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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声


ハイチからのお便り(ポートプランスにて)

レデンプトリスチン修道会 シスター飯村 美紀子
  †主の平安
  日本海外宣教者を支援する会の皆様
  四旬節の第1週目を迎えました。事務局の皆様には、お元気にお過ごしのことと存じます。 一昨日、お送り下さいました、「カトリック生活《及び「聖母の騎士《誌が無事に届きましたので、感謝のご報告を申上げます。
  一日の最終のプログラム、「自由時間《になりますと、ゆっくりと日本語の本を開きます。このような寛ぎの時間を僅かでありましても、持てますことに感謝しております。
事務局の皆様、そして本を提供して下さっておられる皆様に、主が皆様の上に必要なお恵みに代えてくださいますようにお祈り申上げます。
  こちらハイチの教会でも、この四旬節の時期に黙想会をして、信者方の内的回心を促すために神父様たちは、いろいろと努力をなさっておられます。何やら誤った考えからでしょう、カトリックからプロテスタントの教会、そしてプロテスタントからカトリックの教会に変わることが回心だと思っている信者が毎年後を絶ちません。ハイチの教会のために、どうぞお祈り下さいませ。
2009年3月2日
               

チャドからのお便り(ンジェメナにて)

ショファイュの幼きイエズス修道会 シスター有薗 順子
  こちらチャドは、日毎に暑くなって来ておりますが、日本はいかがでしょうかと心を走らせています。いつも気になりながらも、なかなか事がはかどらず、月日は過ぎるのみです。
    昨年いただきましたガール・スカウト活動のためのオートバイの件について、ご報告できることを嬉しく思います。1月になれば入荷するとのことで、1月末に購入できました。その後書類を揃えるのに幾分時間が掛かりましたけれど、3月になって、やっと使用できるようになり、シドニーさんが責任を持って、使用することになります。「何時になったら使用できるの《と、度々聞かれましたが、一部でも書類が欠けると、罰金を取られるのです。
    ンジャメナも車、オートバイ、自転車、それに人々で、毎日のように事故、事故です。大切に使用するよう願っています。これでガール・スカウトの活動も益々、スムースになります。本当にありがとうございます。
    今年も2月22日の創立の祝日には、ガール・スカウト一同が集いました。毎年会員が増えて、今年は何と1,600吊も集まり、驚くのみでなく、感動させられました。私たちが集まった小教区の司祭からは、50×35cmの額入りの創立者の写真を記念としていただき、大喜びでした。
    現在のところ、ガール・スカウトの活動は、神父様方からも好評を得ています。「欠点もあるけれど《と言われるのも当然のことです。ですから、前進を目指しているのです。
    終わりに、もう一度、お礼申し上げます。ありがとうございます。
 
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やっと活動を開始したオートバイ  司教様からいただい額縁入りの創立者の写真
2009年3月10日

                 

ボリビアからのお便り(サンタクルスにて)

サレジアン・シスターズ シスター小濱 静子
  海外宣教者を支援する会の皆様
  その後お元気でいらっしゃいますか? 日本滞在中、大変お世話になりました。ボリビアに戻って、早数週間が過ぎました。3か月間のブランクをうめるために、毎日大忙しです。ようやく学校の新年度のリズムに乗り込んで、ホッとしています。
  教会は四旬節で、毎週金曜日に十字架の道行きをしながら、世の救いにキリストと一致して、宣教の使命を生きようと、再度スタートしています。
  日本での3か月間の休暇は、大変充実したものでした。多くの人々に接し、日本の教会の愛に触れさせて頂いた感がします。カトリック内観の体験は大変有意義でした。おみやげに買って帰った鐘を使って、精神集中の練習に励んでいます。
  お互いによい復活祭を迎えられますよう、お祈りしつつ。
2009年3月15日

                 

ボリビアからのお便り(サンタクルスにて)

