チャドからのお便り(ライにて)幼きイエズス修道会 シスター 大和 ひろみ
海外宣教者を支援する会の皆様へシスター 三宅 陽子のことについて チャドで21年の宣教生活を送り、一昨年に帰国し、間もなく膵臓癌に罹っていることが分かり、その治療を続けておりました。しかし、「愛と命、このめぐみを今日もまた・・・」と歌い続けながら、最後までチャドの人々に心を馳、今年の1月に帰天いたしました。 休暇帰国中のシスター脇山が、シスター三宅の遺志をついで、少し遺骨を携えて帰りました。早速、3年前にチャドの土となったシスター永瀬のお墓にご一緒させていただきました。 間もなく梅雨明けでしょうか。暑さが厳しくなります。くれぐれもご無理をなさいませぬように。 お祈りのうちに。 2005年7月01日
ソロモンからのお便り(テレレにて)サレジオ会ソロモン宣教地司祭 飯田 徹
主の平和と善海外宣教者を支援する会の皆様へ 長らくご無沙汰いたしました、支援する会のスタッフの皆様方、お元気でご活躍のことと思います。常夏の国ソロモンで暑い暑いと文句を言いながらも、元気に過ごしております。ソロモンは98年の民族紛争以後放置されて、荒れ果てていた油椰子のプランテーションや金鉱山の再建が決まり、再建の槌音高くと言いたいところですが、槌音低く徐々にではありますが、確実に再建作業が進められています。ソロモン経済再建の二本柱となる物なので、早期の再建が実現しますよう、皆様方のおいのりをおねがいいたします。 近況報告をいたしたいと思います。 私の駐在するテテレ教会は電気、水道、電話が無く、原則として月曜日にヘンダーソンへ出て、メールをチェックしています。ソロモンの首都ホニアラの中心部から東へ10kmにヘンダーソンの町があり、ソロモンで唯一の国際空港があり、DBTI:Don Bosco Technical Institute があり、更にそこから東に20kmの所にテテレがるのです。そのためメールの遣り取りもままなりません。 6月20日の月曜日の午前中にメールをチェック。午後はスワギ部落で事故で亡くなった方の葬儀ミサ。ソロモンは常夏の国である上に、日本のように棺の中にドライアイスを入れて遺体をもたせるということが出来ないので、死んだら待った無しで埋葬しないと、ラザロの姉妹マルタの発言となります。このスワギ部落は海岸部にあり、ソロモンの海岸部にはサンフライと呼ばれる蚊とは異なる小さな害虫が生息しており、これに刺されると1〜2週間はあとが痛痒く、おまけに化膿してひどい目にあいます。虫除けスプレーを持ち合わせなかったので、何箇所か刺されてしまいました。 6月21日: 火曜日の午前中はパリッシュ・ショップのための仕入れで、ホニアラのチャイナタウンへ行き、午後は結婚式のための調査でカップルの原籍教会へ。日本のように電話が発達していれば電話一本ですんでしまうことですが、ソロモンではいちち出向かねばならず、時間が掛かります。 6月22日: 水曜日の午前中は結婚式の調査の継続、午後はグローブ部落で結婚式ミサ。ところがこの結婚式は、若い時に何と無く一緒になってしまったけれど、結婚式を挙げていなかったカップルのためでした。歳を取り、奥さんが死の病に倒れたので、生きている内に結婚式を挙げようというわけです。それでそのカップルの家へ行き、庭にしつらえたテーブルでミサを捧げ、その中で祭壇の前で新郎(旧郎?)は横たわっている新婦の手を握り、結婚の誓いを立てました。貧しくて婚礼衣裳も指輪の交換はありませんでしたが、とても感動的でした。そのような結婚式ですが、一応、教会法上の調査をしなければならず、上記のように、それにかなりの時間を要しての挙式でした。と言うのは、洗礼証明その他の証明書を確認するため原籍教会へ行っても、台帳の保管が不備なうえ、当人たちの記憶も不確かなので、探し出すのが大変でした。そして式が終了した後、すぐに車でホニアラ中央病院まで新婦を送り届けました。其処後、今のところ何の連絡(葬儀依頼)もありませんから、治療の効果があったことを祈っている次第です。 6月23日: 木曜日の午前中は別の結婚式の調査。午後は碑文谷教会のロロピアナ神父様と教会委員長の関根さんが視察にお見えになったので、ヘンダーソン空港までお迎え。 6月24日: 金曜日は朝7:00にテテレの刑務所で収容者ためのミサ(毎週金曜日の朝行っている)。