シエラレオネからの便りシスター・根岸
はるか日本の皆様ルンサより第一報をいたします。お元気でいらっしゃいますか? 私は9月20日夕、現地時間17時30分に無事にルンギ空港に到着いたしました。フリータウンに行くかと思いましたが、ルンサからシスターが迎えにきていましたので、そのままルンサに向かいました。川底のような道をゆられゆられてルンサに到着したのは夜の9時半、ローマ時間ですと11時半でしたから私たちにとっては夜中ということでした。日本からですとここルンサは9時間の時間差です。こちらのお昼の12時は日本の夜9時ということですね。 学校は今週より始まりました。私は年令的な理由もあり、OLGの校長ではなく、これからはマリア イネス職業センターの責任者に就任しました。この仕事は私にとって初めてですがやりがいのある仕事です。でも何もない所から始めますのでまさに大変です。とにかく私の座る椅子も机さえもまだありません。修道院もまだ屋根も末修理で雨がどんどん入ってきます。それでも一階に神父様は3つの部屋に窓をいれてくださりベッドも揃えてありました。 私が到着した日にやっと窓が入ったそうで、それまではねずみやたくさんの昆虫が入ってきて、ねずみ恐怖症のシスター・エリサの悲鳴が絶えなかったようです。おかげさまで自分たちの部屋はこれらの訪問者がなくなり、静かに休めます。朝はたくさんの小鳥の鳴き声で目がさめます。私はなかなか石油ランプがつけられなくて悪戦苦闘しますが、そのうちに馴れることでしょう。夜の2時間と朝の2時間は、司教様が私たちの発電機が手に入るまで小さな発電機を貸してくださいましたので、その時を利用してこの手紙を書いているわけです。でもお祈りと食事をひきますと、書ける時間はたったの1時間、時間とにらめっこというところです。幸い充電電池がありますので、電気がなくても数時間は書けますのでセンターに持って来ては続けています。 こちらの気候は昼間は暑いですが、夜は今のところとても涼しく、本当に快適です。ただ雨季の終わりですので、果物は何もありません。ないないずくしで愉快です。歯をみがきましょう、コップがありません。コピーをしましょう、機械がありません。便利な生活に馴れるということは後が大変ですね。 生徒たちは机も椅子もありませんので、椅子を各自家庭から持って来るようにいっています。職業センターは中学の卒業資格テストを受けて、高等学校に達しなかった生徒たち、それから教育を受ける機会がなかった若い結婚した女性たちのために門が開かれています。特に私たちに与えられた仕事は元反乱兵の妻たちのお世話です。彼女たちの心理的ケアと共に、手に職を与えるのが目的です。この職業センターは、以前300人の生徒がいましたが、この戦争ですべてを失いましたので、生徒数はグーンと減り、現在100人です。 校舎はいまだに国連軍のバングラデッシュ兵士が占領していますので使えません。それで小学校の一部と中学の教室を借りて、授業を行っています。国連軍はおそらく10月頃、そこを引き渡してくれるでしょう、と希望しています。しかし、彼らの立ち去った後は、ものすごい廃墟にしてしまうのではと、らはらしています。マリオ神父はこの修築には1,500万はかかるでしょうといわれました。これを聞いた私は、150万の予算でしたのでびっくり、がっかりしましたが、シスターから出来るだけやればいいのよ、がんばりましょうね、とはげまされ、元気をとりもどしました。神様は必要でしたらすべてまかなって下さるでしょう。お祈りくださいませ。 職業センターですのにタイプライターが1台だけ、ミシンが10台。これらはイタリア人の神父様から頂きました。とにかく手で縫うこと、ガラ染めなどから始めます。ノートもチョークもありませんので来週はこれを買いにフリータウンに行きます。まだ人々は食料不足で苦しんでいます。それで給食は欠かせません。皆様のご協力でどれほど助かっていますか知れません。本当にありがとうございます。 