宮崎カリタス修道女会 シスター源元 もなみ
  日本カトリック海外宣教者を支援する会の皆様
  お元気でしょうか。桜前線の情報によると東京も今年は4日早い3月24日ごろとか、日本の春の香りがボリビアまで届きそうです。何といっても日本の自然界の美しさは世界一と言いたいところです。
  ミニバスのお礼が遅くなりました。子どもたちの微笑と歓声を送って、心からのお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
  政治情勢がよくないので、新車のサンタクルスまで搬入される予想がつがず心配でしたが、御父である神様が子どもたちの祈りを聞いてくださったのでしょうか、思いがけなく早く届けられました。
  早速、子どもたちを乗せたミニバスが生ぬるい風を切って目的地の公園まで走っていきましたが、何と心地よかったことか。クッションもいいし、新しい車の匂い!! 新車の香りを子犬が嗅いでいる表情を想像してください。子どもって感情の表現も可愛く、喜びを体全体で表します、つい子どもと一緒になって歓声を上げてしまいそうでした。子どもたちと喜びをともにしながら、いつまでも感謝の祈りを捧げてまいります。
  日本カトリック海外宣教者を支援する会の皆様お一人おひとりの優しさ、寛大さ、思いやりを神様が祝福してくださることを信じて、感謝の祈りを捧げています。
  どうぞ、これからもボリビアの貧しくされた小さい子どもたちへのお祈りとご支援をお願いいたします。子どもたちの喜ぶ姿を送りながら、私たちの心からのお礼を申し上げます。子どもたちと職員は十分な感謝の言葉を探せませんが、オガル・ファチマ乳幼児院の子ども、シスターズ一同と共に感謝を込めてこの小さい一筆を送ります。
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喜びを体で表す乳幼児院の子供たち  到着した車には新車の香り
2009年3月15日

                 

カンボジアからのお便り(コンポンルアンにて)

信徒宣教会(JLMM) 高橋 真也
☆ 学校へ行かせたい!   2007年11月から、水上村と関わりのあるベトナム人の子どもが、勉強を続けられるようにするために、『里親プロジェクト』を開始しました。日本の皆様に里親となって頂き、水上村の子どもを里子として支援していくのです。   先日ひょんなことから、新しい里子候補を二人見つけました。それは、いつもお世話になっているタムおばちゃんの子ども、ポラー君とボパーちゃんです。タムおばちゃんは、毎週行っている豆乳、お粥プログラム、水浴びプログラムを手伝ってくれています。大変お世話になっている方です。   彼女は早くに夫を亡くし、女手一つで子ども二人を育ててきました。彼女の母親も老齢ですが、彼女が養っています。決して裕福ではないのに、子どもを遠くの都市の学校に行かせ、勉学を続けさせています。貧しい水上村のベトナム人たちの中では、すごく珍しいケースです。   そんな彼女が私に、「うちの子どもの里親を探してくれない?《と、真面目な顔で頼んできました。「この前うちの子から電話があったわ。『お母さん、またノート足りなくなったんだけど、お金ないよね?どうしよう。これ以上ノートを買うことになったら、お母さんに迷惑かけちゃう』って、泣いてたわ。私にもっとお金があったら、子どもにこんな思いさせなくて済むのに…《。大変な状況だと分かったので、私は彼女の願いを聞き入れ、里親を探すことを決意しました。彼女は、「子どもが勉強したいと望む限り、どんなことがあっても学校に行かせる!《と約束してくれました。   タムおばさんの子どもは二人とも中学2年生です。とっても明るく、優しく、成績優秀です。以前私はバッタンバンの二人が住む施設へ行ったことがありますが、帰る時に「水上村に帰ったら、お母さんにこれを渡して《と、二人から小分けにされた、たくさんのシャンプーを渡されました。それは一つの包みが6円ほどの安いシャンプーでしたが、二人が「お小遣いをためて買ったんだ《という、世界で一番素晴らしいプレゼントなのでした。
高橋-1 高橋-2 高橋-3
左がおばあちゃん、右がタムおばちゃん  3人の中で一番左がボパーちゃん  赤い帽子がポラー君
2009年3月16日

 

チャドからのお便り(ンジェメナにて)