帰って来て朝食をかき込んで、その後タラウラ部落へ行き、洗礼式を伴うミサ。ところが告解希望者が多く、聴罪に2時間も掛かり、ミサも洗礼者ヨハネの誕生の荘厳ミサで時間が掛かり、へとへとでした。そして夕方 6:00にパリッシュ・マス(パリッシュのためのミサは日曜を除いて、朝から夕方の18:00に変更した)で、司祭家業は大繁盛の一日でした。 6月25日土曜日はサリー部落で結婚式と献堂記念(サリー部落の御聖堂はペトロパウロに捧げられている。実際は29日なのですが、結婚式と抱き合わせで土曜日に頼まれた)を伴うミサで、これまたペトロ・パウロの荘厳ミサでした。私が普段付き合っているソロモン人たちは、大抵読み書きが出来るので、皆が出来るような錯覚に陥っていて、実際にはソロモンの成人の5割程度が文盲であることを忘れていました。それで若いカップルは二人とも文盲で、結婚の誓いの文(事前にピジンに翻訳して置いた)を読ませようとしたのですが、読めず、大慌てでカテキスタにそのように発音するように言うように頼む始末でした。若いカップルの結婚式は婚礼衣装に身を包み、指輪の交換もあり、披露宴と言ってもソロモン式ですが、ケーキカットもあり、なかなか盛大な結婚式でした。 6月26日日曜日は9:00の御ミサの後、ロロピアナ神父様と関根さんの、パリッシュを挙げての歓迎パーティーでした。金曜、土曜、日曜のミサの主司式はロロピアナ神父様にお願いして、私は福音朗読(ピジンで)と説教(英語で、協力者のフランシス・トキがピジンに翻訳して読み上げる)を行い、共同司式兼式長で祭壇の周りをうろちょろしていました。ソロモンでは普段TV、ラジオ、新聞雑誌のような娯楽が無いため、結婚式の披露宴や、葬儀の埋葬後の個人を偲ぶ会、歓迎会のような催しが娯楽の機会になってしまいます。 6月27日月曜日の午前中はホニアラの西の郊外にあるマリスト会の本部の御聖堂を借りて、私たちの月の静修を行い、静修講話はロロピアナ神父様、昼はヘンダーソンで兄弟の交わりの会食。 6月28日火曜日の午前中はパリッシュ・ショップのための仕入れ。午後はロロピアナ神父様と関根さんのお見送りでした。 6月29日水曜日の午前中はテテレ小教区の東隣のルアヴァツ小教区の司祭が不在のため、越境してベタニィーと言う部落の聖堂献堂記念(ペトロ・パウロに捧げられている)ミサをしに行き、午後は4月25日に横浜港から送り出したコンテナー(6月2日にはホニアラ港に到着していた)を引き取る手続きのため、ホニアラ港湾事務所と税関を駆け回って、午後はつぶれてしまいました。後進国の非能率なお役所仕事に付き合うのは、本当に忍耐が要ります。 6月30日木曜日はヘンダーソンへ配達してもらったコンテナーの荷物をテテレへ運ぶことで一日がつぶれました。 7月1日金曜日の朝7:00はテテレ刑務所の収容者のためのミサ、帰って来て朝食をかき込んで、コンテナーの荷物をヘンダーソンへ取りに行き、電気関係の計測器等をDBTIの電気の教員のフィリピン人のジョリーに引き渡し、午前中にテテレ−ヘンダーソン間を2往復(日本のように良い道路の20kmなら楽なのですが、ソロモンの道路は、、、)しました。午後は協力者のブレンダ(縫製訓練教室の講師)に協力してもらい、荷物の開梱とバザーのための仕分け作業でした。最初の頃はコンテナーで運び込んだ援助物資は無償で配布していたのですが、人々は欲で何でも欲しがりますが、貰った後は大事にしないので、バザーに切り替え、本当に欲しい人に安く買って頂き、収益金は教会会計に組み入れています。 7月2日土曜日: 一日中開梱作業と仕分け。 7月3日日曜日:9:00ミサ。ミサ後教会委員会委員とミーティング。午後は開梱作業で大量に出た梱包材の片付け。 と書いて来ますと私が一人で奮闘しているように見えますが、実際は田中修道士との二人三脚で、漸くこなしているのが実情で、私の影に常に田中修道士がいて私を支えてくれています。 鈴木修道士はヘンダーソンでDBTIの音楽教員をしています。ソロモンでは日本的な感覚で言う音楽教育はなされておらず、鈴木修道士は苦労しています。と言うのはソロモンの人々は音感はすばらしいものを持っているのですが、音符ということを知らず、音符に従って歌う、或いは楽器を奏でるということを知らず、耳で聞いた音楽を直感的に覚えているからです。例えば教会で聖歌集を使っていますが、それには歌詞のみで、音符もギターコードもありません。しかし彼らは歌詞を見てメロディーを思い出して歌い、或いはギターを奏でます。それで日本の教会でも馴染みのメロディーの聖歌も沢山ありますが、ところどころ音階がずれている、或いは狂っています。 日本は梅雨の最中で、湿度が高く気温の高低が大きく体調を崩しやすい時期ですので、海外宣教者を支援する会の皆様方、くれぐれもお体を大事にし、元気に活動していただきたく、お祈り申しております。 2005年7月04日
