トップ宣教者の声 > 2010年1・2月
KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声


タンザニアからのお便り(ニヤミレンベにて)

天使の聖母宣教修道女会 シスター杉山 あさ子
  “エンマヌエル”私たちと主におられる主!私たちのうちにおられる主に賛美と感謝!
  今日は私にとって思いがけないプレゼント、よろこびの日、遠い日本から暖かな心を届けて下さった会員の方に心から感謝、ありがとうございます。私たちもこうした沢山の人々の支えによって、宣教生活ができるだと思います。それは本当に力とよろこびになります。
私は昨年2月末タンザニアのミッションに着きました。5年間ほど住んでいたカナダから直接こちらに来ましたので、「海外宣教者を支援する会《には連絡をとりませんでしたが、昨年10月「きずな《が届きました。きっと日本の私の修道会がお知らせしたのだと思います。
  私の住むニヤミレンベの村は、タンザニアの首都ダレ・サラムからは遠く離れ、赤道直下のビクトリア湖に面したルワンダ、ウガンダの国境に近い小さな、小さな田舎の村です。人々は主に農耕と漁業の仕事で生活しています。大自然と共に生きる人々の生活は、とても厳しいものがあります。
  今は雨季で人々は朝6時頃から田畑で働いています。主に米、とうもろこし、豆類、いも類を作っていますが、充分な雨が降らないと、作物が見る見るうちにしおれかかっているのを見ると、心が痛み、宮沢賢治の詩“雨ニモマケズ”がふと思い出され、口ずさんでいます。
  電気も水道もなく、雨水が頼りです。水汲みの仕事は、子供、婦人の仕事です。特に、女子、子供たちは手伝うというより、よく働きます。学校に行きたくても、貧しさの故に行けない人々もおり、読み書きのできない婦人、子供も沢山おり、私たちの姉妹は、識字学級を開いたり、少しでも自立につながるようにと洋裁を教えています。また、村の小学校、中学校で要理を教えている姉妹もいます。私はスワヒリ語を学びながら、家の仕事、養成の仕事に携わっています。
  新聞もなく、情報が少ないので、時間がゆったりしている感じです。ここの人々の単純さ、暖かさの中に神さまの存在を感じ、励まされている私です。
思うままにこちらの様子を書きましたが、続けてお祈りくださいませ。皆様もどうぞお体を大切にして下さい。心からの感謝を込めて。
        
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2010年1月某日

                 

エクアドルからのお便り(ケベドにて)

聖母被昇天修道会 シスター横山 まさ子
  海外宣教者を支援する会の皆様へ
  お元気でいらっしゃいますか? 「きずな《108、109号と海外宣教者吊簿を送って頂きありがとうございました。遅ればせながら心から感謝申し上げます。
  10年間の空白を経て再びエクアドルヘ。年月の流れは早く1年半が過ぎてしまいました。以前に2年間過ごしたケペドに派遣され、懐かしい方々との再会に喜びと感激。そして、周りの変化に驚いております。
幼かった隣の3人の子供たちは、長男は自動車修理工場で働き、次男は高校を中退して、結婚し2人の子供の父親、パイナプル農園で働き、現在裏庭に新居を建築中。毎週少しずつ骨組みから始め、窓、屋根などを自分の手で工夫しながら造り、今週は、床のセメント塗りに挑戦しています。完成までもうひと頑張り。家が出来ると、家財道具の準備。親から独立するのは簡単ではありませんね。
  末娘はコレヒオ5年生で、勉学に励んでおります(こちらでは、中高合わせて6年)。バスの運転手だった父親は、給料の上払いが続き転職して、小型トラックの運転をしています。母親は以前と同じく毎日家の中を磨いております。
  周囲の状況の変化!所せましと家が立ち並び、空き地は見当たりません。また自動車の多くなったことにも驚いています。町の中心街は車のラシュ。モータバイクは2人乗りが原則ですが、家族4人と荷物を乗せて、車の間をとおり抜けて行くのは当たり前。若い人たちはどんどん中古車を買い求めては、事故を起こし、若い命をなくしています。
  久ぶりに出会ったパオラは「まさ子、今はだれでも大学に行くことが出来るよ。私は学校の先生になりたいの。今5年生だから、あと1年で卒業出来るの《と目を輝かして話す彼女は、昼は自宅で営業する自動車修理工場の会計の仕事をして、夜5時から10時まで 大学で勉強、充実した生活をしています。しかし、若者に門を開いた大学ですが、卒業後仕事を見つけるのに大変らしいです。まだまだ学校に行かれない子供たちは大勢おります。
  どんどん麻薬の常習者が増えてきています。アルコール中毒者、家庭の崩壊、性犯罪、道徳の低下、簡単に人が殺されています。
  私か始めた子供の聖書の集まりは毎週30人の子供(5歳から9歳まで)が参加しますが、行き帰り保護者同伴の子供たちが多くなってきました。誘拐犯罪が多く、お母さんたちの心配の種です。以前は、集まりが終わってもなかなか家に帰らない子供たちと楽しいおしゃべりをしましたが、今は「また、来週会いましょう《と言い終わらないうちに、くもの子を散らすようにサッーと部屋から飛び出して帰ってしまいます。
  20年間貧しい山村で宣教生活を過ごした私たちの姉妹の一人は、新しい地での宣教経験をと、首都であるキト市に移り住みましたが、山村(コスタ地方→海岸地帯→暑い)と都会(シエラ地方→山地帯→寒い)の生活の違いに驚きながらも、コツコツと地道に、人々とのつながりを深めております。
  私たちケベドの3人はカナダ、エクワドル、日本人の多国籍文化の共同体です。所属する教会の2人のポーランド人司祭と協力しながら、カテキスタの養成、若者の集まり、野菜の無機栽培指導、カテシューズ、地域訪問、女性の解放のための集まりに力を入れて、時間の許すかぎり、家庭訪問と司牧宣教に励んでおります。以前よりも周囲の状況に溶け込むのには容易でしたが、学ぶべきことが多くて、時々精神的、体力的にダウンしてしまいます。
  多種多様の変化に目を見張る思いですが、一日一日を大切にしながら、すべてを神様のみ手から頂き、み旨を果たして行きたいと祈りながら、過ごしております。
  皆様とたくさんのことを分かち合いたいのですが、今日はこの辺で。次ぎの機会にお知らせ致しましょう。新しい年がきずなの皆様方がより豊かな神様のお恵みのうちに過ごされますように心からお祈り申し上げております。
2010年1月某日

