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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声

ブラジルからのお便り(マリンガにて)

愛徳カルメル修道女会 シスター 高 澄子
「会」の皆様  いつも本当に色々お世話になり有り難く感謝しております。ブラジルへ帰って、早2ヶ月半過ぎました。日本やスペインで色々お世話になった方々へ手紙を出したり、やっと頭の中の整理もつきました。
 ブラジルでは1月は夏休み、今年の四旬節は早く来て、2月8日がカーニバルで、ブラジルの方々はそれらの休みが済まないと、働き出さなくて、婦人会の活動も2月22日から開始しました。学校その他は、2月14日頃から始まりました。
 こちらは朝は涼しく、17°〜18°位で、日によって違いますが、午後になって28°〜30°位です。寒くなくて何よりで、台風も地震もない国で、有り難いと思っております。
 1ヶ月位前に日本のきれいなカレンダーをお送り頂き有り難うございました。
 今、私は白内障の手術の準備とリュウマチの治療をしています。歳は若くならないので、日々与えられたものと共に喜んで働いています。
 四旬節兄弟愛運動、「連帯と平和」それぞれのグループで祈りと実践に取り組んでいます。
 マリンガの街はますます綺麗に、大きくなっています。2月6日にはとなり街マリアルバの教会に招待され、マリンガのグループが出掛けていって、ニッポン−ブラジリアのミサが行われ、その中で日本26聖殉教者の小さな劇も入って、とても良く出来て、マリアルバの信徒の方々も喜ばれました。
 坂本エリョたけみ神父様(第3代マリンガ日系司牧主任)は、まだまだ他の街へも出掛ける希望を持っておられます。若くて元気で頼もしいです。
 3月18日は、故田中神父様の資料館祝別式の予定です。写真ができたらお送りします。
 四旬節、聖週間、ご復活、心を合わせてお祈りしております。どうぞお身体を大切に、お元気でお過ごし下さいませ。先日日本から送られたカトリック新聞で、ローシャイタ神父様、八幡さんの写真を拝見して、嬉しかったです。今後ともどうぞよろしく。
26聖殉教者の小劇と共に捧げられたミサ
ブラジル・パラナ州マリアルバ市の教会で、坂本神父様とマリンガの信徒グループ、聖歌隊による26聖殉教者の小劇と共に捧げられたミサ
2005年03月05日




ハイチからのお便り(カップ・ハイチエンにて)

レデンプトリスチン修道会 シスター 飯村 美紀子
† 主の平安

 四旬節もすでに第四週目に入りました。
 事務局の皆様にはお忙しくご奉仕に務めておられることと思います。
 過日は「聖母の騎士」誌をお送り下さり、本当に有り難うございました。ハイチに参ります前には、長崎の修道院におりましたので、特になつかしさを覚えております。事務局の方々、および雑誌をお寄せ下さる方々の愛徳に感謝しつつ、読ませて頂きます。
 それでは、良い四旬節とすばらしい主のご復活祭をお迎えになられますように、お祈りのうちに、一致申し上げつつ・・・。
ハイチ・レデンプトリスチン修道会
ハイチ・レデンプトリスチン修道会のデザイン
2005年03月07日




フィリッピンからのお便り(サウス・コタバトにて)

御受難修道女会 シスター 松田 翠
海外宣教者を支援する会の皆様へ

 今日、なつかしい「聖母の騎士」誌が届きました。この月刊誌にお目にかかれたのはフィリッピンに来て初めてですから、30年ぶりです。とてもなつかしく、嬉しいでした。手頃できれいな本で、とても読み易く、どんなに疲れていても、読める本ですね。ご親切心から感謝しております。
 今年の7月でとうとう在比30年になりました。今まで日本からどれほど支え、励ましして頂いたことでしょうか。そのお陰で、私共の生活、使徒職などずいぶん援助して頂き、本当に感謝で一杯です。
 援助して頂いたコピー機がなかったら、井戸掘りに着手できなかったら、と考えると・・・。皆様のご親切と寛大なご協力で、ここまでこの地で30年も暮らすことができました。本当に有り難うございました。
 6週間の旱魃で本当に暑い毎日。今日やっとスコールのような雨が少し降っただけで、木々はまだ枯れたまま、草も茶色、埃っぽい砂漠のようです。
 ご礼まで。
2005年03月07日




パラグアイからのお便り(ピラポにて)

