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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声


              

からのお便り(コンポンルアンにて)

信徒宣教会(JLMM)高橋 真也
☆ 夢の実現
  私には活動当初からずっと抱いていた夢がありました。それは、『水上村に住む子どもたちが走り回れる公園を作ること』です。水上村の子どもたちは湖で泳ぐことは出来ますが、走り回ることは出来ません。陸地もなければ、大きい家もないのです。陸地に住む普通の子どもたちであれば、誰もが当たり前に出来ることが出来ないのです。そんな子どもたちのために、思いっきり走り回れる公園を作ってあげたいとずっと思っていたところ、今年に入り、ひょんなことから、NPO法人「芝の会《という団体が、水上公園設置の費用を支援して下さることになったのです! 2010年4月に始まった工事は、7月に終わり、立派な公園が完成しました!
  出来上がった公園では、毎日多くの子どもたちがはしゃぎ回っています。サッカーをしたり、ゴム飛びをしたり、ただ直線をひたすら走って往復しているだけの子どももいます。よっぽど走れることがうれしいのでしょう。子どもだけでなく、青年たちも集まります。私もその輪の中に入って遊ぶのが好きです。みんな日が暮れるまで遊んでいます。最近の私の楽しみは、この公園で汗だくになることです!
  この公園は、子どもたちのためだけに作られたものではなく、お年寄りなど、村人みんなが集まれる場所であることを願って作られました。そしてまた、貧しい家庭の人たちが、冠婚葬祭などで広いスペースが必要な時、無料(もしくは安い値段)でこの公園を貸し出そうという計画もあります。公民館?みたいなものです。これから先もずっと、この公園が村人のために使われていくことを願っています。
  改めまして、この公園を作るために支援をして下さった方々にお礼を申し上げますと共に、これから日本の皆様がこの公園に遊びに来て、子どもたちと体当たりの交流をして下さることを願っております!
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完成した水上公園!外観は体育館のようです  ゴム飛びをして遊ぶ女の子たち

2010年9月13日

                 

パラグアイからのお便り(アスンシオンにて)

聖霊捧侍布教修道女会 シスター山田 雲江
  7月16日シスター林からローシャイタ神父様のご帰天の報せをいただき、週に一度私たちの修道院にごミサを立てて下さるクルッカ神父様にお願いして、ごミサをお捧げいたしました。   長い間、私たち宣教者を支え、共に歩んで下さいましたことを心から感謝すると共に、なつかしく思い出し、“本当にご苦労さまでした、有り難うございました”と申し上げます。   パラグアイでは今年は思いがけない寒波に見舞われ、いつもの年より冬を長く感じました。でも、この一週間暖かい日が続き、日本の桜の花によく似ているパチョの花が咲き始め、その美しさに目を見張っています。   そんな街角で1人の女性に声を掛けられ、その問いかけに耳を傾けました。3年前息子さんを事故で亡くされ、その辛さ、苦しみを受け留めることができず、神を信ずることだけでなく、祈ることもできずに、過ごしているとのことでした。行き交う人通りを気にすることなく、時間も気にせず、少しずつ心を開いて問いかけ、ありのままの心持ちをぶつけて下さることを感謝しながら、「じゃ、この3年間亡くなられた息子さんのために祈ることもなく…《と問いかけましたら、急に涙を流しながら、うめくように「祈らなかったんです!できなかったんです!《と言われました。「じゃ、これから一緒にお祈りしましょうね《と、住所と吊前、そして電話番号をメモして、この先連絡を取り、つながりを保っていくことを約束して、お別れしました。   こんな出来事は、用事で出掛ける折々に起きたりします。そんなことから、私の携帯電話は真夜中も必要な方が安心して呼び、一緒に祈ったり、話したり、聞きたいことを尋ねたりして、気持ちを落ち着けて、新たに眠りにつけるようにと、お捧げしています。   こんな奉仕を通して、逆に私の方が心を開かれ、強められています。また、皆様のたくさんの祈りと日々のお捧げに支えられて、生かされていますことを感謝しながら。
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桜に似たラパチョの花が美しい青空に映えています  2008年11月6日SJハウスでローシャイタ神父様と一緒に=大切な記念の写真