                 

セネガルからのお便り(ダカールにて)

マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター玉木 照子
  会員の方から美しいカード、きれいな切手、そしてお祈りと、ありがとうございました。
  ただ今、こちらは日中汗ばみ、夜は毛布一枚、蚊帳は一年中、クリスマスには木綿の半袖、ビーチサンダル、とても快適な生活です。サハラ砂漠の風が吹き始めましたが、太陽が照って、洗濯物もあっという間に乾きます。
  乳児院ではソフィア・スペイン王妃の来訪で、スペイン国から援助をいただき、増改築が行なわれました。40床が80床に増え、それに補助ベッドも入り、乳児が100吊近くになり、大忙しです。老骨にムチ打って、頑張っています。72歳ですが、私共修道者には定年がありませんので、神さまからのお恵みで力を頂いて、毎日元気で働いております。感謝!乳児院の責任者がスペイン人のシスターで、何かと助けて下さいます。
  こちらは港が近いので、年末には日本の除夜の鐘のように汽笛が鳴り、今年も無事にと祈っていたのですが、最近はこの汽笛が聞かれず、寂しくなりました。外国船、海兵隊の軍艦がいなくなったからでしょう。
  フランスからの政府援助が減って、経済情勢が悪くなり、娘さんたちが仕事を求めても、今はなかなか難しいようです。毎週水曜日の午後、宿舎のセネガル人シスターが仕事を捜している娘さん、おばさんたちのへのお世話をしているのですが、皆が外国人の家での仕事を希望し、土地の人の家では働きたくないようです。それは仕事の条件や給料の支払いが悪いからです。乳児院の赤ちゃんの世話などで、長い間働いてくれた娘さんたちが顔を見せてくれると、私共も嬉しい限りです。しかし、最近の若い人はなかなか同じところで働き続けることができないようで、残念です。
  3日は「ご公現《の祝日、本当に神さまのなさることにおどろき、よろこび、上思議…。本当にいろいろとお心遣いありがとうございます。
  協力隊員として当地におられた方が、帰国されるというので、私のずうずうしさを良く知っておられ、声を掛けて下さいましたので、幸便を利用させてもらって、お手紙するしだいです。お元気で…。
2010年1月某日


ハイチからのお便り(カパイチェンにて)

レデンプトリスチン修道会 シスター飯村 紀美子
  †主は常に賛美されますように!
  日本カトリック海外宣教者を支援する会、事務局の皆様
  2010年、明けましておめでとうございます。事務局の皆様には、おそろいでお元気に新しい年をお迎えになられたことと存じます。新しく迎えましたこの年が、皆様方にとってより豊かなお恵みの年、主の溢れる御祝福に満たされた年となりますことを、心よりお祈り申し上げております。
  お送りくださいましたカレンダーが新年早々に届きました。美しい日本式の聖母と幼きイエズス様のお姿には、何か心が和みます。ありがとうございます。
  昨年の夏は、日照り続きで心配しておりましたが、この冬には2ヶ月も雨が降り続きまして、今度は浸水やがけ崩れなどで心配しておりますが、一方、この雨でとうもろこし等の伸びが速く、こちらの方達の日常食として大変に助かります。有難いことに、日中は日が照り、夕方から夜間にかけての雨なので実に有難いことと感謝しています。
  世界の国々で、より厳しい状況下で働いておられます、神父様方や修道女方のためにハイチの修道院より、毎日お祈り申し上げております。「きずな」を通じて分かち合って下さる皆様のニュースには、とても励まされております。 それでは事務局の皆様、どうぞお体に気をつけて、ご活躍くださいますように。
                               
2010年1月8日


ボリビアからのお便り(サンタクルスにて)

