ペルーからのお便り(リマにて)礼拝会 シスター川俣 恭子
海外宣教者を支援する会の皆様、お変わりなくお元気でお過ごしでしょうか? 今年はいつになく忙しい毎日が続きましたので、なかなかお便りできず、ご無沙汰いたしました。お許し下さいませ。 遅くなりましたが、「きずな」第103号をお送り下さいましてどうもありがとうございました。世界の各地でご奉仕なさっている宣教者のみな様のお便りに、いつも励まされております。そして、「支援する会」の事務所が六本木に移って、とても良い環境の下でスタッフのみな様がお働き下さっているとのことで、会の益々のご発展が期待されますネ。私も早く新しい事務所を訪問したいなァと思っております。 さて、「ミカエラの家」の近況を少しお知らせいたします。 私たちは2年前から「ミカエラの家」の道を隔てて向かい側にある少し大きい家を買って、小さな縫製工場を開きたいと望んでおりました。というのは、せっかく「ミカエラの家」で工業ミシンの技術を身に付けても、就職するのがなかなか難しかったからです。 ご存知のように、私たちの訓練所に通ってくる女性たちはごく貧しい、破壊された家庭環境に育ち、十分な教育も受けていない人たちがほとんどです。同棲者から捨てられて、乳児や幼児を抱えて、生きていくために仕方なく売春をしていたという人が多いのです。 1年間の訓練を終えて、さてまともな仕事を探そうとしても、安い賃金で長時間働かされるという労働条件のため、また、安い保育所もなく、子供を預ける人もいない場合、就職は困難です。 向かいの家は、独身の画商が103歳で亡くなってから5年間もそのままになっていたもので、これを利用することにしました。しかし、広大な建物を分割売却するのに、相続問題や手続きなどが思っていたよりも複雑で、その上、当地のお役所仕事ののろさもあって、とうとう2年間もかかってしまいました。今年になってやっと動き出し、購入手続きが終わりましたので、長い年月空き家だった古い家屋の内部を改築して整えて、6月初めにやっと改築工事が完了しました。この間、院長は家屋の購入費や改築費などの高額の費用を工面するためにドイツやオランダなどのNGO基金に援助を求めるのに忙しかったし、私たちも改築工事や引越しなどに振り回される毎日でした。 6月15日は本会の創立者聖マリアミカエラの祝日ですが、日曜日に当たっているため、13日(金)に祝別式を行いました。いつも私たちを精神的に支えてくださっているトマシ司教様の司式で新しい家を祝別して頂き、続いて聖女の記念ミサでこの小さな作業所が軌道に乗って、貧しい女性たちの生活を助けることができるように、神様の祝福と聖女のご保護を祈りました。ミサの後、3万ドルの援助を下さったドイツのNGOの代表を初め恩人の方々への感謝の言葉などがありましたが、ここで働く女性の代表が泣きながら感謝の気持ちを伝えた時は、皆シーンとして胸を打たれていました。その後、大きなケーキを切って、みんなで喜びを分かち合いました。 現在、新しい家では、1階の大部屋をミシン16台の生産部として、小部屋をミシン12台の基礎訓練教室として使い、約30人の女性が生産と訓練に励んでいます。2階には約15人が入るコンピューター教室を移して、信仰教育のための集会室とカウンセリング室もあってカウンセラーが週2回女性たちの苦しみを分かち合っています。 こうして女性たちの大半が新しい家に移りましたが、20人の理美容クラスと事務室はもとの家に残りましたので、私たちは毎日通りを横切って行ったり来たりしています。 生産部では、オープンする前からもうINABIF(政府の厚生機関)から毛布生産の注文が入って、もとガレージだった所を整えた倉庫に山ほどの毛布地が運び込まれています。この毛布は零下の寒さに凍えている山岳地方に送るためなので、自分たちも誰かを助けてあげられる喜びで女性たちは大いに張り切って、朝からミシンに向かっています。毛布は1枚2ソルで買い取られ、1ソルは糸代と電気代として作業所に、1ソルは労賃として働いた女性たちに支払います。みんな、「今日私は12枚縫った。12ソルだよ。」「私は20ソル稼いだ。」などと言いながら、顔を輝かせて働いています。毛布の後は、INABIFが関連している施設や学校などの子供たちの服などの縫製をさせて下さるそうで、当面は仕事に困らないでしょう。 私たちはほんとうに善意のみな様から支えられています。みな様を通して神様が1人でも多くの虐げられた若い女性を助けるようにとお命じになっておられるのだと思います。私は、ここでたいしたこともできておりませんが、共同体と心を合わせて、これからも働いていきたいと思っております。
