『アジア・サモア』『3人から12人の共同体に』聖ウルスラ修道会 黒田アヰ子
…私ども、フィリピンに参りまして、今年で8年になります。早いものです。現在、5人のフィリピン人の誓願者が出来ました。また、2人のポストランが居ます。私達も、最初は3人(日本人2、カナダ人1)でしたが、3年前にカナダ人1人、また、昨年もう1人力ナダ人が増え、5人になりました。計12人に成長いたしました。
初めに誓願を立てた3人の姉妹は、ダバオのアテネオで神学の勉強をしています。今年の6月から、あと2人も勉強に入るでしょう。小教区の教会から、屡々、黙想会とか、学校の修養会の指導の依頼があり、私たちで出来る範囲でお引受けし、協力させて戴いております。 現在の修道院は、8人のために建てたので、もう、収容できない状態です。もし、神様の御旨ならば、もう一つの建物の建築を計画しなければならない時期になっています。 …お便りに…皆様のお心のこもった、祈りの支えによって、殊に、私達とは、外見上、何の関わりもない、隠れたミッショネールの多くの方々の祈りの力を、深く、強く感じます。…「絆」の通信欄を見ていると、本当の”きずな“が、ここに在るのだと…確信しています。(1・16) 『発展の蔭に、弱者が目立つ歪(ひずみ)』聖母訪問会・マニラ共同体一同
…フィリピンも今、大きく変ろうとしています。外国資本による、新しいビル建設、巷に溢れる輸入品の山、新車の自家用車、タクシーの洪水…マニラの様相は、日々新たになっています。そして、教会も、新しい時代へと大きなうねりを見せています。その歪(ひずみ)の中で、弱い人、貧しい人、小さな人達が目立っている昨今です。…私達の小さな関わりを通して、触れた、見えた、フィリピンの顔をお送り致します。
◎ミンダナオのラナオ・デル・ノーテ・サバトの高校生達は、自立と和解に挑戦しながら、頑張っています。多くは、モスレムを名乗るマラナウ族の人達。識字率の極端に低いこの人達は、まだ、伝統の中で対立しています。クリスチャンとモスレムの人々の間で、若者たちは、和解に向かって努力していますが、まだまだ長い時間がかかるでしょう。 ◎5年前のピナツボ山噴火の後遺症は、雨期ごとに流れ出る濁流の被害で、人々を苦しめていますが、当時、厚い灰に覆われていた村や平地のあちこちに、緑が戻って来ています。ずーつと続けて来た子供達への給食サービスに加えて、一カ月に一度、泊りがけの保健指導を始めました。 ◎毎土曜日の夕方、クパオの一角に、30〜50人のストリート・チルドレンが集まって来ます。この関わりのグループに入って、一人の姉妹も、毎週、訪問しています。子供たちの実態と声のいくつかを拾ってみるとー。 ★エリック=13歳。親も兄弟も分らず、タクシーの客呼びをして暮らしている。シンナーを吸っている。一日50ペソを稼ぐ。 ★カルロス=13歳。親、兄弟も分らない。ゴミ拾いや、かっぱらいが仕事という。路上生活は辛い。警官、ガードマンを見ると逃げ回るのが辛いと言う。大人にもいじめられ、シンナーも吸っている。 ★アグネス=(女)16歳。妊娠している、パンパンガ州出身で、妹が6人。タクシーの呼込みをして一日50ペソの収入。 ★テス=(女)19歳。ミンダナオ出身で、メイドをしていたが飛び出し、タクシーの呼込みで生活している。別のお母さんと弟4人が居る家には帰りたくないと言う。路上で子供を抱いて寝ていたら、朝、死んでいたという。現在も妊娠中、一日の稼ぎ50ペソ。 このような子供達が、マニラには何万人も居ます。 『一年経ち、歩き出した共同体』アシジの聖フランシスコ宣教修道女会 片山みよ子
はじめてお便りします。管区会議のため、一時、帰国し、一月四日に再びフィリピンに帰って来ました。机の上に「きずな」がありました。驚きと共に、大変嬉しく思いました。日本にいた時は、いつも「きずな」を愛読していました。それが、外国で再び手にすることが出来たのですから……。
