カンボジアからのお便り(コンポンルアンにて)日本カトリック信徒宣教者会 高橋 真也
先月末は『水祭り』で、カンボジア各州での予選を勝ち抜いて来た精鋭たちが、一斉にプノンペン(首都)に集っての『ボートレース』が行われました。3日間で120万人以上の人がこのレースを見学に来ました。私は人でごった返すプノンペンを避け、家でゆっくり連休を過ごしました。さて今回は、先月より始めた『里親制度』についてお伝えしたいと思います。 ☆『奨学金支援』から『里親制度』へ 水上村出身の貧しい子どもたちが、都市へと出て職業訓練などを学ぶ際、私たちは奨学金による支援を行ってきました。今まで、裁縫や刺繍の職業訓練を学ぶ生徒、遠くの水上村からコンポンルアン水上村の教会識字教室へと学びに来た子どもなど、あわせて6人の生徒たちに奨学金を出してきました。 奨学金をもらって、ちゃんと職業訓練校を卒業した子もいれば、健康上の理由、学校の友達との上仲などで、途中で勉強をやめてしまった子もいました。勉学を続けられるようにと、生徒とその家族を経済的に支援し、励ますのがこの『奨学金支援』ですが、なかなかこちらの願い通りに勉学を続けられるような生徒は少ないというのが現状です。 私はこの『奨学金支援』を、日本にいる方が水上村の子の育ての親になって、奨学金を支援するという『里親制度』に発展させたいと、ずっと前から思っていました。もちろん今までの奨学金も、カンボジア福祉基金藤沢(カトリック藤沢教会)の皆様、支援して下さっている皆様の寄付金から支出させて頂いていましたので、日本の方が支援して下さっていることは間違いないのですが、もっと水上村の子どもと日本で支えてくれる方同士が、顔の見える、深い関係で結ばれると良いなと思ったのです。奨学金をもらう生徒にとっても、JLMMという団体がお金を出してくれていると感じるよりも、その子個人のことを想い、助けたいと願う個人や家族が支援をしてくれていると感じた方がきっとうれしいだろうし、勉学を続ける励ましになるのではないでしょうか。 でも、里親制度を始めるという第一歩を踏み出すことが、なかなか出来ずにいました。それは、手紙の交換などを含めた事務作業の多さを私一人でこなすことが出来るかどうか上安でしたし、何より、里子になる生徒が今までのように途中で学びをやめたらどうしようという心配がありました。また、半年や一年という継続した支援にはお金もかかり、決して少なくない額の支援をして下さる方が本当にいるのかどうかも分かりませんでした。そんな悩みの中で、始めるのをためらっていた里親制度でしたが、一人の方が、私の背中をポンと押してくれました。その方は、私が「里親制度を始めたい《と思っているなんてことは全然知らなかったのですが、私に下さった手紙の中に「カンボジアの子どもを里子にして支援をしたいと思っているのだけれど…《ということを書かかれていました。その手紙を読んで、「私がこれからそういった支援を始めますので、ぜひ里親になって下さい《とお返事をし、その方が一人の女の子の里親になって下さることを引き受けて下さったことで、里親制度が動き始めたのでした。 公立小学校で友達と共に学ぶンガーさん(一番右) ベトナムの刺繍技術を学んでいるヤンさん そうして先月里親制度を始めました。まずは二人のベトナム人の子どもの支援から始めることにしました。一人は遠くの水上村から親元を離れて、教会識字教室へと学びに来たンガーさん(15歳、女性)。彼女は今年の10月から、識字教室を卒業して、公立小学校の2年生に入学することが出来、今も学びを続けています。昔はおとなしかった彼女ですが、最近は友達も増えました。 もう一人の子は、去年から支援を続けてきたヤンさん(17歳、女性)です。彼女は、水上村から遠く離れた、バッタンバンという都市で刺繍の職業訓練を受けています。彼女も、ンガーさんと同じ水上村の出身です。彼女は今まで、健康上そして家族内の理由から、2、3度、途中で学びをやめていました。しかし、バッタンバンで面倒を見てくださっているベトナム人シスターは、「彼女はとても素直で、勉強の意欲もあり、刺繍の覚えも早いので、やめさせるのはもったいない《ということで、復学を許してくださっていました。私は再び職業訓練に復帰していた彼女を里子として選ぶことに決めました。 ヤンさんを里子に決める前に、私はヤンさんの両親から、「子どもの勉学を続けさせる。途中でやめさせない《という約束を頂いていました。今までは漁の忙しい時期になると、両親はヤンさんを呼び戻し、家で漁の手伝いをさせていました。そういったことがないように、里親からの支援によって、少しでも家族の経済的な負担を軽く出来るようにしているわけですので、やめてもらっては困ると、両親に伝えました。両親も紊得してくれたので、里親になってくれる方への呼びかけを始め、多くの方が手を挙げて下さいました。一人の方を里親として選び、奨学金の支援、手紙の交換などが始まりました。 そして先日、水上村に、バッタンバンの学校から久しぶりにヤンさんが戻って来ました。ベトナム人シスターが、用事があって水上村を訪れるのに、一緒について来たようです。ヤンさんは、「里親への手紙を書いたから、日本へ送ってね《と、手紙を手渡してくれました。その中には、里親への感謝と、勉学を続け、将来的に家族を助けたいとのことが書いてありました。私はとても幸せな気分になりました。 ところが、その次の日のことです。ヤンさんのお父さんが遠い水上村から私の所にやって来て、申し訳なさそうな顔で、「まさや、ヤンをしばらくの間休ませたいんだけど…《と言うのです。すぐにその場にいたベトナム人シスターや神父さんを呼んで、話し合いの場を持ちました。彼は、「今は魚がたくさん取れる時期なのに、家にはだれも漁を手伝える人がいない。ヤンが戻って来てもらわないと困る《と言うのです。私を含め、いろいろな人があの手この手で説得を試みましたが、彼は考えを変えるつもりはないようでした。こういうことが起きることを、ある程度想定していたので、家族への経済的な支援を提案してみましたが、彼女がいることで得られる漁からの収益と、私が提示した支援の金額との差は大きく、この問題を解決することが出来ませんでした。 説得に当たっていたみんなは、いろんなことを言うものの、結局最後は親が判断して決めるしかない問題だと分かっていました。子どもを育てる権利を持っているのは、このお父さんなのです。彼が「やめさせる《と言ったら、みんないろいろアドバイスは出来るけれども、親を無視してヤンさんを引き取りなんてことは出来ません。みんなブツブツ言いながらも、最後は親が決めたことに従うしかありませんでした。ヤンさんの父親は、「2月に入ったら、また職業訓練に復帰させるから《と、みんなの前で約束しました。私はその言葉を信じて待つしかありません。 そんな話し合いの場に、ヤンさんも立ち会っていました。彼女は一人突っ立ったまま、みんながあれこれ言うのを黙って聞いていました。私は話し合いの途中で、「ヤン自身はどう思っているの?勉強続けたくないの?《と聞いてみました。彼女は、「続けたいわ。でも…《と言葉を詰まらせ、その後はっきりと、「でも、お父さんを手伝わなくてはならないと思う《と言いました。 彼女は、上平の言葉を一切言いませんでした。まだ幼さの残る彼女の言葉の中には、置かれた環境、運命の中で生きていく他ないのだということを理解し、受け入れている『強さ』がありました。忍耐と従順を兼ね備えた彼女の姿の中に、『愛』を感じることが出来ました。 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 (コリントの教会への手紙1 13章4~5節) 涙を堪えながらも、はっきりと意思表明した彼女を見て、ベトナム人シスターは、「ヤンは優しすぎるのよ…《とポツリとつぶやきました。 2007年12月3日
