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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声

ブラジルからのお便り(アマゾン・パラ州にて)

横浜教区 司祭 石川 裕之
「おかげさまで滞伯1周年を迎えることができました」>

愛する皆さま、
 日本は遅い梅雨明け後、猛暑と台風で明け暮れているようですね。はたから見ていますとつくづく忙しい国だと他人事のように眺めております。そして9月に入り、残暑が残りつつも涼しくなってきていることでしょう。何かうらやましい感じです。
昨年8月12日にブラジル到着後、1年が経ちました。この広いブラジルで地理的にも政治的にも中心のブラジリア、南伯のパラナ州、そして現在の北伯、アマゾン・パラ州のカスタニャールとそれぞれ研修、実習をしながら回りましたが、5ヶ所目にて任地がやっと落ち着きました。

《酷暑、炎暑》
 最近は乾季でも時たま降る雨を待ち望むようになってきています。というのは天気が続きますと暑さも尋常ではなくなり、まさに地獄のような酷暑になっていくのです。この日差しに立っているだけで自分の身体が溶けて行くような、また全てを燃やしてしまうような気さえします。ですから雨が降ると、街全体がシャワーを浴びたようなさわやかさと涼しげな風がとても心地よいのです。皆に今が一番暑いのかと聞くと、12月頃の雨季に入るまで気温は上がりっぱなしになるということです。かつて留学したインドも相当な気温(高い時は45度くらいまで上がる)でしたが、暑さの質が違うのです。あちらは乾燥していますが、ここは湿気がひどいのです。夏好きの私でも日本の秋が懐かしく思えてきました。日本にいる時は常夏に憧れ、ここにいれば日本の四季が懐かしいという、人間とはなんと勝手なものだろうと汗を拭きつつ思います。

《ブラジル優勝・・・・にはならなかった》
 実は、皆さまにワールドカップでのブラジル優勝記念として「号外」を送れたらと願っておりましたが、結果はご存知の通りですので、今になった次第です。古い話で恐縮ですが、ワールドカップが開かれたころ、ブラジル中が優勝を確信し、町も人も国旗の緑と黄色の2色で色取り、気分も大分盛り上がっておりました。ミサでも見かけたのですが、マニュキア、ネックレスや腕輪も全てこの2色だったのです。そして、ブラジルの試合時間に合わせて、仕事も休み、ゴールが入れば花火がポンポン鳴り響くという信じられない賑やかさでした。そして、あの対フランス戦の後、土曜でしたが、ミサをする気もなくなり(でもちゃんとあげました)、町は一瞬に静まり返ってしまいました。なんとショックでビルから飛び降りてしまうもの、泣くもの、叫ぶもの、いろいろでした。新聞でもパレイラ監督は皆から攻められ、たたかれ、ひたすら堪えているようでした。ロナウジーニョに似せた人形が焼かれるなど、やはり優勝候補国は勝たないと人はこうまで厳しいのかと恐怖さえ感じさせられました。そんなことで、下記にも述べているようにブラジルはキリスト教とサッカーは生活に真剣に根付いているようです。

《おかあさ――ん、先生の涙》
 さて渡伯して1年が経ったわけですが、昨年の今頃をよく思い出します。まだ十分わからないポルトガル語をつっかえながら話していたあの頃、賑やかな授業、毎晩仲間と満天の星を見上げつつ歩いた散歩、その中で忘れられないことを分かち合いたいと思います。
 3ヶ月経って修了式でのこと、我々の先生が名前を読み上げる時、泣いています。無理もありません。何もポ語を解らない私たちのために手取り、足取り導いてきたことは容易なことではなかったはずです。パーティーの時、私は感謝のプレセントを差し上げながらこう言いました。「先生たちは二人とも私よりも遥かに若いけど(28歳、25歳)、ここブラジルでの私たち宣教師のお母さんのようですね。だって、人間は生まれて親からゆっくりと言葉を覚えていくように、何も解らなかった私たちをここまで育て、そして今それぞれの宣教地に巣立っていくのだから。これは母親の母性がないととても務まらない仕事です!」 そう言ったら二人ともまた泣いてしまいました。一人の先生は結婚、離婚、子育てと多くの経験をされていたので、余計泣いていました。やはりどこの国においても母親というのは偉大ですね。あれから2つめのコースが今開講中です。皆、国籍も超えて悪戦苦闘していることでしょう。

