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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アフリカ』






『病気も癒え、子供相手に過す』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 三宅陽子
 …こちらは、朝は寒いですが、日中は紆近く、洗濯ものもよく乾き、私どもにとっては、過しやすい時ですが、ライは河の前に修道院があり、較が多く、マラリアに罷らないよう注意いたしております。
 さて私(三宅)は病気休養のため、四カ月、日本で過しましたが、お蔭さまで病気も回復し、十月二十五日、再びチャドに戻り、毎日、子どもたちを相手に過しております。今は、風邪やマラリアで休む子供が多いですが、少しづつ、教具も揃い、喜んで通っています。






『診療器具購入に大喜び』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 脇山ミキ子
 …チャドのミッション活動のために、多大なご協力を頂いていますことを心から感謝申し上げております。今年はとくに、ギタリの診療所のため、また、青少年のための図書費のご援助を頂き、診療器具の購入で、職員たちは非常に喜んでおります。…エイズ病についての意識化運動もあり、消毒に対する関心が高まり、このための機械も探すことにしています。―図書も新年度で、児童たちの意欲が出て来ており、希望図書を求めるなど活発化して、喜んでおります。
 皆さま方のご協力が、次の世代のための大きな力となっています。
(ミッショネール一同)






『水があってもなくても死″』

〜モロッコ〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 朝倉信江
 …私よじお蔭様で、新任地によじ慣れ、イタリア人のケースワーカーのフランチェスカ、フランス人の幼稚園教師ジャンヌ・モニックと三人で、小さいけれど、生き生きした共同体を作っています。フランチェスカが行動派で…タフな方なので、毎日、盛沢山のスケジュールをこなしています。……ここは砂漠性の気候で、二年前までは早魅が七年間も続いていたのだそうですが、今年はよく雨が降りました。
 一週間前にも、一日半続いて雨が降ったら、…真の川は湖のようになりました。草木の生えていない荒野の山地からの鉄砲水が走るのです。この川に、むかし、フランスの「外人部隊」の作った橋がかかっていますが、この橋を渡ろうとした長距離バスが、橋に辿りつく前に、水勢に流され、五十余名の犠牲者を出しました。水が引くまでバスの姿も見えませんでしたが、四メートルも泥土の中に埋まっていた由です。荒野(フランス語では「砂漠」も同じ語です)は水が無ければ死に、水が溢れれば、これもまた、死につながるとい汲、極端を生きています。…私は、この橋を渡って、タジダ村の、八歳から十五歳の少女たちに編物を教えに行きます。……村に着くと、待ち受けていた子供たちが路地から出て来て、私の荷物を持ってくれ、その日当番になっている子の家に、行列しながら向います。
 …時々、ダンボール箱を大鼓代りにドンドン叩きながら村を通り抜けるので、村人とも大分親しくなりました。基礎編みが終った時点で、最初の作品として…お人形を作らせましたが、貧しい家の、なんの調度よじない部屋の土壁の中央にこの人形が飾ってあるのを見た時は嬉しかったです。…母親たちも、自分達のために何かしてほしいと言っていますので、洋裁というよりも「縫い方」を教えるつもりでいます。…生徒の一人は、モスクからの、祈りを告げる放送が流れると、一人退いて祈ります。冷たい床に自分のマフラーを敷き、履物を脱いで神に向います。すべてを神の摂理として受けとめるこの人々の生活の中に根づいた信仰に時々揺さぶられます……






『現地の言葉に四苦八苦』

〜ケニア〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 南雲春江 小田美津枝
 …いつも、私たちに「きずな」を送って下さいまして、本当にありがとうございます。七月上旬、二人とも目的の地、エチオピアとケニアに着きました…知小田はエチオピアで、只今、専門用語(英語の医療用語)の勉強をしながら、少しづつエチオピアに慣れて来ています。一月(一九九〇)には、もう一つのコミノテに移る予定です。
 私(南雲)はケニア・ナイロビから二時間近く離れた小さな村で…スタートしたばかりのコミノテで、四人、四カ国籍の国際共同体にいます。今はもっぱら現地の言葉を勉強中です。なにしろ、四十の手習いで、覚えることが困難な年令になり、四苦八苦しています。
 全然聞いたことのない単語、単数、複数で、名詞、動詞、形容詞など変化したり、過去、未来は≡通りの言い方で、今日の過去、未来、明日の未来、昨日の過去、それ以外の過去と、複雑、まるで、赤ちゃんのようで、何を聞いても分らない状態です。時々、エジプトの「肉なべ」が恋しくなって来ます。