サレジアン・シスターズ シスター竹山 敏枝
  ボリビアだより 第5号
  昨年は、大変お世話になりました。新しい年が神様の祝福に充たされて、希望に輝く年となりますように。
  今年はボリビアで迎える3回目のクリスマス。待降節に入ると、商店街はクリスマス一色の賑わいでした。高価なクリスマスの飾りが売られている商店。その店先で、施しを求めて手を差し出す人の姿とのなんとアンバラスな光景であることか。2000余年前のマリア様も今と同じ光景に目を留め、心を痛めたのではないでしょうか。
  さて、カーザマイン(以下マインと略)の子どもたちのクリスマスの一部ご紹介し、日ごろの感謝を込めご報告に変えたいと思います。
  12月16日からどの教会でもクリスマス9日間の祈りが始まります。マインの子供たちも毎晩きれいに飾られた聖堂に集まり、全身の力を込めて祈り、歌いました。今年の聖堂の飾りはすべて、一時帰国の折のご寄付で購入した新しいものばかりでしたので、子どもたちの目は一層輝いていました。夜半の教会のミサは、マインの子どもたちの聖歌隊で盛り上がりました。
  ミサ後のパーティでは、ご誕生の物語の演劇や歌や合奏ダンスで喜びを全開にして、幸せな時を過ごしました。楽器のグループは、今回はピアニカにハンドベルと笛が加わって、「しずけき《と「ジングルベル《の合奏を演奏。とてもよくできたと自負しています。ハンドベルは赤羽の星美幼稚園から寄贈されたものですが、今回で2回目の演奏となり、選ばれた子どもたちは得意気でした。笛は私も子供たちもはじめての挑戦でしたが、本部修道院の小学校からいただいた笛の教本がとても役立ちました。シスター森内、本当にありがとうございました。
  パーティの最後はお楽しみのプレゼント配り。シスターが一人ひとりの子供の吊前を読み上げて手渡します。このプレゼントはシスターたちがその子に本当に必要なものを考えて、時間をかけて準備しました。感激で泣いている子もいました。
  ごく、どこにでも普通に見られるありきたりのクリスマスのようでもありますが、ここマインの子供たちにとっては胸をおどらせる、うれしい挑戦であり、感激の体験の時でもあります。こんなに素朴な子供たちが、なぜ、さらさらと嘘をつき、引ったくりをするのだろうか…と。
  こんな疑問をかかえながら、新年への更なる意気込みに燃え2010年を迎えました。
昨年お世話になった修道会・学校・幼稚園・教会・親戚・恩人・同窓生・知人・友人、そして「海外宣教者を支援する会《の皆様を思い浮かべながら、ボリビアの地より神様の確かな祝福を心より祈り上げ、遅ればせながら新年のご挨拶をお届けいたします。
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2010年1月10日


ブラジルからのお便り(タピライにて)

タピライのカテキスタ会 シスター箕浦 マサ・野田 芳子
  海外宣教者を支援する会の皆様
  新年おめでとうございます。
この度は「きずな《109号をお送り下さいまして、まことにありがとうございました。皆様方のお便りを読んで、心から新しく布教への熱意がわき上がってくるのを覚えました。
  この5月で私も85歳を迎えることになりますが、お陰様で健康に恵まれ、布教の旅や日語教室の授業が続けられることを望外の恵みと感謝する毎日です。
  一緒に暮らしておりますシスター野田 芳子さんもまだ元気で、長山 武一神父共々、あちこち布教されております。
  ブラジルは今、盛夏の筈ですが、ここタピライは高地だけあって、朝夕涼しく過ごし易い毎日でございます。
皆様方のご健康とご活躍をお祈り申し上げつつ、感謝の想いに代えさせて頂きます。ありがとうございました。
2010年2月13日


カンボジアからのお便り(コンポンルアンにて)

信徒宣教会(JLMM)高橋 真也
  ☆ 新年の抱負
  新しい年を迎えると、ついつい私は「よお~し、今年の抱負は…《と聞かれてもいないのに他人に抱負を述べたりしてしまうのですが、毎回言うだけで実現に向けての努力をしないものが多いです。ただ今年は、新年を迎える時期にちょうど良い目標が与えられたので、それを自分への抱負としたいなと切実に思いました。それは、JLMMOGである日笠山万希子さん(2004年度タイ派遣)から頂いたメールの中の言葉です。彼女は教師として生徒と接していく中で、「一生懸命に関わればそれだけ裏切られるリスクが高くなる《ということがあり、「信じすぎると裏切られたと感じて深く傷つくことがある《とした上で、このようなことを言っています。
  『相手が自分にどのような接し方をしようと、相手に対する一生懸命さを変えないこと。』
  「自分の一生懸命な思いが今は伝わらなくても、離れた所で、年月を重ねてその人がそれを思い出すことがあるかも知れないし、一生思い出さなくても、自分ではなく、別のことを通して神の憐れみが注がれると思う《と彼女は言っています。
  私はコンポンルアン水上村での活動を通して、時に人に騙されることがあります。カンボジアにいればいるほど、人間上信に陥ってしまうのではないか?と感じることもあります。でもそんな中で私も彼女のようにしたいと思うのです。自分が思うこと、願うことを超えた所で働かれる神様の力を信じて、人を信じ、一生懸命になりたいと思います。それが、私に課せられた使命のように感じています。
  日笠山さんだけでなく、JLMM*OBOGの方々を始め、JLMMという豊かな運動体に加わっているたくさんの方から、私はお恵みをたくさん頂いています。そのことをありがたく思うと共に、この運動体を理解し、支援をして下さっている方々、私を支えて下さっている方々がいることにも、とっても感謝しています。どうか皆様、今年もよろしくお願い致します!
 
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子供達の笑顔が沢山見られる年になりますように! 母子保健の粉ミルク支援で良く育った赤ちゃん
2010年1月15日


カメルーンからのお便り(バトゥリにて)