聖霊奉侍布教修道女会 シスター 林 静子
†主の平安

 ご復活おめでとうございます。
 ローシャイタ神父様ほかスタッフの皆様、お元気でいらっしゃいますか。日本も春になり、少し凌ぎやすい季節になったことと思いますが、如何でしょうか。
 今日エンカルナシオンに参りましたら、お送り下さった家庭の友が着いておりました。どうも有り難うございました。
 「きずな」を何時も送って下さいまして、皆様の記事を拝見いたしますと、大きな励みとなります。世界各地に散らばって働いていらっしゃる宣教者の方たちと一つの信仰によって結ばれていることを実感いたします。
 私は2年前からピラポ移住地に転任になりまして、ここも日本人移住地ですので、ラパスと同じく皆様のお手伝いをしております。
 聖土曜日の夜には5人の中学生(1人はドイツ人、4人は日系二世)がピラポ教会で受洗する予定で、私のところに教理の勉強に通ってきております。都会の子供たちに比べ移住地の子弟は純なところがあって、神様の教えも素直に受け入れております。
 ピラポ教会は代々、神言会の神父様が主任司祭として働いておられます。40年前に献堂式がございました。クルッカ神父様、谷川神父様、品田神父様などの方々が開拓時代の困難な時に、骨を折られた教会です。ただ今は、ホセ神父様とおっしゃるイタリア人の神父様が主任司祭です。
 今年、ピラポ・コロニアは創立45年を祝います。私も歳をとりましたが、今も続けて幼稚園の手伝いをしております。
 今年は雨が少なくて、減収の見込ですが、ただ今は大豆の収穫をしております。
 1月23日おミサの間に私たちの家にも窓枠を壊して、泥棒が入り、現金や携帯電話、衣類などを盗まれ、嫌な思いをしました。今まで塀なしで暮らしておりましたが、この度家の周りに金網を張った塀を作り、門にも毎晩鍵を掛けることにしました。
 元大統領の長女のセシリア・クーバさん(32歳)が昨年誘拐され、本年2月13日に暗殺されているのが発見され、それも非常に残酷な方法で行われていたのが明らかになり、大騒ぎになりました。
 カトリック国と言っても犯罪も増え、道徳的には以前よりも低下している有様で、この国の司教様も嘆いておられます。毎日のおミサの後に、パラグアイの国のために特別の祈りをいたしております。
 ご復活のイエズス様が皆様のお働きの上に、特別の祝福を下さいますようお祈り申し上げます。この手紙を3月18日の飛行機で一時帰国されるシスター宮入にお願いして、日本で投函して頂くことにいたします。
 聖霊のおんいつくしみによりて。さようなら
ミサの後で
昨年12月、クリスマスに日系人のために捧げられたミサの後に撮影。後列右端はクルッカ・ホワキン神父様(ドイツ人)。白い服を着ているのは私の教え子で、その日に洗礼を受けました。
2005年03月12日




カメルーンからのお便り(ミンドゥルゥにて)

シャルトル聖パウロ修道女会 シスター 末吉 美津子
 先日は「きずな」、美しいご絵の2005年カレンダーをお送り下さいまして、有り難うございました。私の手元に2月22日に届きました。早かれ、遅かれ日本からの便りは、封を開ける前から胸がドキドキ、ウキウキするものです。
 うれしいニュースであれ、悲しいニュースであれ、日本語で読み、理解できることは、心に安定感をもたらしてくれるものです。「きずな」は一気に読んでしまいました。あちこちで、神様のみ栄えのために働いておられる方々の記事に同感したり、涙したりと・・・。全ての記事を拝読しながら、「神様の存在」を身にしみて感じ、私も頑張らねばと、改めてまた、力を得たものです。
 どうぞ、私たち宣教者のために続けてお祈り、ご支援下さいませ。大変遅くなり申し訳ございませんでしたが、上記お礼まで!
 良いご復活をお迎え下さい。お祈りでもって支え合いましょう。
2005年03月12日




シエラレオネからのお便り(ルンサにて)

