フィリッピンからのお便り(サウス・コタバトにて)御受難修道女会 シスター松田 翠
海外宣教者を支援する会の皆様この度コピー購入について快くご支援いただき、コミュニティー一同心から感謝しております。世界上況と足並みを揃えて、日本でも日常生活を切り詰めて生活しておられる方々の尊い犠牲を思い、このように援助して頂くことができ、大きな励ましを感じております。 今年の7月でフィリッピン在住34年になります。皆様のたくさんのお祈りと犠牲と励ましのお陰でつつがなく、喜びをもって今まで生活させて頂きました。すべてはお恵みと神様の愛のあらわれと信じ、皆様の犠牲に応じ、これからも頑張っていきたいと存じております。私共よりもっと困難な状況の中で幾多のチャレンジに応じて、神の国の建設のためご自分を忘れて、置かれた宣教地で働いて下さっている方々の報告を読ませて頂き、頭が下がる思いです。 国内で献金集めに一生懸命働いて下さっている方々、毎日の生活を切り詰め、私共のために支援する会にご送金下さり、ありがとうございます。その上、会自体の運営と募金集めに頑張って働いて下さっているメンバーの方々にも深い感謝をお伝えしたと思います。「きずな《から国内外のニュースを知らせていただき、とても嬉しく思っています。 心からの感謝を込めて。 2009年4月2日 ドイツからのお便り(ニュルンベルグにて)聖パウロ女子修道会 シスター比護 キクエ
海外宣教者を支援する会の皆様主のご復活おめでとうございます。 いつもお祈りや「きずな《をお送りくださり、ありがとうございます。 今年のドイツの冬は寒くて、長く、久しぶりに春の訪れとご復活を待ち望みました。 世界を襲っている金融危機はドイツの経済をも脅かし、何十万人もの人が、失業の恐怖の瀬戸際に立たされています。東西統一後もなお続く、生活水準の格差など問題は山積。少なくとも真の平和の春が訪れますよう祈っています。感謝のうちに。 2009年4月3日 アメリカからのお便り(ボストンにて)師イエズス修道女会 シスター丹野 清子
海外宣教者を支援する会の皆様主のご復活おめでとうございます。 いつも「きずな《、そしてクリスマスカードをお送り下さり、ありがとうございます。感謝のお返事も差し上げない私のところへも忠実に届けて下さり、恐縮しています。「きずな《を頂いて、困難な地での宣教者の方々の体験を読み、祈りをあらたにする度、それを支えて下さる皆様に私の思いをお伝えしたいと考え、あれこれ文をくみ立てるのですが、出さずしまいになる怠け者です。 今年の復活祭にはぜひ私の感謝と読後の感動を形に表さなければと、ペンをとりました。 皆様の働きを、復活なさった主イエスが豊かな祝福で報いて下さいますように。 2009年4月7日 ハイチからのお便り(ポートプランスにて)クリスト・ロア宣教修道女会 シスター須藤 昭子
海外宣教者を支援する会の皆様主キリストのご復活の祝日お祝い申し上げます。大変長らくご無沙汰していて、恥ずかしく思っています。 先週、昨年12月の「きずな《No.105を受け取りました。それでなつかしく、うれしく、ご無沙汰しているお詫びとともに近況の報告をいたします。 私は、自らをヤブ医者と称し、その竹ヤブを生やすために、ハイチの若者たちと竹の椊林に頑張っています。聖週間の月、火、水曜日の3日で、山に竹5000本を椊えに行っています。私は膝を痛めて、山に登れませんので、留守番しています。また、5月には学校の生徒たち800人と山の住民300人とで山に椊林をします。苗木をリレーして頂上まで運びます。雨季になるので、絶好の機会です。 昨年ハイチは台風の時期に洪水のために、多くの家屋崩壊と死者を出しました。これはみんな樹木の乱伐による禿山化による結果です。勿論、竹のほかに果物の木も椊えています。アボカ、オレンジ、マンゴ、それにアカジュの木も椊えています。 皆様のお祈りご支援に感謝しております。短いですが近況ご報告まで。 竹の椊林に加わった若者たち 椊林作業に励む若者たち 川岸に三重に竹を椊えました 洪水の後でもしっかり残った竹 竹林を視察する担当大臣 修道院の竹を背景にしたシスター須藤 2009年4月9日 アメリカからのお便り(ニューヨークにて)援助修道会 シスター水野 滋
ローシャイタ神父様を初め会の皆様へご復活おめでとうございます。良いご復活の日をお迎えと思います。 ここニューヨークでは、すでに1時間遅れの夏時間に入っておりますが、まだ寒い日が続いています。 「きずな《を送っていただき感謝いたします。いつも日本人の信者の皆様にも読んでもらっています。皆様のために毎月第2土曜日にニューヨークのカトリック・センターにおいて日本語のミサを行っています。重ねてお礼申し上げます。 愛と祈りを込めて。 2009年4月12日 シエラレオネからのお便り(ルンサにて)御聖体の宣教クララ修道会 シスター根岸 美智子
