シエラレオネからの便り(ルンサにて)御聖体の宣教クララ修道会 シスター根岸 美智子
愛するシスター支援会の皆様緑の美しい5月をお迎えでしょうね。いかがおすごしでいらっしゃいますか? こちらの今年の気候は、予想に反して雨期の到来がとても遅くなっています。例年ですと5月になるとかなり頻繁に雨がやってくるのですが、ほとんど降りません、そしてものすごい暑さで思わずふうーとうなってしまいます。 世界のニュースでは、メキシコで豚のインフルエンザが発生したという怖いことがあります。メキシコ人の多い私たちの会では心配も大きいです。家族や親族が無事でありますように、そして皆さんが怖い病気にかかりませんようにと皆、真剣に祈っています。幸いまだ誰も関係者がかかったというニュースは入っておりません。広がらないで防げますようにお祈りしましょうね。 こちらシエラレオネではこのようなニュースは、一般には全く入ってきませんので、呑気なものですが、全く無防備、そして薬のないシエラレオネに入りましたら大変です。神様がきっと守ってくださると信頼するのみです。幸いとても暑いので、こういう所には普通はインフルエンザが入りません。と思っていますが…。 こちらでは司教様のおすすめで、復活祭前の四旬節は楽しい催しを控えます。それで、いくつかの学校は運動会がまだでしたので、このところ毎週のように運動会があります。明日はOLG小学校そして、来週はOLGセカンダリーと続いております。長い間、希望していたバンドセットが手に入ったのでその練習にもがんばっております。 一方、高等学校はワスクと呼ばれる西アフリカ一斉テストが続いております。これは卒業資格試験に相当します。なんと一科目ずつ試験が長く行われます。例えば、英語であってもます口答試験があります。ヒアリングのテストもあります。さらに、文法、英作文などの英語の一般テスト、そして英文学として、アフリカの詩や小説だけでなく、必ずシェクスピア、その他の英文学のテストがあります。マクベスやハムレットは毎年のように問題に出ています。その他、たくさんの有吊な英文学が選ばれます。かなりむずかしく、良い成績で合格するのはかなり厳しいです。生物や化学も筆記試験だけでなく、実験テストがあります。このような設備のない学校がありますので、いつも試験場はカトリックの学校が選ばれます。ルンサではムリアルド校がすべて揃っていますので、他の学校の生徒もここで試験を受けます。また、OLG校も指定校になっています。家庭科も洋裁から調理まで実技デストが行われます。頭だけでなく実技テストがあるのは良いと私は思います。但し、設備のない学校の生徒には厳しい試験です。 マンゴもたくさんありましたが、そろそろ終りを告げる時になっています。子供たちは毎日、7つから8つくらいのマンゴを頂きますので、この時期は誰もお腹を空かせません。うれしい時でもあります。でも、もうすぐそれも終りです。雨期は果物がなくなります。 こちらは3学期です。生徒たちが病気にならないで、無事卒業できますようにお祈りくださいませ。皆様の暖かいご支援によってルンサの子供たちは無事教育を受けています。 まだ戦争の傷跡といいましょうか、道徳面でもかなり下がってしまったレベルを持ち上げるのは、かなりむずかしいです。 現在、マリアイネス中学校校舎とグアダルペ聖堂では、着々と工事が進んでおります。これから必要なのはトイレです。お祈りくださいませ。こうして皆様の暖かい御支援とお祈りによってルンサは発展しております。深く感謝申し上げます。 2009年5月9日 チャドからの便り(一時帰国中)ショファイユの幼きイエズス修道会 シスター松山 浩子
4月23日に久留米信愛短大でチャドでの体験のお話しをしました。チャドでは本当にみんなが一つの家族なのだ!と。チャドでは一緒に食べて、一緒に踊ると、初めて出会っても、すぐにとても親しい家族なる。日本での競争社会。私もパン・カップラーメンを食べながら、キーパンチャーの仕事をしていた時を思い出しました。仕事第一主義で、家族が一つになって食事もできない。どんなに快適、便利な生活でも、寂しい!
貧しいチャドの人々の方が、貧しいから助け合い、支え合わないと、生きていけない。私の弟も10年以上引きこもり。でも、チャドでは“引きこもり”も“認知症”もない。何が本当に幸せなのだろう?と。私はチャドで本当に幸せな日々を過ごしていると改めて感謝の休暇でした。祈りのうちに。2009年5月11日 カンボジアからのお便り(コンポンルアンにて)信徒宣教会(JLMM)高橋 真也
☆ 今、この瞬間を味わって生きるJLMMカンボジアは毎年、自分達で黙想会を企画し、行っています。今年の黙想会はカンボジアを離れ、ベトナムのホーチミンにあるベネディクト男子修道会をお借りして行いました。この修道会のブラザーたちは『祈り、働く』ことを使命としており、修道院での畑仕事などの労働の時間以外は、ずっとお祈りをしています。朝4時から夜9時まで、お祈りの時間が何度もありましたが、私たちもその祈りに参加しつつ、いろんなことを考え、祈り、深めていきました。この黙想会で、『ある活動家』というお話に出会いました。 ある所に仕事中毒の男がいました。男は貴重な人生の一瞬たりとも無駄にするまいと励んでおりました。町に出かけると、その道すがらどの店で買い物をしようかと計画を立て、店に入ったとたんに、どこで散歩をしようかと計画を立て、散歩をしながら、どこで食事をしようかと計画を立て、メインディッシュを食べながら、デザートは何にしようかと考え、デザートを食べながら、どのバスで家に帰ろうかと時刻表を調べるのでした。男は今ここで何をしているのかには、全く関心を払わなかったのです。いつでも次に起きることへ準備をしていたのです。 さてある日、男は準備したことのないものに出くわすことになりました。それは死でした。男はまさに死のうとして横たわった時、自分の人生は何と空で意味のないものであったかに気づき、驚愕したのです。男は“今を生きてなかった”のです。 “Willi Hoffsuemmer”より
私もこの男に似ていると思いました。毎日毎日、効率よく仕事をこなすことだけを考え、無駄な時間を作らないようにせっせと予定をたて、うまくそれをこなせたら安心してうれしくなる自分がいます。逆に、何も予定がないと、あせったり上安になったりする自分もいます。このお話に出会ってから、「今、この瞬間を味わうこと《を心がけて黙想を行いました。すると、上思議に時間がゆっくりと流れ、今まで気づかなかった花や木の美しさに心が留まったり、虫や風の音が心地よく聞こえたりしました。『今を大切に生きる』。その気づきを得られたことが、今回の黙想会での一番の恵みでした。 ブラザーたちのお祈りの様子 黙想会を終え、一回り成長した(?)信徒宣教者5人 2009年5月15日 |