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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声

カンボジアからのお便り(コンポンルアンにて)

日本カトリック信徒宣教者会 高橋 真也

暑さが厳しい乾季のカンボジアですが、季節はずれのスコール(どしゃぶりの雨)が最近よく降ります。コンポンルアン水上村のある湖も、水位が上がって来ました。もうすぐやってくる雨季の予感です。
 さて今回は、水上村で新しく始めることになった『浄水プロジェクト』についてお伝えします。

☆きれいな水
自分が活動しているのは、大きな湖の上に浮かぶ水上村です。湖の上に浮かぶ村というと『ひょっこりひょうたん島』のような島を想像されるかもしれませんが、そうではなく、屋根がついている舟の家がたくさん集まって、一つの村となっているのです。水上村の住民のほとんどが、カンボジア人ではなく、ベトナム人です。雨季と乾季で大きく水位が変わる湖ですので、舟の家もしょっちゅう引越しを繰り返します。季節によって、どの辺に村があるのが一番便利かを、住民は熟知しています。ころころ形を変える村を、皆さんは想像出来ますか?水上村は、とても不思議な所です。
 どこに村が移動しようと、解決しない問題があります。それは『きれいな水を確保する』という問題です。湖ですので、水は常に身の回りにあり、無いわけではないのです。『きれいな水』が無いのです。
人が暮らしている限り、毎日たくさんのゴミが出ます。家畜や人間の排泄物、洗剤や油やボートのガソリン、昆虫や動物の死骸などなど…。陸地がありませんので、全て垂れ流しにするしかないのです(ゴミを回収する業者などはいません)。そんな水を水浴び、洗濯、食器洗い、料理や飲み水として使用しているのです!特に自分の活動しているコンポンルアンという水上村は、他の水上村に比べて(カンボジアには大小あわせて300の水上村があると言われています)、1600世帯とたくさんの人が密集して生活している所であり、また水の流れも少ない所ですので、とても水質が悪いのです。
生きるために必要不可欠な水が汚染され、健康に著しい悪影響を及ぼしています。湿疹や赤痢、腸チフスなどが多く、特に水に対する免疫力がまだ無い乳幼児などは、下痢を頻繁に繰り返し、脱水症状に陥いることによって生命の危険にさらされています。住民のほとんどは、沖にある水を汲みに行って、それをさらに明礬(みょうばん)を使ってかき回し、不純物を攪拌して飲んでいます。でもその水は、バイキンが消毒されたわけでもなく、明礬を使っているために胃が荒れてしまう、良くない水です。

どうしたら住民はきれいな水を手に入れられるのでしょうか?「ゴミを減らすキャンペーンを始める」「家庭用の水のろ過装置を配る」「水をきれいにする働きを持つ植物を植えてみる」などなど、今まで様々な方法が頭に浮かんできましたが、どれも実行に移したものはありませんでした…。が、しかし!今月から新しい、きれいな水を手に入れるためのプロジェクトを始められることになったのです。
そのプロジェクトとは、水上村に浄水装置を設置し、湖の水をポンプで吸い上げ、マシーンを使って浄水し、貧困家庭や乳幼児を抱える家庭を対象に、手に入れ安い価格で提供するというものです。また、きれいな水の提供にあわせて、水のよりよい活用法や知識を得るための衛生教育活動も行っていきます。
『きれいな水を確保する』という夢を実現するためのこのプロジェクトに、『海外宣教者を支援する会』や『今井記念海外協力基金』(三菱UFJ信託銀行)が助成金を出して下さりました。皆様からの支援金も使わせて頂いています。まだ浄水装置を設置するための工事を始めたばかりのこのプロジェクト、進めていく上で、大変なことも多いと思います。うまくいかないこともきっとあるでしょう。でもそういったことへの恐れよりも、きれいな水がもたらす恵みの大きさへの期待がとても大きいです。いつの日か皆さんに、きれいな水を手にして喜ぶ、水上村のみんなの笑顔をお伝え出来ればと、夢見ています!