私達の共同体は、こちらに来て、もうじき、一年になろうとしています。共同体のメンバーは、イタリアから2名、ザンビア1名、韓国1名、日本人1名と、5人の共同体です。住所が変わり…10月に新しい地、ノバリジェスに移りました。私たちの周りには、貧しい人たちが、沢山住んでおります。私たちが、これからしようとしていることは、子供たちの要理教育、クリニック、そして、訪問活動です。今、少しずつ歩き始めました。現地の人たちとの交流には、英語、とくに、タガログ語が必要です。言葉の不自由な私にとっては、毎日が戦いです。思いがけない所で、応援して下さっている日本の皆様が居ることを知り、大きな励みになりました。 『新しい年は、センターの基礎づくり』元カトリック信徒宣教者会 高橋ユリ
…月日の経つのは早いもの、サモアに戻って、8ヵ月が過ぎてしまいました。…こちらは、今まで目の覚めるように美しかった火槐の花も、緑の葉が多くなり、本格的な雨期に入り、一番、過ごしにくい時期になりました。それでも、晴れた日には、紺碧の空と、エメラルド・グリーンの海も美しく、静かな、平和な常夏の島、生活の匂いも感じられない程長閑です。センターには、いつも、村の婦人が来ているのですが、今は学校も休みで、子供達もー緒に来るので、幼稚園のようです。
今、私の住んでいるところは、サヴァイイの一番大きな塔の村で静かです。今まで、山の中なので静かなのだと思っていましたが、村に下りても、余り変わっていないのを知りました。それは、アピアとサヴァイイの経済、教育、すべてにおけるハンディそのものの、現われだと思います。…とくに今年(一九九六年)は、2度の大きな国際会議、4年に1度の、大洋州アート・フェスティバルが、アピアで開かれるなど、目を見張る発展が見られ、町全体が活気づいています。…新年からセンターをオープン、少しでも何かを学ぼうとする婦人、若者たちと、センターの基礎を作って行きたいと思っています。 (12月18日)
『南米』『難しい年も、”善意の協力で”』淳心会 マルゴット神父
…昨年は、私達のためには、非常に難しい年でした。インフレがなくなって助かったが、全国で失業がすごく増え、最低給料が上らず物価が上る。貧しさ、無宿者、暴力、強盗、不安定が増え、「子供の村」も、その影響を受けています。
前に、子供たちを連れて来たのは、たいていお母さんでしたが、この頃新しく入る子供の殆どは、少年裁判です。それで、ストリート・チルドレンとほかの難しいケースが多くなりました。この北パラナ州には、こういう子供のための施設が殆どないから、二百キロ以上離れた所から(も)、子供達を送って来ます。行く所がないから、何年間もここに住む子供が居ます。…この「子供の村」は施設と違って、一つの家族になっており、殆どの子は、私のことを”パイ(お父さん)…と呼んでいます。…ただ今、ここに住んでいる子供は、一時的に住んでいる子も含めて七十二人です。 …ここへ来る前に、生きるために乞食や盗みに慣れ、ゴミ箱から食べるものを拾っていたストリート・チルドレンは、ここで満腹しても、すぐに(前の)習慣を失うことが出来ません。例えば、9歳のマルタは、大きいドブ鼠が死んだのを見付け、それを炊いて御馳走にして、皆を驚かせました。 ビトルのお母さんは15歳です。妊娠していると分った時、家族に追い出されて、ストリート・チルドレンになりました。しかし……町に、秘密の(ストリート・チルドレンの)撲滅団があって、夜中になると、こういう子供は命が危ないから、少年裁判に頼まれて、妊娠七カ月の彼女を、ここで引受けたのです。赤ちゃんが生まれ、赤ちゃんには「命を救われたから」と、医者とお母さんが、私の名前をつけました。(その)ビトルも、三カ月になりました。 …アモレイラと隣の町アサイで協力してくれる人は日本人だけです。 サン・パウロの日系人と、日本の社会に勤めている日本人にも、とてもお世話になっています。日本の多くの友人、恩人、大阪、横浜、東京の教会、もう十六年間も助けて下さっている東京のライオンズクラブ、最初から協力して下さっている松原教会、姫路教会、淳心学院などの皆様に、心からお礼申し上げます。このごろ、ロンドリーナ市の中国人の婦人会(仏教)と、サン・パウロの中国人の青年会も助けて下さっています。 『家庭の”影”にも、めげぬ子供たち』マリアの布教修道女会 鹿山ミエ子