チャドからのお便り(ンジャメナにて)ショファイュの幼きイエズス修道会 シスター有薗 順子
クリスマスと新年のおよろこびを申し上げます。2008年も神父様をはじめ、事務局の皆様、私たちを支援してくださる方々の上に神様の恵み、よろこび、平和などがありますよう、心よりお祈りいたします。いつも変わらないご支援をいただき感謝に堪えません。 当会のご支援によってガール・スカウトたちも成長して参りました。私の方が彼女らの後からついていくような状態になり、少々心配することもありますが、彼女らに信頼すべきでしょう。 現在、事務局専任のクローディヌ夫人は、ライ教区に出張し、エイズ研修会後の様子、状況をうかがうために留守です。 今後の活動計画として、次のようなプロジェクトを目下検討中です。それは、学校に行かない難民キャンプ婦女子のうち6歳から17歳までを対象として、Gore の4ヵ所の難民キャンプで4年間にわたり、生活指導を行い、生命の尊さや手仕事などの面で指導を行うというプロジェクトがイギリスのガール・スカウト世界連盟から提案されているからです。ここのキャンプは中央アフリカからの難民を対象としたものです。できれば、私も休暇を利用して、1ヵ月間でも働きたいと思っています。 さて、チャド西方では、また相当な戦いが続いていて、2・3日前は300吊ぐらいの政府軍死傷者が出て、病院に収容しきれず、ニジェールの病院にも運ばれたとか、残された家族、婦女子の苦しみはどのようなものでしょう。今後、反政府軍は、政府軍に加担しているフランス軍とも戦うと言っています。反政府軍が強力になってきているようです。アベシエの80kmの所まで、戦場になっていて、多くのNGOはまた引き揚げました。“ミドリのサヘル”、“JICA”の判断は良いことでした。 大変長くなりますが、神戸のシエロさんという方が、41年間、カメルーンの大学で毎年2ヵ月くらい講義をしておられ、その方が昨晩ここに一泊されました。このシエロさんによりますと、チャドのニュースは日本にまで伝わっていないとのことですので、フランスの“ZOE”というNGOのことについてお知らせします。 この“ZOE”という団体の数吊が、3週間くらい前に、ダルフールとチャドの年少者103吊を飛行機で連れ出そうとしているところを差し止められました。この人々は、父兄に“学校に行かせる”と言って集め、出発前は、傷もないのに、あちこちに包帯をして、飛行機に乗せようとしていました。フランスでは里子、または養子にしたい多くの家族が、相当なお金を支払って、待っていました。チャド側にもこれらの人々に協力している者がいるようです。現在、チャド人5吊、フランス人6吊がンジャメナで監禁され、裁きを待っています。チャドの人々は人権に反するとして、デモなどを行い、車を焼いたり、乱暴を働いたり、白人を見ると、子供泥棒などと言います。 色々な問題、困難は生きている人たちのもの、これらは生みの苦しみで、その後、平和が訪れるでしょう、と言われた神父様がおられます。平和の君を待ちながら、一日一日を奉献して行こうと、心を新たにしました。ともに世界のために、今年も祈り続けて参りましょう。 2007年12月6日
ボリビアからのお便り(サンタクルスにて)宮崎カリタス修道女会 シスター立石 順子
† 主の平安地の果ての南米ボリビアの地より、一足早いクリスマスと新年の祝詞をお届けいたします。 平素は、当修道女会に暖かいご支援をお寄せくださり、ありがとうございます。特に最近は、ボリビア地区(コチャバンバ)子供支援センターの濾過冷水器装置工事費のご援助をいただき、ありがとうございました。お陰さまで工事もすでに完了し、健康的な水を毎日、安心して使用させていただいております。完成の写真が準備できず、残念ですが、本当に立派なものをご支援いただいたものだと、いく度も感謝の言葉を口にしております。 子供たちはもちろんのこと、共に働く姉妹たちも健康への心配から解放されましたが、ここボリビアの社会情勢は非常に悪く、暴動やデモが頻繁に起こり、上安な状況の中にあります。貧困が、人の心を蝕んでいるのだと思います。来る主のご降誕が病める人々の心に平安をもたらしてくださるように祈っております。 実は、この度、日本へ一時帰国する予定でありますので、是非、貴会の事務局をお訪ねしたいと思っております。 それでは来るクリスマスと新年を迎えられるに当たり、神様からの平安と喜び、希望が善意の皆様の上にゆたかにありますように心よりお祈り申し上げますことをお約束して。感謝のうちに。 元気でクリスマスを迎える支援センターの子供たち 2007年12月14日
パラグアイからのお便り(エンカルナシオンにて)聖霊奉侍布教修道女会 シスター林 静子
† 主の平安! ローシャイタ神父様、会の皆様 クリスマスと新年おめでとうございます。 お元気でいらっしゃいますか。先月、浜尾枢機卿様がお亡くなりになったニュースをカトリック新聞で拝見しました。謹んでご冥福をお祈り申上げました。おミサも捧げました。 同封の写真は2007年10月28日に受洗された老夫婦の記念に撮ったものです。日本語のお分かりになる神父様がドイツに休暇でお帰りになったので、洗礼式は通訳付きでいたしました。おばあ様が「自分たちは何時天国に召されるか分かりませんので、洗礼は速い方がよいです《とおっしゃるので、公教要理は早めにして、洗礼を受けて、とても喜んでおられました。初聖体はクリスマスにクルッカ神父様がお帰りになって、合同クリスマスがピラポでございますので、その時に受けることになりました。シスター金永も宜しくと申しています。 ではまた、お便りいたします。聖霊のおんいつくしみによりて。 私たちクリスマスを前に洗礼を受けました 2007年12月17日
ブルキナファソからのお便り(ボボ・ディウラッソにて)マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター黒田 小夜子
いつもありがとう。 ブルキナファソ栄養失調児センター 2007年12月25日
チャドからのお便り(ライにて)ショファイュの幼きイエズス修道会 シスター脇山 ミキコ
ローシャイタ神父様、会の皆様クリスマスと新年おめでとうございます。 12月17日にライの共同体に戻ってまいりました。滞日中は「きずな《の25周年の記念講演会に参加させていただくなど、いろいろとお世話になりました。カトリック新聞に記事にして下さっていましたので、フランスの総本部やチャドの各コミノテの姉妹たちが読んでおられて、とても喜んで下さいました。私にとっては、気の重いことだと思って、少々悩んだりしたのですが、それは自愛心の傲慢のためであると、よく分かりました。口でたびたび神さまのお望みになることを、お望みの時に、お望みのところで、行うことができますようにと言うのですが、自分がよく見てもらうようにと望んでいることも分かりました。 チャドでのミッションが本当に神さまのお望みの通りに、できますようにと祈っておりますが、皆様のお助けがなければ、何もできないこともだんだん分かってきたように思います。 すべてを与えられるために、人となられたイエズス様に本当に倣って、生きることができますように、お祈り下さいませ。私も皆様方恩人のために毎日の小さな祈りですが、お捧げいたしております。 2008年にもよいお便りを差し上げることができますようにと、願いつつ、今日一日、心を尽くして、生きて参ります。 チャドに真の平和が一日も早く来ますように、お祈りして下さいませ。 2007年12月28日