4人のシスターによって幼稚園、小学校、セカンダリー、職業センターとすべて開校しました。汽車は走り出しました、どうぞこれからも応援よろしくお願いたします。 最初のこちらのミッションは前からのメンバー3人、エリサ院長、彼女はセカンダリーの校長にも就任しました。ローサリリア、彼女はメキシコ人で、ナイジェリアで働いていましたが、今回幼稚園の責任者として働きます。そして現地人のシスター・レヴェッカ、小学校の校長でしたのでそのまま続けます。そして私は職業センターの責任者というわけです。この4人です。どうぞよろしくお願いたします。 毎日、雷雨がやってきます。これはいよいよ乾季が始まるということです。この世紀にまだ電話も電気もなく、石油と薪の食事つくりがおこなわれているのは不思議ですね。でも平和であることがどれほど素晴らしいことか。シエラレオネには、未だにたくさんの若者が職業を求めています。良い指導者がこの国を真の平和に導いて行けますようにお祈り下さいませ。 反乱兵によって完全に壊されました修道院も神父様の指導のもとに着々とブロックが積まれて新築されています。すべてを許し、前進するのみですね、平和は愛と許しが必要です。 では皆様この次までごきげんよう、これからもご支援よろしくお顔いたします。 9月30日投函
チャドからのお便りショファイュの幼きイエズス修道会 チャド援助金窓口
チャドの兄弟たちを支えてくださっている皆様十 キリストの平和! 暑かった夏がようやく秋に席I譲ってくれたようです。その後お変わりございませんでしょうか。お伺い申し上げます。 チャドでも長い夏休みが終わって、9月から新学年度に入っています.今年の夏はチャドから三人のミッショネールが帰国し、7月〜8月に霊肉の体養とエネルギー補給を終えて、9月6日に先ずフランスに向かって再出発いたしました。 シスター有薗とシスター三宅は9月9日にチャド入りし、シスター入江は養成のためフランスにしばらく残ります。 日本滞在中にいろいろな形で皆様からの励ましをいただき、感謝一杯で各自の職務に戻られました。 今回はシスター有薗がチャドのガールスカウトについて紹介してくれましたので、皆様のもとに送らせていただきます.約40年前に播かれた種が芽を出し、風雨に耐えて成長してきました。良い実を結びますようにとシスターたちが関わっております。これは皆様との共働の場です。共に喜んでいただきたいと思います。また今後もお見守りくださいますょうにお願い申し上げます。 皆様方お一人おひとりの上に神さまの特別な祝福をお祈りしております。 感謝をこめて 2002年9月24日
ついに正会員チャドではカトリックの宣教が始まって約30年後、宣教女によってスカウトの精神による婦女子の養成が始められ、内戦や飢饉にもかかわらず熱意は消えず、今年6月18日〜25日までフィリピンで開催されたガールスカウト世界大会に於いて、チャドのガールスカウトはめでたく国際連盟に加入できました。1984年、当時チャドの司教様はガールスカウトを担当できる宣教女を探しておられました。何故なら、チャドに於いてガールスカウトは一つの信仰教育の場でもあって、毎年求道者や洗礼を受ける人が多くあるからです。そして、この活動に無経験な私がその任に当たることになりましたので、大坂教区の関係者にご指導、ご支援をいただき今日に至ることができました。現在もその方々との交流は続いております。 現在チャドでは、3500余名のガールスカウトたちが“常に備えよ”をモットーに、自立を目指して下記の五つの面から学校教育以外の教育を受けています。
ンジェメナ シスター有薗 順子 記
ケニヤからのお便りマリアの宣教者フランシスコ修道会 南雲 春江