2008年7月8日 カンボジアからのお便り(コンポンルアンにて)信徒宣教者会(JLMM) 高橋 真也
☆ 貧困の連鎖腸チフスの疑いがある男の子が、陸地の病院で点滴を受けていました。教会のリーダーさんに頼まれて、その子の様子を見に行ったのですが、私はこの子の両親に、都市の病院へ行くことを強くすすめました。ここで治療を続けても、治らないし、お金もかかります。しかし母親は「行きたくない」との答え。原因は彼女が「お供えの儀式で悪い『気』を追い払う」ことで病気を治すことに固執しているからでした。何度も説得を試み、やっと家族は行くことを承知してくれました。 このケースから見えて来たのは、貧困の様々な要因が新たな貧困を生み出していく、連鎖の仕組みです。この家族はとても貧乏でした。病気の子は14歳ですが、もう立派な働き手として、漁の仕事を手伝っています。一ヶ月前に異変が現れましたが、お金も時間もないので放置しておき、悪化して今に至ったようです。やっと病院に行っても、この村の周辺には、医療技術も低く、高い点滴を売りつけるだけの医者しかいません。ちょっと医者にかかっては再発を繰り返し、お金を浪費する。ちゃんと治すために良い病院でじっくりと治療を受ければ良いのですが、お金も暇もないのです。医療に対するちゃんとした知識がないことも関係しています。貧困で教育が受けられないことは、「高収入の仕事に就けない」、「お金を騙し取られる」などの、貧困の要因をさらに生み出していくことになります。今回のケースではさらに、『信仰(習慣)』の問題もありました。儀式をすることはその人の信仰ですので、他人が馬鹿にしたりしてはいけないことです。でも、この儀式のために呪術師を高いお金を払って呼び、高価な鶏をまるまる一匹捧げたりすることは、貧乏人にとって負担になりすぎる行為だと思います。貧困家庭に限って、効果のない点滴や、このような儀式にお金をたくさん費やす傾向にあります。これも、医療に関する充分な知識があれば未然に防げる貧困の要因だと思います。 後日談です。なんとその家族、病院に連れて行った翌日に戻って来てしまいました。祝日で病院がしまるので、一旦帰省しなければならなくなったそうです。薬を処方してもらったので、しばらく様子を見るとのことでした。が、果たしてその家族がまた治療に戻るかどうかは疑わしいものです。なぜって、帰って来たとたんに、その家族が、呪術師を呼んで儀式をしている様子を見かけたものですから…。 湖の底を足で探り、換金できるゴミを拾っている女の子 2008年7月24日 フィリピンからのお便り(キダパワンにて)札幌教区 司祭 祐川 郁生
札幌教区司祭の祐川神父様が、フィリピンにおける活動に支援を寄せられる皆様へのために発行されている「イースタービレッジだより」の昨年度バックナンバーから下記のような記事を抜粋してみました。(紙面の関係で一部編集し直しています。)イースタービレッジは、フィリピン・ミンダナオ島の中央部に位置するキダパワンという小さな町で、祐川神父様が現地の政府当局、並びに日本国内の支援者の協力を得て、始められた児童養護施設です。紛争や貧困などで両親、あるいは片親を亡くした子どもたち、あるいは様々な理由で虐待を受けた子どもたち、両親と共に暮らすことのできない子どもたちがスタッフと共に暮らしています。 《イースタービレッジだより》(2007年3月〜2008年3月)1.第16号(2007年3月)◎ 2007年のイースタービレッジ: お陰さまで今年の8月には5周年を迎えるイースタービレッジ。