ボリビアからのお便り(サンタクルスにて)宮崎カリタス修道女会 オガールファティマ乳幼児院・修道院 シスターズ一同
親愛なる皆様、いかがお過ごしでしょうか?ボリビア国、サンタクルス市、オガールファティマは、太陽の光がサンサンと降り注ぐ、夏本番にクリスマスを迎えようとしております。 こうして皆様への感謝の心こめて、クリスマスと新年のご挨拶を送ることができますことは、私たちにとって喜ばしいことです。去る年には、オガール、ボリビア、そして世界でさまざまなことが起こり、喜びと涙を分かち合いました。先日、年長の子供たちが、オガールの庭で実ったココの実を楽しみました。堅いココの殻が割れると、大歓声を上げ、かわいらしい手に、ココの白い果肉が配られると、満足げに平らげてしまいました。このよに、にぎやかに、そして感謝の内に暮らしております。神様の恵みと皆様の暖かい励まし、そして何より、子供たちのために支援したいとの善意が、オガールファティマを維持しているといっても過言ではありません。本当にありがとうございます。 新しい年も気持ちを新たに、私たちに託された、小さく尊いいのちを守り、はぐくんでまいりたいと思っています。どうぞ今後とも、ご支援くださいますよう、心からお願い申し上げます。 また、この年が、皆様にとっても神様の恵みと祝福が充満した、実り豊かな年でありますよう、お祈り申し上げます。
2007年12月某日 中国からのお便り(マカオにて)聖保祿考女会 シスター金崎 ハル
2007年、今年は大変よい年でした。皆様の善意による大きな支援をいただいて、私の心に重くのしかかっていた仕事が片付き、こんな嬉しいことはありません。 神父様と皆様の上に主の豊かな恵みと喜び平和がいつもありますように。祈りのうちに。 2007年12月某日 パラグアイからのお便り(アスンシオンにて)聖霊奉侍布教修道女会 シスター山田 雲江
海外宣教者を支援する会の皆様皆様お一人ひとりの手のうちに贈られるキリストの命の祝福が皆様のご家族と、またつながりを保っている全ての方々にも豊かに恵まれ、新しい年がよりよき年でありますよう、お祈りいたしております。 このご挨拶を通して『きずな』を25年間送り続けていただいておりますこと、特に係の皆様のご奉仕を心から感謝したします。このご挨拶とお礼を書き始めましたところ、家族から浜尾枢機卿様が逝去されましたので報せますとファックスを受け取りました。移住協議会当時からローシャイタ神父様、また先に召されていらした梶川神父様共々、私たちにとって本当に心身共に宣教者としてだけでなく、人として、また信徒として励ましを受け、支えられてきましたことを、なつかしく心から感謝のうちに思い出しています。 イグアス移住地へのご来訪…電気の明かりも何もない暗い道路でお迎えし、「よくこんなに遠いところまで訪ねてくださって…家族だって出来ないことを…《と言いますと、「これは神さまの宣教師に対するお心づくしなんですよ!《と肩をたたいてくださったことを昨日のことのように思い出します。 浜尾枢機卿様とご一緒にいらして下さったローシャイタ神父様にも心からお礼申し上げます。また、その当時から『きずな』を通して豊かな恵み深い体験を分かち合って下さっている宣教者の方々、『きずな』とのつながりで励まし、支えて下さっている会員の皆様にも心からお礼を申し上げながら、ペンを置きます。 浜尾枢機卿様の永遠のご安息を祈りながら。 クリスマスと新年のおよろこびを申し上げます。 「神さまの命(幼子イエズス)の贈りものは、すべての人の手のうちにある。《 2007年12月某日 チャドからのお便り(ギダリにて)ショファイユの幼きイエズス修道会 シスター入江 多嘉子・日置マリエ
海外宣教者を支援する会の皆様へ主のご降誕と新年のお喜びを申し上げます。 もう一度創立25周年おめでとうございます。事務所移転と重なり、多忙の年ではなかったのでしょうかと思っております。 チャド共和国ギダリ共同体は4月にシスター日置 マリエを迎えました。彼女は2年間ンジャメナの宿泊センターで語学勉強も兼ねて、派遣されていました。私と一緒にギダリ診療所で働いております。 チャドも世界環境の変化にもれず、季節のわりには暑い日々を過ごしています。今年は雨期に雨量が得られず、食料、水飢饉の話がすでに出ております。乾期到来とともに、東の方ではまた戦争が始まっています。私の住んでいる所はかなり離れているので、ご心配なく。ただ、行政面で支障が出ています。毎年行われる小児麻痺予防接種キャンペーンのために動かされる車の調達がむずかしくなってきて、国から派遣される監視役人たちが以前に比べて減ってきています。 戦争に使われるお金はどこからきているのかしらと思います。どうぞチャドの平和のためお祈りをお続け下さいませ。 皆様お一人ひとりの上に神さまの豊かな祝福が注がれ、必要な恵みが与えられますようお祈りいたしております。 祈りと感謝のうちに。 2007年12月某日 ブラジルからのお便り(イヴォティにて)聖マリア在俗会(旧称:聖母カテキスタ会) 高田 照子
海外宣教者を支援する会の皆様† クリスマスと新年のご挨拶を申し上げます。 『きずな』100号記念号を拝見させて頂きました。この25年間、いつも、いつも心にかけていて下さったことを改めて感謝申し上げます。また、カレンダーなどにも心を配って下さり、ありがとうございます。カレンダー1部を私が働いていますカシヤス大学の教室に掛けていました。日本の四季の風景だったのですが、年末、教室に入ったところ、なくなっていました。もう年末なので、要らないだろうと思って、誰かが持って行った様子です。(こんな事めったにないのですが)もう1部はコロニアの日本語教室に掛けておきました。むかしから童謡と子供たちの絵が描かれていて、子供たちも、私も、お母様方もとても喜んで見たり、歌ったりしておりました。 昨年、当地方、リオ・グランデ・ド・スール州の日本人移住50周年で、その記念の祭典がポルト・アレグレにおいて盛大に行われました。その時の日本文化の展示会場で生徒たち(ほとんどがブラジル人)に私は折り紙を展示いたしました。「おひな様《一式と小さい花の額、小物、サッカーボールなどは生徒が折りました。ブラジルの国旗も小さな鶴を折り下げて作りました。 そうそう、後になってしまったのですが、3月5日にローシャイタ神父様の弟様ドン・イヴォ・ローシャイタ司教様がお亡くなりになられたのですね。こちらのテレビで知りました。ブラジリアで一度お目に掛かり、写真を撮らせて頂きましたが、時々思い出しておりました。私にとって一つの大きな力ともなっていたからです。心からお悔やみ申し上げます。 では新年も皆様にとってよい年でありますように、お祈り申し上げて、失礼いたします。 2007年12月某日 カナダからのお便り(モントリオールにて)師イエズス修道女会 シスター原田 昌子
2007年12月某日 ペルーからのお便り(リマにて)宮崎カリタス修道女会 シスター川端 キヌエ 他姉妹一同
2007年12月某日
ケニヤからのお便り(ナイロビ・ソウェトにて)神言会 司祭 佐藤 新