湖は乾季の今、一番水が汚く、藻が浮いています。



そんな湖の水でも、子どもは平気で泳ぎます。



☆幸せ
きれいな水を提供するプロジェクトを始めていく準備として、水上村の家庭訪問調査を集中的に行っています。とても小さく、ボロボロの舟で生活をしている家庭を見つけたら、そこにお邪魔して話を聞くようにしています。現在30家族を訪問してインタビューを行いましたが、いろんな家族がいました。病人を抱えていたり、子沢山だったり、身寄りのない老人が一人で生活していたり…。
 自分が水上村で活動を始めてから、今月でちょうど1年になります。1年関わってきましたが、訪問調査をしてみて得られる、知らなかった事実の多さに驚いています。知識として分かっていたつもりのことでも、実際に語られる言葉として受け止めると、重みが違うことにも気づかされました。多くの家庭が子どもを亡くしています。生後すぐに亡くなったり、3、4歳まで育ったけれど溺れて死んでしまったり。ほぼ全ての家庭が、細々とした網での漁を行っているか、魚の加工などの仕事の手伝いとして働いていますが、漁をしている時に警察や漁業局に見つかって取られる税金にかなり苦しめられています。みんな学校に行ったことがなく、訪問した家族の中での最高学歴者は、小学校2年生でした。「子どもに教育を受けさせたいけど、お金も舟もなく、家の手伝いや小さい子の面倒を見なくてはならないから、子どもを学校にやるのは無理だ」というのが、大半の家族の答えでした。これら全てが、自分が知っているつもりでいたけれど、改めて考えさせられた、
水上村の人たちが抱えている現実です。

インタビューの項目の中に「あなたが水上村で感じる幸せは何ですか?」という質問があります。この質問を設定した時、自分はいろいろな答えが返ってくるのをすごく楽しみにしていました。「生活はくるしいけれど、家族が集まってご飯を食べている時に幸せ」とか、「困った時に周りの人が助けてくれる」とか、そんな答えが返ってくると想像していました。なぜなら今まで自分は実際に、貧しさの中で輝く、家族の絆の深さとか、助け合いの精神とか、そういったようなものを多く見てきたからです。そういうことを幸せに感じているに違いないと、自分の中で勝手に決めていました。
ですが、実際に質問をしてみると、返ってくる答えは「なし」もしくは「お金(収入)があった時に幸せ」という答えばかり。逆にこの質問をしたことで、「こうこう、こういうことが毎日大変なんだ。幸せなんかない」と、不幸せな答えばかりが返ってきました…。わずか1家族だけが「正月に親戚が集まって楽しい」と答えてくれました。あまりにも同じ答えばかりなので、ベトナム語の通訳をしてくれているおばちゃんが、面倒くさくて勝手に答えを作りだしているのではないか?質問の仕方が悪いのではないか?などいろいろ疑ってみましたが、関係ありませんでした。
家庭訪問を始めた最初の頃は「また『なし』か…」とめげていたのですが、だんだん慣れてくると「そうだよね、こんなに大変な所に住んで、楽しいことなんてあるわけないよね。アハハハ」と一緒に笑っている自分がいました。

たくさんの苦労を語り、「毎日食べるものにも事欠いている」とつらい現実を話してくれた後に、「幸せなんかあるか!」と、皆が笑います。不思議なことに、ほとんどの人が「幸せなんかない」と言い放つ瞬間、笑っているのです。みんな、自分には想像も出来ないほどの苦労を毎日しているのは間違いありません。でも、その苦労を嘆いてはいるのですが、どこかでそれを笑い飛ばす余裕があるというか、強さがあるというか。余裕のない生活をなんとか生きていることから生まれてくる、生きていくためのパワーみたいなものを感じました。決して深刻でなく、自虐的でなく、みな不幸せを語るのです。そんな話を聞いていて、自分も、パートナーのラー君も、通訳のおばちゃんも、みんな一緒に笑ってしまうのです。「ここで生活していくのに、幸せなことなんてあるわけ無いよね〜」と。その瞬間、自分は不思議な感覚を覚えました。みんなの『生きる苦労』に共感し、それを笑い飛ばしているその瞬間、幸せに包まれているような気がしたのです!

喜びが集まったよりも 悲しみが集まった方が 幸せに近いような気がする
強いものが集まったよりも 弱いものが集まった方が 真実に近いような気がする
幸せが集まったよりも 不幸せが集まった方が 愛に近いような気がする
(星野富弘の詩)

 生きていく上での苦労は、単純に『不幸せ』と言えないのかも知れないと思いました。苦労に苦労を重ね、その苦労から逃れられず、苦労と向き合わざるを得ない水上村の人たちは、その『不幸せ』を生きるエネルギーとしているような気がします。そんなみんなの生きる姿が、自分の目に『幸せ』と映っているのです。
『幸せ』とは奥が深いものである。人生の先輩である水上村のみんなから学び、つかめたことはたったそれだけです。『幸せ』が何かを悟るには、きっとまだまだ多くの経験が必要です。ですので、皆さんの『生きる苦労』も、ぜひ分かち合ってくださいね!


家庭訪問調査の様子。1家族30分から1時間かけてインタビューをします。



家が小さすぎて入れないこともあります。


2007年05月11日