ザイール堅信の日にSr中村
ザイール堅信の日にSr中村






『ザイールで、今年も!!』

〜ザイール〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 中村寛子
 …暑いザイールから、身体障害者、ろうあ、知恵おくれの子供たちと、クリスマス、新年のお祝いを申し上げます。
 いつもきずな″をお送り下さいまして、ありがとうございます。
 皆様の支援に支えられ、世界各地で活躍中の宣教者方のニュースに励まされ、新しい年も…頑張ります。






『修院にドロボーが!』

〜シエラ・レオネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 鶴田順子
 …毎日、追われるように時が過ぎて行きます。十一月半ば、マベラヒネの修院にドロボーが入り、金額、お皿や、日本からの援助品〜クリスマスのプレゼント用にとってあったペンなど、まさに、ドロンと消えました…。
 スペアキイを作って入ったらしく…いま、ポリスが取調べ中ですが…はっきりせず…どうなることやらと…見守っています。修院から沢山のものが消えましたが、もう取り戻しは不可能と思っています。
 村の子供たち、若者たちが、イスラム教徒でもクリスマスキャロルを歌いにやって来ます。ドラムや缶の楽器、竹いろいろ使って…主の祝福を祈ります。






『南米』






『苦難の中、新子供の村暁の星″生れる』

〜ブラジル〜
淳心会 マルゴツト神父
 …昨年は…平年より冬が長く、年末になっても寒さが続き…とくに夜中、…古い家のこわれたドアと窓…壁に入った大きなひび(割れ)から冷たい風が入って来て、平年より、流感、気管支炎などで子供たちが困っていました。もちろん一番大きい問題は、九〇〇%以上のインフレ…と物価…でした。一つだけ例を挙げれば、例えば、日本への一通の手紙を送る切手代は、ブラジルの金で五・四五クルザードです。今のこの五・四五クルザードは、十年前の五・四五〇、〇〇〇クルゼイロと同じで、あの時、これだけのお金で一二四、六四二通の手紙を送ることが出来たでしょう。物価は毎日のように上って、百貨店などで、品物一つ々々に新しい値段をつけ直して歩き回るだけで忙しい人たちが見られます。…ミルクなどはない日が多く…自動車などの部品がなくて、修理にも困ります。銀行の利息が高過ぎ、土地を売らなければならない農民も多い、…ブラジルの経済、社会状勢は悪くなるばかりで、貧乏、暴力、強盗、売春などが増えて、破壊された家庭、スラム…捨てられた子供が増える一方です。……都会 で、夜中、外で寝ている子供を見つけたら、ネズミのように打ち殺す秘密結社があります。…アモレイラへ来た最初の日から頑張って、この十五年間に少なくとも二カ月、この家に住んだ人は三百人以上…しかし、この家も、本当に住めなくなって、…もっと多勢の子供を救いたいので、町から少しはなれた所に……土地を買って、子供の村″を建てるつもりです。年末までに、十四軒のうち三軒が出来て、新しい家へ引越します。この村が多くの子供たちに希望のしるしになるから暁の星″という名を選びました。
 …一回、リオ・デ・ジャネイロに州の山奥の移住地を訪問して、二度も、日本語の出来る神父に会ったことのない日本人の家庭訪問をしました。とくに、年寄りは、なつかしい祖国の話が出来て大喜びでした…今年から始まる子供の村・暁の星″は、私にとっても、とくに子供のために夢のようです。子供たちは嬉しそうに私達の土地″私たちの家″と云って、夜になったら…南の空に、どの星よりよじ明るく輝いている金星を指して見て/ホラ、私たちの星″と云います。この夢が実現されるために手伝って下さった皆さんに摩して、お礼を申し上げます。長崎純心会のシスター達、アモレイラの間島さん、シスター・ルシア、建築技師ロベルト・カクポされ、旭の東本願寺、サン・パウロ日本語学校、堺の賢明学院生徒の皆さん、サン・パウロの婦人の友の会、東京・京橋のライオンズ・クラブ・バイヤ州のカトリックと新教の日本人の牧師と信者たち、姫路の淳心学院、姫路、相生、泉北、堺、東京、松原、仙台などのカトリック教会、佐々木神父様の病院、その他、個人的にも助けて下さった多くの日本人、日系人に心から感謝します…。