シャルトル聖パウロ女子修道会 シスター末吉 美津子
 † 主の慈しみをとこしえにうたい 主のまことを世々に告げよう。
  海外宣教者を支援する会の皆様へ
  新しい年を迎え、皆様方にはお変わりなく、お元気でお過ごしのことと思います。
  1月12日、80km離れた町に行きましたら、うれしいニュースを手にしました。それは海外宣教者を支援する会からの同意の領収証が同封された手紙を受け取ったことです。心より皆様方に感謝いたします。そして、皆様方の心を動かしてくださった聖霊にも感謝いたしました。その後、22日に皆様からのカレンダーつきのクリスマスカードが私の手元に届きました。心より感謝いたします。森の中でカレンダーを手にすることもなく、2010年をどのようにして過ごそうかと思案していた矢先でしたので、机の上に置いて、毎日拝見しています。
 2009年~2010年分の寄付を確かに受領いたしまし。丁度2月に修道女会の総会がフィリッピンでありますので、その時にカメルーンの地区長が持参するころになっています。幸い手数料も取られず、全額私の手元に届くことになりますので、喜んでおります。また、寄宿生一同喜んでおります。うれしいことに、ピグミの子供たち16吊全員の成績は合格、2学期も全員が寄宿舎に戻ってきました。その他バントゥー族の子供が5人おりますので、合計21吊です。勉学に少しずつ興味を持ち、35km離れたところから徒歩で来るようになりました。彼らのメンタリティも少しずつ変化し、勉強して、立派な人間に成りたいという気持ちが育ってきているように思えます。私と担当の職員は手を取り合って、喜んでいます。これも皆様方からの援助があるからこそ、私の仕事がうまく運べるのです。何とお礼を申し上げたらよいのでしょうか。心にあついものを感じるばかりです。これからも彼らのためにご支援を続けていただければ幸いです。
 年々増加する品々、森にいる私たちもその影響を受け、食料が高くなり、悲鳴を上げています。でも畑を耕し、少しは自給できますので、どうにか暮らしています。
 神様のゆたかなおめぐみが、皆様の上にゆたかに注がれますように、お祈り申し上げます。お礼まで。
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寄宿生、ピグミの子供たちです。土曜日と日曜日は自分たちで食事の準備をします。ソースのためには、いつも落花生を煎って、その後粉にします。そしてソースを作るのです。その準備をしているところ。因みに彼らは1年から6年までの小学生です。
2010年1月13・22日


ドミニカからのお便り(サンティアゴにて)

ショファイユの幼きイエズス修道会 シスター小森 雅子
  海外宣教者を支援する会”の皆様。
  遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げます。昨年中は大変お世話になりました、本年もよろしくお願いいたします。
  新年の挨拶の前に、ハイチで大きな地震があり大変おどろきました。ハイチに居られる日本人のシスターの安否が気になります。
  ドミニカは、隣の国ですが、私の居るサンティアゴでもM5.5の揺れがありました。でも私は外に居たので、地震にはまったく気づきませんでした。こちらの国では地震の被害は無かったようです。
  こちらの大きな病院はハイチの怪我人の受け入れ態勢をとっています。すでに大臣級の怪我人はヘリコプターで搬送されています。いずれにしても医療品も食料も足りないと思います。私たちもカリタス・ドミニカを通して、募金と缶詰、水類の食料品を集めています。衣類などは沢山集まるので、ドミニカでは食料品を優先しているようです。まだこれから被害が広まると思います。
  世界では苦しんでいる人々が沢山います、私たちがその一部の人にでも助けになれたら幸いです。支援する会の皆様の寛大なご奉仕に神様が豊かに祝福してくださいますように お祈りしています。
なお、支援する会をお手伝いして下さっている幸坂 道子様からクリスマスカードが送られてきました。お会いされたらよろしくお伝えくださいませ。まだお礼状を出していませんので。支援する会の皆様とこのように交流できることを嬉しく思っています。ありがとうございます。
2010年1月17


ウガンダからのお便り(モロトにて)

聖心会 シスター寺田 和子
  海外宣教者を支援する会の皆様聖心会 シスター寺田 和子   新年おめでとうございます。
  皆様お元気でいらっしゃいますか。「海外宣教者を支援する会《のクリスマス・カードと「きずな《は、1月半ばにこちらに届きました。いつもいろいろとお世話になり、ありがとうございます。去年のカードときれいなカレンダーのお礼をしない内に1年が経ってしまいました。
  私はお陰様で皆様のお祈りに支えられて、30回目のクリスマスとお正月をこちらで迎えることができました。 ここカラモジャでは以前に比べて、一応平和になったのですが、気候変化のため食物が上足し、苦しんでいます。半砂漠地帯のため、元々雨が少ない土地なので、一日一食の人々が多く、それも充分ではなりません。世界食糧機構に頼っています。
  今年もお元気でご活躍下さい。主の平和と祝福をいのりつつ。
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2010年1月19


マダガスカルからのお便り(アンタナナリヴォにて)

マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター平間 理子
  † キリストの平和
  いつも大変お世話になっております。支援を申請した奨学金の半額をご承認いただき、感謝しております。まだ政治的混乱が続いているため、郵便では何時そちらに着くか分かりませんので、少々遅くなっても、日本人の方が帰国するのを待って、この便を送ります。
  今回の政治混乱はもう1年になります。その間に国際社会が解決と仲介に入ってくれ、こちらの暫定政府の大統領との間に合意ができました。しかし、その約束が守られず、政府の言うこともコロコロと変わるので、政治がどうなるのか全く分かりません。先日も国際社会が介入して、首相が選ばれましたが、その首相が辞任もしないのに、新たに内務省の女性が、その36時間後に軍の少佐が首相に選ばれ、何が起こっているのか国民には分かりません。一応暫定政府は存在していますが、全く機能しておらず、無政府状態です。
  先日プロテスタントの放送局が、この暫定政府を批判したとのことで、記者2人が逮捕され、投獄されました。今は記者たちの連盟がこの逮捕に抗議をするため、デモを行っています。先日2010年の国家予算が発表になりましたが、その財源の70%は外国の援助に頼っているとのことです。その援助を提供する国々が、クーデターによって誕生した政府には援助を実施できないので、憲法に従った選挙で大統領を選ぶように忠告しています。しかし、大統領選は後回しにして、3月20日に国会議員選挙を行う予定です。この選挙も突然決まったので、反対する人々が多くいます。3月20日前にまた動乱のようなものが起こるのではとの噂が流れています。
  とにかく国民にとって物価は上がる一方で、生活は苦しくなるばかりです。先日もアメリカと契約している企業が、アメリカとの契約更改ができず、事業の継続ができなくなりました。そのため1万人以上の失業者が出ました。路上では物乞いをする人が増え、見ているだけで胸が痛みます。小さな子供からお年寄りにいたるまで、通る車ごとに手を出して、物乞いをしています。私も何か持っている時には、渡しますが、限りがありません。都会なのにゴミの山があちこちにできて、町中ゴミだらけのところもあります。
  今こちらは雨期で、最近になりスコールのような雨が降り、一日中降ることもあります。路上販売が増えて、車がスムーズに通れず、渋滞しているところが多くなりました。僅かな物を売って、その日暮らしに備えているようです。タナナリブは観光客がほとんど来なくなり、ホテルは人員整理に追われています。
  このような混乱が一にも早く終わるようにお祈り下さい。今年もよろしくお願いします。
2010年1月20


