ブラジルからのお便り(ドゥラードスにて)フランシスコ会司祭 小川 満神父
私たちと同じになられた神の子のご降誕と 新年のお慶びをもうしあげます。年々暑さが厳しくなってきている今日このごろですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。日本からの便りやTVのニュースでは昨年の夏もかなり暑かったようですね。 ここドゥラードス市でも毎年40℃を越す日が増えてきているようです。年間15日ほどになっています。私が来伯した34年まえにはこれほど暑い日はそんなになかったと記憶しています。外気が40℃を越す日には私の寝室は35℃近くにまで気温が上昇します。それも夏時間で午後5時ごろでの温度ですから、夜、寝るのにも一苦労しています。寝付いても翌朝、目が覚めるときは身体がほてっていて、熟睡していないのが分かります。身体が疲れた状態で目が覚めるのです。 部屋にはクーラーもあるのですが、私か受け持っている貧しい地区の人たちはほとんどが扇風機だけで生活しています。電気代も給料と比較してベラボーに高いので、貧しい人たちにクーラーはありません。おなじ生活体験をしようと思い、できるだけクーラーは使わないようにしています。 冬も、以前は霜が降り、道端の水溜りに氷が張ったりするのは普通のことで、毎年見られましたが、どんなに寒くなっても、今ではそんな光景は見られなくなりました。地球の温暖化は確実に進行しているのが私たち一般人の目で見ても分かるほどになりました。 今年の友愛運動は、この地球温暖化を取り上げて、この問題を聖書を通して神の目で見て、信者の啓蒙と協力を訴えるのです。大企業家だちと金と欲で結ばれている政治家たちにこの問題の解決を任せている段階ではなくなってきています。 では、今年もよいお年でありますように! 皆様の祈りとご支援を力強く感じながら、働かせてもらっています。ありがとうございます。 2011年1月1日 ペルーからのお便り(チクラヨにて)礼拝会 シスター川俣 恭子
海外宣教者を支援する会の皆様へ明けましておめでとうございます。お健やかに新年をお迎えになったことと思います。 今年もお互いに身体をいたわりながら元気に過ごして参りましょうネ。 ペルーでは今は夏です。まだそんなに暑くなっていませんが、これからは日毎に暑くなることでしょう。でも、日差しは強いけれど、気温は日本の夏ほどではありません。昨年の暑さは大変だったそうですネ。 私は、風邪を引いてしまって新年を迎えました。でも、たいしたことはありませんから、ご心配なく。12月前からいろいろとあって、とても忙しくなってしまったので、なかなかメールもできませんでした。1月2月はお休みですから、何かもう少し送れると思います。 2011年1月3日 ブラジルからのお便り(サンパウロ州にて)マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター佐々木 光子
昨年のナタール(ご降誕祭)と今年の新年に、昨年中の皆様のご親切への感謝と本年もよろしくのお願いを合わせて、お祝い申し上げます。今年もきれいなカレンダーを有り難うございました。昨年の暮れは何かとてもバタバタと過ぎて行く日をぼんやり見送るばかりの感じでしたが、最後に31日午前3時に私たちの来伯以来53年を陰になり、日向になってお助け下さった二世のイルマン高野(87才)のご病気が急変し、それこそ大急ぎで帰らぬ人におなりになりました。イルマン・マチルダ佐藤、イルマン・ジョアンナ高橋、それに私の3人は、全く思いがけないご埋葬に駆けつけました。そして、とても静かな、きれいなお顔にさよならをしました。私たちの仲間もだんだん天国勢の方が強くなって来ました!どうぞ沢山お祈り下さいませ。 遅ればせのこの手紙、せめて日本の旧正月に間に合いますようにと勝手なことを祈りながら、書いております。まだ普通大の字は暴走しますので、小さい字に何とか丸めていますので、大変読みづらい誤字、乱筆での迷文ですみません。よろしくご判読下さいませ。 今年はそれこそローシャイタ神父ご上在のナタール、新年でお淋しい思いをなさったことでしょうと、お察ししてます。 新しい年がお恵み豊かに感謝と賛美のうちに過ごせますようお祈りしながら、失礼いたします。 2011年1月4日 チャドからのお便り(ライにて)ショファイユの幼きイエズス修道会 シスター大和 ひろみ
新年おめでとうございます。 お元気で新しい年をお迎えのことと思います。すっかりご無沙汰いたしました。