『富める人の回心は難しく』

〜ブラジル〜
マリア会 長谷川一郎神父
 …こちらに来て八年が過ぎました。今年(一九八九)から新しい分野の宣教に携わっています……トッパンという町に住み、月の半分を小教区の仕事、残り半分は日系人への宣教です。毎月、約十の町を二週間かかって車で回ります。一人旅で、走る距離は約六五〇キロ、なかなか骨の折れる仕事です。すべての町が私の訪問を歓迎するわけ撃ナなく、なかには迷惑がっている町もあるし、沢山の日系人の信者がいても、わずか二、三人しか集まらない町もあります。物質的には恵まれた…富んだ人たちの回心は、人間業ではどうにもなりません。
一般に、日系人は仕事には熱心だが、宗教(とくにカトリック信者)には全く無関心なのです。






『中米』






『深刻化したハイチ事情』

〜ハイチ〜
クリスト・ロア宣教修道女会 須藤昭子
 …ハイチの状態は…アメリカドルが殆どなくなって外国のものが買えず…物が不足し、外国行の飛行機の切符は、国際クレジットを持っていなければ、米ドルでさえ買えません。物価も三倍に値上りし、レントゲンフィルム、緊急に必要な医療消耗器具が、なかなか手に入りにくくなりました。
 サナトリウムの新しいニュースは、今年(一九八九)の三月、カナダ人のボランティアの人々によって、滞漑用水の井戸が掘られ、乾季でも畠の作物がとれるようになりました。…その水で養魚のための生箕を作り、患者さんに魚も食べさすことが出来るようになりました。…日本と異なり、病院では第一に心配しなくてはならないのは、食糧の確保です。…薬剤はカナダを通して購入しています。
 カルジナール・レジェ一病院では、一九八九年l月より、手術をはじめました。整形外科の先生が週一回来られ、変形して不自由になった手の指の腱移植手術をしたり、神経剥離手術をして、療病の緩和や変形の防止をしております。シスター阿部は、ボンデュステルにオビジアンスをもらって出かけました。手の骨折のギプスもやっととれて出発しました。それで私たちは三人とも、別々の所に住むことになりました。

家庭訪問 ハイチSr本郷
家庭訪問 ハイチSr本郷






『涜言で、小学校にまでパニック』

〜ハイチ〜
無原罪聖母宣教女会 本郷幸子
 …こちらハイチの政情は安定せず…ポーサルユは今まで平穏でしたが、十一月に流言によるパニックが起りました。隣村の小学校が狙撃された″と親たちが…学校に駆けこんで、児童は総立ち…海の潮が引くように散らばり、道のない畑に体を隠し隠し帰宅し、あちこちに傷を作ったと云っていました。暦が九月になると親も子も、入学、進学の学費の捻出に右往左往します。一カ月四十ドルの収入があれば、七 〜八人の家族が食べられますが、衣・住におよばず、年間の学用品代と学校への負担金二十〜三十ドルを集めるまでには、なみなみならぬ苦労が強いられているのです。…こちらの学校教育は、小学校までは義務ですが、国の学校が少なく、教会、修道会がその肩代りをしています…教師の給与は国が制限をして支給します。
 一学級六十名にしても、子供をすべて収容出来ず、教育を受けられない子が溢れています。
 …昨年から私が関わっている午後の学校は8歳〜14歳の子を新たに迎え…軒先学級で識字の勉強に熱を入れています…一生懸命努力している姿は涙ぐましく、暖かく見守り、励ましてあげたいと思います。