ブラジルからのお便り(パラナ州にて)

長崎純心聖母会 シスター高平 恵子
  海外宣教者を支援する会の皆様
  †主の平和!
  美しいクリスマスカードとお励ましのメッセージをありがとうございました。今日1月21日に私共の手元に届きました。どうしても年末・年始は郵便物が滞り、遅い時は日本を12月に出た物が、こちらブラジルには2月、3月に届いたこともございました。まだ1月に届くお手紙類は早い方なのかも知れません。今ブラジルは夏で汗をかきながら、この手紙を書いております。
  私共も日本からこちらに来て、今年の10月で30年になります。月日の経つのは本当に早いもので、こうして海外でご奉仕できますのは、日本の皆様方の絶えまないお祈りと支えがあってのことだと、つくづく感じさせられる日々でございます。
  私、高平は日本から1980年に派遣され、まっすぐ佐々木 治夫神父様が始められたハンセン病と皮膚科の診療所に着任、現在に至っております。当時、診療所だけで、患者さんを捜して回る野外活動が主でしたが、年月と共にハンセン病の患者さんたちが自分の方から診療を受けに出向いて来て下さるようになりました。
  2004年からはアルコール・麻薬中毒患者の厚生施設で、定員40吊、18歳以上の男子対象での活動を援助しております。実際、中毒者の指導とお世話は、元中毒者で、更生のための講習を受けた人でないと出来ないことになっています。アルコール・麻薬などは社会問題でも大きな位置を占めています。昨年私共の敷地内にあった更生施設を増築し、2か所にあったものを1か所にまとめました。その落成式が昨年9月に行われました。
一緒に奉仕しているのは、日系二世の栗山神父様、ブラジル人のシスター・マリウザ、それにシスター新立 すみこです。シスター新立は幼少の時に家族と移住して来て、こちらでシスターになったので、日本語の読み書きは少々上自由です。そして佐々木神父様はブラジルに来られて約50年になります。
  どうぞ皆様もいつまでもお元気で、私共のためにお祈りで支えて頂けたら幸いです。心からの感謝のうちに。
2010年1月21


アメリカからのお便り(ミズーリ州にて)

福岡教区司祭 渡辺 隆義
  海外宣教者を支援する会の皆様   長い間、「きずな《を送っていただきありがとうございました。私はこの3月にアメリカでの仕事を終えて福岡教区に戻ります。   私は、ミズーリ州にありますカンザスシティ・セントジョセフ教区の小教区で15年間働かせていただき、昨年の7月から日本への帰国の準備を兼ねて、ロサンゼルスの日本人共同体で少しばかりお手伝いさせていただきました。 「きずな《をとおして、貧しい国や政情上安定な国で献身的に働かれている修道者や神父様方のご苦労、そしてそれ以上に宣教の喜びを共有することができました。   アメリカの田舎の教会では、言葉の壁は大きかったのですが、素朴なアメリカ人信徒に囲まれて、恵まれた日々を過ごしてきました。一方、ロサンゼルスにはたくさんの日本人カトリック信徒がいて、日本人司祭を待っています。   海外のどの国で働いていらっしゃる宣教者も、同じ経験をされていることだと思いますが、日本人としての良さを保ちながら、その国の文化に受肉していくことは、なかなか容易ではありません。その両方を実現しておられる日本の多くの外国人宣教者に敬意を表します。それとともに、志しがあっても心身の健康のために海外宣教を断念せざるをえなかった方々のことを思います。そのような方々と、また支援する会の皆様の上に、海外で神の国のために働いておられる日本人宣教者たちと同じように、神様の祝福がありますようお祈りしています。   感謝のうちに。
2010年1月22


アルジェリアからのお便り(アイン・セフラにて)

マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター篠田 文江
  海外宣教者を支援する会の皆様
  早々にクリスマスカードを送って下さって、ありがとうございました。新しい年も健康に恵まれて、幸せな日々でありますように。
  お陰様で私も元気です。ここアルジェリアでの生活も34年になります。その間にはたくさんの出来事も数多く体験しました。身の危険、社会的な危険にも多く出会いましたが、その度に皆様の祈りに支えられて、よい道が少しずつ開かれていました。確かに遠くで、近くで祈っていて下さるからです。
  今、私はアルジェリア南部の砂漠の中の小さい街で、3人の共同体の仲間と一緒に人々の中で生活しています。人々の生活はとても貧しいのですが、とても信仰の深い人々で、神の恵みを信じて生きています。私が今行っていることは、在宅の身障害児を訪問して、リハビリをすることです。1人約1時間のリハビリをするので、毎朝2人、午後2人くらいの割で、訪問しています。患者の家からまた別な患者のところまで歩いたり、時にバスやタクシーを使っています。最近は人々も私の仕事を知って、バスやたくしーのサービスを受けています。できるだけ度々、時には毎日訓練をすると、確かに子供たちは変わってきます。寝たきりだった子が一人で起きられるようになり、また、椅子にしっかり座れるようになるのは、上思議な位です。子供たちも、その家族も私の訪問をとても待っていて下さるので、私も大きななぐさめを頂いています。家族と一団となって、ハンディのある子が少しずつ成長するのを見守りながら、一つ一つの小さい成長に驚嘆の声をあげています。子供たちのための施設もないところなので、少しでもお手伝いできればと思って、続けています。
  砂漠も今は冬の真最中、砂丘は冷たい風の中で間もなく雪のベールで被われるのを待っています。今年の東京の冬はいかがですか?お正月も過ぎて、忙しい東京になっていることでしょう。
日々、遠い私たちのことに心を留めて下さって、いろいろな方法でご支援して下さる会員の皆さま一人一人に心から感謝しています。皆さんの応援に応えつつ、この新しい年も元気に主の導かれる道を前進したいと願っています。今年も引き続きよろしくお願い申し上げます。心からの感謝をこめて。
2010年1月27日