はるか日本の後援者の皆様日本は、桜の花が美しく九州から北海道まで順々と満開を向かえ、美しい姿を楽しませてくれる頃でしょうね。この便りが届く頃はおそらく東北、北海道、そして長野の山あたりが美しい桜かしら、と楽しく想像しています。日本の桜は本当にすばらしいものですね。せめて私も、なつかしい桜をスクリーン上だけでも楽しみましょうと、パソコンのデスクトップを美しい桜の写真にしました。そして、そのパソコンを開く度、美しい富士山と桜の満開の景色が出てきて、それを楽しんでいます。いつ本物がみられますか? また、本物を見たいと願っています。 キリスト教では12日は復活祭ですね。心からキリスト様のご復活をお祝い申し上げます。キリスト教徒でない方にとっては、死んだ人が甦ったなどという事は考えられない事かもしれませんが、キリストが復活されなかったら、キリスト教も存在しなかったと言えるでしょう。生命の上思議さ、生命の尊さを学ばされる時でもあると思っています。 こちらシエラレオネでは、復活祭の前の聖木曜日から休暇に入りました。カトリック系の学校は、この聖週間のため早くお休みに入りますので、一般の学校より早く4月21日頃に3学期を始める予定です。一般の学校では、27日が独立記念日でお休みなので、本格的に学期が始まるのは4月28日からでしょう。日本と春休みと比べますと、ちょっと遅い休暇ですね。 こちらは9月が新学期ですので、この3学期は、試験試験に追われる毎日です。まず小学校の卒業試験が全国共通で行われます。これに合格しませんと卒業出来ませんし、中学にも入れません。その後、今度は中学卒業試験があります。これは6月から7月にかけてあります。これも合格しませんと高等学校には行けません。そして4月の末から6月にかけてながながと高等学校の卒業試験があります。これはワスクと言って、西アフリカ共通試験です。これによって高等学校を卒業し、その成績により一流大学に入れるか、他の教員養成専門学校に行けるかが決まります。アフリカではけっこう試験制度が厳しいです。誰もトコロテンのように中学に入れるのではないのです。また、小学校の卒業試験の総合点によって中学校が決まります。例えばルンサですと一番高い総合点をとるのがムリアルト男子中学校です。300点以上とらないと入れません。次がOLG中学これは女子校です。総合点は280点までです。次に続くのが新しいマリアイネスで250点以上ということになっています。小学校卒業合格点は220点ですから、他の生徒は近くにある回教の学校などに行くことになります。ルンサの町にはまだ3つ中学がありますし、近辺にも中学はいくつかあります。しかし、良い教育が受けられるということで、皆カトリックの学校に入りたいようです。給食があるのも大きな魅力でもあります。 今年は異常気象でしょうか。普通、3月には一度位しか雨は降らないのですが、今年は4日も続けて雨がやってきて、びっくり。お陰さまで枯れ草が緑にかわりました。もちろん、まだ乾期の中にいますが、今年はマンゴの出来は悪いようです。いつもより雨が早くやってくるようです。最近小学校、中学校、そして私たちのセンターの退学生でしたが亡くなりました。問題はいろいろまだ残されていますどうぞお祈りくださいませ。 日頃のご支援に感謝しつつ。 2009年4月15日 マダガスカルからのお便り(アンタナナリヴォにて)マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター平間 理子
海外宣教者を支援する会の皆様キリストの平和 御復活おめでとうございます。 いつも「きずな《をありがとうございます。「きずな《を読みながら、アフリカではどこも似たような状態で、同じような事件が起こっているのだなあと思っています。 マダガスカル人は、マダガスカルがいろいろな面でアフリカと違うとよく言いますが、今回起こっている社会・政治混乱は、やはりアフリカに所属しているとつくづく思いました。と言いますのは、昨年12月中旬に首都タナナリブの市長がフランスに逃亡している旧大統領ラチラカの演説を長々と自分のTVで放映したところ、現大統領は、それが国民に動揺を与えたとして、市長のTVを放映禁止にして、閉鎖してしまいました。 市長は、自分のTVを放映する許可を求めていましたが、1月13日までに何の返事も得られませんでした。そのことがきっかけとなって、この国はデモクラシーが無いとのことでこの社会・政治混乱が始まりました。 1月17日には独立大通りの奥にある公園をデモクラシーの広場と吊づけて、開会式が行われ、大勢の人が集まりました。2002年に任期の2期目に入ってから、現大統領は独裁的にはなってきていましたが、国際的な信用は増してきていました。 