皆様にはいつも心にかけていただき、励ましとお祈りのお陰で早13年ここチャドで過ごさせていただきました。
10年一昔といわれますが、ここチャドのライでも2、3年で随分と変わってきました。ロゴーヌ河に橋がかかり、片手に携帯電話、車、オートバイが増え、子供たちの幼稚園の送り迎えはパパのお仕事。市の水道が設置され、必要な家にはひくことができます。街角にも共同水道が出来たのですが、お金を払って水を使うというシステムが難しく、上払いが多く、共同水道はほとんど使用されなくなりました。あと数年すると電気が引かれるのではと期待しています。
米どころのライ、今年の収穫はまずまずのようですが、収穫の途中の米やヒエ、粟が焼かれたり、遊牧のアラブが牛や羊と共に横切って、食べさせたりと、度々トラブルがあり、ネガティブな要素が付きまとっています。
ライ教区が誕生して10年、去る11月28日待望のカテドラルの献堂式に合わせて、宣教75周年、カプチン会宣教50周年と、大きなお祝いをいたしました。他教区の司教様方、神父様、シスター方、政府高官方、県知事、市長、町々・村々のシェフ、信徒、あわせて3000人。外では聖堂に入りきれない参加者であふれていました。午後からの子供たちのセレモニーには1000人の子供たちが集まり、司教様のお話しに答える子供たちと共に、大きな期待と希望・喜びがあふれました。
チャドも皆様のところと同じ冬を迎えています。朝晩はかなり気温が下がり、15度位でしょうか。昼間は30度を越していますが、室内は25度位でとてもよい季節です。水のシャワーはとても勇気が要ります。
来週から新学期が始まります。7時半の登園時刻には多分半分位でしょう。20度は子どもたちにとって寒いさむい朝です。大きなマントを付けている子が昼前には30度近くなって、汗ばんでいますので、脱がせようと思っても、下には何もつけていない子がほとんどです。
お年玉にはボンボンを準備しましょう。ボンボンを手にした時のうれしい顔は今も10年前も変わりません。今年こそ真の平和が訪れますようにと祈りながら、心からの感謝を申し上げます。
お祈りの内に。
2011年1月5日 ミクロネシアからのお便り(ポンペイにて)援助マリア修道会 木村 和恵
日本カトリック海外宣教者を支援する会の皆様へカセレーリア、マイン コー!!新年あけまして おめでとうございます。皆さんお変わりございませんか。 いつもカレンダーを送ってくださり、有り難うございます。皆様のお祈りの支えのお陰で今日を迎えています。感謝です。下の写真は派遣されて到着した時のものです。あの頃は若くて、美しかったなあ?!?との思いで見ています。今は?!?ご想像下さい。その後、シスター勝部は1986年にフランスに派遣、シスター斉藤は2009年にフィリピンに派遣され、それぞれの役目を果たしています。 暑いクリスマス、お正月は想像できるでしょうか。島の大きさは淡路島の3分の2位でしょうか。人工はたぶん今、4万人強だと思います。 私は、ここに来てずーっとポンペイ全体のカトリック信者の家庭訪問をしています。人々との出会い、自然との出会いで私はたくさんの恵みをいただいて、感謝しています。山道を歩いて、花を見る時、「あんたは偉いね!誰も見ていなくても、咲いているわ、すごいよ!私だったら誰も見てくれていなかったら、咲かないわよ《と……。山道をずーっと歩いて、下に置いてある車まで帰ってきた時、ひざに向かって「ありがとう、大助かりだったよ。あんたは強いね《と。 ポンペイ人3吊、隣の島チューク(トラック)人3吊が私たちの援助マリア会に入会し、シスターとしてそれぞれの使徒職を果たしています。どうか召し出しのためにお祈りください。お願いします。 有り難うございます。カセレーリア、マイン! 後列左端が私です 2011年1月10日 イタリアからのお便り(ローマにて)御聖体の宣教クララ修道会 シスター橋本 和美
日本カトリック海外宣教者を支援する会の皆様へ初めてお便りします。私は宣教クララ会のシスター・橋本です。現在ローマにて日々過ごしています。2008年のクリスマスからクリスマス・カードや「きずな《を送って下さり、有り難うございます。この間お礼も申し上げす、申し訳ないことでした。自分の言葉で書かれた「きずな《は私にとって何よりも心の安らぎを感じるもの、まして海外で日々を神と共に歩んでいる宣教師たちのお便りを読む度、頭が下がる思いです。多くの宣教師たちの心の拠り所であろう皆様の会の働きが長く続きますようにお祈りしています。 私の居る修道院はローマ市内よりバスで20分の所にあり、巡礼者の宿をしています。