御聖体の宣教クララ修道会 シスター 根岸 美智子
「会」の皆様へ  四旬節もいよいよご受難の週間に入りました。日本はまだきびしい寒さのようですね。こちらは思わずため息がでるほど暑い毎日が続いています。少しおかしいのは、3月は一番乾いて雨がなく、ほこりで一杯の月なのですが、今年はどうしたわけか3回も大雨が降り、雷がなり、びっくりさせられました。
 私たちシスターは、ときどきマラリアにやられますが、私たち日本人の2人はかろうじて、これをすり抜けているといいましょうか,おかげさまで元気です。
 発電機をありがとうございました。新しい発電機でとても便利させて頂いております。アフリカですので一つ揃えますと今度は別の困ったことが起こります。コンビュターのクラスを昨年の9月から始めたのですが、発電機がなかったので、これまで分からなかったことがあります。発電機が入ったので、早速と思いましたら、イタリアから買って頂いたコンビュターが何と15台のうち2台しか使用可能でないのにはがっかり。憤慨の巻きです。こちらはお金を払っているのですから、どうにかしてくださいと、私もかなりきびしく文句の手紙を書きました。しかし、今年は間に合わないとのことで、がっかりしています。
 でも発電機のお陰で、電気も水道も使うことが可能になりますので、大助かりです。心から感謝申し上げます。この手紙と一緒に写真を同封します。
 さて最近のこちらのニュースを少し書きましょう。
 職業センターの卒業式が3月5日に行われました。この卒業生は、昨年卒業するはずだった生徒なのですが、戦争のため一年生の時、何も出来ず、補修授業が必要でした。それでやっと今回、卒業を迎えることが出来ました。そのような訳で今年は今年の本来の卒業式と2度、卒業式を行わなければなりません。前にも申しましたように、ここの生徒の大部分は兵士の性的奴隷となり、やぶでの生活を強いられた女性ばかりです。
 年齢も平均20歳を超えています。夫はほとんどいませんが、ほとんど子供がいるというのが現状です。生徒は一生懸命隠しますが、すぐ解かってしまいます。反乱兵士とやぶで過ごしたこれらの生徒はやはり気が荒く、すぐ喧嘩になったり、うそを巧みについたり、従順にすることが難しかったりと、いろいろ大変でしたが、3年も訓練していますと、3年の終わり頃には学校を愛し、協力的になり、感謝をしながら卒業して行きます。一人一人の幸せを祈りながら生徒を送りました。
 今週は私にとりまして悲しい、そして、ショックの日々でした。元気で通っていた洋裁科一年の生徒が突如、蛇に咬まれ、亡くなってしまいました。彼女は魚をとりに出かけました。ここルンサには沼地が多く、町のはずれにはところどころに溜池や沼、小さい川があります。彼女も数人の女性と魚をとりに出かけたそうです。その帰り道、急に草のしげみから現れた猛毒の蛇にかまれ、6マイル離れた自分の家にもどる頃は、すでに毒が回り、それから病院にかけつけた時はもう、間に合いませんでした。直ぐにやるべき応急処置は、一応彼女たちなりにやったそうですが、不充分でした。その上、貧しい村人には自転車一つありません。どこにでも歩いて行くしかないのです。緊急の時、車を頼もうとしても村にはありません。土地の薬をああだ、こうだ、とつけている内に、毒はすでに回ってしまったのです。手に負えないからと、やっと大きな病院に運んで来た時は、すでに遅しということです。
 前日までぴちぴち元気で笑っていた生徒が、貧しい小屋の中で(トタン屋根はじょうろのように穴があいており、ベッドもなく土間の上に草で作ったマットを敷き、その上に白い布で包まれ、横たわる、)変わり果てた姿になっているのを見る時、悲しみで胸が一杯になってしまいました。
 ここは暑いので、直ぐ埋葬しなければなりません。まだ温もりもある柔らかいい身体を埋葬するのは、とても抵抗を感じましたが、病院から運ばれていますので、確かでしょう。家の裏庭にあるバナナの木の間に穴を掘り、白い布で包まれた身体はそのまま直接、穴に埋められました。土が直に当たらぬようにたくさんの枝と葉っぱで支えるように埋葬するのです。なんとはかない命なのでしょう。自然の災害、地震も台風も全くないアフリカですが、このように毒蛇や病気、脳性マラリアなどこわい病気があることを忘れてはいけない、と考えさせられる一日でした。
 彼女は昔の鉱山のある村、コンタ村に住んでいました。そこから学校に来るのはかなり遠く、毎日1時間歩いて通っていました。今回初めて知ったのですが、そこは毒蛇がとても多く、毎年のように犠牲者を出していたのだそうです。私は27年もここにいましたが、自分の生徒が蛇の犠牲者になったのは初めてでした。この蛇は猛毒を持ち、咬まれると殆ど助からないので、いろいろな伝説や魔物の業だとか奇妙な話しがたくさんあります。
 シエラレオネにまだまだ足りないものは教育です。村ではほとんどの人が文盲です。どんなに政府が腐敗しても、自分たちの生活が向上しなくても、無知な村人はただ黙々と貧しさの中に生きているのです。
 シエラレオネの社会を変えるには、まだまだ長い年月が必要でしょう。しかし、やり出ださなくては何時まで経っても同じです。人々にまず教育を、これが今の課題です。もうすぐご復活ですね。もしかしましたらこの手紙がそちらに着く頃は、ご復活を迎えられているかも知れません。それで心から、主のご復活の喜びを申し上げます。復活は十字架を通して得られるものですね。日々の生活を喜んで捧げていけますようにお祈りくださいませ。 皆様にくれぐれもよろしく。「会」の皆さんのやさしい笑顔をなつかしく、思いだしつつ。      
発電機
発電機は電気技師のP.ランドルによって取り付けられています。

発電機
到着した新しい発電機。本当に有り難うございました。

幼稚園生
ままごとをする幼稚園生。着ている制服は職業センターで生徒が作る作品です。

小学生
遊具はなくても、手や足を使って楽しく遊ぶ小学生たちです。

2005年03月14日




ドイツからのお便り(デュッセルドルフにて)

聖パウロ女子修道会 シスター 比護 キクエ
ご復活おめでとうございます。

 ご無沙汰しておりますが、皆様のお祈りと様々なご支援、特に「きずな」を送って頂いていることなど、感謝しています。各地での宣教者の方々のご活躍に勇気をいただきます。
 ドイツは8月中旬にケルンで開催されるカトリック世界青年の日のために、着々と準備が進められています。私たちも何か協力できたらと、教会の準備委員会の方々と話し合っているところです。
 では、どうぞお元気で。祈りのうちに。
2005年03月21日




アルゼンチンからのお便り(プエルト・エスペランツァにて)

神言会 北島 泰治神父
拝啓

 日本は雪の多い気象状況と伝えられていますが、如何お過ごしでしょうか。
 当地は夏の真っ盛りです。毎日最高温度は36°〜38°Cのこの頃です。その上、今年は何十年かぶりの旱魃で、山林の多い当ミシオネス州では、あちこち山火事が発生しております。また、飲料水にも不足する所も出ています。恵みの雨を待望している毎日です。
 何時もカトリック雑誌を送付していただいておりますこと、心より厚くお礼申し上げます。今年に入り、1月20日・27日、3月4日と受け取りました。3月15日に「きずな」90号をいただきました。今は日本語の書籍に浸ることができます。一同心より感謝しております。
 皆様の心からの暖かいご支援に重ねて厚くお礼申し上げます。昨年のクリスマスの集いの様子を撮った写真を同封させていただきます。(代筆:山田 哲士)
クリスマスのミサ
北島神父司式のクリスマスのミサ