ショファイュの幼きイエズス修道会 シスター有薗 順子
  海外宣教者を支援する会の皆様
  今日から春、何となく嬉しく聞こえますが、現実として2・3日前からこちらは室内で40℃という暑さになって参りました。
  ご復活祭を目指している今頃、3月18日美しい、しかも大きなカレンダーを2つもいただき、驚き、大喜びしました。年齢と共に太文字が便利ですし、好むようになって、さっそく掛け替えさせていただきました。いつも私たちのことを心に掛けて下さって、ありがとうございます。
  どうぞ、お恵み多いご復活をお迎えになりますよう、心からお祈りしております。
2009年3月20日

 

アメリカからのお便り(ニューヨークにて)

アトンメントのフランシスコ会 ブラザー寺澤 正幸
  感謝
  きずなを何時も有り難く、読ませて頂いています。赤谷さんが始められた日本人カトッリク信者の集いも20数年が経ちました。先月、ニュースレター創刊号が、発刊されました。感慨無量です。教会が今大転換期に立たされているとき、ニューヨークで日本人信徒の小さな集いが、生き生きしていることは、教会の希望の印です。別便で、お送りしました。
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創刊号のヘッディング
2009年3月22日

 

カンボジアからのお便り(プノンペンにて)

信徒宣教会(JLMM)林 愛子
  カンボジアに来て1ヶ月が経ちました!!!  語学学校への自転車通学も、はじめはバイクの多さに戸惑い、通りごとに止まっていたのが、今では流れに入るタイミングも手を出して曲がるのにも慣れて、授業が始まるぎりぎりの時間に家を出てもちゃんと学校に着いています。
  1月26日、中国正月で語学学校が休みだったので、JLMMの活動地の1つであるステンミェンチヤイと言うプノンペン市内のゴミが集められている集積場に行きました。ここに住んでいる人たちは、ゴミからリサイクルできるものを集めて生計を立てています。ここでJLMMはプテア・コマ「子どもの家《という貧しくて学校に行けない子ども達を対象に教育活動をしています。ちなみに中国正月でも学校はやっていたのに子どもは少ししかいませんでした…。カンボジアのカレンダーはお休みじゃないけど、正月って言うくらいなら休みたい気持ちも分かります。
  それからゴミ山を周り、家庭訪問に一緒について行かせてもらいました。子ども達は裸足で歩いていて、ガラスとかも落ちているので、傷だらけ、皮膚疾患がとても多いそうです。もちろん清潔の概念がなく、汚れ放題。「傷みて!《と言われても何もできない私…。きれいに洗って、消毒しないと!とかいろいろ考えてしまいます。オペ室で働いている時は、清潔・上潔とか言って、何度も手洗いしたり、イソジンをジャバジャバ使って、消毒したりしていたけど、ここでは全くそんなものはお構いなし。きれいな水もなく、消毒も十分にできず、ちょっと拭いて、軟膏塗って、それでいいのかな?と思うけど、ここにいる人たちの自然治癒力は信じられないくらいすごいようです。
  家庭訪問した中に皮膚疾患で足の裏の皮がめくれて痛くて歩けない女の子がいました。前に病院に行って完治したそうですが、親も気にしていないみたいで汚れっぱなしで何度も繰り返しているそうです。親は困っているからお金ちょうだいと言うのですが、他のNGOが移動のクリニックをしていて近くまで来てくれて無料で診てくれる!のです。しかし、それでも子どもを連れて行かない親…。無料で診てくれるし、そこまで連れて行けばいいやん!て思うのに、自分のことだけで精*杯みたいです。いろんな理由があると思うし、来たばかりの私にはわからないことも多いけど…理解しがたいです。診察してもらって治療することも必要だけど、どうすれば病気や怪我を予防できるのか、女の子が普通に歩けて遊べることがどれだけ大事か理解してもらうには、時間をかけて関わっていくことが必要なのか…と感じました。そして、ここでの活動の大変さ、その分のやりがい、いろいろ説明してもらいました。
