く乗ることもない人々が大部分なので、なんとも愉快でした。カザキスタンに看いたのはサラトフ時間午前2時、カザキスタン時間午前5時でした。それから40分後目的地に向かいました。カザキスタンの首都はアスタナ、旧ソ連邦で、草原と砂漠の貧しい国だそうです。人口は1500万人、政府は今新しい町づくりをしています.教皇様が訪問されたのは、ニュータウンで全てが新しく建築中でとても美しい所でした。大きな記念塔のある広場で(式典)行われ
ました。傍にはアジアヨーロッパ大学という国立大学が建設され、当日の夜は、そこで若者と教皇の出会いが行われました。
 カトリック教会のカテドラルは、このニュータウンの真ん中に3年前に出来たそうで、近代的な美しい教会です。この国では、カトリックはマイノリティ(少数派)で、大部分が回教徒です。しかし過激派ではありせん。大統領はとても理解があるように見えます。
 教皇は国を挙げて歓迎され、教皇の写真が、ありとあらゆる所に貼られ、大統領は特別な、ストラ(ミサで祭服の襟に垂らすストール状の飾り)を教皇に贈呈するなど終始和やかな雰囲気でした。教皇は何度も私達に平和を呼びかけました。教皇訪問は、カザキスタンの一般の人にも強い印象を与えたようです。思えば、共産主義で迫害が続いたこの国で、このような教皇
を歓迎する光景は夢のようであり、大きな、希望であると思いました。間もなく冬将軍がやって来ます。






『アジア』







『来年は、訪問診療を』

〜パキスタン〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 岡野 眞弓
 私が医師として働いているパキスタンの病院は、約100床の主に産婦人料の病院です。
 しかし、お産の患者さんばかりでなく、結核を含む感染症の患者や高血圧、糖尿病などの、成人病の患者も外来には来ています。
 パキスタンでは、国立病院に行けば、診察とある程度の検査はとても安くしてくれます。しかし、健康保険制度がないので、薬は全額、自費で買わなければなりません。多くの薬は輸入しており高価なものです。貪しい人は処方箋を貰っても薬を買うことが出来ないのです。そこで、うちの病院には、よく、このような患者さんが薬を貰おうと思って来られます。
 「会」から約50人分の「抗結核療法」一人9カ月コースのためのご援助を頂きましたので今は、結核の患者さんには無料で薬をお渡ししています。中には、無料で診察したり、治療することは長い目でみると人々の助けにはならないという声もあります。しかし、結核はきちんと薬を飲んで療養すれば良くなるし、そうしないと生命に関わる病気ですので、私どもは、結核に関しては全面的にサポートすることにしています。他の病気でも、大変宜しく、因っている人には、診察費や検査料を助けたり、病院から当座必要な薬を渡したりしています。先日、この地の司教様が、「本当に貧しい人は病院に来られない。近隣の村の訪問診療を始めて欲しい」と要望されました。私どもは、来年新たなプロジェクトを始めることを考えています。主に、妊婦検診、貧血、高血圧のチェック、一般健康相談、成人病、感染症のチェックを、考えています。さらに詳しい検査が必要な患者は、私どもの病院に送ることが出来ます。皆様からの誠意とご援助が大きな助けになっていることを感謝しております。






『25周年を迎えた「愛の園学園」』

〜インドネシア〜
聖母カテキスタ会 浜谷真佐美
 インドネシアは、まだまだ、政治、経済、治安等に大きな問題を抱えて、「何時になったら、安定、安心した生活を国民が送れるのだろうか?」と、不安の中に日が過ぎて行きます。(知的障害児のための)私達の「愛の園学園」は先頃、開設25周年を迎えることが出来ました。
 その特別記念事業として、メリノール会司祭のADAM・B・GUDALEFSKY師とシスター・リチを講師に、8日間のセミナールが
行われました。参加者はメタン市内の10校の指導者達で、討論には父兄、生徒ら39名が参加して新たな勇気と希望をもって励んでおりました。このセミナールで学んだことは「彼等の基礎教育は、やはり、慈しみをもって育まれる家族の理解と忍耐と努力が、彼等の将来に、大きな影響を及ぼすこと、学園では、一段と、愛、忍耐、希望をもって学生たちをゆっくりと指導、育み、三者が一つになって励む時に、その子供はより早く進歩を見ることが出来るのではないか」ということでした。
 私たちは生徒から、相互の信頼感と愛と強い忍耐を学んでおります。






『祈りこそ』

〜フィリピン〜
御受難修道女会 田中 久美子
 …フィリピン・ミンダナオ島に来て1年が過ぎました。貧困、紛争、etc…様々な、困難にあっても人々は暖かです。
 真め平和を求め、希望をなくすることなく祈り続ける大切さを思います。
 地域によっては、本当に悲惨な状態の所もあります。私達、観想会に限らず、多くの方々の祈りの必要性を痛感しております。
 世界中、お互いに祈り合い、支えあって、主の十字架の勝利、愛の勝利がこの世に現わされることを願い、祈りつつ…。