チリからのお便り(フレシアにて)聖霊奉侍布教修道女会 シスター伊藤 晶
「きずな」を送っていただきありがとうございました。 2001年にメキシコに派遣されたのをあわせると、海外生活7年目にして初めて受け取りました。しかもシンガポールの郵便でしたので、何かなと思いましたが、久しぶりに見る「きずな」、うれしく読ませていただきました。現在、私はチリ南部のロス・ラゴス州のフレシアという町にある、本会の学校で働いています。幼稚園から高校まで、1000人近い生徒を抱えたこの地域では大きい学校です。 チリは比較的治安もよく、経済的にも安定しているとはいえ、フレシアのように大都市から離れた地域では仕事も少なく、かなりの人々が貧困の状態にあります。本校も国内外の援助に頼るところが大きいです。初めて「きずな」送っていただいて、早速で厚かましいかとも思いますが、援助申請の方法を教えていただけたらと思います。 来週の日曜日は召命祈願日ですね。働き手を送ってくださるよう、心を合わせてお祈りしています。では、祈りのうちに。 2008年4月6日 カンボジアからのお便り(コンポンルアンにて)日本カトリック信徒宣教者会 高橋 真也
先日、久しぶりにJLMMの派遣式の写真を見返しました。改めて、多くの方々が私を祝福し、いろんな思いを託して下さったのだと気づかされ、大きな喜びを感じると共に、派遣の思いを新たにしました。今回は、水上村の人たちを取り巻く環境の厳しさについて、みなさんにご紹介したいと思います。☆ 違法の移民 私の活動するコンポンルアン水上村の住民の多くはベトナム人で、家族が何世代も前にベトナムから移り住んできたという人々が少なくありません。そんなベトナム人たちの中には、ベトナムにもカンボジアにも住む土地を持っておらず、国籍も持っていないという人たちがいます。カンボジアとベトナムのどちらからも受けられない、弱く危うい立場に置かれた人々だと言えます。 そんなことを痛感した出来事がありました。ある日、HIVに感染した夫婦に付き添い、離れた都市の病院へ行った時のことです。病人の多くは、水上を離れて生活したことがないため、都市の地理、病院のしくみなどがよく分からなかったり、カンボジア語を理解出来なかったり、お金がなかったりで、いろんな不安を抱えています。ですので、その日も私が病人に付き添って、都市の病院に向かいました。無事に診察を終えた後、水上村の船着場までバイクで送りました。船着場でさよならする時に、「何か困ったことがあったら電話を下さい」と、電話番号を渡し、バイクに乗って、家路へと向かいました。 さよならしてから、5分も経たないうちに、その夫婦から電話がかかってきました。「どうしたの?」と聞くと、「さっきまさやから貰ったお金を、警察に取られた」と言うのです。あわてて引き返すと、しょんぼりした夫婦の顔がありました。私が渡した、明日また診察に行くための交通費5ドルを、警察にとられたようです。罰金を取られた理由は、「国籍を持っていないから」でした。 カンボジア国籍を持たないベトナム人たちは、自由な移動を制限されています。水上村に留まっていれば問題ありませんが、陸地に上がると、たちまち捕まってしまい、罰金を取られるのです。水上村へと向かう船着場には警察が常駐しており、毎日、船着場を出入りするベトナム人に目を光らせています。国籍を持たない人が行き来するのを見かけると、捕まえるのです。だれが国籍を持っているのかいないのか、警察は大体分かっています。そして、決まった額などない罰金をせしめて、自分のポケットに入れ、仲間たちで分け合うのです。
水上村という大きな『牢屋』で移動の自由を奪われている、水上村のベトナム人たち。どこかでこれと似たような話を聞いたことがありました。あれは、カンボジアに派遣される前のJLMMの研修時、長期海外研修でタイに行った時のことでした。私が出会った山岳民族(少数民族)の多くが、同じような状況に置かれていました。その中でも、ビルマ(ミャンマー)からタイに逃れてきたカレン族の人たちは、昔は同じような境遇に置かれていたものの、今ではちゃんとしたIDカードを持ち、タイ人と同じ権利を持っているという話を聞きました。そしてそれは、タイの教会が50年にも渡って政府と交渉を続け、カレン族と一緒に戦って勝ち取ったものだとも聞きました。そんな話を思い出すと、こんな状況を打開する術があるのだなと、希望を持つことが出来ます。でも同時に、自分にはそのような働きかけをする力量も根性も無いなと、失望してしまったりもします。 日本にいる、滞日外国人労働者のことも思い出しました。JLMM研修時にはビザが切れ、超過滞在(オーバーステイ)で捕まるのを恐れ、隠れるように生きている人たちに出会うチャンスもありました。