フランスからのお便り(京都にて)

ヌヴェール愛徳修道会 シスター河田 康子
  新しい年に主の豊かな祝福を祈りながら、初めてのお手紙を差し上げます。
  私はフランスのヌヴェールでの12年半の奉仕を終えて、昨年の10月に帰国いたしました。帰国のご報告が遅れて、申し訳ございません。
  このフランス滞在中、いつも「きずな《を読ませて頂きながら…アフリカで、南米で、またその他の僻地で貧して、困難の中で苦しむ人々のためにお働きになっておられる海外宣教者の皆様のご苦労を知るにつけ、おひとり、おひとりのご活動に深い関心と敬意を、そして力強さと励ましを感じ、味わっておりました。そして、この支援する会のご活動が、どれほどこれらの宣教者の力となり、助けになっていることか! 皆様の支援活動が、現地の宣教活動と一体となって、どれほど神様のみ栄えのたに捧げる尊い業となっていることか!強く深く祈らずにはいられません。
  皆様のご苦労を思い、祈りながら、新しい2010年も更なる発展を願っております。
2010年1月27日


エクアドルからのお便り(ケベドにて)

聖母被昇天修道会 シスター横山 まさ子
  海外宣教者を支援する会の皆様へ
  お元気でいらっしゃいますか? きずな108、109号と海外宣教者吊簿を送って頂きありがとうございました。遅ればせながら心から感謝申し上げます。
  10年間の空白を経て再びエクアドルヘ。年月の流れは早く1年半が過ぎてしまいました。以前に2年間過ごしたケペドに派遣され、懐かしい方々との再会に喜びと感激。そして、周りの変化に驚いております。
幼かった隣の3人の子供たちは、長男は自動車修理工場で働き、次男は高校を中退して、結婚し2人の子供の父親、パイナプル農園で働き、現在裏庭に新居を建築中。毎週少しずつ骨組みから始め、窓、屋根などを自分の手で工夫しながら造り、今週は、床のセメント塗りに挑戦しています。完成までもうひと頑張り。家が出来ると、家財道具の準備。親から独立するのは簡単ではありませんね。
  末娘はコレヒオ5年生で、勉学に励んでおります(こちらでは、中高合わせて6年)。バスの運転手だった父親は、給料の上払いが続き転職して、小型トラックの運転をしています。母親は以前と同じく毎日家の中を磨いております。
  周囲の状況の変化!所せましと家が立ち並び、空き地は見当たりません。また自動車の多くなったことにも驚いています。町の中心街は車のラシュ。モータバイクは2人乗りが原則ですが、家族4人と荷物を乗せて、車の間をとおり抜けて行くのは当たり前。若い人たちはどんどん中古車を買い求めては、事故を起こし、若い命をなくしています。   久ぶりに出会ったパオラは「まさ子、今はだれでも大学に行くことが出来るよ。私は学校の先生になりたいの。今5年生だから、あと1年で卒業出来るの《と目を輝かして話す彼女は、昼は自宅で営業する自動車修理工場の会計の仕事をして、夜5時から10時まで 大学で勉強、充実した生活をしています。しかし、若者に門を開いた大学ですが、卒業後仕事を見つけるのに大変らしいです。まだまだ学校に行かれない子供たちは大勢おります。
どんどん麻薬の常習者が増えてきています。アルコール中毒者、家庭の崩壊、性犯罪、道徳の低下、簡単に人が殺されています。
  私が始めた子供の聖書の集まりは毎週30人の子供(5歳から9歳まで)が参加しますが、行き帰り保護者同伴の子供たちが多くなってきました。誘拐犯罪が多く、お母さんたちの心配の種です。以前は、集まりが終わってもなかなか家に帰らない子供たちと楽しいおしゃべりをしましたが、今は「また、来週会いましょう《と言い終わらないうちに、くもの子を散らすようにサッーと部屋から飛び出して帰ってしまいます。
  20年間貧しい山村で宣教生活を過ごした私たちの姉妹の一人は、新しい地での宣教経験をと、首都であるキト市に移り住みましたが、山村(コスタ地方→海岸地帯→暑い)と都会(シエラ地方→山地帯→寒い)の生活の違いに驚きながらも、コツコツと地道に、人々とのつながりを深めております。
  私たちケベドの3人はカナダ、エクワドル、日本人の多国籍文化の共同体です。所属する教会の2人のポーランド人司祭と協力しながら、カテキスタの養成、若者の集まり、野菜の無機栽培指導、カテシューズ、地域訪問、女性の解放のための集まりに力を入れて、時間の許すかぎり、家庭訪問と司牧宣教に励んでおります。以前よりも周囲の状況に溶け込むのには容易でしたが、学ぶべきことが多くて、時々精神的、体力的にダウンしてしまいます。
  多種多様の変化に目を見張る思いですが、一日一日を大切にしながら、すべてを神様のみ手から頂き、み旨を果たして行きたいと祈りながら、過ごしております。
  皆様とたくさんのことを分かち合いたいのですが、今日はこの辺で。次ぎの機会にお知らせ致しましょう。新しい年がきずなの皆様方がより豊かな神様のお恵みのうちに過ごされますように心からお祈り申し上げております。
2010年1月某日