海外宣教者を支援する会の皆様年の瀬も迫り、ますます忙しい毎日を過ごしていることと思いますが、いかがおすごしでしょうか。今年は長~い夏休みをもらって、日本に帰ったこともあり、本当にあっという間だった気がします。管区の仕事とソウェトの小教区の司牧活動、どちらも盛りだくさんで、充実しております。 ソウェトの教会も、皆さんのお祈りと支えのおかげで、心身両面においてすくすく成長しております。今年は特に、私たちの信仰生活をより一層充実したものにすることに重点を置き、いくつかのセミナーを開くことができました。それらは、祈りの生活について、秘跡の大切さについて、小教区とキリスト小共同体におけるリーダーシップのあり方について、アフリカのカトリック教会のあり方と進むべき方向についてなど、皆で考え、分かち合うことのできる大変貴重な機会となりました。 いつも皆様のお祈りとご支援に感謝しつつ、日本の教会のために機会を見つけてはお祈りしています。 2008年が皆様にとって主の恵みと喜びに満ちた年になりますように。 2007年12月某日
ドイツからのお便り(ケルンおよびデュッセルドルフにて)宮崎カリタス修道女会 シスター一同
押川司教様はじめ皆々様今年一年もお互いが協力し、励まし合い、ともに喜び、ともに祈り、宣教熱に燃え、人々の必要のために、惜しみなく愛の奉仕に尽くしていただき、これらを通して神様に多くのお恵みを頂きました。この一年間、お祈り、ご指導頂きまして心から感謝申し上げます。皆様とご家族の上に神様の祝福が豊かにありますように、また 2008年も皆様とともに主の愛と平和な共同体を築いていくことができますように、お祈り申し上げます。(シスター今村) ローシャイタ神父様 海外宣教者を支援する会の皆様 主のご降誕と新年のお喜びを申し上げます。 幼子キリストの豊かな祝福とお恵みのうちに、よき平和の訪れが神父様と皆様の上にありますよう。心よりお祈り申し上げます。 本年も暖かいご支援をいただきましたこと、心よりお礼申し上げます。いつもお送りいただいている「きずな《で宣教者の皆様のご活躍に鼓舞されています。同時に、支えてくださっている皆様に心からの感謝を捧げています。皆様のご支援で海外において働いている宣教者たちは、物的だけでなく、精神的にも大きな支えを得て、活動できることは、本当に素晴らしく、ありがたいことです。ドイツ・ケルン大司教区で働いている私ども一同、心からの感謝をささげ、皆様のご奉仕の上に主の溢れるお恵みがありますよう、祈らせていただいています。2008年のマリア様のカレンダーも感謝のうちに頂戴いたしました。ありがとうございました。(シスター上村) 2007年12月某日
ブラジルからのお便り(モンテス・クラロスにて)聖心侍女修道会 シスター日高 和子
海外宣教者を支援する会の皆様へ皆様お元気でいらっしゃいますか。こちらは総長と2人の顧問シスターの訪問で、喜びのうちにも忙しく、援助請願をお送りするのが、遅れてしまいました。私の日本語のパソコンも3月に泥棒に持って行かれ、メールを送ることができず、締め切りも迫っているので、ファックスでお送りします。オリジナルは郵送させていただきます。 この写真はアクアレラの子供たちです。この貧しく、苦しみの多いこどもたちが私たちのセンターで喜びと子供の権利を取り戻すことができますよう、幼きイエズス様に祈りつつ、新しい年が私たちにとって大いなる希望の年になりますよう、また皆様のお働きの上に豊かな恵みを祈りつつ。 2007年12月某日
カンボジアからのお便り(プノンペンにて)日本カトリック信徒宣教者会 高橋 真也・淺野 美幸
JLMMカンボジアからクリスマスのご挨拶です。皆様には日頃から温かいご支援、ご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。 私どもは去年からの「ゴミ集積場ステンミエンチャイ(首都プノンペン)《、「水上村コンポンルアン(プルサート州)《での活動を続けさせて頂いておりますと共に、今年から「クナタマイ子どもセンター(シエムリアップ州)《での活動も始めさせて頂きました。 現地の人々と“共に生きる”ことを目指し、これからも励んで参りますので、どうかこれからも応援のほど宜しくお願い致します。 感謝と祈りの内に! 今年も、来年もずっとお世話になると思うのですが、どうかこれからもよろしくお願い致します。(高橋) 神の国がきますように!これからも宜しくお願い致します。(淺野) 2007年12月某日
タンザニアからのお便り(ブコバにて)聖フランシスコ病院修道女会 シスター藤岡 正恵
† 聖主、イエズス・キリストの後降誕!!今年も待降節の典礼を通して、幼児イエズスを迎える時が参りました。 いつも「きずな《をお送りいただき、世界に拡がる皆様の働きに心合わせて、感謝しております。 ご無沙汰しており、失礼いたしました。昨年、支援の会の援助金を戴き、ここタンザニア・ケモンド村の婦女子の裁縫クラスのためのミシンを購入することができました。ありがとうございます。初めは数人の婦人たちに、そして小学校高学年で、卒業後は家の手伝いや、他の町に働きに行く女子に、繕い方から教え、ようやくミシンへと進めてきました。 ところが、初めての足踏み式ミシン。リズムをとることもなかなかで、ようやく基礎縫いに辿りついたところで、故障続き。町中の店にあたって、部品を探しましたが、購入できず、2ヶ月間は手縫いの繕いものだけ。やっと探し出して修理し、再開となりました。 来年の1月の新学期に向けて、簡単なユニフォームを手がけ始めました。マーケットで買ったシャツは、1ヶ月もしないうちに、袖や脇が破れてしまう“シロモノ”なのです。まだ売り物(?)には遠い製品ですが、少々の動きでも破れないシャツ作りです。1枚のために数日かかりますが、来々年には上達することでしょう。小学校卒業だけの女子(学校に行けれは良しですが)のために、古着を利用して材料上足に対応しており、少しずつ人数を増やしていけたらと願っています。 皆々様の祈りをこめた善意に励まされ、この子供たち、婦人たちが育っていってくれたら、村の子供たちが破れた衣朊をいつまでも着ていることのない村になっていくことでしょう。 ご降誕の幼児イエズスを心から待ち望みながら、祈りのうちに感謝をこめて。 2007年12月某日
ボリビア宣教だより(クリスマス号)(サンタクルスにて)聖心侍女修道会 シスター小濱 静子
主の降誕祭と新年のおよろこびを申し上げます。いつもボリビア宣教に関心を示し、お祈りとご協力をくださり、心から感謝いたします。主の降誕祭に当たり神の御子イエズスの恵みと祝福が皆さんの上にありますようお祈りいたします。今後ともよろしく。宣教便りを送ります。