結婚記念日の祝別
結婚記念日の祝別

ごちそう
信徒の皆さんが持ち寄った“ごちそう”です。日本食もあります。

2005年03月23日




カンボジアからのお便り(シェムリアップにて)

ショファイュの幼きイエズス修道会 シスター 樫野 寿美子・園田 国子・黒岩 あつ子
海外宣教者を支援する会の皆様

 ご復活おめでとうございます。
 寒さの厳しかった日本の冬も、「ご復活」の響きとともに明るい春の陽射しや新芽など、ほのぼのとした様を思い浮かべていますが、いかがでしょうか?
 こちらの方は、一年の中で最も暑い時季(4月)が間近となり、カンボジアで迎える3回目のご復活祭もやはり暑い最中です。
 ところで、今年はご復活祭を目前にして、カンポットの2人の姉妹(シスター橋本、シスター東盛)と共に黙想をするチャンスを頂きました。しかも6日間中の3日間だけでしたが、日本の友人のご協力を得て、和訳して頂くまでの準備してくださった、オリピエ神父様(パリミッション会)の日本語の講話をも聴くことが出来たのです。
 カンボジアにおいて、このような恵みの日が与えられるなんて全く予期せぬことでした。私たちの小さく、弱く、貧しい存在をよくご存知の神様は、神父様と協力者の真心を更に加えて、御慈しみと慰めを示してくださったと感じ、喜びと感謝で一杯でした。
 そんな温もりが加わったイースター故、尚、暑さを感じるのでしょうか? 心新たに、いつも共にいてくださる主の新しい命に生かされて、信頼のうちに歩み続けることができますよう願っています。
 良きご復活を祈りつつ・‥
2005年03月26日




セネガルからのお便り(ダカールにて)

マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター 玉木 照子
「会」の皆様へ

 お祈りと美しいクリスマス・カードを有り難うございます。いつも「きずな」を送って下さり、今年もいつものように日本の素晴らしいカレンダーをいただき、まわりの皆から羨ましがられています。食堂の皆さんが集まる所に掛けるのですが、私が一番うれしいですね。
 もう復活祭が間近にせまり、灰の水曜日には例年の如く一日、四回も額に灰をつける式がありましたが、人出、人出・・・、85%がイスラム教徒の国ですので、イスラム教徒も参加しているのでしょうね。
 神父様たちだけでは灰を受ける人々が多すぎて、お隣の教会の神父様が昼食時に応援を求めに来られました。丁度私たちが楽しそうに食べているのを見て、驚いたような顔をして話しておられました。そうです、その日は大斎日ですよね。私共60歳以上で子供たちと共に免除ですが、よく働くのだから力を付けなきゃと、不真面目でしたけど・・・。
 ダカールの近くの教会で、あまりの人出で脚が地に着かないほどで、神父様はまるで「花咲じじい」のように灰を上から撒き散らして、群衆もそれで満足した、とうちのシスターが話しておられるのを聞いた時は、笑ってしまいました。昔のおとぎ話も実現するのですね。
 毎週金曜日の十字架の道行きにも驚くほどの人出。一日三回行われており、私も最初の頃は出掛けていましたが、あまりの暑さと人出で気分が悪くなり、それ以来、うちの修道院のご聖堂で一人で静かに祈ることにしています。あまりにも沢山の人出なので、神父様も最近は、この機会を利用して、道行きを少し短くして、神さまの話を付け加える方法をとられて・・・。
 最近はサハラからの砂漠風がひどく吹きつけ、乳児院(40床ですが、補助ベットを入れて、50床あり、何時も満床で、入院希望者が待っている状態)の赤ちゃんはほとんどが下痢・・・。乳児は大丈夫ですが、大人は咳が出続け、白いハンカチも茶色に・・・。鳥たちは口を開けて飛んでいます。
 司教様から頼まれて、始まった乳児院も今年で50周年を迎えます。女子寄宿舎には50名が2年間のコースで入っており、A・Bグループと二つに分かれて、1週間は乳児院で働き、1週間はボランティアの人々による勉強と手仕事に従事します。2年生になると乳児院の夜勤もできます。オムツだけでも400位の洗濯をします。その洗濯場のオバサンなども入れますと私共は120〜130人の大世帯、素晴らしい大家族です。
 先日、生後3日目で4,180gの捨て児をポリスが連れて来ましたが、珍しく巨大児で・・・。大抵は2kg前後の未熟児で、双生児の多いこと・・・。1kg未満の超未熟児でも、保育器なしで毛布だけで元気に育って、離乳食が食べられるようになって、帰宅します。
 全乳児の20%はいつも捨て児なのですが、中には母親の精神異常のためケースワーカーが心配して、入院させられた児もいます。入院児のほとんどが、出産時の出血多量で母親を亡くし、その家族も貧しくて世話をしてもらえない乳児たちです。この4月で2歳になる女の児は、母親が出産時に首を絞めて殺そうとしているところを助けられ、乳児院に連れて来られました。未だに話すことも、座ることもできず、日中は特別な椅子を作って、ベルトで身を支えています。手は伸ばすだけで、物もつかめず、お匙で食べさせています。ニッコリ笑うと、とても可愛い「パスカリン」ですが・・・。
 このような障害児を受け入れて、育てて下さるフランス人夫妻が、二昔前の頃にはおられましたが・・・。
 いろいろとたくさん書き続けましたが、悪しからず・・・。日本への切手代が段々と値上げされ、それだけで、うちの寄宿舎の娘さんたち15人分のパン代になるので、帰国される日本人の方にことづけました。
 どうぞ、良きご復活をお迎え下さいませ。祈っています。先ずは御礼まで。
2005年03月某日




