トップ会報『きずな』96号目次 > 本文
KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アジア』





『この一年の活動報告とご支援の感謝』

〜フィリピン(バコロド)〜
善きサマリア人修道会 後藤圭子、鈴川良、迎衛子
  
 暑い暑い太陽に照らされた乾季が過ぎ、雨季に入ったバコロドよりこんにちは!皆様からの暖かいご支援とご指導をいただき感謝の気持ちでいっぱいです。この一年の主な出来事をお知らせして、日頃の感謝に代えさせていただきます。
 「善きサマリア人幼稚園」では3月31日、第2回卒園式を挙行し、51名の子供たちが記念のメダルと修了証書を手に、6月からの小学校入学への希望を胸にして巣立っていきました。開園2年目の今年は、保護者の方々から目に見える大きな協力を受けて、勉強や行事に取り組むことができました。
 特に、シスター・ユージニーの保護者学級の母親を中心にして、12月にコーラス・グループが結成され、園長以下教職員も参加して、クリスマスキャロルを歌って、スポンサーとなってくださる家庭を巡り、資金集めをしてくださいました。その成果はr善きサマリア人のたとえ話』の壁画となって、日々園児を見守っています。
 また1月27日、病気のために帰天した園児ゾーレン・リーゴソの入院治療や埋葬の費用の援助にも使われました。その園児の死に、私たちは改めて「貧しさ」とは何かに直面させられました。と同時に、貧しさの中での人々の助け合う力に感動いたしました。
 奨学金プログラムについては、今年、「インマキュレイト・コンセプション タリセイ校」の一人の高校生が首席で卒業し、8人の優等生の内6人までが私たちの奨学生という成績でした。
 教会付属幼稚園の卒園式は3月23日に挙行され、私たちの大学奨学生第1期生で、現在公立小学校で教えているジャン・セガヤさんがゲスト・スピーカーとして招かれたことは、私たちにとって二重の喜びでした。また、神学生奨学金の援助もいただき、5名の神学生が、将来の司祭職を目指して、勉強に、司牧体験に励んでいます。
 ヘンリエッタ村のサン・ジョゼフ小教区では、保護者の要望に応えて、40名の高校奨学生の他、職業訓練コースを開始しました。20名が3か月間のホテル・マネージャーによるお客への対応課程、また10名が電気器機修理課程を学び、修了証書を手にしました。高校を卒業しても就職口のないフィリピンで、手に職をつけることは大切です。海外就労者からの援助だけに頼らないで、自国での雇用促進を進める政治家の活躍を願うばかりです。今年は洋裁とマニキュア・ペディキュアの課程が予定されています。
 善きサマリア人幼稚園でも保護者の活動として、裁縫プロジェクトを計画しています。また、保護者のための保健衛生講座も緊急に必要で、新しく多目的教室の建て増しに迫られ、計画中です。幼稚園児への給食プログラムも徐々に始めており、保護者の方々の手伝いを期待しています。
 ブルバード・マムブロック地区への訪問も7年が過ぎ、子供たちの成長は目覚ましく、また新しい赤ちゃんの誕生も多いです。家族の中で6番目、7番目という赤ちゃんも多く、日本での少子化問題はここでは考えられない話です。一人のお年寄りが天に召され、家族の願いで初めてブルバードを訪れた教区司祭は、狭い場所にあまりにも多くの人々が住んでいるのを見て、驚かれました。ここは多くの人々から忘れられている地域と言っても過言ではありません。でも、今年初めて念願がかなって、5月のフローレス・ド・マイヨ(カトリック教会で大切な子供への教理勉強会)が1か月間、高校生の手助けによってブルバードの路地で実施されました。マムブロックは教会に近いので、直接教会で参加できます。
 次の世代のカトリック教会を担う司祭養成の場であるバコロド教区神学校で、昨年6月からシスター・フランは、養成チームの一員として講義と霊的指導を担当しています。貧しい中で熱い信仰を持ち続けている人々への、真の司牧者となる司祭の養成を願って止みません。また、オーストラリア人のシスター方は、広く他の修道会のシスター方の養成も助けています。
 私たちの修道会の第24回総会が昨年9月に開催されましたが、その指針声明は「私たちは希望をもつ女性……」という言葉で始まっています。世界各地での終わりのない戦い、爆弾テロ、大自然災害、事故、殺人、強盗など数え切れない悲しい出来事が連続しています。この中にあっても、なお私たちは神のみ旨を信じ、神のご計画の中にある人間として、この宇苗の一員として与えられた生命が、希望をもって生きることができるよう、努めたいと思います。
 皆様の善意のご支援に神様が報いてくださいますよう、毎日のお祈りをお捧げしています。