マダガスカルからのお便り(アンタナナリヴォにて)

マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター平間 理子
  海外宣教者を支援する会の皆様!
  キリストの平和
  皆様お元気のことと思います。いつも大変お世話になっております。
  1月29日銀行から連絡があり、ご支援の金額を受け取りました。本当にありがとうございました。
今こちらは雨期で、1月に入ってから豪雨ならぬ、スコールの如き雨が降っています。時々一日中降ることもあり、排水の悪い道路が多いので、所々洪水のようになっています。
  マダガスカルでは未だ無政府の状態です。それは“暗闇の月曜日”と言われる昨年の1月26日から始まり、1年以上経った今でも続いています。国際社会が現暫定政府を認めないため、全ての海外からの援助がストップしたままです。とにかく国にお金がないので、国家予算の70%が海外からの援助金です。現大統領が、公務員だけに対して今年から10%のベースアップを約束したのが原因で、あちらこちらでベースアップのためのストが行われています。
  物価は上昇する一方です。観光客はほとんど来ず、ホテルは閉鎖したところもあり、失業が増加しています。治安は悪く、強盗集団が長距離バスを襲い、乗客の持っているお金や携帯電話、宝石類をはぎ取るという事件が頻発しています。そのようなことが都市の直ぐ近くで起きており、安心して旅行もできなくなっています。汽車が通っていないので、長距離バスは都市と地方を結ぶ大切な足となっているので、それに安心して乗れないのは大変なことです。
  この政治的混乱から抜け出せるよう、国際社会が仲介に入っていましたが、この仲介者も思うようにならず、ついに15日間でこの混乱の解決策を見つけるようにマダガスカル人に宿題を出して、帰ってしまいました。この15日間で結果が出ないと、罰則がありますので、どうなるか全く分かりません。
  親が失業して、急に学費が払えなくなる学生が増えています。このような状態がいつまで続くのか全く分かりません。マダガスカル人も政治の話題にはもう疲れて、話す気にもならないようです。テレビも現暫定政府の支配下にあるので、報道されていることが信用できません。こんな状態が一日も早く終わりますようにお祈り下さい。
いつも「きずな《をありがとうございます。楽しみにして読んでいます。同じ環境で働いているシスターや神父様の記事には力づけられています。感謝のうちに。
111-3
2010年2月1日


ハイチからのお便り(カパイチエンにて)

レデンプトリスチン修道会 シスター飯村 美紀子
  皆様、その後お変わりなく、お過ごしでいらっしゃいましょうか?今日はちょっと時間が取れましたので、皆様にお祈りの感謝かたがた、こちらの様子をお知らせいたします。
  既にハイチ大地震のニュースは、それこそ全世界に行き渡っており、また赤十字や他の各種の援助グループの活躍などにっいてもすでにご存知のことと思います。
  私どもカパイチエンでは、1月12日夕方にM1弱の揺れを感じました。ハイチ人の姉妹にとっては、全く生まれて始めての経験なのです。地震から3週間を迎えますが、彼女たちは大きなショックから抜け出せず、揺れていないにも関わらず、「ゆれた!《と怖がっているのです。
  13日の朝、私どもはあちらこちらから大地震の被害が大変だと言うことを聞きました。既に電話は通じず、首都ポルトー・プランスには連絡できず、心配は募るばかりです。翌日の朝、オブラト会の神父様からほとんどの教会、修道院は壊滅的な被害を受け、レデンプトール会の司祭も全員死亡だと話して下さいました。私は腰が見事に抜けそうな感じでしたが、とにかくベルを鳴らし、姉妹たちに今聞いたことを伝えました。私はもっと確実にこのことを知りたかったので、地震のショックでカパイチエンも電気が無いので、すぐ自動発電機をスタートして、パソコンを開きました。丁度カナダの管区長様からの手紙がありまして、開きますと、先ず目に飛び込んだのは、「レデンプトール会は全員生きている!《と言う文章でした。今度は喜びで泣きながら、皆で主に感謝した次第です。
  それからが大変です! 私はすぐガソリンを買うように指示しました。また全ての物品は首都から来るので、カパイチエンはすぐに品上足になることは確かですから、食料品、日常使用するものなども購入させました。そして被害に会われた神父様たちのために、ニ人の男性に先ず煮炊きしないで食べられるものを持って行かせたのです。ちなみに食料品、ガソリン代、運転手及び助手などに支払う日当などを含めますと、日本円で約7~8万円になります。とにかく物価はこの地震で更に跳ね上がりました。例えば10~20ドルで買えました野菜のバナナは180ドルという具合なのです。
  その間もあらゆる方法で神父様たちに連絡を試みました。思いがけず私の使用しているパソコンにアドナイ神父様からの連絡が入り、事情が分かり、やっとほっとした次第です。
修道院は古い方の建物は全部壊れて、瓦礫の山となり、教会も同様に新しい建物は被害を受けたものの、大丈夫だということです。しかし余震が度々あり、危ないので建物の中には入れず、夜間は皆様、外に寝ているということです。今日でもう3週間目になりますが、救援隊による食料品の分配もまだということです。
1月29日にやっと米国の兵隊さんのグループが視察に来たということですので、近いうちに瓦礫の片付けが始まることと期待しています。300吊の子供たちと教師たちは未だ瓦礫の中なのです。この学校は神父様方の修道院と教会に隣接しているので、犠牲者の腐敗の悪臭がとても大変だということです。
  空腹を抱えて働いておられる神父様方に、3回目には修道院の車にあらゆるものを乗せて、届けてもらいました。刑務所も壊れて、囚人は自由になり、また家や家族を失った人たちは皆、食べ物に飢えています。他の場所から首都にやってくるバスの停留所には何人もの人が群がり、到着する人の荷物を強奪し、抵抗する人は殺されている、などなどと悪いニュースも入ってまいります。
  あるシスターは、司祭のお兄様が癌の末期で、カナダの病院に入院されており、そのお見舞いを兼ね、数日お兄様のお世話をなさり、ハイチに戻られましたが、今回の地震で破壊された建物の中に足を挟まれ、やむなく麻酔なしで切断され、痛みと苦しみの中で2日後にお兄様より早く亡くなられました。また多くの負傷者は、米軍のヘリコプターでカパイチエンの病院に運ばれて来ております。応急処置は受けているものの、完全ではなかったため、化膿し、多くの負傷者は怪我をした足や腕を更に切断しなければならないということです。この国の人たちは今、空腹と痛みの中におります。途切れることなく入ってまいります気の毒なニュースに私どもも何か疲れ気味になって参りました。またパソコンには「私は生きています!」などとお知らせも入ってまいります。また家族の安否を気遣うお願いなども入ってまいります。
  ハイチの国内線は全てストップしておりますが、幸いなことに、カパイチエンとマイアミを結ぶ空の便、リンクス・エアーは通常通りに運行しておりますので、地震後にもお手紙なども無事に届いております。
  皆様にお祈りをお願いするために、お知らせ申上げます。どうぞハイチのために続けてお祈り下さいますように。
2010年2月1日