入国管理局に捕まって、収容されている人たちにも出会いました。いつ強制送還されるか分からない不安の日々に、涙を流しながらも「日本が、日本の人たちが好きです」と言ってくれた人もいました。 タイの山奥に住む少数民族、ラフ族の儀式に招かれました。超過滞在で働く彼は、優しく私を迎えてくれました。 タイで出会った少数民族。日本で出会った滞日外国人労働者たち。そして水上村で出会ったベトナム人たち。場所はそれぞれ違いますが、みんな同じように社会から追いやられた人たちです。このような人たちと出会い、交わることが出来たことは、私の人生にとっての宝だと思います。この出会いは、『人が人として大切にされる社会』、『周辺に追いやられている人の価値観が中心に据えられる社会』を築いていくとは、一体どういうことなのかを教えてくれる、大切な出会だからです。そういった社会が、私の憧れるイエスが実現しようとした社会であり、聖書が教える『神の国』だと思っています。神の国の主役は、私が出会っている宝たちであり、私もそんな宝たちによって、神の国に招かれているのです。 「――『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。 これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』」 (マルコによる福音書 12章10〜11節) でも時に私は、そんな宝に出会いながらも、自分の中にある偏見とか、意気地のなさとか、無関心とかが見えない壁を作り、共感する心を妨げてきたように思います。せっかく招かれているのに…。 今私は、水上村という場所にいます。水上村のベトナム人たちは、みんなの置かれた状況を変えることなど出来ない、無力な日本人の私を、兄弟のように、実の子どものように受け入れてくれています。そんな交流の中で、みんなは私にとって無視出来ない存在となりました。無視しようとしても、グイグイと私の心の中に入り込んでくるのです。そして、でかいトンカチやつるはしで、心の中の壁にヒビを入れていってくれています。『私』と『違法に住んでいるベトナム人』の間にある壁は、徐々に崩れつつあります。
2008年4月10日 ボリビアからのお便り(サンタクルスにて)宮崎カリタス修道女会 シスター川下 ゆかり
海外宣教者を支援する会の皆様日本は、春たけなわの今日この頃、いかがお過ごしでしょうか? ここボリビア、サンタクルスは、ここ数日、南からの冷たい風が吹き、寒い日が続いております。ここオガールファティマ乳幼児院から宮崎カリタス修道女会ボリビア地区のシスターズ、子供一同がご挨拶申し上げます。この寒さのせいで、子供たちの中には風邪を引いたり、持病の喘息が悪化したりして、そのケアに勤めていますが、やはり、抵抗力といいますか、免疫力が低く、赤ちゃんたちはすぐに重症化しますので油断禁物です。 現在、6ヶ月未満の赤ちゃんは15名、6ヶ月から1才未満は11名、2歳児は8名、3歳児は15名、4歳から5歳児は22名です。神様と支援してくださる方々のおかげで、計71名の子供たちとともに、にぎやかに暮らしております。 今日、4月12日はボリビア国では、子供の日に当たり、数組の恩人方が協力して、オガールの子供たちのために、ピエロや音楽、お菓子、ケーキなどを準備し、パーティーを開き、子供たちを楽しませてくれました。 ご存知かと思いますが、今、ボリビア国は政府とサンタクルス州との間で、新憲法と州自治権をめぐる問題を抱えています。また、経済状態も悪化の一途をたどり、日々物価は上昇、市民の生活に大きな影響を及ぼしており、ここオガールでも政府からの食品の補助の増加がないため、私たちは、言いようのない不安を抱き、小さく弱いものが真っ先に犠牲になることに対して憤りを感じています。これが、ここボリビア国の現状ですが、すべてをいつくしまれる父なる神に信頼し、皆様の支援に励まされ、私たちに託された人々と共に、神の国のために力を尽くしていきたいと思っております。 さて、この度、私どもの願いを聞き入れてくださり、コンピューター購入のため、ご寄付くださったこと、感謝申し上げます。毎日のように官庁関係から子供の状況報告などの書類の催促がきており、今日は、ベテランのソーシャルワーカーであるミルタさんは、午後4時(勤務は、午後1時までです)まで残業して、提出書類を用意しておりました。コンピューターのおかげで、彼女や事務員の仕事もはかどることと思います。本当にありがとうございました。 それでは、感謝の気持ちを添え、皆様のご健康とご活躍をオガールファティマ共同体一同、心よりお祈り申し上げます。どうぞ、これからも私たちのかわいい子供たちを見守り、私たちの活動を支え、励ましてくださいますようお願いいたします。 2008年4月12日 シエラレオネからのお便り(ルンサにて)御聖体の宣教クララ修道会 シスター根岸 美智子