…以前に頂きました”世界の国々で…見たこと、聴いたこと、生きたこと“のシリーズを、喜んで読ませて頂きました。仲間達の多くの経験、その宣教のあり方なども、とても興味深く、また、同じ思いをしております。
私達も皆、元気で、子供達は元気いっぱい、保育所の中を駈け回っています。(12月)15日のクリスマス会を前に、毎日、楽しく歌ったり、踊ったり、楽器を叩いて、にぎやかに練習していました。 練習に疲れると、思いっきりボールを蹴って遊んだり、散歩に出るクラスもありました。各々の子供達の背後には、家庭の大きな問題がそれぞれありますが、それにも負けず、また、小さい頃から鍛えながら、明るく成長している子供達です。 バナナ園で遊ぶ子供たち 『小学生でも落第』礼拝会 斉藤クニ子
…日本では、木枯しの吹く頃でしょうか。こちらは、太陽が真上に来、毎日、30度Cの中に暮しています。気温が上ると、黒い雲が出て、今度は雨になります。昨夜は、雷をともなう、ものすごい雨でした。水が、すぐ道に溢れ、家の中にも入りこんで来ます。
この頃は、大豆の収穫が続いております。マンゴーの実が大分大きくなり、子供たちは木に登って、ほうばっています。 学校も一応終り、進級できる子は喜び、もう一度、繰り返す子も居ます。ここでは、小学生でも、容赦なく落第です。 昨日、奨学金を頂きました。心より感謝申し上げます。昨年一人、第一号が卒業し、今年は二人が卒業の見込みです。今年、新しいのが二人、昨年からのが一人、計三人が残る予定です。(96・11・15) 『あと五分で、人質に』フランシスコ会 加藤マヌエル神父
日本のテロリストによる占拠問題は、大々的に、世界各国に報道されたので書く必要がないでしょうが−
私も、もう少しでこの事件に巻きこまれるところでしたが……危機一髪のところ(公邸を5分前に出ました)で助かりました。 …天皇誕生日のパーティに、私も招待されていました。…この度は例年になく招待客が多かったので…大使夫妻に挨拶して、お別れして、正門に出るまで、5分ぐらい経ったと思います。一緒に出た友達と別れの挨拶をして歩こうとした瞬間、”ドカン”という音とともに、銃撃戦が40分ぐらいありました。…幸いに私が立っていた後ろに、地下の車庫があったので、そこに、出会った5人の人達と、二時間半、避難しました。…その後、警官の許可を得て、無事、修院に戻ることが出来ました。…いまのところ、ペルーで、人質全員が解放されるまで、ごミサを含めて、いろいろな祈りが捧げられています……。二十年の計画でスタートした、「エンマヌエル・ホーム」の建設は、皆様のご協力、援助で、十年以内で完成しました。 ホームが始まって、13年になります。ただ今、50人の子供達が、責任者のシスター方の愛情こもった努力によって、良い方向に成長しています。とくに、年長者のグループは、今年の正月から、ある若い音楽の先生の指導で、ペルーの幾つかの楽器で、コーラスを形成し、時間が許す限り、演奏に出かけています。 また、15〜16歳の女の子が5人も居ますので、一昨年から一歳児を受け入れて育てています。この幼児達は、自然の良い環境の中で、育まれて行くと同時に、面倒を見ているおねえさん達の、実践教育にもなり、正に、一石二鳥です。 『喜ばれる超音波(エコグラフ)診療』天使の聖母宣教修道女会 杉山あさ子
…過日頂きました援助金で、11月7日に東芝の超音波医療機器(エコグラフ)を購入することが出来、私どもを始め担当医、また、患者さんたちも喜んでおり、心から感謝申し上げます。
ペルーの経済状態は、まだまだ大変で失業者も多く、貧しい人たちは、もっと苦しい生活に追いやられています。 私が住むコマス地区では、平和の元后診療所にやってくる患者さんの多くは、気管支関係の病気、結核、そして、栄養失調が主です。 ほんとうに、胸の痛みは絶えないのですが、少しでも明るい喜びを共に見つけだしていきたいと願っています。 エコグラフで診療中 平和の元后診療所 『不正義に黙さぬカトリック教会』聖霊奉侍布教修道女会 宮入キワ子