コートジボワールからのお便り(ダブゥにて)クリスト・ロア宣教修道女会 シスター勝 ひとみ
海外宣教者を支援する会の皆様へいつもお世話になり、ありがとうございます。 私は神さまの恵みと皆様のお祈りのお陰様で毎日元気に働かせてもらっています。 ご存知かも知れませんが、コートジボワールは2002年9月以来、国が2つに分かれて3年が過ぎようとしています。政府軍と反乱軍との関係はますます悪くなり、武装解除のプログラムは一応あるのですが、そこにフランス軍と国連軍が入り込んで、緊張状態が続いています。その上、10月には大統領選挙が予定されており、何が起こるか予測できない状況にあります。 それでも、そんなことは大人の世界のことのようで、子供たちは生き生きと毎日を過ごしています。町で見かけたエピソードですが、町をゆくフランス軍戦車の中の兵隊さんに笑顔で手を振っている小学生のグループに、これもまたフランス兵が笑顔で応えていました。 La vie est très simple….(人生はかくも素朴なもの・・・) どうして、わざわざたくさんのお金を使って、平和のためと言いながら、戦争の準備をしなくちゃいけないのでしょうか? さて、このような状況の中で今年も4つの村の9つの小学校、450名を対象に読書を通して平和に貢献しようと努力いたしました。今年の読書会のテーマは「寛容」でした。ユニセフの作った寛容と平和の教育プログラムを参考にしましたが、Le petit garçon bleu.(小さな青色の男の子)という絵本が、「いろいろ違うところもあるけど、みんなで仲良くやっていこう! かえって違いがあるから良いんだ!」という主旨の本で、今日のコートジボワールにピッタリということで、この本をメインに読書会をすすめました。もちろん、他の本も読み、聞かせしましたが・・・。 今学期(2004年11月から2005年6月の間)は図書館利用者も含めて、1,000名余りの児童生徒がこの本を読みました。平和の「種」です。うまく育ってくれたらいいのですが・・・。 また、6月14日には9つの小学校が一つに集まり、「Plaisir de lire.(読書の喜び)」と題して、本の祭典を催しました。500名の児童生徒と100名近くの父兄、先生、それに「小さな青色の男の子」の作者であるマダムFATOU KEITAも来てくださり、楽しく、有意義な一日を過ごしました。 本の購入先の出版社の一つが倒産し、別の会社に吸収されました。60%の学校が閉鎖しているので、とても難しいということです。こんな時だからこそ、教育に力を入れるべきだと思い、ますます努力したいと願っています。 来年度はHIVポジティブの小学生が増えてきている状況を考えて「ともに生きる」をテーマに、本を選びたいと思っています。すでに1冊「ローリーの木(Un arbre pour Laurri.)」を選びました。経済が悪くなると、治安も悪くなり、人の心もすさんできます。良い本を通して、少しでも心が豊かになりますように願いながら・・・続けていきたいと思っています。 「小さな青色の男の子」の挿絵より 2005年7月07日
フィリピンからのお便り(バコロドにて)善きサマリア人修道会 鈴川 良 他