『アジア』






『ご寄付で、さまざまな活動が』

〜フィリピン・イサベラ〜
聖母訪問会 フィリピン・コミュニティ

 『薬草工場、完成』
遠藤マツエ
 ルンン島北のイサベラ州は、とくに十月から度重なる大きな台風に見舞われ、多大の被害を受けました。人々は天災と、じつと耐え忍んでいますが、その姿に、いたたまれないものを感じます。この鰍謔、な状況の中、イラガン教区のレファラル・センターでは、薬草工場が完成し、CHW(保健指導員)の手で、庭に薬草の苗床が出来上り、いよいよ出発できる段階にまで漕ぎつけました。今後、CHW自身の手で薬が作られ、彼らが村に持ち帰り、病人のために使用したり、指導したりする予定ですが、軌道に乗るまでは幾多の困難が予想されます。


 『物価高で生活苦』
加藤みつ
 …不安定な国情、度重なる台風による被害、とくに、最近の物価高は、貧しい人々の生活を一層、苦しいものにしています…。

 『奨学生の小食堂』
山下正子
 …奨学資金を頂いて勉強している高校生たちは、自分たちの手で収入を得ることがいかに大変かを、身をもって学ぶため、ギバン教会の前に小さなカンテーン(食堂)を、毎日曜日開業、自分たちで料理したパンシート(焼きンバのようなもの)、小さな農園で収穫したさつま芋を使ったカモテキュー、また、手作りのクリスマスカード(など)を売っています…

 『分ち合いの中に友となって』
上野紘子
 十一月中旬に二粒づつ蒔くのよ″と云われながら、レファラル、センターで、スタッフと一緒に蒔いたコーンが、今では三十センチに伸びています。周りの貧しさとは対象的で、ふさふさのグリーンベルトを思わせます。私は再びイサベラに戻り、人々と共に生活しています。日本からエクスポージャ(体験学習)でいらっしゃった多くの人々との出会いの中で、宝石のような美しい分ち合いをして頂き、豊かにされた日も多くあります。
 フィリピンは…経済状態が悪く、物価高で人々は苦しんでいます。
 賭ごとに喜怒の感情をぶちまけながら、タ暮を迎える人々も多く、やるせない日も続いています。村の貧しい婦人と一緒にレース編をしている時は、彼女らが子供にかける愛情の一端をかいま見、生活苦の会話は絶えません…。


 『医療現場で、厳しい現実』
今村美智子
 イサベラに来て早や二カ月が過ぎました。今は、毎日が夢中で、あっという間に過ぎていきます。医療の場を通して、厳しい現実を目にしています。その厳しさの中で、人々の暖かい心に触れるたびに自分は今まで、何を大切に生きて来たのだろう″と考えることが多いです。美しい自然と人々に支えられ、少しづつ人々に受け入れてもらえたら〜と思っています…。


 『日本から、五人の若者が』
諏訪清子
 …村のソーイング・グループも、グループで運営していくことになり…少しだけ進歩しました。もう一つの明るいニュースは、今までの充ち足りた安定した生活からスッポリと飛び下りて、フィリピンの貧しい小さな人々の中で仲間になり、住むために、今年、日本から五人の若者が加わりました。明るい彼等の笑顔が、笑い声がミンドロ島の佗しい漁村に、イサベラの農村にこだまし、村人の喜びとなっています…。






『シュロウ(空)”誕生』

カテキスタ 富永容子
 …ギバンで保育園をしています。今回は嬉しいニュースを一つ。
 去年の園生カミロが亡くなったすぐ後に、身籠った彼のお母さんが、十一月二日出産しました。夜中の十一時、…知らせに家にかけつけ、午前三時、目の大きな可愛いい女の子が誕生、感動の瞬間でした。私が彼女に贈ったシェロウ″という名前は、スペイン語で空″の意味。あの広い空のように、伸びやかな心で育てて欲しいという願いをこめてつけました。こんな貧しい、小さな村の中でよじ確実に生命はめぐっています。新しい生命は希望です。