《休暇は1ヶ月!》
 ここアマゾン地域では夏休みというのを7月に1ヶ月取るようです。ここサン・ジョセ教会でも8人の職員がいますが、なんと皆1ヶ月の休暇を順番に取っているのです。驚いていると、スペイン人の神父がスペインでもそうだし、イタリアでも普通のことだ、といっています。日本のサラリーマンの休暇を説明すると「だから日本は自殺が多いんじゃないの?」なんてさらりと言われてしまいました。さらにブラジルには休暇について法律もあるようで、1年につき1ヶ月必ず休暇は取るように義務付けられているようです。1ヶ月の休暇はおろか、夫婦の育児休暇もままならないという国日本。なんだか皆さんが急に可哀想に思えてきました。

《人数も半端でない教区の青年合宿》
 そんな夏休み中、カスタニャール教区主催の第1回青年徒歩合宿が7月26〜30日に開催されました。誕生して2年目の新生教区でのモットーは「青年」と「家庭」です。
 その一つに主眼を置き、徹夜で目的地まで36キロを歩き、さらに3泊4日の日程を組むという行事でした。パラ州東部のカトリック新聞(週刊、16〜20ページにもなる立派なもの)や地方新聞でも大きく取り上げられたので、結構この辺りで有名なニュースになり、参加者も3千人以上にのぼりました。テーマもブラジルならではの硬さもあって、「キリストにおける、罪からの解放」というものでした。実行委員長はなんとカルロス司教です。そして教区中の司祭始め、修道者、全神学生も手伝いなどに駆り出され、また各教会からも婦人会が食事など大勢泊り込んで手伝ってくれ、皆さんの意気込みを感じずにいられませんでした。また私も食事の下ごしらえを婦人会の皆さんと手伝いましたが、なんとニンジンだけでダンボ−ル4箱という量でした。お陰で手は真っ黄色になってしまいました。
 私とガブリエル師は木曜の仕事を終えるとすぐに現地に飛んで行きましたが、到着が夜中になり、辺りを見回したら皆ほとんど野宿で、ハンモックで死んだように寝ていました。海辺ですので風がとても涼しく、朝方には少し寒いくらいです。なかなかテントなどが間に合わず、何人か帰ってしまったものもいて、無理もない環境でした。トイレもシャワー室も全て手作りで黒いビニールで囲んだだけの質素なものです。3千人ともなりますと、合宿地はちょっとした村のようで、多くの青年が気軽に声をかけてくるのでした。
 翌朝司祭たちも集まり、メインホールではサンバやロックの音楽が流れる中、踊っている青年もいれば、おとなしく祈っているものもいます。その周りにポンポンと存在するココナッツ・ツリーの日陰の下で「ゆるしの秘跡」が始まりました。音楽以外にも聖書などの講演もありました。海辺の波の音、最大のボリュームで流すサンバ、何ともいえない雰囲気の中で多くの青年たちは今回のテーマに沿って、神妙な顔でゆるしの秘跡を受けるのでした。
 日本であればとてもこのような合宿は難しかったでしょう。司教が自ら進行役を務めることも、また危険や事故が想定される夜中の徒歩を強行することも、生活面でも食中毒や男女の交際の問題があること、等々の理由をあげて反対されそうな気がします。責任や保険など考えるだけでもこういう合宿の発想は出てこないだろうし、出てきても実行する前につぶされるのが落ちだろうと思い、目をきらきら輝かせて楽しく参加している青年たちを見て大きな相違を感じました。