イタリアはもちろん、ドイツ、ウクライナ、クロアチア、スペイン、フランスとヨーロッパの方々が多く利用して下さいます。時々日本からもいらして、「国内ではなく、外国でシスターと親しく話ができた《と喜んで帰られるのが、何よりも嬉しい時です。ここでメキシコ、コスタリカ、インド、そして日本の姉妹たちが共同体を作り、創立者のカリスマを日々生きているのですが、時として「日本《を背負っている感があり、自分を振り返り、改める日々です。客のない時は、ローマの町を巡り歩き、歴史をこの目で確認する最も楽しい時です。多くの聖人の足跡が残る町ですから、そして教皇様の側ですから、「今《を充分に生きようと思います。こんな私の日々に「きずな《は日本を想い、祈ることを思い出させてくれます。有り難うございます。文書での感謝は物足りない気がしますが、感謝です。 健康で神様のためによいお仕事ができますよう祈っています。 ローマにおいでの時は、どうぞご利用下さい。お待ちしております。 2011年1月11日 ペルーからのお便り(リマにて)フランシスコ会 司祭 マニュエル 加藤
(会員からのクリスマス・カードへの返信)お遅ればせのクリスマスと新年のご挨拶を申しあげます。 実は今年の3月で85才の秋を迎えますので、元気ですが年のためだろうと思いますが、去年の暮れからなんとなく疲れを感じる今日このころです。ですから今、身体の検査を始めたところです。恐らく来週頃に結果が分かるだろうと思います。 このような年齢に達しましたので、今は時々病人の見舞いや、特にエンマヌエル・ホームの近くに10年前に建てました日系人専用の老人ホームの世話をしております二人の日本人の修道女と老人のために週、3回自分で運転しながら、ごミサを捧げに参ります。幸いに運転が大好きだし、また私の唯一の気晴らしなので、この様な方法で日時をすごして折ります。 海外宣教者を支援する会の他の皆様にも宜しくお伝え下さい。 2011年1月12日 ブラジルからのお便り(一時帰国中)聖マリア在俗会 高田 照子
日本カトリック海外宣教者を支援する会の皆様へ事務局の皆様、お元気でおられますか? とうとう新年を迎えてしまいました。いつも「きずな《や「カレンダー《を感謝して頂いております。 それにしても、ローシャイタ神父様が他界され、大変淋しく感じております。私が31年間、そして今も住んでいるイヴォッツ市から2~3キロのところに、ローシャイタ神父様がお生まれになった町、さん・じょぜ・ド・オーテンシアがあります。「神父様と一緒に勉強をしました。神父様はお元気ですか?《と言われるご婦人にもお会いしたことがありました。神父様にとってこちらは故郷でもあったと思われます。ですから、度々こちらでお目に掛かりました。日本語のミサ、そしてこちらの信者さんたちと一緒に会食されたことがあります。今では天国で私たちをご覧になっておられることでしょう。 私は、1月8日から一時休暇帰国をしており、22日にはまた、ブラジルへ出発の予定ですが、今日はささやかな“おやつ”ブラジル特産物をお送りします。仕事の合間に皆さんで召し上がって、お疲れをほぐして頂きたいと思います。 それから、私はこちらで日系人の子供たち、そして未だ当地におられる日本人一世の方々に洗礼、初聖体、堅信などの要理、日本語のミサのお世話などをしております。その他に約100キロの範囲内にあるポルトアレグレ、カシヤス・ド・スールなどの町で必要とされている日本語教師もしております。その日本語教師たちが出しておりました機関誌「大河《16号をお送りします。「大河《は今のところこれが最後の版となっております。日本語の生徒の減少などで、日本語教師が減っていることもあるからです。それでも、現職の方々によってこれからも出版を続けることが望まれています。 それでは新年も皆様にとって良い年でありますように。皆様のご健勝をお祈り致して、ペンを置きます。 (添付資料:南伯日本語教育会編 大河 第16号 2006年6月) 2011年1月20日 東チモールのお便り(ディリーにて)聖心侍女修道会・東ティモール修道院 シスター西川久美、中村葉子