2010年9月某日



アメリカからのお便り(セントルイスにて)

ノートルダム教育修道女会 シスター兵頭 晃
  海外宣教者を支援する会の皆様
  多くの方々に比して、凡そ『宣教師』とは言えないような私にまで、いつもきずなとカレンダーをお送り下さっていますことを今更ですがお礼申し上げます。
  暫くウエブサイトを開けないでいましたので、先日きずな112号を拝見して、ローシャイタ神父様のご帰天を知りました。神父様との関わりは長く、半世紀以上になります。神父さまが第3修練を終えて日本に帰られたとき、ベルギーに一時帰国されたエリザベト音大ゴーセンス学長の代行をされました。未だ30歳過ぎで、見上げるような長身から、私たち学生を優しく『見下ろして』いらっしゃいました。黄金バットのような長い黒のマントを羽織られた神父さまの最終誓願式にはオルガンを弾く喜びもありましたし、卒業証書も戴きました。後に、司教協議会の典礼委員会に務めていましたときには、何かとお会いする機会もありましたが、東京を離れてからはお会いすることもなくなりました。でも、ローマに居たときには、ブラジル管区の姉妹がローシャイタ神父さまのことを誇りにして話してくれました。
  2006年春、一時帰国中でイグナチオ教会の小聖堂に居ましたら、偶然、ポルトガル語のミサの準備に入ってこられ、全く思いがけない再会の恵みを頂きましたが、あれがお目に掛かった最後になりました。
神父様のご生涯とご奉仕、日本に派遣して下さったブラジルの教会とご家族の皆様に感謝を捧げたいと思います。長患いはされなかったご様子ですので、それがせめてもの慰めです。神様の元で終わりのない命を楽しまれますように。ありがとうございました! 
2010年9月27日


ボリビアからのお便り(サンタクルスにて)

礼拝会 シスター斉藤 クニ子
  海外宣教者を支援する会の皆様へ
  今日は日本からのお便りを頂き有り難うございます。カトリック生活も入っていました。日本の便りが何よりのごちそうです。
  今年の夏は非常に暑かったとか。こちらは強い風、暑さ、次に雨という繰り返しのようです。非常に暑くなるかと思うと、急に寒くなるという具合で、風邪をひく子供が増えました。サンタクルス市では、市ができて200年ということで、大きな祝日をしています。おかげで街が大分きれいになりました。日本はこれから冬になる頃ですね。皆様も風邪をひかないように、どうぞお身体をお大切に。
2010年10月1日



パラグアイからのお便り(ピラポ移住地にて)

