トップ宣教者の声 > 2007年10月
KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声


南アフリカからのお便り(ウムジントにて)

マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター内田 雅
 †主の平和
  皆様いかがお過ごしですか。私は2か月の日本滞在を終え、6月1日に南アフリカに戻りました。
先日、聖母の騎士社に原稿を送りました。稚拙な文で恥ずかしいばかりですが、この文を通して、読者の方に南アフリカについて知っていただくことができれば、幸いと考えています。
  言葉の壁は未だに厚く、周りの方々に助けられながらの状況ですが、主に信頼しつつ、精一杯努めたいと思っています。支援する会の皆様のお祈りと支援に心から感謝しています。どうぞお元気で。
子供たち
聖アンナのホームの子供たちと
2008年6月1日



カナダからのお便り(ケベックにて)

信徒宣教者会(JLMM) 高橋 真也
  昨年のバッタンバン教区司牧ミーティングで、私はカナダから旅行で来ていた一人の司祭と出会いました。私が信徒宣教者であることを知ると、興味を持って話を聞いて下さり、彼がカナダに戻ってからも、メールのやりとりが続きました。そしてある日、一通の招待状が彼から届きました。「国際聖体大会に参加してみない?」。
というわけで、2008年6月15日から22日の間にケベック市で行われる第49回国際聖体大会(International Eucharistic Congress=IEC)に参加するため、6月のまるまる1か月、カナダのケベック州を訪れました。こんな幸運な機会は一生に一度あるかないかです。そこで得た気づきを、皆さんに分かち合いたいと思います。
 ☆ 国際聖体大会のプログラム
 国際聖体大会には、約12,000人が参加しました。40人の枢機卿、250人の司教、数え切れない司祭やシスター、そしてたくさんの信徒が各国から集まって来ていました。日本の公式団体の参加者は20人ほどですが、韓国やベトナムからも多くの参加者が来ていました。ただ残念なことに、遠いアジア地域からの参加者は、他の地域よりも少なく、また、18歳から35歳の参加者は、全体の15%に留まりました。
 国際聖体大会は、4年に一度行われています。大会のテーマは、「聖体―世に命を与える神の賜物」です。私は今回初めてこの大会の存在を知りました。この大会は『聖体礼拝』の一つの形式です。『聖体』というテーマに特化して行われるこの大会は、いろいろな年代や関心のニーズに合わせたプログラムがいくつも用意されていました。一週間行われたこの大会は、開会セレモニーと閉会セレモニーを除いて、毎日同じようなプログラムで進みました。午前中は、メインコロシアムでカテケージス(枢機卿や司教といった代表者が、聖体についての講義をする)が行われ、その後、『証し』(信徒による、聖体に対する信仰の分かち合い)が行われます。その後ミサがあり、午後は大きな会場(競技場全体が大会会場となっています)に点在する建物のそれぞれで、いろんなイベントが行われ、参加者は興味のあるイベントを選び、それに参加します。ワークショップやコンサート、展示会などなど。
そして大会開催中は24時間開かれていた2つのチャペルで、好きな時に『聖体礼拝』が出来ます。また、日ごとにそれぞれテーマが設けられ、ある日は、『ゆるし』についてのカテケージスがなされた後、劇が行われ、その後会場全体で『ゆるしの秘蹟』が受けられるように司祭が配置されるといった感じです。大会中盤のメインイベントとして、ケベック市内を練り歩いた聖体行列もありました。毎日毎日、魅力のあるイベントが執り行われました。
聖体と十字架  聖体行列
聖体と十字架を模したIECメイン会場  1万5千人が参加した聖体行列は圧巻