日本滞在中一度だけ事務所でお会いしましたが、覚えていらっしゃいますか。匿名希望の方からのご援助でケニヤのためにお金をいただきました。私は3月中旬こちらに戻り、2ヶ月ほど他の共同体の手伝いに出かけ、5月中旬新任地の今の共同体に移りました。ここは直ぐ目の前にキベラというケニヤ一番のスラムがあります。100万人の人口ということです。私も何度か足をはこび、その様子をこの目で見て、想像に絶する思いでした。でも貧しくて、汚くて、せまくて大変なところなのに、人々は生き生きしているのです。特に子供たちがいっぱい、あちらこちらにいて、人なつっこく、「ハバリ… 」(いかが…)とあくしゅを求め、誰かから聞いた「How are you」を舌が回らないのに、一生懸命「ハワユ… 」と。とても可愛いです。 いただいたお金は、毎日入り口の門をたたいて、食物をこいねがう子供たちに、トウモロコシの粉や豆を買って、配りました。どうぞ、くださった方(もし、ご存知ならば)にお伝え下さい。子供たちの飢えをしのぐ1食分、何人かの子供の口に入ったことを。 それでは今後も、よいお仕事を続けて下さい。 最後になりましたが、毎回の「きずな」、カレンダーなど、ありがとうございます。 2002年9月20日
インドネシアからのお便り聖母カテキスタ会 シスター浜谷 真佐美
主の平和と感謝の祈りを毎朝のミサの中にお捧げしております。「きずな」の会員の皆様方全ての上に神様からのお恵みが豊かに注がれますように、 いつも安全と健康に恵まれて、神様のうちに海外で働く末端の私たちもみな「きずな」のように一つになれますように、 神様の御国のために生かされますように、 と祈りながら、感謝しながら綴っています。 私は未だメダンに残って、活躍を続ける決心をしております。愛の園学園も助けなければなりませんから。その上、私は未だ現場で働いております。幸いにも健康に恵まれておりますし、毎日を祈りと働きのうちに励ましと助けを頂き、希望のうちに働かせて頂いております。 歳のせいでしょうか、最近まわりの方々に助けられ、守られていることのありがたさが身にしみるようになりました。 未だ色々の問題が次から次と後を絶たずに参りますが、これは生きている「しょうこ」ですね。祈りのうちに心静かに受け止めています。 イスラム教のドラマの中で母親が青年の息子に「困難や苦労はゴハンのオカズだよ!・・・」と言って、わが子の頭を抱きしめる場面を見ました。この母親の体験から来る事実上のわが子への愛の慈しみと励ましと思い、私も色々の問題を生涯のゴハンのオカズにしています。 どうぞ来年2003年もよろしくお願い申し上げます。 私は神の道具であることを感謝しつつ。アーメン! ロンドンからの便りカノッサ修道女会 鬼頭敬子
「日本カトリック海外宣教者を支援する会」の皆様へこの度の、島本大司教様の急逝を心から悼み、主の御許へと旅立たれた大司教様が、今は、御国で安らかに憩われますよう心からお祈り申し上げます。 お送りいただきました「きずな」海外宣教者を支援する会創立20周年記念号での、大司教様の最後となる、心に沌みる力強い支援のお言葉を大切に胸に刻み、これからも、与えられた宣教の使命に徹して生きたいと思います。島本大司教様、どうぞ、安らかに!そして私たちのためにお祈り下さい! 2002年9月15日
フィリッピンからのお便り無原罪聖母宣教女会 シスター・守山 陽子
「きずな」創立20周年記念号をお送りいただき、ありがとうございました。ひと口に20年と申しますが、年輪の重みを感じますね。この20年間に「海外宣教者を支援する会」を通してどれだけ多くの心と心の絆が結ばれたことでしょう。皆様の地道なお働きにあらためて感謝申しあげております。
島本大司教様、急逝のニュースは驚きと同時に神様の愛の粋なはからいを感じさせられました。教皇様を通して大司教として長崎にお呼びになった神様は聖地巡礼を終えられた大司教様を今度は直接にご自分のもとに呼ばれたようです。「お疲れさま、私のもとでゆっくり休みなさい」とでも言われているのでしょうか。優しい笑い顔を思いうかべながら、み魂の安らぎのためお祈り申しあげます。
(9月14日付)
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