聖霊捧侍布教修道女会 シスター林 静子
  海外宣教者を支援する会の皆様へ
  日本の今年の夏は特別暑かったそうですが、今は秋になり、ほっとなさっておられることと思います。いかがお過ごしですか。こちらパラグアイは春で、良い季候が続いております。
  6月にローシャイタ神父様がお亡くなりになり、さぞお淋しいことと存じます。後任にはどの神父様がお就きになったのでしょうか? 事務所の方では世界各地からのお便りとか、援助申請などで、毎日さぞお忙しいことと思います。
  このたびは「カトリック生活《、「聖母の騎士《、「あけぼの《など多数送っていただき、有り難うございました。7月に送って下さったご本が船便で3か月かかって漸く着きました。50~60代の日系一世の信者さんたちに配って、喜ばれております。日本の雑誌はこちらでは貴重なものです。
  アルゼンチンの北島神父様が休暇で日本に帰られましたので、3か月間は日本のミサはございません。   ここピラポ・コロニアでは8月1日から3日まで、入椊50周年祭がありまして、日本からも岩手、高知両県の知事代理を始め、大勢の方たちがパラグアイに来られ、賑やかでした。来られた方々はほとんど皆様が民宿されて、喜んでお帰りになりました。
  今年は毎週雨が降りましたので、お陰様で豊作の年となり、お百姓さんたちもホットしております。
  パラグアイの大統領は舌がんに罹られたと推定され、ただ今入院されています。問題の沢山ある国なので、心労も多く、誰が就任しても政治は難しいものでございます。
  私のいますピラポ聖霊小学校も人が少なく、シスターはたった3人の共同体でしたが、ただ今、8月から1人、9月からもう1人、ボランティアとしてドイツとオーストリアから若いお嬢さんたちが1年間の予定で来て下さいました。スペイン語の勉強中で、1人は幼稚園で、もう1人は小学校の手伝いをして下さっています。私たち聖霊会のシステムで、すでに7・8年前からパラグアイにも来てもらっています。18歳から20歳までの若くて、高校を卒業したばかり方たちですが、第三世界で生活するのも勉強になると思います。国に帰って、結婚する方もあり、中にはシスターになる人もいます。
  時節柄、パラグアイでも少子化が進み、多くて4人、大抵3人位の家庭になっています。そうすると召し出しも少なくなって来ていますし、以前にはたまにしかなかった離婚も多くなりました。迷惑なのは子供たちで、淋しい幼少時代を送っていますが、この国ではおばあさんたちが90%位は孫の面倒をみています。これがこの国では救いになるのかも知れません。
  同封の写真は今年8月16日の子供の日に写したものです。後ろに立っているのは中学生のグループで、ピエロの朊装をして幼稚園にやって来て、子供たちを喜ばせてくれました。お陰様で子供たちは親や先生の苦労も知らずに、のびのびと成長しております。
  とりあえず、近況お知らせ旁々、ご本のお礼までに。
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2010年10月6日



エクアドルからのお便り(ケヴェドにて)

聖母被昇天修道会 シスター横山 まさ子
  海外宣敏者を支援する会の皆様へ
  久しぶりでございます。お変わりなくそれぞれのお仕事にお励みのことと思います。長いことご無沙汰いたしておりました。
こちらエクアドルはそろそろ雨季の冬に入ろうとしています。夜が暑くなってきています。今年の夏は寒くてたまりませんでした。温度が24度以下になると長そでの上着が必要です。気温の変化が激しく、またほこりも多くて、大多数の人々が風邪をひき、私も何度、風邪薬のお世話になったことか? 6月中旬から約1か月カナダの本部です過こしてきましたが、出かけるまえに転倒し、左手首を骨折、ギブスをしての旅でした。
  9月30日エクアドルに緊急事態が発生して、日本大使館から外出を控えるようにとの連絡が入り、その日一日中テレビの前にクギ付けになってしまいました。国会で公務員改正法が実施され、それに反対した警察官が全国的にデモを実行し、大統領暗殺をはかりましたが、未遂に終わりました。大統領は全国に非常事態を告げ、まだ解除されておりません。警察官がいない町は大変です。ある所では閉鎖された商店の扉を壊して侵入し、商品全部が取り去られ、残ったのは壁だけでした。日頃住民はあまり警察官を信用していません。警察官を怖がっていますから。この事件は夜遅くまで放映されましたが、大統領が軍の兵士に囲まれて、大統領官邸に逃亡する時の銃撃戦は激しく、市民や警官に死者が出ました。現在は落ち着いておりますが、いつ何か起こるか分からない国です。民主主義がまだ理解されておりません。今後はそろりそろりと物価の値上が始まります。貧しい人たちの生活は苦しくなってきます。
  最後になってしまいましたが、先日ご援助頂きました小型トラックの修理が終わりました。なんと5か月も掛かってしまいました。修理の部分品を買い求めるために係のシスターは飛び回りました。おかけさまで快適に運転が出来、宣教に役立ております。深く感謝申し上げます。コミノテの姉妹たちも大喜びで、感謝しております。本当に本当にありがとうございました。ご援助のお礼が遅くなりましたことおわび申し上げます。   私か担当しております子供たちの聖書の分かち合いの集まりも軌道にのり、喜んで集まってきます。もう直ぐクリスマスの準備にのり入ります。共に仕事をしてくれるカレンは17歳の女の子、将来は小学校の先生になりたいと言っていますが、今は夜間の大学を探しております。現在大学はお金がかかりませんが、交通費が大変です。夜ですからバスがありませんので、タクシーを使います。昼間働くところをして探していますが、これも容易ではありません。
  そちらはだんだん寒くなる季節ですね。皆様方お体を大切になさってくださいませ。ロザリオの月ですね。世界の平和を聖母マリアに祈り求めながら!皆様方に神様の恵みが豊かにありますよつに折りつつ。 どうぞ私たちのためにもお祈りを続けてくださいますようにお願い致します。
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2010年10月12日