『アフリカ』


ショファイユの幼きイエズス修道会は昨年、チャド宣教25周年を迎え、「チャドの兄弟たち−チャド宣教25年−(1980年〜2005年)」を作成しました。ライ修道院、ンジャメナ修道院、ギダリ修道院で活動するシスター方の報告を抜粋して掲載します。



 『神の愛を見えるものにする Merei,mille rois de Merei!!』
(有り難うございます、本当に有り難うございます) チャドの人々の織りなす歴史の中で、わたしたちの活動は一つの横糸であり、皆様の物心両面の協力は尊い輝きを放っています。これからも絶えることのない困難を乗り越えて進むチャドの兄弟たちとの連帯を心よりお願いたします。







『聖木曜日の体験』

〜チャド(ンジャメナ)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 日置 マリエ

 「ドーン、シュー、ドンドン!」それは雷鳴ではありません。ましてや花火でもありません。クーデターによる威嚇射撃です。朝5時半頃から始まったというこの威嚇射撃!私が耳にしたのは6時。チャペルの中で念祷中でした。
「アッ、始まった!」と思いながら、他のシスターたちを見まわしました。皆、身動きせず祈り続けています。私は内心「弾」が飛んで来はしないかとヒヤヒヤでした。約4時間この射撃は続きました。
 司教館からの悲しいニュースがその後入ってきました。去年叙階されたコンボニア会の神父様のお父様が、流れ弾に当たって即死されたのです。2日後、そのご自宅にお悔やみに行きました。亡くなられたお父様のご兄弟がいらしたのですが、その方に「私たちと共にいてくれてありがとう」と言われ、一瞬、この場になのか、それともこの貧しいチャドの国にいることなのか判断しかねましたが、いずれにしても「共にいる」、「共感共生」について考えさせられる言葉でした。
 話を聖木曜日に戻しますが、その日私たちはミサに与るために、宿泊者の了解を得て、夕食の時間を一時間早めたのです。ところが様々な危険を避けるために、ミサの前の鐘は鳴らさず、ミサも一時間早めたとのことで、私たちが出かけようとした時は、すでにミサは済んでいました。残念! そしてご復活祭、今年も100人を越える受洗者を迎えましたが、恐怖を共に味わった兄弟たちとの、平和のあいさつの握手をする手に思わず力が入りました。「ドーン、シュー、ドンドン」が花火の音に変わる日が来ることを願いつつ、引き続き皆様のお祈りによる支えを心からお願い致します。






『ガールスカウトたちは今!』

〜チャド(ンジャメナ)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 有薗 順子

 今年も創立者バーデン・ボウェルの祝日に、ンジュメナ大司教区では13の小教区から約1,100名のガールスカウトがアトロンの小学校でキャンプを行ないました。クイズ、演劇、コーラスの他、例年の専門家によるエイズ問題、生命の尊さ、早婚、早産の弊害について講演が行われ、活発な質疑応答が続きました。






『『レーヌ』

 アンチエ幼稚園』
〜チャド(ライ)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 松山 浩子

 祈りと聖歌から始まって、歌、詩の暗唱、ダンス、劇「ダビド」と続いた。93名の園児たちは、いつもより元気に演じてくれた。司教様はじめ来賓、多くのご父兄の方々も祈りのうちに見守ってくださり、神様の祝福かと思うような好天に恵まれた。
 今年は特に、チャドのガンバイのダンスをマドモワゼル・ジェルメンが子どもたちに指導したので、楽しく踊る子どもたちの姿にも歓声が上がり、地元のラジオにもその様子が流された。
 私たちは、ラジオの「何のための行事か?」というインタビューに、「教育は子どもの才能を引き出すことであり、両親に子どもたちが何を学び、どんなに成長したかを理解していただく日です」と答えた。両親も子どもたちも先生一同も、大満足の日だった。
 共同体のシスター方とナザレト寮の学生4人が、当日陰ながらいろいろなことを手伝ってくださり、私にとっては“感謝で”一杯の一目であった。






『希望』

〜チャド(ライ)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 脇山 ミキコ

 日本の援助団体の協力でライの未亡人会にミシン2台が入りました。その1台はジグザグも縫えるミシンです。彼女たちの夢は、チャド人の好きなユニフォームの注文をたくさん取って、どんどん利益をあげ、会員のためにはぐっと格安で奉仕しょうというものでした。ミシンを囲んで、大喜びの婦人たち。いよいよ足をかけて踏みこんでみると自分の意に反して逆回りになり、想像していたよりずいぶん難しいことが分かりました。
 針に糸を通そうとすると見えません。老眼鏡の必要な歳になっているのです。もう自分たちではなく、娘たちに習わせたいと言い出すなど、只今休戦状態です。
 雨季になりましたので、共同の東田2ヘクタールの耕作の仕事に入ります。去年の収穫物の稗やインゲン豆は4月に脱穀して、高値になったところで売り出すなど、おしゃべりと歌に力を得て労働しているといえます。
 ミシンの作業場もみんなで解決案を見出すでしょう。より力強く生きていこうと力を出し合う未亡人たちの上に神様の祝福を祈っています。