1月26日からは大混乱が始まりました。早朝にTVやラジオの線が切られ、ニュースが全く届かなくなり、大統領の時代に開店した大型スーパーや大型の店舗、家電商品店、そして大統領が始めた乳製品の工場、その品物を売る大型問屋などが略奪、放火、破壊され、店内の物は全て盗まれ、床のタイルしか残っていなかったとのことです。また、中国人が経営していた店が入っている3階建ての建物も放火され、50人近くが焼死し、3か月を過ぎた今でも、焼死体が見つかっています。 この2つの事件で多くの失業者が出て、現在にいたっています。1月27日からは首相が市長と大統領との話し合いを求めていましたが、市長の方が話し合いに応ぜず、28日にはプロテスタントとカトリックの教会の仲介により、市長側が話し合いに応じ、話し合いが持たれました。しかし、市長側が大統領の辞任を含む4つの条件を出し、その辞任を大統領側が拒否したため、話し合いは物別れに終わりました。 2月に入ってからは、市長派が国民に全面ストを呼びかけ、大統領は働くように呼び掛け、市長が大統領と対決していて、何も仕事をしていないので、市長の代理に大統領特別代理を任命すると発表しました。これに対し市長側も首相を任命するという行動に出ました。市長側は独立大通りで新首相を任命し、その後大臣を毎日2人~4人を任命していきましたので、路上の政府とも呼ばれています。その間に大統領は、市長に話し合いを求めていましたが、市長はこれに一向に応じません。 2月中旬についにFFKM (プロテスタント、カトリック、ルーテル、英国国教会の代表の集まり)という組織が動き出しました。この組織にはカトリックの代表として、大司教が入っていて、しかもその責任者になっています。 FFKM は5つの条件を出しました。独立大通りでのデモを禁止する、略奪しない、公共の建物を破壊しない、ニセの情報を流さない、などでした。さらに、国連の事務総長代理も仲裁に来ましたが、市長側は大統領が辞任するまで戦うと公言して、この話し合いも中断になり、2つの政府が出来た形になっています。 この間カトリックもプロテスタントも国内の平和のために祈っていますが、事態は一向に解決する様子がありません。3月に入ってからも市長派が全面ストを学校にも呼びかけましたが、ほとんどの学校は授業をしていました。そこへ一部の大学生が嫌がらせに、カトリック系の学校(小学校から高校まである)に行って、10人位を連れ出しました。そのうちの5人は怪我をして、病院に運ばれています。 大統領はいつも市長との対話に応じる準備があり、この混乱は対話なしには解決しないと言っていますが、市長は話し合いに応じようとしません。また、国民会議も話し合いを提案していますが、市長は全く応じません。 3月7日に市長は、武器を持っている一部の軍隊の支援を得て、大統領を脅迫させました。大統領は政権を軍隊に一任して、南アフリカに行き、そこから南アフリカ開発連合会議が3月末に行なわれるスワジランドに逃亡した形になりました。 3月8日にはFFKMと軍と市長の集まりがカトリックの司教館で行なわれました。そいて、市長が政権を掌握することになりました。22日には市長支持派の最高憲法権威者のグループが市長を暫定政権の最高権威者に任命しましたので、市長主導の暫定政権政府が出来ました。しかし、国際社会はクーデターを市長が行なったとして、国連、アフリカ連合、南アフリカ開発連合などは、この政府を承認していません。 この混乱を解決するために国連は、強制的に歴代の4政府に対してその代表が集まって、話し合いを持つように要請しました。しかし、2人の代表がその集まりから中途で退場し、結局、失敗に終わりました。 海外からの全ての援助が中止されており、今の暫定政府は信用されていないので、現実に、経済活動は益々低下しており、暫定政権の今後の見通しも全く示されていません。今では4つの政府がある状態になっていて、益々混乱状態になっています。また、大統領派は大統領が帰ってくるように求めて、毎日デモクラシーの広場で集会を行なっています。大統領は、南アフリカから電話で度々連絡を取っていましたが、4月16日には新たに首相を任命したので、2人の首相が公式に存在しています。この混乱何時まで続くのか解りませんが、とにかく1日も早く解決するようにお祈り下さい。こちらの皆もこの混乱で疲れて来ていますので…よろしく! 2009年4月17日 コンゴからのお便り(ブラザヴィルにて)マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター高木 良子