〔ミニミニニュース2007〕☆ 教会巡礼サンファン教会の婦人会は、毎年5月にサンタクルスのコトカの聖母マリア教会の巡礼、10月にサンタクルスの教会巡りをする慣習があります。 サンタクルスは日本の全面積とほぼ同じくらい広大な平野です。大きな河がいくつも流れています。その中で最大の河はリオグランデです。その河を隔てて西が旧サンタクルス、サンインナチオ市外で、北が新サンタクルス市外です。わたしたちの住むサンファンはイチロ郡で、北東にあたります。今回わたしたちは、1泊2日をかけてリオグランデを渡り、旧サンタクルスの世界遺産で、映画“ミッション”の舞台となったコンセプションの教会群を巡ることになりました。 サンファンを午前7時にマイクロ1台に乗り出発。前日サンタクルスでストライキがありましたので、皆少し心配しながらも、ロザリオをとなえつつ、サンタクルスまで無事2時間後到着しました。いよいよリオグランデを渡ります。ちょうどリオグランデの橋の上をサンタクルス唯一の鉄道の貨物列車が通るところでした。日本では考えられませんが、リオグランデの橋は鉄道であり車道でもあります。リオグランデは南米を横断して、ブラジルヘ流れます。 丁度乾季で水は乾上がり、約1.5キロの河巾は広い砂浜と化していました。今年の雨季にはこの河が氾濫したとは思われませんでした。 中国の援助で橋の工事が始まっていました。「これから目的地まで何時間かかりますか《と運転手に尋ねますと、「約4時間《と答えました。みんなの溜息が想像されますね。広大な大豆畑を通過し、サンタクルスの広さを体験する旅にもなりました。 バスの中では、コロニア入椊の思い出や日本へ帰国した思い出話が飛びだして、家庭からの開放感があふれていました。4時間走ると、ようやく第一目的地のサンハビエルに到着しました。 サン ハビエルの町の絵はがき コンセプションの司教座教会 教会の建築も、様式はヨーロッパ式ですが、円柱や祭壇などの彫刻はチキタニアの技法です。博物館の展示品からもそれらがよく分かります。教会の内陣や祭壇などの装飾金箔の厚みから、祭具の種類と豪華さは当時の文化の繁栄をよく物語る証拠品です。しかし、この繁栄は、ポルトガルとスペインの椊民地戦争でイエズス会がこの地方から追放された後、衰退してゆきます。現在の教会は、1987年~1992年にフランシスコ会が宣教を再開し、土の中に埋もれていた倉庫を発見し、その中にあった教会の設計図をもとに修復したものです。現在はドイツのフランシスコ会員が司牧に当っています。それから昼食を近くのレストランでとり、コンセプションヘと旅を続けました。また2時間近く走り、ようやくコンセプションに着きました。予約していたホテルでようやく一息することができました。ここはランの栽培で有吊で、10月の第2週末は世界的に顕著なオーケストラとランの展示即売で有吊で、そのころはホテルも混雑するそうです。 しかし、今回は3週目だったので静かでした。コンセブションの教会は司教座聖堂で、サンハビエル教会より大きく、司教館や教区の事務所や修道院などがあり、またスペイン風の中央広場も市街らしく、ホテルも立派でした。午後7時よりミサがその教会であるので、みんなサンファン産の卵や米、その他のものなどを携えて、教会に出かけました。サンファンの信者さんはミサに与る時、特に巡礼の時には家族先祖のためにミサを捧げる習慣がありますので、ミサ前にお願いすると、ミサを司式なさる司祭は大変驚いて、ボリビアでは初めてと大変喜ばれて、巡礼者一同とサンファンコロニアを祝福してくださいました。 その教会には司教様のお墓がありました。10年前コンセプションを訪問した時には生きておられて、サンタクルスの婦人会と同行した折り、教会の中を説明してくださった方と思うのですが、近くの湖で脳梗塞のため亡くなられたと聞きました。コンセブシオンの司祭たちは、40箇所の小教区を担当しているので、翌朝のミサはありませんでした。 わたしたちは、美しい庭のみえるヴィヤガーデンで朝食をすませて、ランの展示即売店や博物館を見学し、記念写真をとり、帰途の旅に着きました。帰り道、観光ルートに慣れている運転手さんは、近くの有吊なチーズエ場を見せてくださり、家庭の主婦らしい買い物をしていました。 ☆ 出会い それから3時間ほど走ると、ちょっとバードレのところに寄りますからと言って運転手が車を降りました。わたしたちは、運転手の家族がいて、お父さんにでも挨拶でもするものと思っていました。数分間待っていると、運転手が早く降りてきなさいと手招きします。急いで降りて、大きな自然石の間の坂を上ると、風変わりな建物かあり、一人の痩せ柄で元気な老人の男性が目を輝かせて、「日本人、長崎《と叫びながら、走ってくるではありませんか。 わたしたちは初め、呆気にとられて、何がなんだかさっぱり分かりませんでした。そのうち、そこは小さな教会であることが分かりました。45年前にサンファンの近くにあったイエズス会のブエナビスタのミッションで働いておられ、時々サンファン・コロニアの司牧に当っていたスペイン人のラモン神父様でした。サンファンの司牧センター、サンカルロスが出来てから、イエズス会はサンタクルス市内の司牧に専念し、サンファンに来ることはありませんでした。 このパードレも80歳を超え、今は隠居で、このすばらしい景色の場所に黙想の家を建て、悠々自適の生活を営んでいました。 80歳とは思えない程の若さと活気、宣教魂にはびっくりしました。小高い丘の上、眼前にはかなり大きな人工湖があり、水牛が飼われており、日曜日には近くの村民や旅人がミサに来る。黙想を望む人には喜んでこの家を提供し、黙想の指導をする。運転手は観光客を送り、帰りが遅くなったりすると、いつもお世話になるそうで、親しくしているのでした。運転手も日系人に親切をしようと、こんな機会を作ってくれたのでした。 ラモン神父様の家の庭 田島ミサさんとラモン神父様との懐かしい出会い ラモン神父様の家の石を背景に ☆ 足立 チカエさんのロザリオ 足立チカエさんは今年の10月26日95歳で亡くなられた福岡県出身の移民一世の方です。移民してイエズス会の司祭に教えを学び、家族で洗礼をうけた方で、気丈夫な明治時代を代表するような人で、ご主人を尊敬し、嫁や孫さんたちからも愛されていました。特に宣教師や修道者などに対しては大変信頼厚く、わたしたちが家庭を訪問すると、心から喜んでおられました。 ロザリオの家庭集会やその他の時も、家庭祭壇の前でよくロザリオを唱えていました。今年になってだんだん体の動きが鈊くなり、ベッドに就くようになりました。巡礼に行く前危篤状態になり、入院しニグリス神父様から塗油の秘蹟を受けました。わたしはその後聖体を持って見舞いましたが、ご聖体をいただくことはできませんでした。嫁いでいる娘の守田さんは、姉さんがいつも母の世話をして下さるので、せめて今はわたしが看ますと言って、看病していました。わたしは足立さんの状態を考え、巡礼を諦めようとさえ思いましたが、3度目の見舞いの時、足立さんの耳元で囁きました。おばちゃん巡礼に行ってきますから、わたしが帰るまで、天国に行かないでねと。そして、娘さんに何かあったら、漢那シスターに連絡して下さいと言って、わたしは巡礼に旅立ちました。わたしは巡礼の間いつも、足立さんが気になりました。そして聖母マリアに祈りました。 巡礼を終えて、直ぐに足立さんを見舞いました。すると娘さんが、おばちゃんはシスターを待っていましたよと言って、こんな話をして下さいました。危なくなって、夜中に酸素吸入をしようとすると、点滴の管をおばちゃんが握りしめるのです。おばちゃん、これは握ってはいけませんよと言って、よく見ると、おばちゃんの親指が動いているのです。娘さんは、おばちゃんがロザリオと勘違いして、点滴の管をロザリオと思い、まさぐっていると分かり、自分のロザリオを握らせると、しっかりと握り締めて、離しませんでした。 わたしは、元気な時も病気の時もロザリオを唱え、無意識の中にもロザリオをまさぐった足立チカエさんの信仰に感銘をうけました。足立さんはその数日後天国へ旅立ちました。 多くのよい模範とよい印象を残して、苦しい移住の生活の中に立派な信仰を生きぬいた一世の死は、夜空に輝く星のようにサンファン・コロニアの空に輝くでしょう。これも初代のイエズス会の宣教師たちの祈りと犠牲の実りなのかも! ☆ 後書き ボリビアは雨季で、今年は11月から降り出しました。サンタクルスはまた大豆の収穫と米の椊え付けが一緒で、ある人にとっては良い雨であり、ある人にとって悪い雨となります。 神様も困りますね。それより悪いのはストライキです。全国唯一の国道で産業道路を封鎖するために、旅客者も貨物車もすべてお手上げ。その上、インディオ系のモラレス大統領になって、ストライキはなくなっても、デイゼール油がなくて、ガソリンスタンドには昼夜長蛇の車の列。天気になっても、収穫も椊え付けも出来ない。熱帯雨林の伐採で、自然破壊がボリビアでも進んでいます。郵便事情は悪く、12月の習字のテキスト上着、民族主義、貧富の差すべて人間の業。 わたしの庭には今年、サルビアやバラ、百合、グラジオラス、ハイビスカス、などなどが沢山誇り高く咲きました。すべて創造主の業。 シスター竹山はコチャバンバでスペイン語の勉強中です。すっかりコチャバンバがお気に入りで、休む暇もなく、日本語や生け花を放課後教えるやらで、専ら文化交流の真っ最中。使徒たちのタボル山の再体験のようです。目が覚めるとサンタクルスに下山することでしょう。 皆様の上にも恵みが豊かにありますように。シスター竹山からも宜しくとのことです。 2007年12月某日