…現在、私は、サン・ロレンソの黙想の家で働いています。前の管区本部を改造して、来年からは、本格的な黙想の家として使われますが、今年中も黙想会、練成会、講習会などに、よく利用されました。…私達の所から35kmのところには、国の保護者、カークペーのマリア聖堂があります。12月8日前後は多くの巡礼者で賑わいます。
…毎年、巡礼者の数は増しているそうです。この10日間に、国の半数の人が、聖母の保護を願って、カークペーまで巡礼に来たそうです。…政治の不正義について、ノベナの間、司教様方は代わる代わる国の弱点や反省すべき点について公けに訴え、一部の人々の批判は受けましたが、カトリック教会は、不正義に対して、黙しているわけにはいかず、洗者ヨハネのように、改心を訴えました。こうして、少しずつではありますが、真の民主々義への希望は実現しつつあります。大聖年、二千年に向けて、私達も、世界のカトリック教会と共に、祈りを捧げ、真の神の国の再現を待ち望みます。 『ノベナ(九日間の祈り)が交流の場』聖霊奉侍布教修道女会 林静子
…クリスマスを、もっと精神的に充実して迎えるために、九日間の祈り(ノベナ)を、9軒の家が集まって唱えます。聖歌、黙想、聖書朗読、分かち合い、ロザリオ一連などの祈りを致します。ふだんは忙しくて、挨拶を交わす程度でしたお隣さん同士が、このノベナの時には、ゆっくりと対話も出来ますし、力強く祈ることができます。お蔭様で、この祈りを通して私達も、ご近所の方達と山親しく交際できるようになりました。このテキストは、毎年、司教様方が編纂されており、各教会の主任司祭を通じて、広く分配されています。毎年テーマは違いますが、今年は、二〇〇〇年に向けてのメッセージが多いようで、家庭を主題にしております。
…12月15日、早いクリスマスが行われます。ピラポとイグアズの信者さん方が、ラパスに集合されて、ラパス教会で、合同クリスマスミサが、捧げられます。一年に一回、このように、各地区の信者さんが集まって、合同でお祝いするのは、とても楽しい行事の一つです。…日本は寒いクリスマス、南米は暑いクリスマス、クリスマスには、水瓜やメロンを、幼きイエズス様にお供えいたします。私も、こちらに参りまして30年以上も経ちましたので、暑いクリスマスにも、すっかり馴れてしまいました。こちらの信者さん達も、時たま内地に帰る機会もありますが、時間的にゆとりのある田舎の生活にすぅかり馴れ、第二の故郷として、喜んでパラグアイに住んでおります。(12月14日) 『Stチルドレンと、キャンプに』無原罪聖母宣教女会 本郷幸子
…ハイチの新学期は、10月に始まりました。長い夏休みに、二百人の地域の子供たちを、4回に分けて、4泊5日のキャンプに連れて行きました。ストリート・チルドレンも参加出来ました。信仰教育、社会性、協調性を養う一端としてです…。
9月末に作家の曽野綾子様が、ハイチに見えました。ご一緒に当地を視察しましたが、私のミッションへの往復に時間をとられ、見学出来ない所が沢山ありました。…ちょうど、9月30日は、アリスチド元大統領に向けたクーデクーの起った日、一日違いで、道路の封鎖、デモなどに巻きこまれるところでした。 …12月7日、ローマ教皇使節の司式のもとで、全ハイチ教区9人の司教様と信徒がドームに会して、無原罪の聖母に捧げられた、新しい、カテドラルの献堂式が行われました。…旧カテドラルは、初めてハイチに造られた教会で、五百年の歴史を物語る記念館として、世に光を残すことになりました。 …識字教育は、10月下旬から新学期を迎え、2クラス70名になりました。新しい教科書を手に、喜々として通って来る子供たちの顔…8ドルもする教科書は、いつまでもつか…丸めたり、ズボンにはさんだり、上着にくるめたり、雨洩りのシミを作ったり、破れた所をガムで張り付けて、私をハラハラさせています。物がない生活なのに、物を大切にする習慣が身に付かないのは、どうしてでしょうか。 『アフリカ』『連帯と分かち合いのうちに』ショファイユの幼きイエズス修道会 平静代 三宅陽子 入江多嘉子 エチェネット