愛する後援者の皆様暑い、暑いアフリカより復活祭のお祝い、そして新入学、新入社など人生門出を御家族の内でなさいました方々にお祝いを申し上げます。皆様お元気でいらっしやいますか? こちらで一年のうちで、一番暑い月と言われていますのは4月、5月です。そして水不足も深刻になるのがこの頃です。と申しますのは、10月から始まった乾期が半年を迎え、そろそろ終りを告げる頃だからです。まだ今月は一度も雨が降りませんが、この月には一度か2度雨が降りびっくりさせられます。枯れています草が緑を一度でふきかえします。でも今年はまだです。気温が上がり、ぎらぎらと犬陽のもと燃える暑さといえましよう。乾期の終りを喜ばせるのはマンゴです。マンゴがおいしく実るのはこの月です。でもどうしたことか、今年は数が少ないです。マンゴは、雨が降ると駄目ですが、雨が降らない時はとても甘く、空腹の子供たちは、5個7個と頂いて、うれしそうな顔を見せます。 現在こちらの問題は、普通乾期には刈り入れされたお米が安くなるのですが、今年はどうしたわけか輸入米しかなく、しかもものすごく高く、例年より 1袋1500円位高いのです。これは深刻な問題になっています。戦争で家を失い、フリータウンなどに逃げていった農民が家を反乱軍に焼かれ、村に帰っても家がない、そこで農地も荒れ放題、国内のお米は間に合いません。このため大部分を輸人米にたよっていますから大変です。お給料は全く上がりません、ましてやお給料が頂けるのは国民の数パーセントだけです。そこで相変わらず飢えが続いています。 私たちの給食も深刻な問題を抱えています。小学校は今まで世界食糧機構からブルゴとか油を頂いていました。それが今年からは大きな小学校にはあげられないと、完全にカットされてしまいました。原因は解りません。背後には腐敗に絡んだ色々の問題があるようです。もし、本当なら、生徒の食料に関するだけに、残念なことです。私たちは日本からの支援で給食を続けてきましたが、この価格の高騰には四苦八苦です。特に支援のない男子校にまわしていたブルゴがカットされたのは厳しいです。どうぞお祈りくださいませ。アフリカの貧困はいろいろ原因がありますが、指導者の多くがまだ国民の幸せのために専念できないのは、残念に思います。新しい大統領に皆が期待していますが、やはり一人では時間がかかるでしょう。雨期はさらに厳しい食糧不足になりますので、ただ神様に信頼しお祈りするのみです。 さて、4月末に私はパスボートの期限が切れますのと、持病の糖尿病の検査、またその他の健康診断も必要のため、日本に短期間帰ることになりました。異常なければ6月末には戻らなければなりません。その短い間に皆様にお会い出来ましたら、本当にうれしいです。 2008年4月14日 コンゴからのお便り(ブラザヴィルにて)マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター高木 良子
主のご復活のお喜び申し上げます。皆様にはお変わりございませんでしょうか。毎年“カトリック生活”、“あけぼの”の雑誌を送って下さり、有り難うございます。いつも楽しみに、興味深く読んでおります。情報豊かな世界になり、共通した多くの問題が、日本の雑誌からもうかがえます。特に子供の教育はこれからの大きな課題のように思えます。家庭の大切さ、大人ひとりひとりが問われているようです。コンゴ共和国も同じ問題です。 今日は雑誌のお礼まで。お祈りのうちに。 2008年4月21日
ハイチからのお便り(カパイチエンにて)レデンプトリスチン修道院 飯村 シスター飯村 美紀子
日本カトリック海外宣教者を支援する会の皆様+主は常に賛美されますように! 私共への愛ゆえに偉大な力で復活なさいました主を称えて、既に今週は5週目に入りましたが、事務局の皆様はお元気にお過ごしでいらっしゃいましようか? 先日は、「きずなNo.102」 及び 「カトリックせいかつ」誌等をお送りくださいまして、心から感謝致しております。 こちらハイチは、物価の上昇に伴い、人々は更に困難な生活を強いられておりまして、3月末 から4月にかけて、ついに人々は暴動化し、町は一時外出来ない状態になりました。多くの商店も放火や投石などに逢い,大変な被害を蒙りました。唯一の国道も閉鎖されまして、物資が入荷しなくなり、私共の住んでおります町でも、ちょっとパニック状態になりましたが、幸い現在は落ち着きましてほっとしております。世界中を駆け回るこの物価上昇が、一日も早く落ち着きますことを願っております。貧しい方たちは、毎日修道院に助けを求めてやってまいります。 間もなく聖母マリア様の月を迎えます。聖母マリア様の御保護が事務局の皆様の上に豊かにございますようにお祈り申上げております。 2008年4月21日