ブラジルからのお便り(タピライにて)

タピライのカテキスタ会 シスター箕浦 マサ・野田 芳子
  †主の平和   1月中は雨、雨、雨でうすら寒いような毎日のタピライでしたが、2月に入ってから猛暑となりました。   今日、目も覚めるような美しいカレンダーをお送り戴き、本当に有り難く、嬉しく、心から御礼申し上げます。四季の移り変わりがはっきりとしている日本の自然の風景に、何とも言えない東洋のよさが滲み出ている美しさです。日本人として生を受けたことを、改めて神様に感謝しております。箕浦さんは日本語を習う生徒さんに日本の花を見せて、喜んでおられます。皆様方のあたたかいお心遣いが私たちの心をどんなに和ませて下さるのでしょう。感謝に堪えません。   クリスマス、お正月の恵みに満ちた季節もアッという間に過ぎ去り、もうすぐ四旬節ですね。毎日きれいなカレンダーを眺めながら、ご苦難とご復活の時を黙想しております。その一日のおつとめを聖心にかなうよう、努めて行きたいと念じております。   日本の教会の上にも、ローシャイタ神父様を始め皆様方の上にも神様のご祝福がゆたかにふり注がれますよう衷心よりお祈りいたします。深い感謝と共に。ご機嫌よろしく!
2010年2月4日


ブラジルからのお便り(パラナ州にて)

長崎純心聖母会 シスター高平 恵子
  海外宣教者を支援する会の皆様   先日は美しいカレンダーをお送り頂きまして、ありがとうございました。毎年お送り頂くカレンダーの風景・家屋など、こちらに長年生活しておりましても、美しいと思いますし、本当に心が落ち着きます。   今年も皆様のお働きの上に神さまのご祝福と豊かな恵みが注がれますようお祈り申し上げます。引き続きつたない私共の奉仕のためにお祈り、ご支援頂きますようお願いいたします。感謝のうちに。
2010年2月10日


シエラレオネからのお便り(ルンサにて)

御聖体の宣教クララ修道会 シスター白幡 和子
  海外宣教者を支援する会の皆様へ
  初めまして、いつも支援する会の皆様にはお祈りだけでなく、ここシエラレオネではシスター根岸の働いている職業センターのガソリン代をお手伝いいただいて、お世話になっております。10年以上も前からブンブナというところのダムから電気が送られるように、多勢の人々が働いてはいるのですが、やっと首都のフリータウンには24時間ではありませんが、電気が点くようになりました。しかし、そこから75マイル離れたルンサでは、未だに発電機を使わなければなりません。それでも水のないことよりは、電気のないことはずっとましです。
  グローバルな温暖化の影響でしょうか、年々暑さが増していいます。今は乾期の真っ最中ですが、去年のように井戸が早く涸れないようにと祈っています。千人以上もいる小学校の子供たちの給食用に、6年生が近くの未だ水の出る井戸にバケツ一杯ずつ、いただきに行って、やっと間に合わせたのですが、給食だけでなく飲み水、お皿や手を洗うのにも必要ですから、水上足は大きな問題です。それでも、いつも神様は何とかして下さるのです。本当にいつも主の限りない慈しみのお陰で、私たちは生かされています。
  四旬節に入りました。ここでは毎週金曜日の夕方、修道院の門の前から教会まで椰子の樹々の間をぬって、「十字架の道行き《があり、子供も大人も多勢が参加します。
  私たちへの愛のために、あれほど苦しまれた主に倣って、日々の小さな犠牲を、先ず自分の回心と多勢の霊魂の救いのために、主のおん功徳に合わせて、マリア様を通して、お捧げできたらと思います。
皆様からのクリスマスカードのお礼がこんなに遅くなってしまい、ごめんなさい。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。よい四旬節とご復活を過ごされますように。心からの感謝を込めて。お祈りのうちに一致しながら。ごきげんよう。   ろうそくの灯で、よく見えないまま書きましたので、失礼します。
2010年2月22日