カンボジアからのお便り(カンポートにて)

ショファイユの幼きイエズス修道会 シスター谷村 恵子
  長い間、ご無沙汰いたして申し訳ございません。お元気でいらっしやいますでしょうか。今年の日本はことのほか猛暑だったと聞いています。暑い夏が去って涼しさが戻ってきたことと存じます。この度、長い間、カンボジアのためにもご尽力、ご支援くださったローシヤイタ神父様のご帰天を知ってびっくりいたしました。ご冥福をお祈り申し上げます。これからも神様の元で貧しい国の人々を見守り、そして取り成しをして下さることと信じます。
  カンボジアヘのご支援ありがとうございます。心より感謝申し上げます。「きずな《の皆様の支援を頂いて、異文化の中で働いておられる多くの皆様にも大変励まされております。私も支援する会のお陰で、チョンカチアン村とキリボン村の就学前の子供たち(0歳~5歳)の栄養補給のプロジェクトを実施することができました。
  プロジェクトは始まったばかりでが、問題が少しずつ見えてきたところです。たとえば栄養失調症、貧血症、心疾患、呼吸器官の疾病などの早期発見につながり、このプロジェクトは、村においては大変有意義で大切だと思いました。この一年間、比較的村の手前でプロジェクトを実施しましたが村の奥の方、山裾に近ければ近いほど、水、食料、貧困などの問題が子供たちの発育に深刻な事態をもたらしています。学校へは遠く、家の手伝いもあって未就学児も多いと思います。カンボジアは表だけを見ると、復興を遂げているように報道されていますが、都市と田舎の格差はまだまだ大きいと思います。
  遅くなりましたが、ご支援いただいたお金の使い方について少し説明いたします。
  通常、50人単位で栄養補給を実施していましたが、本年6月から9月までハンディキャップ・センターにて実施しましたら、吊簿以外の子供たちも来て、利用者は100人を越えました。そのため食材を増やし支出が多くなりました。5月分の金額が多いのは、市場までの距離があまりにも遠く、交通の手段もなく、肉を手に入れることが困難で、肉の代わりに卵を購入しました。8月分の支出が少ないのは、日本からルカジャパンという医療関係のグループがハンディキャップの人たちの検診に2グループで来て下さったため、2週間ボボ(おじや)作りを休みました。そのため支出が減りました。
  10月以降もプロジェクトを続けていますので、残りの援助金を使わせていただいております。本当にありがとうございました。
  改めて支援の継続をお願い申し上げます。携わっている村々の現状から、これからも健康に関するプロジェクトの実施の必要を強く感じます。母親たちに「食の重要性《を訴えたいのですが、今のところ「生きるために食べる《のが精一杯の状態です。子供たちの世代になれば少しは楽になるのではと期待いたします。それで未来の子供たちのために、今しばらく続けてご支援をお願いできないでしょうか。どうかご援助くださいますようよろしくお願い申し上げます。
  感謝と祈りのうちに!
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チョムカティアレ村のハンディキャップ・センターにて:食事前の手洗いの指導

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若いお母さんたちが援助のお金でボボを作り。感謝。  お母さん、おばさんが参加してのボボ作り

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お父さんも子供を抱いて参加  抱かれている女の子は5歳です

2010年10月20日


ボリビアからのお便り(サンファンにて)