『ギバンで始めての]マス』

信徒 大森雄二
 …ギバンで初めてのクリスマスを迎え…戦争中、日本軍が村の男の人全員を生き埋めにした(という)あたりで、いま、いろいろな野菜を作っています。大きな力によって歪められて来たフィリピンと日本の関係を、小さな人間同士の交わりを通して、少しでも新しく作り直していけたらと思っています……。
ありがとう…生活の危機感を覚えますが、…皆様の援助のおかげで希望を持ちつづけることが出来ます。毎朝七時から夕方六時まで、私どもは、レース編をしています。皆様が私共の製品を買って下さることを思うと疲れを知りません。……感謝の心でいっぱいです。…(ミセス・トレンティノ・イサベラ・ソーイング・グループ)






『民主の風吹き、台湾は明るく』

〜台湾〜
メリノール女子修道会 小合悦子
 …台湾では、十二月二日に、三十八年目はじめてのデモクラシーによる選挙がありました。…反対党も、自身の提案を持ち出す権利が取れました。これは、台湾の歴史の明るい一面です。
 この苦痛と努力と希望は、私たちの周りにも見られます。
 美麗さん(という)若い女性は、女学校の時失敗し、見知らぬ人に会うと緊張するので、四年間、自分の家に閉じこもっていました。
 …はげまされて、少しつつ街に出るけいこをし…一年近くの努力の後、知能に障害をもつ子どもたちの世話をするようになりました。
 …彼女は学業を全うするための準備をします。彼女の未来は、もう帥暗黒ではありません。鹿港の教会では、毎週の聖書研究会の小さなグループがとても楽しく、信仰を分ち合う親しい集まりです。
 …天主教社会服務研究院では、美しい人生を求める″講座を、スタッフのために始めました。十二人中五人は信者ではありませんが、みな、キリストのことや、その生き方などをもっと知りたいと望んでいます。






『違う文化の中で、失敗を重ねつつ二年』

〜韓国〜
御受難修道女会 長谷川税子
 …いつも、韓国の御受難会創立のため、お祈りとお心のこもったご支援を、本当にありがとうございます。おかげ様で、私たちも、この清州の修道院が始まってから二回目のクリスマスを迎え…現在、三人の修練女と一人の志願者とともに総勢七名です。来春(一九九〇年)も、三名ぐらい、元気いっぱいの、すばらしい若者が入会を待っているのですが、この三人が来ると、修道院内はいっぱいで、パンクしそうです。それで、また新しい個室・聖堂・仕事部屋その他を考えなくてはならなくなりました。おかげさまで、少しづつ軌道に乗りつつありますが、暖いオンドルもパイプに穴があき、一階の天井各所から水が滴ったり、その天井裏で、ねずみの一団が運動会 を開いたり、次は何が起るかとスリルの多い毎日でございます。
 よく似ていて、かなり違う文化の中で、たびたび失敗を重ねながら、学ばせていただくことが多い日々です…。






『入る車は、新車ばかり。あ〜中古車』

〜ポナペ・ポンペイ〜
援助マリア修道会 ポンペイ修道院一同
 …大体、一カ月一度の割で入港している船に、今後こそはと楽しみに待っているのですが、ピック・アップの中古車がなかなか入りません。ポンペイ島の自動車販売店には、このところ新車がズラリ。
 島内を走っている車の99%は日本製なのですが、中古車が少ないとのことです。先日は、これで待ちに待った車と、店先に並ぶ前から申し込み、やっと手に入ると大喜び、安堵したのですが、フタを開けてみると、あまりの大中古事で、コロニア・タウンのみを走るだけには十分なのですが、村に出かけることが殆どのわれわれにはすぐ駄目になるだろうとのことで、泣きの涙であきらめ、次の船便を首を長くして待っているところです。くずれ落ちる車体は、針金でくくりつけたり、村人の乗車を少し遠慮願ったりで、今の車にガンバレと、撫でさすりながら待っています。