ボリビアからのお便り(コチャバンバにて)野原 昭子・聖マルティンの家一同
幼子イエズス様は貧しい馬小屋でお生まれになった。貧しく苦しむ人々と一緒にいることを望まれて。 それがクリスマス。 あなた方の中に今日クリスマス。それはあなたたちが私たちと一緒にいてくれるから。 2007年は、聖マルティンの家にとって、忘れられない年になりました。 神様の悪戯でテレビに放映されたことで少々気を害していた私ですが、日本の各地から多くの暖かい励まし、援助を受けたという知らせがエルピス会を通して届き、心改めて、再奮起する力が与えられました。 心からお礼申し上げます。本当にありがとうございました。 紙面でしかお礼がいえないこと、どうぞお許しくださいませ。 1999年から私たちは多くの上便を感じながら、借家生活をしていますが、2件目の借家も大家さんの都合で「来年の出来るだけ早いうちに出て行ってもらえないか《と言われ、途方にくれていた私たちに、事情を知ったアルゼンチン在住の高平ヨシユキ様から、一軒家を買って、寄付して戴くという思いも寄らない大きなクリスマスプレゼントを12月5日に少し早めて贈っていただきました。 引越しを2008年1月4日頃にする予定で、少しずつ荷造りにとりかかっています。下見に子供たちと職員全員で行ったところ、皆すばらしい新居に大喜びです。(写真はこの時のものです) でも、新しい家は20人の子供たちが入るには部屋数が足りず、その上彼らに一番必要なリハビリの部屋(設備を整えることなども含めて)などの増築と、車椅子用に何箇所も改造が必要で、その見積もりを出してもらったところ、1,000万円近くも掛かる予定です。その他、年間約600万円ほど掛かる運営費も忘れられません。 それらのため、2008年2月初旬には、再度その資金集めに日本に帰国し、寄付を集めなければならない状態です。また、皆様にご迷惑をお掛けするかもしれませんが、よろしくお願いいたします。 お詫びと報告 2年ほど前、私は土地を買い日本に建築資金集めに帰国し多くの方々に協力していただきました。しかし、その土地が建築禁止地区であることが後で分かり、次のような対応をしました。 ☆ まず、買った土地の近くの借家に引越し、そこで必要な改造をしました。 ☆ 役所の人は土地を測りにきた時には、施設を建てることを知っており、しかも設計を担当してくれたのは、前市長であったにもかかわらず、何も言わず設計をし、建設許可をもらいに行った時に、許可は出せないと初めて言われた。おそらく金を取るのが目的ではないかと…。 ☆ その時にはすでに、10万個の土レンガも造り、移動の段階でした。 ☆ その土レンガは2年間教会裏の広場で雨に打たれ、これ以上放置できなくなりましたので、今年雨季に入る前に買った土地の周りを囲む塀とブタ、鶏、アヒル、モルモット、ウサギなど(全て食用)の家畜小屋に使いました。それは、食用のために飼っていたモルモットやウサギなど15匹も野犬に食べられてしまったからです。 ☆ また、その土地の管理と、野菜、家畜の世話に一家族を雇い、彼らのための家と、倉庫を作るなど、急遽計画を変更しました。 ☆ その他手術など思わぬ出費が重なり、2年前に戴いたお金はこのように他の方法で使ってしまいましたことをお詫びしておかなければなりません。 ☆ これらについて、必要な方はエルピス会に会計の年間報告をお願いして下さればと思います。 さて、来年11月3日で、聖マルティンの家も10周年を迎えます。それを記念するかのように、1月にはもう障害を持ち、しかも極貧で人間扱いもされなかった子供3人が入所してきます。新しい入所者が来るのは、神様が私たちを祝福している印です。周りは皆心配してくれますが、神様は心配するな!と言われるかのように、私たちを支えて下さる新しい援軍を(テレビ放映という方法を使って)今年約250吊も送ってくださいました。その上、ボランティアの希望者も…。本当に感謝です。 神様の祝福をうけて、2008年が皆様にとってもすばらしい年になりますように。 2007年12月某日
パキスタンからのお便り(ファイサラバードにて)マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター岡野 真弓
クリスマスと新年のお喜びを申し上げます。皆様、いかがお過ごしでしょうか? こちらは12月に入り、急に朝晩が寒くなってきました。最低気温が5度、日中は17~8度位です。短い冬の到来です。 皆様からのご援助により、たくさんの患者さんが助けられていることを、感謝いたします。その中から、一人ご紹介します。 2000年に私が、このセント・ラフアエル病院に来たとき、13歳の少女だったアブダはもう20歳になりました。彼女は腸閉塞で当院に入院し、人工肛門を作って、生命の危機は脱しました。しかし、全身の栄養状態がかなり悪く、数ケ月たっても手術創は癒えず、外科医はさじを投げてしまいました。「家に帰せばその内よくなるだろう《と言うのです。しかし、彼女の家は衛生状態がかなり悪いとのこと。そんなところに帰せば、感染が悪くなるだけ。ただ、このままここに置いておいても、よくなる見通しがない。それで首都イスラマバードの近くにある長期療養施設へ転院させることにしました。 1ヵ月後、その施設から電話が来ました。アブダがガラスで自分の手を傷つけているとのことです。そして数日後、彼女は施設から黙って居なくなってしまい、しばらくして、彼女は当院に現れました。「勝手に先の施設から居なくなって…《と責められると、彼女は「どこにも行かない。死ぬならここで死ぬ《と病院の玄関で大の字になって叫んだそうです。 13歳、学業途中で長期療養を強いられ、なかなかよくならない、人工肛門からは体液と便がいつも漏れてくる…。そんな時間が長かった彼女はいつも上機嫌で、この病院を信頼している、好いているとは、感じられませんでした。しかし、そんな彼女の意思表示の強烈さに私たちは、白旗を揚げてしまいました。その日からこの病院は「彼女の避難所《となったのです。 その後、幸いにもよい外科医に出会い、また彼女自身の体力が少しずつ付いてきたおかげで、傷口は塞がり、正常に排便できるようになりました。 彼女の父が昨年亡くなり、母は痴呆になり、加えて、彼女の姉が再婚に際して置いていった幼女(姪)が彼女に託されました。こうして何の収入もない彼女が、一家を支えなければなりません。 母、アブダ,姪の内、1人でも病気になると、3人で病院に来て、共に「自主《入院します。食事も、清潔で快適な寝具も、彼らの「治療《に欠かせません。