サレジアン・シスターズ シスター小濱 静子
  主の平安!
  私もお陰様で元気です。新しい使命が生まれて、また忙しくなりました。この度、客室用トイレ、シャワ室と寝室が増築されました。今後、日本からのお客さまは、安心して休んでいただけます。   ボリビアも異常気象の影響で、干ばつで困っています。野焼きでスモッグがひどく、毎朝霧もやに目覚め、車は昼間もライトを点ける時もあります。神様が早く雨を降らせてくださらなければ、いろいろな病気が流行する危険があります。
  今回、ホットニュ*スがあります。それはエコロジ運動の一つで「水のプロジェクト《が始められることです。現サンファン市長は日系2世です。彼は8月6日の建国祭の演説で、3つのスロ*ガンをあげました。一つは時間割を守る。二つはゴミをどこにでも捨てない。三つは木を椊えること。1本切ると2本椊えことにする。日本では当たり前のことでも、ボリビアではこれを徹低させることは難しいのです。これは、エコロジ運動の一つとして、市長さんがあげた具体的な良い案と思いました。それで、市長さんと面会した時、次のことを話しました。「市長さんは、大変具体的で良い案を出されましたね。私も大賛成です。それに、サンファンは水が農薬で汚染されていますので、良い水を提供して、心と体の健康を促進したいですね。《市長さんは、大変喜んで、「教会が動くと南米は非常に力強いですね、村おこしになりますね。《と話しが盛り上がりました。
  実は「水のプロジェクト《は、10年来親しくして、貧しい病人などを援助してくださる日本人の木村ドクト*ル夫妻との付き合いがきっかけです。先生は愛知県でトヨタ自動車の社員検査医師をされていましたが、退職されて、余生をボリビアでゆっくり過ごそうとサンタクルスに来られました。このドクトールに出会い、モンテ*ロ教会でボランテイア医師として働いてもらうことになりました。先生は日本での医師の経験から人間に優しい医療、すなわちエコロジ*の研究者を沢山ご存知です。先生は現在、サンタクルスのビルビル飛行場の近くで、「自然療法のクリニック《を開業しています。先生は水にこだわって、現在エレクトロンオメガ水、微細気泡発生装置で患者を治療しています。この水の愛好者がサンファンにもいますが、サンファンまでこの水を運ぶと言うことは、大変です。たまたま私が毎週サンタクルスまで往復しているので、そのサ*ビスを引き受けましたら、ドクト*ルもサンファンの人々も喜びました。そしてドクト*ルはその水1ガロンを私の収入にしてくださいました。6か月ほど大変助かりました。ドクト*ルは、サンファンの人々のために私がサンファンでこの機械を買い、この水を販売することを提案されました。しかし、この機械の値段を聞くとそんな簡単なことではありません。「そうですね《と言っても、その問題と関われそうもないと伝えて、その時は別れました。
  それから数週間経ったある日ボリビア管区長の訪問があり、相談した結果、この機械の購入については、資金を日本のドンボスコ基金に申請する方法を考え、ボリビア管区の評議会にかけることになりました。しかし、サレジオ会としては、今年は地震の被害の大きい「ハイチ《に寄付するようにとの総長様の意向で、断られました。しかし、上思議なことに、神の摂理のお陰か、60万円でその機械を購入することができました。 こうして水のプロジェクトは実現しました。エレクトロンオメガ水、微細気泡発生装置が到着した旨の電話が掛かってきたのです。それをサンタクルスの郵便局に受け取りにゆきました。エボ大統領になってから郵便物の受け取りは大変厳しく、関税が高いので、心配でしたが、100ドルちょっとで済みました。
  ニグリス神父様にこの機械を祝福してもらいました。神父様は、祭壇の中央に機会を置かせて、荘厳に祝福の祈りを唱えてくださいました。その後電話室の片隅に機械を設置し、神の慈しみのみ心の額をかざり、イエスの脇腹から出る水として、サンファンの人々に配っています。
  10月19日サンファン教会で堅信式があり、サンタクルスの副司教のエスタニスラオ神父様がいらっしゃいました。副司教様も大変よろこばれました。エコロジの一つの運動と高く評価してくださいました。
  水のプロジェクトのため毎月の第2日曜日に木村ドクト*ルも無料診療をしてくださいますので、私としてはこの教会が巡礼教会になることを願っています。イエスのみ心はこのような方法でも、神の慈しみを体験して欲しいと貧しいボリビア人や日系人らに呼び掛けているように思います。私はそのために、神の道具として、何かできたら嬉しいと思います。日本の皆さんのお祈りと犠牲に感謝いたします。
  大変長い手紙になりましたが、シスター漢那もシスター竹山も、シスター・マリ*ナも元気に頑張っています。ではお元気で。
2010年10月24日