『2年ぶりにチャドに戻って』

〜チャド(ライ)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 平 静代

 2年間チャドを留守にして、再びチャドに舞い戻って来ました。10年間住み慣れたギグリからライに移り、大人を対象とした村おこしの仕事から18〜21歳の女子学生の指導と世話役になるという、大きな変化の10か月でした。2年間の研修のお陰で、出来事に敏感になった半面、ある意味では大きなギャップに突き当たる日々でした。「神の愛を目に見えるものにする」という本会のビジョンをこの地で生きるために、今の私は自分自身を見つめ、神のみ旨に沿う者となる恵みを願っています。
 さて、3年目を迎えたべタニア寮ですが、この寮は、イエスが頻繁に足を止めたベタニアの村にはラザロ、マリア、マルタの家があり、イエスを暖かく迎えた兄、姉妹もいた。イエスの足元に身を置きイエスの話に聴き入った場所、ベタニアに因んで、未来を担う自立したチャド婦人を育てることを目的としています。今年は2人のメンバーが加わり、7名の学生が生活しました。7部族、7つの言葉、もちろん共通語はフランス語です。
 今年も2度、先生方のストがありました。その間寮では、補習授業を行ないました。また、ンジャメナ、ギダリからもシスター方の応援を得て、一般教養、霊的講義を行ないました。最高学年の2人は、6月6日から始まる大学人学資格試験(バカロレア)を前に最後の追い込み中です。他の5人は喜びのうちに長い休みに入り、村々に散って行きました。彼女たちが、ベタニアのマリアたちのようにイエスの言葉に励まされ、チャドの社会、教会を担う青年として成長しますようにと祈っています。






『地区本部の家の完成』

〜チャド(ライ)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 大和 ひろみ

 「ラレー!マ・スール(こんにちは!シスター)」。新しいチャド・ミッションの地区本部の家ができました。ライの支部修道院から徒歩で7分のところです。2月から私はそちらに引っ越しました。食事と仕事は元のままですので1日に三、三度往復します。
 「ラレ!ラレ!」、「ラ・フィア!」の声。それは「こんにちは!」の意味です。小さい子どもたち一人ひとりが競争して、手をだしてくれます。どんな小さな子も、握手するのがあいさつです。歩く道々でたくさんの人々と出会い、家に辿りつくまでに20分、ある時は30分もかかるときがあります。来年は、この子たちが幼稚園に入園できるようにお母さんたちに話さなければと思いつつ…!私の新しいミッションのはじまりです。日頃の皆様のご支援に心から感謝申し上げております。






『頼りにされているギタリ診療所』

〜チャド(ギダリ)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 入江 多嘉子

 ギグリ・カトリック診療所は1966年に開設され、私で14番目の責任者を迎えたことになります。1989年10月から正式にショファイユの幼きイユズス修道会に管理運営が委ねられ、シスター大湾が責任者として赴任しました。診療所のスタッフは3人のチャド人です。3人共20年以上働いているベテランたちです。平均年齢49歳、今年の8月にはカメルーンのカトリック看護学校に送った奨学生の青年が勉学を終えて、スタッフに加わる予定です。
 チャドは国内紛争が長く続き、その後も経済状態は不安定で、他の診療所(公立、プロテスタン系)では、薬品や器具が不足し、看護学校卒業後すぐに責任者として任命されるため、経験不足が原因で診療所としての機能が果たせずにいます。
 そのためギダリの診療所には遠くから来る病人が絶えません。ギダリの村の周囲には15キロを間隔として公立、プロテスタントの診療所があるので、各診療所がその機能を発揮すれば、病人たちは長い距離を動かずにすむのにと残念です。ギダリ診療所は日本の方々の善意に支えられて、困難はあっても、なんとか薬品、器械の購入が可能となり、スタッフの経験の豊かさと相まって、診療所としての活動機能を十分に発揮しています。
 生後0〜11か月までの乳児を対象にした予防接種でも、好成績をあげています。世界保健機構がポリオ撲滅キヤンペンを掲げていますが、チャドでも2001年から2005年まで毎年5回、一斉に国内でポリオワクチンの予防接種がありました。ギグリはいずれも100%以上の成績を上げました。
 チャドでは住民登録が徹底していませんので、世界保健機構で決められた統計率で、人口、年齢層、出生、妊娠、年間総数を割り出します。基本数は1993年に行われた国勢人口調査でだされたものを使用していますので、転入、転出のはっきりした数字が分らないため、いっも100%を越えるのです。日本では考えられない問題ですが、人口把握という基本数だけでも大変な仕事になります。多くの困難、種々様々の問題を抱えつつも、スタッフと共に日々、地域住民の保健衛生の向上、健康の資質向上に努めています。この場をかりて皆様に心からお礼を申し上げます。