主のご復活おめでとうございます。私たちの修道会がコンゴ(ブラザヴィル)の国に創立されて、百年祭を迎えるにあたり、ブンジ村に衛生の整備を設置するため、援助をお願いしておりました。嬉しくもそのプロジェクトを受け入れて下さり、有り難うございました。援助金は日本の瀬田修道院を通して、ローマの本部へ送られ、コンゴ(ブラザヴィル)の管区へとまいります。 この喜ばしいニュースは、直ぐに百年祭の係に届きました。海外宣教者を支援する会の皆様に心らか感謝申し上げます。今日は、プロジェクトの承諾のお礼のみで失礼いたします。 2009年4月17日 カンボジアからのお便り(コンポンルアンにて)信徒宣教会(JLMM)高橋 真也
☆ コンポンプラック水上村乾季における水面の面積が東京都と同じという巨大なトンレサップ湖には、200以上もの水上村があります。私が活動しているコンポンルアン水上村からも、ボートで20分ほどすれば、『コンポンプラック』という別の水上村に着きます。先日ひょんなことからこの水上村に行く機会に恵まれました。あるNGOが、この村の住民に聞き取り調査をしていて、それを見学させてもらったのです。その村は40世帯しかない小さな村でした。その日は朝から夕方まで10世帯のインタビューを行い、主に自然環境の変化(メコン川上流域のダム建設など)が、漁民の暮らしにどのように影響を及ぼしているのかを聞きました。 インタビューで一人印象的な女性に出会いました。彼女は一度も学校で学んだことがありません。インタビューの中で、「旱魃(かんばつ)が起こったら、漁にどのような影響が出ますか?《という質問がありました。10家族中9家族は、「湖の水量が減るから、魚が獲りやすくなる《と肯定的な答えでしたが、彼女だけは、「漁はしやすくなるけど、陸地では水田が干上がり、お米が取れなくなるわ。農作物や家畜にも悪い影響が出て、そのせいでお米や農作物の値段が上がる。私たちは魚だけを食べて生きているわけじゃないから、結局私たちの生活も苦しくなるわ《と答えました。目の前に見える搊得だけで判断せず、ちゃんと経済の仕組みを理解して答えています。 彼女のような人を、本当に頭が良い人と言うのでしょう。例え学歴がなくても、毎日の生活の中で生きる智恵を蓄え、過去の経験を生かし、将来を見据える。貧しくても、自分の身の回りのことだけに汲々とせず、広い視野で物事が持つ世界の繋がりを捉える。彼女はそれが出来る人でした。私もそのような生きる智恵を持つ人から学べる人間になりたいなと、彼女との出会いを通して思ったのでした。 質素なたたずまいの家が多いコンポンプラック水上村 村人への聞き取り調査の様子 2009年4月22日 ボリビア便り・第2号(サンタクルスにて)サレジアン・シスターズ シスター竹山 敏枝
ボリビアからご主のご復活のご挨拶を申し上げます。小濱シスターが日本へ一時帰国された折には、私への励ましのお言葉と寛大なご寄付をお寄せくださりありがとうございました。小濱シスターは新たなファイトに燃え、無事にボリビアへ戻られて、元気に宣教活動を再開されております。さて、ボリビアを襲ったデング熱は4月に入り、ようやく小康状態にありますが、ゆだんできません。デング熱の症状には個人差がありますが、ちょうど帯状疱疹に似ています。多くの人が激痛に苦しみました。貧乏国特有の非衛生的な環境が一番の原因だと思います。今でも私は殺虫剤をポケットに入れて生活しています。
こちらの聖週間はとても荘厳でした。例えば、聖木曜日の最後の晩餐の儀式の前に、旧約のイスラエルの過ぎ越し祭の伝統が再現される儀式がありました。
聖金曜日の儀式は、サンタクル・スカテドラル前の広場にて大司教司式のもと、2時間に及ぶキリストの受難物語が荘厳に繰り広げられました。キリストの受難の奥義を肌で感じることができました。ボリビアならではの感動的な聖週間を体験することができました。
こうして迎えた復活祭は格別でした。今、だれかと話していると、復活のキリストが傍におられるのではないかと感じる雰囲気です。
こんな復活のよろこびのさなか、更に大きな喜びがありました。
実は、サレジアン・シスターズ日本管区長スオル若松がここ、ボリビアを訪問されたのです。視察訪問の日に合わせて、施設の増築落成式がありました。祝賀ミサとアカデミアには、もちろん、スオル若松とスオルマリーザも参加されたので子供たちの喜びは二重、三重で、お祭り気分でした。
ボリビア滞在最終日に記念の椊樹をしていただきました。大切に育てて、次回の来訪を待ちたいと思います。
最後に、小濱シスターの一時帰国の折に、私にお寄せいただきましたご寄付の用途についてのご報告をさせていただきます。先ず、施設で使用しますパソコンの購入と私の手芸教室の改修を行いました。ペンキを塗り替え、カーテンを新しいものに取り替え、棚を入れました。すばらしい、快適な教室が完成しました。きっと、この教室は大活躍すると確信しています。善意をお寄せくださった皆様に心からのお礼を申し上げます。
2009年4月26日 |