1ケ月位して落ち着くと、退院していきます。彼らには治療費を払うお金はありません。他人に頼って生きるしか方法がないのです。所属教会の神父さんに会いに行っては無心します。 お金がもらえないと、そこでヒステリー状態になり、失神することもしばしばとのことです。 ある日、一人のシスターが「あまり他の人を困らせないで《と言ったところ、そのシスターは彼女から30分のとうとうとした説教を聞かされる羽目になったそうです。「もし人を困らせないで生きられるならそうしたい。しかし、これ以外の方法がない。生きるために仕方なくやっている《というものでした。まさにその通りです。 極貧と惨めな生活の中で、小さく縮こまり、話す声を聞くこともなかった彼女の小さな姪は、5歳になり、当病院の関連施設である学校の寮に無償で入りました。今、教育を受けなければ、アブダ以上の困難な人生になる、と考えた一人のシスターの判断でした。制朊を着て、他の寮生に混ざった彼女は、笑うようになり、また思わぬ利発さとリーダーシップを発揮し始めたとのことです。 20歳になり、背も伸びたアブダは痴呆の母を連れて、月1回くらい病院に来ます。以前はその度に、私の心に「どうしていつまでも無料で与え続けなければならないのだろう《と上満が浮かびました。教区司祭は時々、援助しているようですが、医療費までには及びません。しかし、ある主日に貧しいラザロと金持ちの朗読を聞いたとき、「今後は黙って、快く援助しよう《と心が変わりました。彼女は必死に家族を支えて生きているのです。私が十分な教育を授けられ、衣食住に困らないでいるのも、彼女がそのどれにも恵まれないでいるのも、(12月某日) 彼女のせいでもなく、私が何か善行をしたせいでもないのですから。 最近のアブダはこざっぱりした朊を着て、微笑み、1人前の女性に見えるようになりました。 2007年12月某日
タイからのお便り(バンコクにて)聖パウロ女子修道会 シスター阿部 羊子
主のご降誕のお喜びを申し上げます。その後、お元気でいらっしやいますか。お忙しい中にも、暮れ行く年を格別の思いでお過ごしのことでしょう。何時も『きずな』をお送り下さって、ありがとうございます。海外の宣教者仲間との本当の絆ですね。こちらはタイ仏教国、暑さの中で祝うクリスマスです。お祭りや飾り付けるのがだい好きな人々、12月5日の国王様の80歳の誕生日(父の日)をお祝いして、華やかに飾られた街は、引き続き手間と費用を掛けて、ピカピカ荘厳。クリスマス・キャロルが流れ、サンタクロースがやってきて、人々は贈り物をしてクリスマスを祝います。イエス様の誕生日、仏教国でも盛大! おかけさまで私は、3人の姉妹たちと元気に宣教に励んでおります。一番若いシスター・メルシーが院長で、召命活動に邁進。遠慮しないで存分励めるように協力し合ってやっています。シスター・コラは中央広報部の部長を務める神父の助手(特に外交)として大活躍。学校でメディア教育の実践をしたり、本人の希望と職場での必要性もあり、今年からマスコミ修士課程の勉強のため、仕事と大学通いをしたり、一生懸命です。中央機関と私たちとの間の貴重な架け橋でもあります。今年は東京で開催されたSIGNISに参加して、東京女子バウロ会も訪問し、ミサに与り、豊かな体験をして、大喜びをして、帰ってきました。 シスター・ジュリエッタはBooks&Media Center書院の責任を受け持ち、小さいながら、こちらの教会内外において貴重な存在であり、特に取り寄せる洋書も担当し、大活躍。交代で書院も手伝います。企画相談は皆で、私は視聴覚および出版物の制作編集実務の一切を担当。 他に、私個人の日本人へのささやかな活動、あけぼの会(黙想・分かち合い風読書会、月1回で125回になりました)の世話。長崎コレジオの神学生の山岳民村でのボランティア15日間の体験学習の同伴世話役、アジアの風の大学生の山岳村での体験学習の現地コーディネータ一で10日間のお世話役。下見やお世話役をしながらも、こんな機会でなければ入れないような奥地の人々を訪ね、役に立つ物資と共に福音を届けることが出来ます。それはそれは、喜ばれます。また、日本人の信徒たちの相談にのったり、洗礼志願者に教理の手引きをしたり…。タイ国に日本人シスターは2人だけ、バンコクには私1人。出番と霊のささやきがあった時は、姉妹と話し合って、可能な限り応じています。 2人の志願者、アティッタヤー、バリッチャーもフィリッビンでバウロの娘、弟子として、修道会での勉強に元気で励んでいます。帰って来る日を祈りながら、楽しみに特っています。 今年は、泰英語DVD*Pau1完成、劇画聖書の人物物語(合計50人の人物紹介、泰英語訳各5000冊)8巻完了。英語のVocal*CD2枚、ラテン語合唱集CDを発行しました。それぞれ好評です。まとめた注文が入ると、忙しい! 特に視聴覚物は自転車操業。デジタル録音、CDラベル印刷、ジャケットの印刷、すべて家内工場で手作業。今年は点数が増えて、初のカタログも出来ました。他に企画中の物は翻訳が遅れていたり、版権料の交渉に手問取っていたり、内容の検討中だったりで、来年に持越しです。 日本の人口の半分、この広いタイ因に女子パウロ会員4人。4輪駆動ですから、馬力がありますよ。喜びも苦労も共にしながら、多くの人に支えられて邁進しています。最近は起床、就寝時にイエズスの御母、童貞マリア我らを聖ならしめ給えの祈りを唱えながら、初心の熱意を胸に、この年(もうすぐ65歳)になっても燃やしています。11月半ばメニュエル氏病が久しぶりに、またやって来て、動けなくなりましたが、治療を始めて、快復に向かい、感謝のうちに平常通り仕事についていますので、ご安心ください。 お体を大事になさってくださいね。新しい年も神様のお恵みと、聖パウロのお導きのうちにありますように、お祈りいたしております。 2007年12月某日
シエラレオネからのお便り(ルンサにて)御聖体の宣教クララ修道会 シスター根岸 美智子
はるか日本の後援者の皆様今年もあと数日で終ろうとしていますが、今年はいかがでしたか? それぞれいろいろなこと、楽しいこと、困難なことなどありましたでしょうね。無事に今年まで元気で生きられましたことをまず感謝したいと思います。 こちらルンサは乾期を迎え、そして例年のように12月12日には学校祭が盛大に行われました。私たちの修道会はメキシコ人によって創立されましたので、グアダルペ聖母の祝日を祝います。それはメキシコに460年位前のことですが、一人の貧しいインデアンに聖母が出現され、自分の姿をくっきりと彼の着ているマントに印されたと言われています。この物語はきっとクリスチャンの方でもあまりご存じないと思います。私も高等学校時代まで何も知りませんでした。聖母が貧しいインデアンの男に現れ、丘の上に教会を建てるようにと言ったそうです。それを司教に伝えましたが、当時の司教は貧しい男のことは信じませんでした。しかし、親切に、証拠を持ってきたらやりましょうと答えたそうです。 信じてもらえないインデアンは聖母に会うと、私でなくもっと偉い人に頼んで下さいと懇願します。だが、聖母は、私はあなたを選びました、証拠を上げましょうと言って、丘の上のばらを切らせます。それを司教に持って行きなさいと言います。彼は着ているマントにばらを包み、それを持って行き、司教に見せようと、ばらを入れたマントを開きます。すると、司教の後ろに聖母が立たれ、その姿をマントに鏡のように写されたのだそうです。司教はその姿にびっくりし、ひざまずかれ、自分の上信心をわび、早速そこに聖堂が建立されたそうです。 