『マアベリア産院開設60周年』

〜マダガスカル(アンチラベ)〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 牧野 幸江

 『きずな』と新しい海外宣教者名簿をありがとうございました。日本は暑い、湿度の高い夏をお過ごしのことと思いますが、皆々様にはお変わりなくお過ごしでしょうか。
 私も一年間のよき日々の休暇を終わり、3月末にマダガスカルに帰ってはや4か月の日が過ぎ、驚いています。不在中の1年、やはりマダガスカルは進歩しておりました。昨年は台風の被害もなく豊作で、稲もとうもろこしも柿も、よくできて、田舎の人たちも少し安心なさったようです。神さまのお恵みの年だったのでしょうか。
 私たちの産院も開設60周年を祝ったそうで、今年の10月7日、ロザリオの聖母の目に一年の行事の閉祭式を行います。
 60年間に生まれた子供たちは何万人だったでしょうか。早くも故人となった人も多いと思いますが、アンチラベの人たちにとって、やはり人生の初めを過ごした所として皆様が懐かしく思ってくださっていることは、宣教者としてうれしいことです。そこで生まれた人の孫の、またその孫もアベマリア産院を慕って、お産に来てくださいます。神に感謝でございます。
 時代と共に色々と変わって行きましたが、愛の精神は変わらず、職員全員が暖かな心のもてなしで接してくれていることは、素晴らしいことです。時代の流れに沿って、進歩していく医療についていくのは大変ですが、頑張って行きたいと思います。rきずな」の皆様の便りに励まされて、自分のできることで、人々に仕えていきたいと思っています。
 マダガスカルもこのアンチラベの高地では、冬は朝夕10℃前後になりますが、日中は暖かく、17℃はどになって過ごしやすい冬です。でも乾季の今は雨が降らないのが普通ですが、急に雨が降ってきたりすることもあり、少し異常な気候になっているようです。
 皆様のお働きの上に神様が豊かな恵みと祝福をくださいますようにお祈りしております。






『南米』






『ご支援ありがとう!』

〜ボリビア(サンタクルス)〜
宮崎カリタス修道女会 立石 順子

 今、世界では戟争や紛争、津波や自然災害、アジアでは北朝鮮のミサイル事件、日本の水災害など、心が苦しくなるニュースを耳にすることが多くなったように思います。そのたびに、神の憐みと助けを求め、心からの祈りを捧げております。
 ここ、ボリビアも例外ではなく、キリスト教、特にカトリック教会に対する風当たりが強くなっているように思えます。
 先日、サンタクルス市内で、キリスト教系学校が、教育と宗教の自由と擁護を訴えてデモ行進を行ないました。その日、生徒、保護者、先生、修道者、司祭など約3万人が、サンタクルスのカテドラルの広場までデモをしながら集まりました。カリタス学園も参加し、私たちの切なる願いが届きますようにと心を合わせて祈り、捧げながら、1時間の道のりを歩きました。
 さて、春一番が吹く中、今日も 生徒たちの元気な声が、カリタス学園に響き渡っています。カリタス学園の運動場整備のための寄付金5,000ドルが、総本部に届けられたとのうれしい連絡が入りました。早速、運動場整備工事の準備を進め、7月下旬めでたく着工にこぎつけました。本当にありがとうございました。
 工事はまず、外壁フェンス工事から始まりました。きちんとした運動施設になるには資金の関係上、まだ先になりそうですが、除草と土の入れ替えができれば、運動場として立派に使えます。この月曜から後期の学期が始まりました。子供たちもいつ使えるようになるのかと心待ちにしています。これから春・夏に向かって暑くなっていくので、ぜひこの広い運動場で思い切り楽しんで欲しいと思っております。
 この政治状況下で不安はつきませんが、いっも私たちの祈りと叫びに耳を傾けてくださる父なる神様に信頼し、違い目本から私たちを支えてくださいます「海外宣教者を支援する会」の皆様の援助と応援に力を得て、情勢を見極めながら、私たちもボリビアの子供たちの現在と未来のために、惜しみない奉仕を続けてまいりたいと決意を新たにしている次第です。これからもボリビア国の今と未来のため、お祈りくださいますようお願い申し上げます。