…お蔭様で、チャド共和国の共同体ギグリでは、一同元気に、チャドの兄弟、姉妹達と共に生きております。ギダリは、昨年のメンバーが居ります。日本人は3名、St三宅陽子、平静代、入江多嘉子、そして、一名のカナダ人シスター、エチェネット。国際共同体のうちに、今年は、私達の司牧チームに、2名のポーランド人司祭が加わり、それぞれの、お国柄を出しつつ、三つの小教区のために働いております。そして、チャド人の司祭が要(かなめ)となり、大神学生の実習生1名(チャド)も居て、全部で8人が、今年の司牧チームです。
ドバ司教区のスローガンの「連帯と分かち合い」のうちに、キリストの肢体の証し人として生きたいと思っております。 『豊作、貧乏……?』援助修道会 天野洋子
…いつも、アフリカのチャドのため、ご支援下さりありがとうございます。…こちら、モンゴーの町には、貯水塔が2ヵ所建設中です。
至るところ、水道の配管工事のために、カラカラの大地が掘り起されています。今まで見たこともないような、活気にあふれ、失業者の姿が消えました。 また、一年中、珍しく教職員ストライキもなく、元気な子供たちの通学姿が見られます。 雨期の雨量ほ適度でしたので、穀物の収穫に恵まれましたが、山岳地の村々では、収穫物を売った収入で、衣服を買ったため、自分達の食物としては、高価になった穀物を買わねばならず、飢餓になりそうな所もあると、国連の職員が語っています。車も入れない村々を巡回する苦労話も聞いています。 美しい容姿のモンゴー山を背景に、モンゴー女子小学校の生徒達は、「きずな」の支援金で整備された創作教室で、今日も元気に作業に助んでいます……。 1997年1月9日、ジャメナ司教区設立50周年を迎えました。 『年齢・教育差のまとめに、一苦労』マリアの御心会 中井美智子
…寒い冬の香りをさがし求めていたのが、暑い太陽とハルマッタンの香りが芽生える(候)、なんと!!ベニンでの10年目のクリスマスとお正月でした。とても、不思議に思われます。
今年のYENU・Geoの新入生は21人です。そのうち、公教要理に行っているPedarou村から2人、Gamia村一人がセンターに来ました。さらに、第一期卒業生のアトリエから一人入学しました。 私たちエキップにとって、嬉しいニュースです。 昨年と今年度の女生徒達は、年齢差、教育程度の差が極端で、クラスをまとめるのが大変です。Pedarou村の少女は11歳、読み書きを知らず、針を持つのもやっとです。出来ることは、水汲み、草刈り、木こり、ダンス、バリバ、そして人の手伝いをすることです。 ほじめてのベッドの生活で、夜中にべッドから下りて、床におねしょをしてしまいました。村のトイレは、大自然の雑草の中、寝床はゴザなのです。彼女の笑顔は、透徹した喜びに満たされています。 『北米』『”生活の総てが祈りを″願いつつ』メリノール女子修道会 小合悦子
…一九九六年九月の末に、私はセンター奉仕を終りました。老人ホームのシスター達と過ごした三年間は、貴い経験でいっぱいでした。
90歳の韓国生まれのシスターの車椅子についているテーブルの上に、大きな字で、「私の一生を、世界中の人々のための祈りにしてください」と、書いて、貼ってあります。シスターの頭脳ははっきりしていますが、体は、全く、動くのも、食べるのも人頼りです。 私は、このお祈りをコピーして、自分の部屋の入口のカーテンにかけ、私も、生活のすべてが祈りになるように努めています。 その他にも、いろいろの病気や、身体の障害を我慢しているシスター方を見て、そのお祈りが、私たちのミッションを支えていることを痛感しました。…(私は)十二月一日に入院しまして、大腸癌の手術を受けました。少し転移がありましたので、5FUの化学療法をすすめられ、暮れの三十日から治療をはじめました。その副作用のため、しばらく元気がありませんでしたが、やっと正常になりました。 |