ブラジルからのお便り(ツパンにて)

マリア会 青木 勲神父
 ご復活おめでとうございます。  主のご復活の恵みのを通して「新しい人」になるように祈りましょう。
 ツパン市での新しい小教区の司牧に着いて3ケ月経ちました。ご復活の挨拶と近況報告を兼ねて一筆認めました。

 1.小教区の概要:町中の中心にある「聖ユダ教会」と15キロメートル離れた田舎の「良きイエズス」に奉げられた小さな教会を管轄しています。更にそれに付属する田園地域の6個の小さな小聖堂が私たちの担当の責任範囲です。司祭は私と助任のジョアン・カルロス神父と学校の先生アドリアーノ修道士の3人です。まだ全部の小聖堂を廻りきれておりませんが田舎の教会は「過疎化」の余波をもろに受けて、若い世代はほとんど都市へと流動し、年老いた老人と婦女子人ばかりです。
 聖週間の「典礼」を終えたばかりですが、人口45万のバクルー市と比較すれば、まだ「宗教色」と「キリスト教の伝統」が薄れつつあるとは言え、一般信徒の脳裏にまだ「聖週間」に対する尊敬とノスタルジーが感じ取られます。世俗化の「津波」は直ぐそこまで来ており、バクルー市では「聖金曜日」に私たちの直ぐ隣のバーでは、シュラスコ(焼肉)の煙とビールさらに人々の罵声がまったく無宗教の町のように行き交っておりました。
 でも、ここツパン市はまだ静かに聖週間の典礼に合わせた厳粛なたたずまいで、素朴さと敬度さで典礼行事に参加しています。恐らく日本では想像もつかないでしょうが、この聖週間のスナップをして、ご紹介したいと思います。
 2.聖週間スナップ:「枝の主日」私たちの小教区を5組の地区に分けて、同時刻にそれぞれの地区から十字架とローソク、更に共同体のカードやシンボルをかざして行列を開始し、教会前の広場に参集して、「枝の祝別式」を行い、聖堂に入堂。
 5台の車に搭載したスピーカーの簡易放送システムで、小数区全体が祈りと賛美歌の「広範囲同時宣教化」のマス・カテケーゼに挑戦しました。家にいた「聞きたい人」も「聞きたくない人」も祈りと聖歌の歌声を聞かされました。反応は「新しさ」もあり、とても「好評」でした。何十年と「教会」にご無沙汰していた多くの人々がその後の典礼行事に参加してくれました。当日教会に入りきれない人が一杯でした。
 「聖水曜日」:今年の四旬節の兄弟愛運動である小グループでの祈祷会を締めくくるための合同集会。18のグループがそれぞれ実行した出来事の報告会を兼ねた典礼祭儀、祈りと聖歌と経験の交換会、南米の基礎である「共同体」の方法論の「見る」・「判断する」・「実行する」・「祝う」・「反省する」の実践の場。
 「聖木曜日」:ご聖体の制定と司祭職の制定・洗足式・真夜中までの聖体礼拝。今年はそれぞれの使徒活動の責任者がそのグループの奉仕者の足を洗って、相互協力と奉仕職の聖書の意味を味わいました。私は修道院の賄婦をしている奥様の足を洗いました。最後の晩餐の記念をして「聖体の制定」と司祭職の意味を考えて24時まで様々のグループに分けて「聖体礼拝」を続け、翌日は6時から13時まで一時間ずつ分担して、祈りと黙想を続けました。聖体の神秘に示される神の愛の深さに今更のように感嘆させられます。
 「聖金曜日」:キリストの十字架における愛の極みの「十字架の礼拝祭儀」を午後3時に行い、救世の時間に思いを馳せ、全世界の救いを祈りました。19時には青少年による「キリストの死」の野外受難劇を教会の玄関前の階段を利用して上演、聖週間の雰囲気を−段と醸し出しました。約2000人の信徒が警察の先導車を先頭に、恒例の花で飾られた「キリストの十字架上の死のご像」を担いでの「十字架の道行き」。教会から出発して約1時間半、15留の祈りと黙想の行列が続きます。3台の車に無線放送で教会のデスクから流す内容を受信し、スピーカーで増幅して、祈りと聖歌、更に各留の黙想を道行の群集に伝達しつつ、進行します。真っ暗な夜道にローソクを灯した「群集」による祈りと聖歌の行列で、正に南米の宗教心の圧巻とも言えましょう。そこにはキリストの死に対する南米人の「苦しみと圧迫」、「貧しさと困苦の中で感じるキリストの苦悩と受諾の死への叫喚の同一感」があります。それは未だに十字架の死に見る「受難死」のキリスト像で、復活と栄光の聖土曜日のキリスト像への移行にはまだほど遠い感じです。その証拠に行列が終わって教会に「ご像」が着くとまた長々と長蛇の列が出来て、このキリスト像に接吻するのです。
 「聖土曜日」:この典礼はとても多彩で、内容豊かなものですが、信者の足は金曜日と比較すれば4分の1に減ります。「復活の神秘」と「死から新生の神秘」はまだ十分に消化されていません。今後のケリグマと信仰の要理教育を見直すための福音宣教の重要な課題です。長い歴史のひずみの中で南米のキリスト教が中世期のヨーロッパの「聖人崇拝と信心行中心」で「聖書の神の言葉」への接近が一般信者に任されていなかったからでしょう。最近は喜ばしいことに「基礎共同体」運動を通して、聖書が信者の信仰生活の不可欠な中心的要素として尊重されて来ましたが、未だわずか4半世紀でしかありません。また同時に聖書が単なるキリスト教についての知識の本という範疇から、自分自身と自分の生活の意味、および世界全体の存在の意味への回答となる「信仰と真理」の本として、神の言葉との生きた出会いと回心の本であって欲しい思います。
 「復活の主日」:私たちの教会は本来「使徒伝承」による復活信仰の宣教の教会であるべきです。使徒たちは復活の証人として生まれ変えられましたし、勇気を与えられました。復活の出来事は神の力・聖霊の力への徹底受託性が求められます。ですから復活したキリストへの帰依は、使徒たちの共通の本質的使命として、命を張って復活したイエズスを「キリスト」として宣言したのです。この出来事は「聖霊降臨」を通して裏打ちされました。「私の恵みはあなたにとって十分です」と言う第二コリントの言葉通り「真理の霊」・「慰め主の霊」・「力の霊」として働いたのです。私たちは、今復活節にのぞみ「唯一」・「聖なる」そして「使徒伝承」の教会の宣教的、しかも派遣された教会の使命を行きぬきたいと思います。今日の世界にとっての最大のケリグマは、「復活したキリストの宣教」以外にないからです。
2005年03月27日