東ティモールからのお便り(ディリにて)日本カトリック信徒宣教者会 佐藤 邦子
「共に生きる」ことへの挑戦いつも「きずな」を東ティモールの首都ディリで受け取ります。そして、海外で宣教されていらっしゃる方がたのレポートを読んでは、励まされています。 東ティモールに派遣されてから早、2年4ヶ月が経とうとしています。カトリック信徒宣教者会の研修時代にいろいろなことを学んだ中で「共に生きる」とはどういうことなのか、そしてどのように実践できるのか、というのを常に心に思ってきました。しかし、いざ現地においてさまざまな生活習慣の違い、不安定な治安状況、そしてなにより東ティモールの人たちと自分との感覚の違いなどに毎日ぶち当たっていくうちに、「共に生きる」ということがわからなくなってしまったこともありました。 私は東ティモール医療友の会(AFMET)のコーディネーターとして派遣され、東ティモールのローカルスタッフとティモールの人たちのために医療活動をしてきました。しかし、この事業を通して一見うまくいったかな、成果が少し現れたかな、と思ったとたん、ローカルスタッフとのトラブル、そして、治安の悪化による行動規制など、一歩前進して二歩さがって、と私自身の課題もそのような気持ちでした。しかし、こうしてふと振り返ってみると、まだまだ私はなにもわかっていないのではないか、という思い出いっぱいです。 たった2年4ヶ月でなにがわかるのですか?とこの「きずな」に掲載されている方々に思われるかもしれません。自分なりに日々の出来事をとおして、どれだけ神様にお任せし、そして私はなにもできません、と祈りの中で叫んだとき、思いもよらない力がわきあがる、という経験をしてきました。それは必ずしも活動が成功した、ということではありません。それより、私が携わる人々と心が通い合う瞬間があったとき、より鮮明にこの派遣は神様からの贈り物だった、と思うことができるのです。 3年目を迎えたこの東ティモールの派遣にともなって、さらに私はなにもできません、と神様にすがることができますように、そして、心からティモールの人たちと共に生きる、ということを見出すことができますように、この大自然の中で祈りたいと思います。 2008年4月某日
チャドからのお便り(ライにて)ショファイュの幼きイエズス修道会 シスター大和 ひろみ
海外宣教者を支援する会の皆様へ お心のこもったカード、カレンダー、そしていつも私たちを支えて下さっている皆々様に心から感謝申し上げます。 日本ではほとんど報道されなかったようですが、1月30日から2月にかけて内戦が起こり、今までも度々繰り返されていたのですが、この度は首都ンジャメナまで反政府軍が押し寄せ、ンジャメナのシスターたちは大変な体験をされました。フランス軍のベースキャンプに泊まり、軍用機でガボンに向かい、その後、エールフランスで総本部に避難するという事態にまで至りました。 3週間後、少し落ち着いたところで、帰られましたので、シスター・グラツェと私でンジャメナを訪問いたしました。無惨に破壊された建造物、たくさんの死傷者がでたンジャメナの町々を見て回りました。おびただしいフランス軍、政府軍のトラックが行き交い、街の様子がすっかり変わっていました。3月半ばまで厳戒態勢が全国にひかれ、夜間の外出禁止など南に住む私たちもしばらく緊張が続きました。 反政府軍の首謀者が捕まり、数日で停戦になったのですが、再びの反乱に備えて、ンジャメナ周囲20キロに穴を掘ったり、メイン通りの大木を切り倒し、見通しを良くしたりと、過剰反応と思える政府軍の行動に驚いています。現政府に不満を持つ人も多いようですから、まだまだ不安です。 実は、皆様からのお便りも、そんな事情からか分かりませんが、3月半ばにいただきました。仁川本部からの連絡で、皆様がお祈りで支えて下さっていたことを知り、心から感謝いたします。 学校の復活祭休暇がいつもよりずれて、4月7日から始まりましたので、筆無精の私もやっとペンを執りました。日本は新年度が始まり、その他の職場も一番お忙しいときでしょう。新しい年度、神さまの愛と平和、喜びと恵みが、皆様の上に満ち溢れますように、心からお祈りをいたします。 2008年4月15日
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