それ以来たくさんの奇跡も起こっているそうです。そのマリアの像は、おそらく唯一つの聖母の写真だと言われています。最近科学者が、もしこれが本物の写真でしたら、マリアの瞳に当時の様子が写っているはずだと、顕微鏡で調べたそうです。その通り開かれた聖母の瞳の中には当時の司教の後姿とインデアンの顔、居合わせた人々の光景が映っていたそうです。その上聖母の着ていたマントの星は当時の天体の星の位置とぴったりだったそうです。上思議ですね。 とにかくこの聖母を保護者に私たちのミッションは開かれましたので、学校もこの吊前を頂いています。そして12月12日はメキシコでは国中あげてのお祝いの日ですが、ここルンサでも学校祭として町中をわかせるわけです。朝の9時のミサに始まり、その後幼稚園、小学校、中学校、高等学校、職業訓練校、と言う順に町中を行進して歩きます。OLGのバンド演奏の中、生徒は声を張り上げ、マーチパスをしますので、町中の人がそれを見物にやってきます。その後、劇や踊りが行われ、年に一度のおいしいお肉の入ったジエロフライス、それに粉末ジュースをビニールに入れ、冷やした飲み物が全員に分けられます。こちらではまさに大ご馳走なのです。その後シスターが工面して集めたプレゼントがくじ引きで配られます。このようにして学校祭は感謝のうちに終るのです。 今年も無事終わり、生徒は大変幸せそうでした。今年の学校祭のご馳走は玉川学園の先生方がご寄付くださいました。心から感謝しました。神様の祝福が皆様の上に豊かにありますように。今年も皆様の暖かいご支援に助けられ、無事終ろうとしております。深く感謝申し上げます。 2008年こそ平和と愛の年となりますように、愛する後援者の皆様お一人お一人の上に神様の豊かな恵みと祝福が注がれますように。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 2007年12月某日
ネパールからのお便り(ガンダキにて)ノートルダム教育修道女会 シスター今村 精子・金谷 美代子
2007年12月某日
ドイツからのお便り(デュッセルドルフにて)聖パウロ女子修道会 シスター比護 キクエ
2007年12月某日
ミクロネシアからのお便り(ポンペイにて)援助マリア修道会 シスター木村 和恵・斉藤 高子
主のご降誕と新年のおよろこびを申し上げます。11月中頃、鹿児島大学の先生たちがポンペイを訪問されました。その一人いわく「ポンペイの子供たちは自然に 恵まれ、いいですね、子供らしい《と。これがずーっと続きますようにとの思いですね。では、よきクリスマスと新年でありますように。祈りと感謝をこめて。(木村) 『きずな』を通して、皆さんと、そして世界で宣教なさっている方々と深く心のつながりを感じます。私たちの宣教は、これといって新しいことはありませんが、こつこつと村を歩く宣教で、人々との関わりは広がっています。この小さな島にも地球温暖化の影響があり、海岸沿いに住む70代の方が10月11日の満月の潮の高さに驚いて、話していました。「こんなことは、自分が生まれて初めてだ。家のそばまで満潮時に潮が入り、部屋がぬれないように、周りに板を打ち付けた。《一度塩水をかぶったタロイモ、パパイヤなどの木は駄目になるそうです。 今、ポンペイには統一教会が入り、盛んに活動しています。人々は統一教会が何か分からなく、ただ日本にただで旅行できることで、その誘いに容易に応えています。カトリック教会では、統一教会が何であるか説明しますが、人々はお金の誘惑に弱いです。40%がカトリック、50%がプロテスタントのこの小さな島の信仰が危機にさらされていることは、他の国々と同じです。どうぞお祈り下さい。 「私はあなたたちと共にいる。わたしのことばは永遠に生きる《というキリストのみことばに希望をおき、人々との地味な関わりのうちに、キリストを伝えています。(斉藤) 2007年12月某日
ブラジルからのお便り(クリチバにて)長崎純心聖母会 シスター田中 綾子・姉妹一同
2007年12月某日
フランスからのお便り(ジョンシィにて)ショファイユの幼きイエズス修道会 シスター青木 文子
2007年12月某日
ブラジルからのお便り(サンパウロにて)宮崎カリタス修道女会 シスター雲田 由喜乃・小下 和代・竹山 みち子
2007年12月某日
ブラジルからのお便り(サンパウロにて)マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター佐藤 和
2007年12月某日
フィリピンからのお便り(ラグーナにて)宮崎カリタス修道女会 シスター浜崎 昌子・姉妹一同
Merry Christmas and Grace-filled New Year 2008! クリスマスの喜びをフィリピンからお届けいたします。 今年もみなさまのお祈りとお心遣いによって、幼子イエスがこどもたち、そして私たちと共におられる喜びを分かち合うことができました。 新しい年もみなさまにとって神の恵みあふれる年になりますよう、感謝を込めてお祈りいたします。幼子イエスとともに。 2007年12月某日
マダガスカルからのお便り(タナナリヴォにて)マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター平間 理子
For a Happy New Year マダガスカルは12月に入り、やっと暑くなりましたが、雨は時々しか降らず、降ると洪水になるくらいの雨量です。 2007年は曾野 綾子様と日本財団の方、また秋篠宮殿下の訪問があり、私にとってもお恵みあり、大いに力づけられました。 こちらは政情が安定しているからでしょうか、日本人の観光客が増えております。2002年からの5年間で道路や街並みもきれいになってきていますが、なぜか貧しい人が増えているように思います。経済発展の裏側もよく見て、救いの手が差し伸べられるように祈っています。 来る年もお恵みの多いよい年でありますようお祈りしております。 2007年12月某日
カメルーンからのお便り(バトゥリにて)シャルトル聖パウロ女子修道会 シスター末吉 美津子
11月も半ばを過ぎ、間もなく待降節を迎えようとしていますが、日本の状況はいかがでしょうか?こちらは雨期の終わりを告げるカミナリ・雨がひどく降り、雨期をしのんでいます。今年の雨期は、雨量が多くて、川の氾らんがあちこちで見受けられ、ぬかるみや穴にバス、トラックがはまったり、穴に落ちて、横転したりしています。ヤウンデまでの道のりでそんな事故の発見をしながら、神さまに目的地まで無事に見守って下さいと祈り、運転をしてきました。 11月17・18日と会議でヤウンデに来ましたので、先日お送りくださいました支援金の領収証をこの手紙の中に同封させていただきます。本当に有り難うございました。来年4月か5月頃に1年間の結果報告をさせていただきたいと思います。と申しますのは、こちらの決算は8月になります。でも、学校関係は3学期の初めの4月には、大体の結果を出すことができますので。それまでお待ちいただけますでしょうか。 神父様を初め、スタッフの皆様方、これからもくれぐれもよろしくお願い申し上げます。 最後にクリスマスと新春のおよろこびを申し上げます。行く年、来る年が神さまの愛のうちに平和をかもし出してくれますように。 (この手紙は2008年1月末に事務所に到着したので、12月分の中で記載) 2007年11月20日
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