ウガンダからのお便り(コティドにて)

横浜教区司祭 本柳 孝司神父
 「会」の皆様

 日本では、初春を迎えていることと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。遅くなりましたが、主のご復活おめでとうございます。
 ウガンダ・コテイド県では、長い乾季が終わりつつあります。4月には雨が降り出すと思います。去年は、雨期にあまり雨が降らなかったので、今年は、穀物の収穫に十分な雨が降るように期待しています。
 手紙、書かなければいけないと思いつつ、今になってしまいました。申し訳ございません。海外宣教者を支援してくださっている皆様にももっと早く「きづな」を通じて報告をしなければならなかったのですが、あまり精神的な余裕がなく、遅くなって申し訳ございません。
 「きづな」、そしてカレンダーをいつもお送りくださり大変感謝しております。初めてお便りいたします。時が過ぎるのは早く、私がウガンダ・コテイド教区に来て、2年間が過ぎました。コテイド教区は、ウガンダの東北部、ケニアとスーダンの国境に接した地域コテイド県の宣教司牧を担っています。今、私は、コテイドの町から北東へ40km離れたところに位置するロヨロという小さな村の小教区で働いております。
 ロヨロには、ドドス族(カラモジョン族の一つののグループ。カラモジョン語を話す。)が住み、半遊牧の伝統的な生活を送っております。ドドス族は、コテイド教区の北部に居住し、人口は、約20万人です。ドドス族が住む地域は、小高い山々が点在し、雨量もコテイド県内では比較的多く、気候的にも涼しく、大変恵まれております。ここロヨロは、十数年前までは、大変多くの人が住み、ドドス族の中心的な町でしたが、ケニアのトルカナ族の襲撃によって壊滅的な打撃を受け、多くの人が他の地域に移住し、今は、小学校、小さな診療所、軍の駐屯地(今現在、軍隊は駐屯していません。)があるだけの小さな村です。
 ロヨロには、去年の8月に主任代行として赴任したのですが、10月の初めに私たち司祭に対する脅迫事件が起き、しばらくの間、ここを離れ、カーボンという町の小教区に住み、そこから他の4つの巡回教会への宣教司牧を行っておりました。しかし、最終的にロヨロに戻ることになり、1月の中旬に戻りました。今は平常の宣教司牧活動をおこなっています。
 ここには、4つの巡回教会があり、それぞれの教会には、カテキストがおり、彼らが実質的に宣教司牧の責任を担っています。恐らく全人口の60%以上が洗礼を受けていると思われます。ただ、主日のミサに来るのは、20〜50人程です。洗礼を受けている人は多いのですが、民族の文化、習慣からの強い影響を受けております。この人たちをどのようにイエスの価値観へ導くかがここでの司牧の課題です。
 ドドス族が住むカラモジャ地方には、5つの系統の違った言語を話す民族が住んでいます。その中の一つカラモジョン語を話すアテケル・グループがこの地域では、人口的にも多く、あらゆる面で優位に立っています。このカラモジョン語を話すアテケルーグループは、カラモジョン族(更にボコラ、ピアン、マセニコの亜民族に分かれる)、ジェ族、ドドス族、ケニア北西部に住むトルカナ族、スーダン南東部に住むトポサ族、ジイェ族、エチオピア南西部に住むニヤンガトム族に分かれています。また、これらの民族は、同じような文化、習慣、言語を共有しているのですが、時には親交を結び、ある時には、敵対し、家畜の強奪戦を繰り返しています。
 ここコティド教区では、家畜をめぐるレイディング(強奪戦)が問題となっております。年間200人以上の人が亡くなっています。この地では、平和を構築することが、最も必要な宣教活動です。カトリック教会も平和構築に向けて努力をしています。
 皆様の歩みが神様と共にありますようお祈りしております。
 以上です。どうぞ宜しくお願いいたします。この復活節が海外宣教者を支援する会皆様にとって実り豊かなものとなりますようお祈りしております。
小学校の生徒共に
小学校の生徒共に