海外宣教者を支援する会の皆様へ「きずな」をいつもありがとうございます。宣教者の皆様からのお便りにいつも励まされ、力をいただいています。今日は「バコロド便り No.16」をお届けします。 恩人、友人の皆様へ 雨季に入りサトウキビ畑の緑が一段と増し、新学年も始まり沢山の生徒、学生で溢れているバコロドよりお便りいたします。大規模な自然災害、終わりの見えない爆弾・自爆テロ、反体制デモに明け暮れる世界、この中にあって皆様からの変わらない温かなご支援を受けて、ここでの活動を継続させていただけることは素晴らしいことです。本当にありがとうございます。 この1年間の主な活動をお知らせすることで、感謝の気持ちにかえさせていただきます。 先ず、善きサマリア人幼稚園の1年は、自然児そのまま天真爛漫の子供たちが、毎日の生活、多くの行事、年4回のテストなどを経て、ついに3月19日に第一回卒園式を挙行できました。 Kinder 2の一人一人が各々のメダルを頂き、卒園証書を受け取ったとき、本人はもとより保護者・関係者の喜びは言葉に表せないほどでした。そしてこの6月6日第2年目が始まりました。普段ニックネームだけで呼ばれている子供たちが、自分のフルネームを呼ばれても誰のことかわからなくて、返事のできない様子は本当に微笑ましいでした。今年は130名の子供たちを受け入れ、スタッフも園長のシスター・レオニー、教職員の迎、ジェルミナ、その他一般の先生、助手の方々を入れて、総数6名になりました。 コンセプション教会付属幼稚園でも3月17日12名の子供たちが、角帽とガウン姿で卒園しました。3月末から4月初めにかけて小学校、高校、大学の卒業式があり、コンセプション、ヘンリエッタ・ヴィレッジの奨学生が、それぞれ卒業証書を手にすることができました。特にへンリェツタの高校卒業生17名のうち1名は、サリュタリアン(総代挨拶者)といって、次席で卒業し、メダルと大学からの奨学金予約証書を受けとりました。 クリスマスの挨拶でもお知らせいたしましたが、この1年間は沢山の人々の訪問を受け、地域訪問の他、幼稚園での手伝い、子供たち・保護者との交流が深められました。先ず、奈良教会の2人の大学生は幼稚園の他、ホームステイも体験し、佐世保シナピス会は会長、副会長様をはじめ各小数区の代表の方々、聖和女子学院から先生と生徒さんも参加してくださり、1年おいての来訪にバコロドの人々の喜びも一層大きかったのです。オーストラリア善きサマリア人高等学校代表の先生方がシスター・M.マクドナルドの引率で体験学習をされたことは画期的な出来事でした。今年に入り長崎教区の下口神父様は英語での日本昔話や手品を携えて、訪問してくださり、オーストラリアと日本の大学生も2月から3月にかけ滞在し、多くを体験されたと思います。多くの善きサマリア人修道会員の中でも、1月23日から25日、オーストラリア、キリバス、フィリピン、日本の代表の集まりである国際交流委員会(International Forum)開催で7名のシスター方を受け入れ、この上ない喜びでした。 幼稚園という大きな奉仕職の出現で私たちの活動範囲が狭められたと思われるかもしれませんが、シスター・ユーゲニーの母親学級も始まり、また制服の園児からは見えない子供たちの置かれている、考えられないような貧しさ、複雑な家庭環境、弱い立場に直面し、人々とのかかわりは深くなっています。と同時に時には自分たちの無力さをもろに感じさせられます。 Boulevard、Mambulocへの訪問は6年が経ちました。Boulevardの子供たちは今年初めて5月31日、フィリピンのカトリック教会で大切な Flores Maya(5月の花)へ参加できました。シスター・ジェルミナがシスター鈴川とともに訪問し始めての成果です。 修道会としての一番の喜びは2人目のフィリピン人の会員 シスター・ジェルミナ・トカマの初誓願でした。4月30日(土)、ご両親、家族、修道家族の見守る中、会長ソニア・ワグネル、主司式者アジ神父(トラピスト会員)の前で力強く、イロンゴ語で宣誓しました。初期養成責任者シスター・後藤の指導と共同体の交わりの実りでした。シスター・ジェルミナは今年、不法定住者キャンプの訪問を続けながら、週3日は幼稚園を手伝います。 今年2月1日からシスター・フラン・ノランが再び着任し、6月からは教区の神学校でも教えています。私たちは7名のメンバーとなりました。 「刈り入れは多いが働き手は少ない」(マタイ 9:37)とのみ言葉と共にこれからも、霊的にも物質的にも続けてご指導、ご支援くださいますようお願いします。皆様のご寛大なお心に神様からの大きな酬いを祈りつつ、バコロドの人々の感謝を共に込めて。 2005年7月21日
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