 そんな大会で私が一番苦労したのは、言葉でした。私が滞在したケベック州は、カナダの中で唯一のフランス語圏です。公用語が英語ではなく、フランス語です。ですので、大会で一番使用された言語はフランス語で、私にはちんぷんかんぷんです。カテケージスや証しなどは、ラジオによる同時通訳があるのですが、同時通訳の英語は、私の英語レベルでは、ほとんど聞き取ることが出来ないスピードです。私が楽しみにしていたジャン・バニエ(ラルシュ共同体創設者)による証しは、通訳された英語が聞き取れず、あまり心に響きませんでした。みんな「すごく良かった」なんて言っているのを聞いて、悔しく思い、彼のスピーチの書き起こし資料を入手しましたが、それもフランス語でした…。でも、言葉の苦労は、時に恵みでもありました。困っている私のために、通訳を買って出てくれる優しい人が常に現れました。そして、そういった人たちと、とても仲良くなることが出来たのです。言葉の違いは、互いに理解し合おうとする『努力』を生み出します。その努力が、深い絆を生み出してくれることが多かったことに、とても感謝しています。
  言葉に苦労した私でしたが、同時通訳ではなく、英語でのスピーチだったので理解できたカテケージスがありました。それは、フィリピンのイムス教区から来られたタグル司教の話しです。彼は、アジアの貧困の現実を代弁してくれ、さらに、その貧しい人々の中にいるイエスを、そしてそのイエスに変えられた体験を話して下さいました。きらびやかなカテドラルの中でなく、ごみごみとした市場の中で商売をする老女の中にいるイエス。彼女は貧しくても、小教区の祈りの集いのグループに参加することを大切にしており、その集いのある日は早く商売を切り上げます。「商売のための時間を延ばして、集いにちょっと遅れてもイエス様はゆるして下さるよ」と司教さんが話しかけると、「私は豊かにはなれないけれど、毎日を生きるだけの食糧は神様が与えてくれます。それ以上何を望むのですか?」と、問い返しました。彼女の信仰深さに、司教の彼は変えられたと言います。また、ある貧しい地域で、子どもたちへの食糧提供プログラムがあった時に出会った少女の中にいるイエスの話もありました。彼女は、小さい弟を連れていました。母が仕事を探しに出かけたので、今日食べるものがなくここに来たそうです。でもこのプログラムで食糧を得られたのは弟だけ。「自分はもう13歳で、このプログラムの対象になっていないから」と食糧を受けとりませんでした。自分の年齢を偽って食糧を受け取ることも出来るのに、それをしない彼女の正直さに心うたれ、不憫に思った司教さんが「もし残ったら食糧をあげる」と提案すると、「この地域にはたくさん飢えている子どもたちがいるから、彼らにその残りをあげてください」と断ったのです。司教さんは、「なぜこのような純粋無垢な子ども達が飢えていくのか」と深い沈黙に陥り、改心に導かれたと言います。この老女や少女のような人々に、私もカンボジアでたくさん出会ってきました。これがアジアの現実です。カンボジアと12時間の時差のあるこのケベック市において、アジアの現実を思い起こし、涙しました、最後に司教さんは言いました。
  「聖体礼拝の時、私たちは人間の無関心や神の助けがないために苦しんでいる人たちへの叫びへ招かれることがあります。しかし同時に、このような壊れた世界の中にある、希望に満ちた、純粋な愛への喜びの叫びをあげることもあります。イエスの十字架の死によって、罪深い世界の中に純粋な神の愛があらわになったことを思い起こしましょう。…聖体礼拝の時、イエスが何を見ていたのかに目を向け、集中しましょう。聖体礼拝が私たちを今日の世界の犠牲者たちへの深い憐れみに導いてくれることを望みます。もっと無垢な被害者たちと関わる時間を持ちましょう。そうすることで彼らの涙や傷を理解し、それらを希望と愛に変えたイエスに触れることが出来ます。
  すると会場にいる参加者が皆、スタンディング・オヴェイションで彼を迎えました。私も、このような司教さんが(しかもまだ若い!)いることをとてもうれしく思いました。
(後略)
2008年6月22日