《社会への影響力、司教小教区訪問》
 そしてもう一つ司教について分かち合いたいことがあります。
 この教区はまだ新しいので、司教は、初めての試みとして33の小教区全てを順番に訪問しています。ここサン・ジョセ教会にも8月20〜27日と1週間にわたり訪問されました。正直言って1週間も何をするんだろうと懸念しつつも、打ち合わせで予定表を見て、びっくり! そこには芸能人顔負けの分刻みのスケジュールが朝から夜に至るまでびっしりだったのです。
 主だったものを説明しますと、小教区内のカトリック学校5つ、病院、マラリアなどの風土病検査研究所、市役所、裁判所、中央警察署、公共市場、などなどでの講演を行い、質疑応答などで職員や人々に努めて声をかけて丁寧に回られました。昼食はそれぞれの信者さんのご家庭に呼ばれ、夕方はこの小教区内に7つの共同体がありますので、ミサを挙げながら、夕食をご馳走になるというスケジュールでした。
 また司教を囲んで夫婦、教師、商人、医者、教授、青年の集いも行なわれ、それぞれ議論が白熱し、家庭や教育などの大きな課題を共有していくことに困難は多いけれど、希望を感じました。小教区に留まらず、社会と地域に深く根を下ろしている司教の影響力をしっかり見た気がします。公共の場でも全ての会合が祈りで始められ、司教の祝福で終わったのもカトリック国ならではのことでしょう。

《悲しみを乗り越えて――果てしないつながり》
 この1年の間、思いがけず天に召された方も何人かおられました。その訃報を受け取る時、誤報であって欲しいと思うこともしばしばありました。日本に帰ったらその方々にひょっこり会い、「冗談よ!驚かせてごめんね。」なんて言ってくれればと妙なことを願ったりするのですが・・・。
 でも信仰を持つということは、時々感動で身体全体が震えてしまうこともあるものです。ある日のミサで落ち込んでいた私は、ぽんと背中を突かれた気がして、振り返りました。何も姿は見えませんでしたが、私にはすぐわかりました。存在をしっかり感じるのです。
「私はここにいますよ!」
「・・・・!」
 「あーあー、アマゾンにまで会いに来てくれた!!」
 洗礼を受け、キリスト者として生きる私たちは、キリストによって天に召された方とも世界中のキリスト者ともつながっております。だから亡くなった方が復活された主につながって、時間も場所も越えてアマゾンにまで来てくれるということは当然ありえることです!
 あのミサは一生忘れないでしょう。そしてミサ後中高生の侍者たちに言われました。
 「神父様、今日は一体どうしたんですか?」
 そんな時、両親のことも思い出しました。出国前は是非実家で泊まろうと願ったのですが、結局無理で、成田出発当日、それも30分だけ行くことができました。こんな時も携帯が鳴り響き、落ち着かない中、お茶を飲みつつ、私はこう切り出しました。「父さんも母さんももう決して若くないし、私も派遣中何があるかわからないし、日本に来てくれたたくさんの宣教師のご両親の犠牲を思いつつ、もしもの時は天国で再会しましょう!」 母は微笑んでいましたが、涙もろい父は泣いていました。

《国の'あるじ'になるということは・・》
 今ブラジルでは10月1日の大統領選のことで注目されています。おそらく労働党のルーラと社民党のアルキシミンの決選投票になって、ルーラの再選になるだろうと予想されています。実はルーラは当初はいろんな期待があったようですが、毎日、新聞を賑わせている政治家の汚職にも「俺は知らないよ」としらばくれるし、上層部には不人気なようです。しかし、貧者への生活援助支給など政策として行なっており、そのため給料が貧しいものほど彼を支持しています。全体的にもこの層が厚いため、かなりの票を集めるのではないでしょうか?また働かなくても支給されることから、労働意欲も停滞してきていると言われています。新聞であれほど汚職が騒がれても、彼らの多くは読まないか、読めないかで新聞の持つ影響力も今回の選挙には乏しいようです。
 同じく日本では自民党総裁選がどのようになっていくか注目されていることでしょう。A氏が有力と言うことですが、率直に言って私は今後の日本がこれではものすごく心配です。日本を離れていることで逆によく見えてくるということがあるようにドンドンきな臭くなって行くように思えて仕方がありません。真のリーダーは一体いつになったら現れるのでしょうか?

 ここまで読んでくださってありがとうございました。まあ何とか暑さにも負けず司牧させていただいております。本当は1年経った記念日ピッタシに送信しようと試みたのですが、心身ともにすっかりアマゾンペースになり、ご覧の通りです。
 今回は特に写真はありません。生活に慣れてくると撮らなくなりますね。
2006年09月07日