巡回教会Lochomにて
巡回教会Lochomにて

2005年03月31日




ボリビアからのお便り(コチャバンバにて)

宮崎カリタス修道女会 シスター秋永 みすえ
主の平和

 四旬節も深まり、聖週間を迎えようとしている今日この頃、「支援する会」のスタッフの皆様方には如何お過ごしでしょうか。この手紙が届く頃には、もう復活のよろこびに満たされている時ではないかと想像しつつ筆をとっております。
 先日、日本の総本部よりメールが届き、私たちの保育園のために4,000ドルのご援助を下さるとのこと、保育園児、職員、そして私たちシスターズ心よりお礼申し上げます。皆様の暖かいご支援により園児の健康面の改善、特にメニューの改善に努めたいと思っております。と言うのは、タンパク質の不足は以前から感じていましたが、どうしても肉類を買うことができなかったので、豆類で補っていました。しかし、これを機にメニューを少しずつ変えていきたいと思います。また、医療の面で貧しい子供たちの家は清潔感に欠け、いろいろな病気、特に皮膚病が伝染していますので、そういう面の改善にも努めたいと思っております。
 2月の新学期から1ヶ月が過ぎ、激しい泣き声で一杯だった各クラスも穏やかな雰囲気になり、楽しく笑う子供たちの声に未来を見るような気がします。特に4歳児25人は、来年幼稚園に入る準備ということで、子供も先生も張り切って、初期の勉強をしているようです。また、3月19日は、小さいながらも“父の日”を計画し、普段接することの少ない父親と一緒に楽しく過ごさせたいと計画しています。これも皆様方の暖かい心に支えられ、奮発の心を失わないように、すべて神様への愛のためにと行っている宣教の賜と思っております。
 どうかこれからも、この貧しい子供たちが神様の祝福のうちに健やかに成長し、未来のボリビアを築くひとりとなって行くことができますように、お祈りで支えて下さいませ。
 子供たちに代わってもう一度御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 2枚ですが、子供たちの写真を同封します。
ひまわり保育園の子供たちの誕生会−ピエロに扮した先生のお話を聞く子供たち。
ひまわり保育園の子供たちの誕生会−ピエロに扮した先生のお話を聞く子供たち。

同上−楽しく美味しいケーキを頂く子供たち。
同上−楽しく美味しいケーキを頂く子供たち。

2005年03月18日




ボリビアからのお便り(サンタクルスにて)

宮崎カリタス修道女会 シスター末吉 順子
 †主はまことに復活された。アレルヤ!

 主の復活おめでとうございます。
 ボリビアに戻ってみると相変わらず暑い毎日です。
 さて、Villa Reyes の作業場の建設費の一部として1,852ドルのご援助を頂き、心より感謝いたします。この1,852ドルから第一歩を始めていきたいと思います。
 実を言いますと、この仕事もまだまだ軌道に乗らず、苦しい毎日です。それでも村人たちは、自分たちの生活費の足しに、とても安い賃金(月35ドル)で、8時間労働の仕事をしています。ちなみに、ボリビアの最低給料は60ドルです。こんな仕事内容で、胸は痛むのですが、それでも未来に希望をかけたいと思うのです。“仕事はやめない”と決意した村人たちの胸中も同じではないかと思うのです。作ったものを日本に輸出しているというと聞こえはいいかもしれません。でも実際、メートル8ドルの売値ではやっていけないのです。送料だけで今のところ300ドルが消えていきます。毎月必要な羊毛の買い出しで、100ドル支払い、手元に残るのは240ドル。給料の支払いのために必要な600ドルの半分にも満たないのです。
 手作業が早くなり、もっと能率的にできるようになれば、需要も増えるのではないかというのが、私の希望であり、望みです。多分、村人たちも同じ思いでしょう。あえぎながら生活する村人たちの心を私の心として、できる限りのことをしたいと思っています。
 この援助は多分村人たちに希望の光を与えることでしょう。
 スタッフの皆様お一人お一人に神様の豊かな祝福をお祈り申し上げます。
 このプロジェクトの会計を担当している青年の感謝状も同封します。どうぞ、このプロジェクトのためにお祈り下さい。感謝をこめて。
2005年03月

別添:Villa Reyes織物プロジェクト責任者G.M.ロドリゲスさんの感謝状(訳文)

日本カトリック海外宣教者を支援する会の皆様

 初めに、私の心からの挨拶を贈りたいと思います。皆さんのお仕事の成功を祈りながら、私たちの主キリストと聖母が幸福と喜びの満ち溢れた道へと導いて下さいますように。
 私たちの織物プロジェクト Villa Reyes のためにご協力いただき心より感謝いたします。私たちの村を上げて神様が皆さんのような愛と平和、協調にみなぎる方々を贈って下さったことに大きな喜びを感じています。私たちは貧しいですが、家族を守るために頑張っています。
 今回、建築のためのご協力を頂き、Villa Reyes の村人一同、皆さんに感謝すると共に、神様の豊かな祝福をお祈りいたします。