子供どもたちも18名を数え、正職員5名、準職員4名の体制でケアの質の向上を図っています。 ハードウェアの面では今年、念願の新車購入を目指します。また、これも念願の多目的ホールの建設に取り掛かれるように準備しております。このホールは当施設の子どもたちのみならず、地域の子どもや先住民の自助努力の場、子ども図書館なども兼ねたものを考えています。また、将来的には自立の道のため畑の購入も同時進行させていく予定です。 ソフトの面では、この2年間ほど職員を研修に度々出して、勉強してきた「里親制度」をミンダナオで初めてスタートさせる準備をしています。ルソン島の一部ではすでに始まっている制度ですが、ミンダナオではまだどの施設でも始めていません。日本では里親制度をすでに始めており、施設と里親、さらには地域とのつながり、連帯の重要性が指摘されているところです。それは、家庭生活で子どもが得る次のようなものを施設と里親とで相互補完し合うことです。 @ どんなときでもちゃんと見ているよという信頼関係 A 子どもがありのままでいられる場所 B 人として、社会人として生きるための大切なことを教えてくれる場所 どの制度でも完璧なものはありませんが、いずれにせよこの子どもたちのために、何をしたらベストなのかを模索する中でこの里親制度を始めようということです。先進国ではすでに始められていますが、ミンダナオ初のスタートを切ろうと考えています。社会福祉・開発省の勧めと協力を得て、今年から始める予定です。 これによって、より助けを必要とする子どもの数を、ケアの質を維持しつつ、経費もほぼ同じ額で院内外に増やすことができます。今年は新たなチャレンジの年になると思います。今後ともご理解、ご支援をお願い申し上げます。 ◎ 新しいメンバー: イースタービレッジに新しいメンバーが加わりました。名古屋の天使園から移ってきたベルナちゃん(8歳)とエリザちゃん(6歳)です。聖心の布教姉妹会院長のシスター里とその会の本部のシスター五十嵐が一緒に来てくれました。フィリピンに到着したのは12月18日で、真冬の格好でダバオ空港から出てきました。最初は日本語しかできなくて、戸惑いましたが、移設の仲間と遊ぶうちに、自然にビサヤ語を覚え、びっくりするほど上達しました。ベルナはもう小学校に元気に通っています。エリザも他の子どもたちと幼稚園に通っています。これからもよろしくお願いします。 右からシスター里、エリザ、ベルナ、シスター五十嵐 ◎ イースターおめでとう: 4月8日、イースターのお祝いです。当施設では毎年フィエスタ(お祭り)にしています。今年はベルナとエリザの洗礼式から始まりました。野外チャペルでみんなに見守られ、二人は洗礼を受けました。イースターエッグのハンティングなどもあり、楽しい一日になりました。 洗礼式の様子。特別許可をもらい、復活祭の朝、施設のチャペルでの洗礼です。 嬉しいことは続くもので、その2日後、地元のボボイ神父をお招きして、新しく始まる多目的ホール建設の起工式が行われました。数ヶ月にわたる工事の安全を祈りました。多くの方々のご協力に感謝申し上げます。1階はホールの他に2部屋あり、2階は客室もありますので、滞在可能となります。 3.第18号(2007年9月) ◎ フォスターケアー始まる: 6月から里親(フォスターケアー)制度を実際に始めました。3種類ある制度の中でキンシップ・フォスターケアーといって、親戚に里親に鳴ってもらう制度です。1年以上かけて、何度も受け入れ先の親戚を訪ね、承諾をえれば、社会福祉・開発省がその免許を発行します。そして、当施設がそのモニターリングを行うというシステムです。 今回、ジェネラルサントス市の伯母さんのところへ里子として暮らし始めたウィナリンとアナリンを訪問しました。 ダンテとサミーは、伯父の住むカルメン町で暮らしています。マノボ族の伝統を失ってもらいたくない伯父の意向で、里子として元気に学校に行っています。二人の伯父は、自分の子どもが社会人になった今年、自分たちの方から申し出てきました。 