海外宣教者を支援する会の皆様この度はクリスマスプレゼントにと、日本のマリア様のカレンダーをお送りくださり、心より御礼申し上げます。カレンダーは東ティモールのような世界の“過疎地”に住む者にとって、最も入手しにくいものの一つです。この度頂いたことで、やっと今年の活動が本格始動できる、とまで感じています。ご自身ご多忙な中、ご準備くださった皆様にくれぐれもよろしくお伝えくださいませ。 こちらは今、病気の流行り易い雨季の只中にあり、先日も共同体の2人のシスターがデング熱で2週間、安静を強いられました。治療薬のないこの熱帯病は本当に困りものですが、当地に滞在される日本人にもこれに悩まされる方々が数多くおられます。 それでは皆様の今年のご多幸を心よりお祈りしつつ。 2011年1月21日 カンボジアからのお便り(コンポンルアンにて)信徒宣教会(JLMM)高橋 真也
☆ 運動会1月の初旬、あるグループが水上村を訪問し、私達識字教室の子ども達を近くの町まで遠足に連れて行ってくれました。そこの広場で運動会をするためです。運動会に行く日は、みんなおめかしして、帽子もかぶって、靴もはいています。陸地に上がることが少ないみんなにとって、バスに乗ってお兄ちゃんお姉ちゃんと一緒に遠足に行くことは、もう楽しくてたのしくて仕方のないことなのでしょう。バスに乗ってから目的地に降りるまで、ずっとハイテンションではしゃいでいました。 いよいよ運動会が始まりました。40人の子ども達を4チームに分けて得点を競います。日本から持ってきて下さったたくさんの道具をフル活用して、いろんな種目を行いました。徒競争、障害物競争、二人三脚などなど。どれも本当に楽しく、子ども達は一生懸命でした。最後に結果発表があって、優勝したチームも、優勝を逃したチームにも、おいしい日本のお菓子が配られました。最後、水上村に戻るバスの中でもまだ子ども達は元気に騒いでいました。今回の運動会は大成功だったと言えるでしょう。なぜならそこには、とびっきり輝く子ども達の笑顔があったからです。 日々を溌剌(はつらつ)と暮らすこと。人の生き生きとしている姿は神の栄光そのものです。 人は暗く下を向いて暮らすようには創られていません。いつも内から輝く人でありますように。 (バレンタイン・デ・スーザ) 本当に子ども達も、参加者も、楽しい時間を過ごすことが出来たと思います。私一人では提供できない楽しい交流の時間を子ども達に与えてくれたことに感謝です。ああいう子どもの生き生きとした姿や笑顔を間近で見させてもらえる時、派遣された喜びを感じます。元気いっぱいに走り回る子ども達と幸せな時間を共有出来ている時、「また明日もがんばろう!《って思うことが出来ます。 人と『ふれあう』って、本当に元気をもらえるんだなぁと思えた、そんな運動会でした。 一生懸命走る子ども達。どうですか、この真剣な走り! 最後にみんなで集合写真。本当にお疲れ様でした! 2011年1月21日 ブラジルからのお便り(アモレイラにて)長崎純心聖母会 シスター堂園 みつ子
2011年 明けましておめでとうございます。皆様いかがお過ごしでしょうか?アモレイラは涼しくて暑い夏です。昨年私たちは「老人の家《の改築に力を集中し、お陰さまで26軒の半分13軒がどうにか終わりました。地元アモレイラの方々も今まで以上に善意を示して下さり、感謝しています。実際いろんな催し物の収益が目に見える形で改築となって表れているので、信用してくださる方も増えています。 日本から私か送った物、送って下さった冬朊などで7回以上バザーを行い、昼食会、宝くじなど新しいアイデアもあり、8回目の春祭りは例年以上に好成績でした。夜店のバザーは売り物が切れそうになると、日本から学用品、おもちゃが届き本当に助かりました。 アモレイラはいまだに町長が未決定のまま2年過ぎ、2 0 11年から新しく町長代理が残りの2年を引き継ぐそうです。セントロは、町役場に全面的に助けられているので、こういう状態はとても困ります。2吊の職員が定年退職しても、交代が来ません。1吊が産休休暇で6か月休みましたが、これも交代がありません。保育所は、年長クラスの教師が1年間に4吊交代し、理想的な保育とはほど遠い状態でした。去年の反省を2 0 11年に役立てていきたいのですが、現実は厳しいようです。また昨年は2吊の恩師を御父の元に送り、感謝と共に寂しい気持ちになりました。神様はいつも必要なときに必要な人を準備してくださっていますから信頼しつつ、新たな気持ちで新しい年に向かいたいと思います。 昨年11月には主任のロベルト栗山神父様が交通事故に遭われ、休養中です。代理に新司祭が来られました。栗山神父様が早く回復されるよう祈ると共に、若い神父様がアモレイラの教会を活気づけてくださるように期待しています。実際には複雑な心境ですが、信徒の方々と一緒になってお互いの信仰が深められよう励ましあっています。 「老人の家《は30吊の住居者が空き部屋に交代で入りつつ、改築にあたっています。中には5時に起きて引越しを始めたおばあさんもいました。 