 感謝をこめて
Villa Reyes 織物プロジェクト責任者
ヒリベルト・モンターニョ・ロドリゲス




台湾からのお便り(台北にて)

マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター青木 青子
†主内平安(ジュネイ ピングアン)−キリストの平和−

 いつもお祈りのご支援をありがとうこざいます。
 この冬は寒かっただけでなく様々な災害にも見舞われ、未だ被災者の方々は不便な生活を強いられているとのこと、心より“主内平安”を祈ります。私が住む台湾・南投でも降るはずのない雪が降りました。
 日本人にとって近くて遠い国、台湾は韓国と同じように50年間日本の統治下にあったことを、私も派遣される前は認識していませんでした。中国との関係も複雑で、国の名前も中華民国なのか、台湾なのか、未だ国内でも統一化されていません。そして統一出来ない弱さを抱えて60年過ぎました。でも経済的成長には目を見張るものがあります。この国に派遣されて6年半の年月が経ちました。昨年の夏まで台北に住んでいたのですが、今は中部の原住民の地域で、シスター志願の女性の同伴・養成の傍ら、教会司牧のお手伝いをしています。
 台湾は日本以上に学歴・資格重視の国で、子供、若者はもちろん、大人になってもより高収入の仕事を得るため、夜学校に通うか、休職して学ぶ人がたくさんいます。それゆえ、生活のストレスは大きく、人間関係にも影響し、たくさんの人が疲れ、傷ついています。
 そのような状況の中で、若い人たちは本当の心の平和と喜びを求めて、修道院の門を叩くようです。そのあたりは、日本の現状と似ているかもしれません。違うのは、台湾のたくさんの教区や男女修道会が海外(ヴェトナム、中国大陸そして韓国)から若者を得て、台湾で宣教するために養成していることです。台湾の教会の姿を台湾人はこう比喩しています。「司教は大陸から、司祭はヴェトナムから、信徒はフィリピン人」。 ですから、教会と修道会がどれだけ台湾の若い人たちに希望と喜びを与えられるのか大きなチャレンジです。私も外国人であるが故に、いっそう自分の価値観の押し付けにならないよう、いつも若い人たちの選びの源に何があるのかを一緒に見ながら、真の自由な心をキリストからいただく旅路を歩んでいます。時折、自分でも不十分なこと、消化できていないことを話したり、勧めたりすることにストレスを感じますが、それゆえ本当に導くのはキリストであることを痛感しています。毎日、実際に変えられているのは彼女たちより私の方でしょう。
 現在のようなストレスの強い台湾社会を築いたのは、主に中国からの“台湾人”であり、人口わずか2%ながら、9つ、10の部族を持つ台湾原住民(日本語では差別用語に聞こえますが、彼らは誇りをもってこの呼称を使います)は、たびたび社会の弱い存在となっています。私はプノン族の集落に住んでいますが、1人の志願者の言葉を借りるなら、“外国にいるようなカルチャーショツク”を初めに受けました。だいぶ都会の生活文化に影響されてはいますが、独自の言葉と生活文化を持ち、メンタリティが中国人とは全く違う彼らと私たちの修道会は、人は変わっていますが30年間かかわりを続けています。
 カトリックの人口率は日本と変わらない台湾ですが、ここでは50%がカトリック、残りの50%がプロテスタントというキリスト教の地域です。私たらは5つの山にある教会の信者さんたちをサポートしています。プノンの人々は一般的に内向的で、生活を積極的に改善しようとする中国系の台湾人に比べると受身的であり、それ故に一般的に貧しく、また飲酒が大きな問題です。(悲しいことですが、お酒は日本統治時代に原住民の生活に定着したとのことです。)部族の中で結婚する人が多いので、親戚関係をたどっていけば、ほとんどがつながってしまうような小さな世界です。
 きれいな大きい目と褐色の肌を持つ彼らは、2歳位の子供でも人と分かち合うことを学んでおり、子供も若者も自分より年下の子供の面倒を良く見ます。でも昼間から働かず、お酒を飲んで、くだを巻く大人を見て育っているせいか、あるいはテレビで山の外の世界を見ているからか、中学生頃になると“自分たちはどうせ原住民”という劣等感や諦めを持つようです。子供たちは学校では国語(中国語)を使っており、彼ら自身の言葉を積極的に学ばず、大きくなるため、教会では言葉が−致を妨げています。
 プノン族は“八部音”という独特の美しい合唱形式を持っていて、大人は大きな声で日曜日の歌ミサに参加するのですが、20代以下は歌も覚えようとせず、ミサ中後ろで座っているだけ。それでも来るだけましな方で、中学生以上は理由をつけてミサに来なくなるのです。
 現在日曜学校では、30分言葉を教えています。子供たちが参加できる、キリストと出会えるミサをつくることを目指して・・・。そしてお酒に逃げない大人になって欲しいと心から願っています。どうぞ日本の“隣人”である台湾の人々のためにお祈り下さい。そしてぜひ台湾にいらっしゃって下さい。台湾の人たちは皆日本人が大好きで、知っている日本語で気さくに話しかけて下さいますよ。
 私たち日本人が失いかけているものに気付かせていただける所です。
 この園で働き、学べることに感謝しつつ・・・。再見!
2005年03月下旬