幾度も訪問を重ね、社会福祉・開発省のからフォスターケアーの免許を受け、6月に移り住みました。キダパワンから車で1時間ほどの町です。貧しいけれども畑の仕事を二人とも手伝いながら暮らす姿は、やはり家族として過ごせる喜びが顔に出ていました。 イースタービレッジの行事の時などは、参加したいと言っています。学費などは当施設が負担していますが、やはり一族の元にもどれたことが嬉しいと話していました。 ◎ お母さんとの再会: ターザン、チャンチャン、エンジェルの3人は、2年半ぶりにお母さんと再会しました。3人ともお母さんだと言われても、覚えていなく、きょとんとしていました。母親だけが、大粒の涙を流していました。 再会の喜びも気持ちは複雑です。周りで見ていたこちらがもらい泣きです。母親の地元の社会福祉省出先とも連絡を取り合い、子どもたちにとって最善の道を模索します。 4.第19号(2007年12月) ◎ 聖心(みこころ)ホール落成: 10月3日に教会関係者、社会福祉・開発省、学校関係者、また日本からも「支える会」の代表の勝谷神父様、聖心の布教姉妹会の本部からシスター横山・近藤も駆けつけてくださいました。 式はフィリピンらしく、予定の10時半からは始まらず、11時頃に始まりました。教区司祭不在のため、キダパワン教区管理者のマンディー神父の司式で祝福式が行われました。その後、子どもたちの出し物、院長の祐川からお礼の言葉があり、社会福祉・開発省の代表者からご挨拶をいただきました。その後は、シスターも手伝ってくれたハンバーグやスパゲッティ・ボロネーゼ、ポテトサラダ、チョップソイ、もちろんお祝いには欠かせないレチョンバボイ(豚の丸焼き)で胃袋を満たしました。モスレムの方々への配慮から豚の丸焼きは陰で料理していました。この方々はラマダンの最中なので、食事はとらずとも参加してくださり、感謝です。 落成式の夜は、手品師勝谷神父のマジックショーも開かれ、子どもたちとシスターと一緒に楽しみました。 この日のために練習した Heal Our Land を緊張しながらも、見事に披露できました。 いろいろなマジックに目を丸くして見入る子どもたち。シスターも驚きの顔です。 5.第20号(2007年3月) ◎ 夢をのせて: フィリピンに来て12年目になる。ここ数年はカトリック札幌教区の青年たちのフィリピン・エクスポージャに同行してきた。毎年1月にフィリピン各地で異文化と触れ、フィリピン人のおもてなしの心に触れ、「人間に帰っていく」体験をする青年たちを目の当たりにしてきた。 今年はイースタービレッジをその場所に選んでくれた。気負うことはない。普通の暮らしに青年たちが加わればよい。水のシャワーや塩辛い魚に酢をつけて食べる。箒で庭の掃除をする。動物たちに餌を与え、生きた鶏をお客様のためにさばいて食べさせる。フィリピンでのありふれた日常が日本の若者には、新鮮に見える。我々の命のもととなる食べ物に感謝して「いただきます」。 8日間にわたる体験学習の中身は日常生活。それと「おもてなし」を大事にするフィリピンの文化を伝えたい職員がいろいろと企画をして、フィリピンと日本の遊びの交流など、盛りだくさんであった。遊びの交流を通じて、言葉を超えて、心の交流が行われた。 1月6日の公現のお祝いは、異邦人にキリストが示される大きなお祝いだ。子どもたちは、三人の博士たちに自分の小さな夢、大きな夢を手紙に書いた。その手紙を風船にくくりつけ、一斉に空に飛ばす。小さな胸に大きな夢をもって、大きな歓声と共に風船を飛ばす子どもたち。その夢は届くと良いね。かなうといいね。その夢に参加させてくれないか。 子どものような大きな夢を描き、大人の冷静さと現実的な物の見方の大切さが胸を交錯する。思えば、日本を始め、多くの人たちの子どもたちへの夢への参加がイーストビレッジを支えている。夢が届きますように。(祐川 郁生神父 記) 夢を風船に託して 2008年7月編集
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