ブラジルからのお便り(ドゥラードスにて)

フランシスコ会 司祭 小川 満
  『福音宣教』 この言葉を聴くといつも必ずといっていいほど、かつて、ブラジルを訪問してくれたある日本人の司教様のことを思い出す。私はその時、アパレシーダの日系人の巡礼に加わり、彼の通訳を命ぜられた。同行中、司教様はご自分がなさる説教についていつも心配されて、私の意見を求めていた。どのような話が移民の方々の関心を引くのだろうかと心配だったのである。ブラジルにはじめて来られた司教様にしてみれば当然なことであったと思う。
  私は自分の経験から、「巡礼者にはお年を召された日本からの移民の方々が多く、難しい神学的な話、またはカトリック要理的な話よりは、日本から移住してこられ、幾多の困難や苦労を家族とともに乗り越えられて、子供やお孫さんたちを立派に育てられた苦労をねぎらい、ブラジルの社会に多大の貢献をなさったことを評価してさしあげるような話がピンときますよ《と繰り返し申しあげてあったのですが、いよいよ荘厳な巡礼団のミサが始まり、説教の時になると、出てきた言葉は、『宣教と布教の違いについて』というとてつもなく難しいお話だった。
  私自身もその時どれだけ司教様のお話を理解できていたかは今でも疑問に思っている。それよりも何よりもポルトガル語に通訳していた私には、瞬間的にはブラジル語での宣教(ミッション)と布教(プロパガンダ)という単語が出てこなかった。かろうじてミッションの単語は空っぽの頭からしぼり出したものの、プロパガンダは私の頭の中ではテレビや雑誌に出てくる宣伝広告ぐらいの認識しかなかったので、ついに布教という言葉を使わずに、いい加減な訳でその場をしのぎ、ごまかしたことを思い出す。そのことを思い出すたびに、20数年たった今でも冷や汗が出てくる。2千人以上もの日系人の巡礼者の前で、自分の無能さと無力さと無知をさらけ出した一幕だった。
  その時は、難しい話をなさった司教様を恨んだりもしたが、今となっては、自分が謙遜になれるよいチャンスだったのだと思えるようになった。自分が本国から持ってきた文化なり発想なりをいったん神に預け、与えられた土地で、そこの文化や習慣に溶け込み、その土地の人の考え方、発想、生き方などを、身をもって体験し、理解し、受け入れなければ、本当の意味での宣教はありえないし、宣教師でもありえない。何かの真似事をしている単なる道化師でしかない。それを実現するのには心からの謙遜が必要であると解った。
  また自分が取るに足りない、一介の弱い人間であることを受け入れなければ、自分のうちに神の力が働くわけがない。聖パウロが言った。『誇る必要があるのなら、私の弱さにかかわる事柄を誇ります』(コリント第2・11章30節)。また『誇る者は主を誇れ。自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです』(コリント第2・10章17節)といっている。
  最後に、熱烈な宣教によって主イエスから使徒とされ、自分も使徒と自覚していた聖パウロの次の言葉を、宣教師として私たちは肝に銘じ、さらにこの福音宣教の月を、主イエスの宣教師としての自分の過去を反省し、宣教者としての自覚を新たにしたい。『わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれがわたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。実にあなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。』(テサロニケ第1・2章19節)
 (この文章はオリゾンテ誌10月号のために書かれたものですが、小川神父様の了承を得て、転載させて頂くものです。)