  2月に入って、スタディーツアーで日本の大学生が来ていました。国際協力のサークルで、観光したりJLMMの活動地に行ったり、カンボジアのいろんなところを見て聞いて、感じて、おもしろそうなツアーで、一部同行させてもらいました。プノンペンではトウールスレン博物館(ポルポト時代に刑務所として使われ、虐殺された人の写真とかが展示してある)や映画にもあるキリングフィールド(トウールスレン刑務所に収容されていた人びとが処刑された場所で、今は遺骨が慰霊塔に安置されている)に行きました。カンボジアの歴史…昔のことのようですが、ポルポト裁判が約30年経った今、始まります。
  それからマザーテレサの「神の愛の宣教者会」がしているHIVの施設見学へ。シスターが説明してくださった中に「必要なものは神様が与えてくださる」という言葉がありました。寄付で成り立っているこの施設では何かなくなるな、と思うとどこからか助けがくるそうです。「上思議でしょ!」と言いながら笑顔で話すシスターがとっても素敵でした。
  週末には日本の学生とカンボジアの学生と一緒にカンボジアのリゾート、シアヌークビルに行きました!ひさびさの海です!!!
  カンボジアの学生は朊のまま海の中へ。途中、日本人の学生が「けがした~」と言うので、波際まで行ったらまんまと海の中に引きずリ込まれてしまいました…。それから夕方にはバーベキューにゲーム、花火。そして砂浜でグループになって、分かち合い。その分かち合いの中から…。
分かち合いの中から…
 カンボジアでは教員の給料はとっても安くて、先生が学校以外にも個人で塾をしてお金を稼いでいる。生徒はお金を払って、そこにも通わないと試験をパスさせてもらえないとか。だから貧しいと進級できなくて、学校に通うこともできない。でも、今回交流会に参加してくれた大学生の中には給料が安くても、それでも先生になりたいという子がいて、その理由は自分が学んだことを社会に還元していきたい、と。彼ら自身、貧しい農村出身者で、親は農業などで生計をたてている。彼らは奨学金をもらってプノンペンの大学に通っている。だから、日本の大学生みたいに授業さぼるとか、考えられないし、本当に熱心に勉強している。
  その話を聞いて日本の学生たちは言葉をなくしてしまったけど、いろいろ考えたり、感じたりしたみたいです。私も学生の時にスタディーツアーでフィリピンに行って、スラムを見学したり農村でホームステイしたりして、日本との違いを感じ、自分はどうしたらいいのだろうと考えたことが、今の自分につながっていると思います。
  翌日はレアム国立公園に行きました。マングローブ林にきれいな白いビーチ。でも、カンボジア政府は国立公園であるにもかかわらず、中国に公園の一部を70年という長期の賃借契約をしてしまったとか。カジノを含むリゾート開発のために何台ものトラックが通っていくのを見かけ、自然破壊はどんどん進んでいるようです。カンボジアのキレイな自然が残ってほしいなと願い、またここに来ようと考えるのでした。
  これからのカンボジアの生活の中で自分がどんな風に感じ、考え、変化していくのか楽しみでもあり、上安もありますが、心優しいカンボジアの人たち、子ども達の笑顔に触れながら、神様が与えてくれた1日1日を大事に過ごしたいと思います。
(3月25日付JLLM会報No.128号から転載)
2009年3月25日

 

カンボジアからのお便り(プノンペンにて)