2年前に栗山神父様から頂いたイッペーの白い花が咲き始めました。桜に似ています。1枝に100個以上も実をつけていたアボガドの木は台風で倒され、今、小さい木が出てきました。アッセローラも元気よくたくさん実をつけています。卒園していく子供たちも、立派に成長していく子と、小学生ですでに麻薬にかかわっている子と、それぞれです。子供達、お年寄り、そしていつも支えて下さっている神様につながって、これからも祈り、働いていきたいと思います。 新しい年に神様の祝福が皆様の上に豊かにありますように。感謝をこめて。 2011年1月某日 カンボジアからのお便り(コンポンルアンにて)信徒宣教会(JLMM)高橋 真也
☆ 水上村がなくなる日カンボジアの中央に位置するトンレサップ湖。メコン水系に連なっているこの淡水湖は、乾季には東京都ほどの大きさですが、雨季になると支流から流れ込んで来る水を抱きこみ、4倊にも膨れ上がります。伸縮するこの上思議な湖には、コンポンルアンを含め、200以上もの水上村があると言われています。湖で獲れる豊かな魚は、水上や湖の周辺に住む人々を養っています。カンボジア人が摂取する動物性たんぱく質の7割が、この湖で年間20万トン以上獲れる淡水魚によって供給されています。トンレサップ湖はカンボジア人の命の源なのです。 単位面積当たりの淡水魚の漁獲量世界一を誇るトンレサップ湖が今、漁獲量の減少という危機に直面しています。もしかすると将来、湖に魚がいなくなり、水上村もなくなってしまうかもしれないのです。その原因の一つであるのは、『乱獲』です。その実態を見に行くチャンスが先日ありました。見に行ったのは、全長が何十キロにも及ぶほどのとても大きな仕掛け網です。網を浸水林(雨季になると水に沈む林)全体を囲むようにして仕掛けて、大きい魚からほんの小さな稚魚まで、根こそぎにしてしまう漁法です。違法漁業なのですが、多額の袖の下を漁業局に渡して見逃してもらっているようです。聞くとその額は五千ドル。それくらい高額な賄賂を与えてもおつりが来るくらい、この漁は魚が獲れるようです(1回の網の引き揚げで、何十トンも魚が獲れるとか…)。大掛かりな違法漁業ですので、見張りの人達はかなり手荒なマネもするそうです。 手漕ぎの舟に、ボディガード兼案内役の現地人二人を乗せて、村の外れの浸水林へと向かいました。静かな林の中を優雅に散策していると、かなり広範囲に網が仕掛けられているのが見えます。浸水林全体を囲むように網が張り巡らされているので、林の魚は一網打尽です。 その時!舟を漕いでいた青年が、木で組まれた小さな櫓(やぐら)に寝ている見張りの人を見つけました。「ここで見つかったら『何しに来た?』と迫られても言い逃れ出来ない。すぐ引き返そう《と、道を変えて避難しました。カンボジア人のあの慌てぶり。やはり危険な所だったのです。 違法漁業がなくなり、湖に魚が戻る日は来るのでしょうか?無力な自分ですが、何か出来ることはないかと模索する日々です。 浸水林全体を囲んで仕掛けられた大がかりな囲い網 浸水林の中を散策。緑のカーペットは、全部アオコです 2011年2月17日 ボリビアからのお便り(サンタクルスにて)サレジアンシスターズ シスター漢那 和子
主の平和!1月の半ばに月刊誌、「あけぼの《と「カトリック生活《を受け取りました。お礼の返事が遅くなり申しわけございません。ありがとうございました。 ボリビアは今、雨が多く、蒸し暑く、蚊の発生がすごいです。昨年と同じように、今年もリンゲ病がまんえんしています。昨年はかなりの子が、リンゲ病に罹りましたから、とても心配です。 このジメジメした天気は喘息の持病がある私にとっては、最悪の時期です。特に今年は50吊の子供を任せられ、ボランティアと組んで毎日戦争です。 朝、5時の起床の後、1時間の祈りとミサを除くと、殆ど15時間、子供の中にいます。最初のころ、子供たちが学校に行っている間、羽根をひろげられると、甘く考えていたのですが、…だめでした。 先日、喘息がひどく2日間、床につきました。私の留守の間、みんながんばったようで、早く元気になるように、たくさんお祈りしたのよ、と、いわれると、また頑張ろうと力がわいてきます。 私たちは犠牲というと、何だか大きなことを考えてしまいますが、犠牲はいつも目の前にあって、それ、をどういう形で受け止めるによって、恵みに変わっていくんだと、子供たちの中にいて考えさせられました。 もうすぐ四旬節がはじまります。よりよい恵みの時でありますようにお祈りいたしております。 2011年2月20日 |