信徒宣教会(JLMM)濱田 麻里
  ♢ 神様って本当にいるのだろうか?
  先日トゥースレン刑務所を訪れたとき、思わず思ってしまうほど理解しがたいカンボジアの悲惨な歴史が目の前にあった。約170万もの人の命を命と思わず、殺害し、人間としての人格を否定し、人との関係を絶たせ、愛着をなくさせる。少年兵を人間育成し、そして自国民が自国民を殺害する。
神様は何のために、そしてどんなメッセージを残そうとしているのか…今後二度と繰り返していけない、このようなことが起こらないように伝えていくべきということだろうか。それにしても彼らの命はそんな簡単に扱われ、されるものではないはずである。
  カンボジアに来て1か月経ったが、私が出会う人は明るく、優しく受け入れてくれる。
 「カンボジアはこれまで悲しく、辛い時代を送ってきた《…と私自身これまでに一まとめにして言ってきたが、決してそんな簡単に済まされる事ではない。出会う彼ら一人一人それぞれの背景にも家族、親戚、友人に様々な過去や歴史があり、その歴史を通して今があるということを今更なからにしてさらに感じた。全ての人が神様から頂いた体であり、お互いに愛し合い、大切に想い合う。私はこれから出会う人々一人一人ともっと深く関わり合いながら、生活していきたいと強く思った。
  ♢『初』という感覚
  今はほとんどが初体験ばかりの感覚で生活している。少しずつ生活や環境になれてきたものの、初めての体験の時に思った感覚や思いは大切にしていきたいと意識している。そしてその時の感覚が、これからの出会いやイ本験を通して、どのように心に響いたり、変化したりするのか、楽しみである。
  ♢ 派遣されるということ
  カンボジアに来て初めて与った英語ミサでのこと。年初めに神父様から信徒へ向けて
  “What are you looking for ? Why did you come here in Cambodia? ” (あなたは何を探し求めていますか?なぜここ・カンボジアに来たのですか?)
  と今一度思い出してみようと問いかけがあった。
  まだカンボジアに来て1か月しか経過していないが、日本人として、レイ・ミッショナリーとして、ずっと心に持ち続け、常に思い出していかなくてはならない。語学研修中にも自分自身の殻を破り、今の自分は何をすべきか、何が足りないかをいつも問い続けながら、小さなことにも心と目と耳を傾けて、貴重な時間を過ごしたいと思っている。
 (3月25日付JLLM会報No.128号から転載)
2009年3月25日

 

パラグアイからのお便り(アスンシオンにて)

聖霊奉侍布教修道女会 シスター山田 雲江
  海外宣教者を支援する会の皆様
  ご復活の祝日おめでとうございます。主の復活の喜びと平和の祝福が豊かに恵まれますようお祈りいたしております。
  この度、休暇で一時帰国されますシスター林におことづけして、少し早めですがこうしてご挨拶をお届けできることをうれしく思いながら、書いています。
  いつも「きずな《を送っていただき、ありがとうございます。このようなご奉仕に支えられながら、続けさせていただいています。
  2年ほど前から「希望の園《と呼ばれている施設が、エイズに感染して、親からも、また親戚からも見捨てられたり、両親のどちらかがエイズで亡くなって、みなし子としてここに送られてきたりした子供たちを受け入れています。現在18吊のこのような子供たちがここに身を寄せています。この希望の園は、ある若いご夫婦が、このような子供たちが可哀想だからと、生後1年足らずの自分たちの息子と共に、自分たちの家でお世話をしたのが始まりだったのです。そして今日までいろんな方たちの善意で協力を得ながら続けておられます。2か月ほど前、ほんの一部ですが、必要な薬を届けに行きました折の写真ですが、ごらんになって下さい。今ではすっかり馴れて、私のことを「オバアちゃん…だって頭が白いもん!《なんて、ダッコをねだったりもします。こんなに幼い、何の罪もない子供たちが…と心の痛みを深く感じます。
  パラグアイでも色々な宗教団体などのボランティアの活動が広げられていますが、エイズに感染する人の数は年々多くなっているようです。今まで以上に各機関を通して、また学校、教会などでもいろんな形で認識を与え、促し、議論される必要があるでしょう。果てしない問題点として、うまずたゆまず医学的にも、精神的にも、特に人としての暖かいつながりを通して支えていく必要を強く感じさせられます。特に、家族から見放された傷や痛みは、エイズという上治の病以上に、その人の心を抹殺するようです。どうぞこの子供たちのためにも、いつまでも暖かい心の手が差し伸べられますようにお祈り下さい。
  感謝のうちに。
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写真左:こんな可愛らしい子がエイズに冒されているなんて、心が痛みます。こんなにして、一緒するといくらかでも、余計に食べてくれます。  写真右:ダウン症のファブリシオ君、もう13歳です。私が訪ねられないと、逆に訪ねてきてくれます。声を聞き分けて、こんなにして、ほほえんでくれます。
2009年3月某日