『アフリカ』『森が一番の幸せの場』シャルトル聖パウロ修道女会 末吉 美津子
いつも「きずな」をお送りいただきましてありがとうございます。手にすると同時に一気にすべてのページを読み終えます。宣教者の方々の苦労、喜びがひしひしと伝わってきます。主の愛に満ちあふれているのを感じます。 主のみ栄えのために、貧しい国で働きたいとの望みが、修道会を通して私に与えられたことは、主のみ旨と思っています。ピグミ族のために11年間働き、毎日が涙と喜びで過ぎていっています。どのように口で表現していいのかわかりませんが、毎日がたたかいです。今、ピグミの子供たち(寄宿生)のために働いていますが、またまた大変なのです。今年は32名が入学手続きに釆ましたが、そのうち7名が1学期の問に森へ戻りました。そして、1月6日から始まった2学期の3週間後には、4名の子供たちが何の理由もなく森へ戻っていきました。 森の中で生まれ、育ち、自然界の流れに自由に何の束縛もなく生きてきたこの子供たちは、やはり自然の中へと戻っていきます。学校生活を強制させるわけにはいきません。教育の大事さを百も承知していますが、人格を尊重してあげたいので、彼らの意に反することは避けるベきだと判断し、自由に森に戻らせています。もちろん、森へ戻る前にいろいろ理由を述べて、寄宿舎に残るように助言しますが、無駄のようです。自分たちのあこがれの森へ戻っていくのです。彼らにとっては森での生活が一番の幸せの場なのです。 昨年は私にとって2つの悲しい出来事がありました。9月に4年生になる子供が8月末から病気にかかり、9月末に他界、もうひとつは1学期問、5年生として過ごした男の子のほっぺたに突然、出来物があらわれ、みるみるうちに腫れ上がり、12月19日に他界しました。二人とも頑の良い、おとなしくて、懸命にものごとに取り組む子供たちだっただけに、悲しみも大きかったのです。5年生の子供は、将来のことをすでに考え、「シスター、ぼく、家を建てたいんだけど、ここにあるトタンをぼくにください。5年生の終わりの休み中(3か月)に家を建てるので!」と話していました。私が「基礎工事もできていないのに、どうするの」と聞くと、ご復活の休みに少しずつ土地を準備すると答えていましたのに、夢の夢になりました。残っている子供たちのために、今は精一杯働いています。 こちらはまだ電気がありません。発電機が壊れて、1年間水なし、電気なしの生活が続いています。幸いピグミの子供たちが修道院のために水くみをしてくれていますので、助かっています。すべて感謝です。 日本の学校や個人からのプレゼントをもらった小学1年生〜4年生 『ラジオで日本語のニュースを』マリアの宣教者フランシスコ修道会 平間 理子
2月8日にきれいなカレンダーが到着、ありがとうございました。こちらでは2月になっても今年初めて会う人には「新年おめでとう」といっています。この冬、日本は雪が多くて大変だったようですね。最近、ラジオに日本語のニュースが入りますので、ライブドアの堀江社長の事件、秋篠宮紀子様のご懐妊のことなど、すべて入ってきています。 こちらの政情は今のところ安定しています。観光客を見込んでホテルを作りすぎ、お客が少なくて倒産した所も出ています。道路はずいぶんよくなり、街中も清潔になってきていますが、排水路や道路の修理は残っています。 また、物価がどんどん上がっているので、今後どうなるのか心配です。公務員のベースアップが12%と出ましたが、それだけ支払えるところがどれだけあるかわかりません。来年は大統領選挙なので、今から準備が始まっています。スムーズに運ぶようお祈りください。 『初めて針や糸を手にした子供たち』クリスト・ロア宣教修道女会 大畑 八重子
突然でしたが、会の都合で帰国しました。皆様の温かいお祈りとご援助に支えられ、今日まで元気で働くことができましたことを心より厚くお礼申し上げます。 短い期間でしたが、お陰さまでチャド国ベレの小学生58名にお裁縫を通して、識字教育と保健衛生を教える恵をいただきました。校長先生のお誘いで実現したこの裁縫教室の生徒たちは、初めて手にする針や糸を使っての運針や釦付けに悪戦苦闘していました。それでも、入手が難しいムッシュワー(頭巾)や、通学用のカバン(袋)を制作できる楽しみとうれしさに、38〜39℃の厳しい暑さの中を通学してきました。 欠席者が増えることを覚悟していたにもかかわらず、彼女たちは30分以上も前から教室に集まり、週3日の3クラスで、1時間授業の予定が、余りの熱心さに押されて、毎日2時間の授業となりました。 終了式に校長先生から作品を贈呈された一人の生徒は、通学用のカバンを背負い、「サカド(リュック)だ!サカドだ!」と言って、大喜びで踊っていました。彼女は下校した後、病気の母親の世話をして、午後になって裁縫教室に通って来ていましたが、いつも遅刻する分、残って頑張っていました。それだけに喜びも一入だったのでしょう。涙がこぼれてしまいました。 釦付けができるようになった子が、級友の釦を付けてやる姿が目に入ったり、自分の名前が読めない、書けない子が、読み書きできるようになったりして、砂地に小さな芽生えを感じられるようになった時だけに、後ろ髪を引かれる思いで帰国しました。 「帰って来て!」と、見送りに来てくださったベレの人々と共に祈りつつ、その時が与えられるまで、この日本で彼らのためにできることをしてまいりたいと思っています。 今、チャドは大統領選挙を控え、政府軍と反政府軍との間で戦いが起きています。どうぞチャドの国民のため、また現地で働いているミッショネールの人々のためにお祈りくださいますようお願いいたします。感謝のうちに、祈りをこめて。 ムッシュワー(頭巾)を作る生徒 自作品を身につけた生徒たち 『アジア』『通学用の船をありがとう!』カトリック信徒宣教者会 平 西紀
このたび水上村コンポンルアンの子供たちの通学船購入のために、ご支援をいただいたことに深く感謝いたします。現在、子供たちは毎日元気に公立小学校へ通っています。 水上村コンポンルアンは、カンボジア王国のほぼ中央部に位置するトンレサップ湖の水上に浮かんでいる村です。このトンレサップ湖は、雨期には増水したメコン川の水が流れ込み、面積が乾期の3倍から4倍に広がる珍しい湖で、人々はいかだの上に建てた家や小さなボートに屋根をつけた家で、水位に合わせて移動しながら生活をしています。人口約6000人、1600世帯以上の人々が船の上で生活しており、そのうち約1000世帯がベトナム人で、住民は主に漁業で生計を立てています。貧困世帯が多く生活全般にさまざまな問題を抱えています。その一つに、多くのベトナム人がカンボジア公用語(クメール語)を話せないということがあります。そのために公共機関を利用することができず、カンボジア社会から孤立した状態にあります。 その影響は子供たちに大きな問題をもたらしています。クメール語の読み書きや話すことができない子供は、カンボジアの公立小学校へ通うことができません。言葉の問題、保護者の理解不足、貧困などが原因となり、就学年齢にある子供のほとんどが学校へ通っていない、または途中退学している状況です。JLMMは、カンボジア・バッタンバン教区と協力し、コンポンルアン・カトリック水上教会をベースに、ベトナム人の子供を対象にクメール語の識字教育を行っています。このまま教育の機会が与えられず、クメール語を話すことができなければ、「カンボジア社会からの孤立」や「貧困の連鎖」などの現在の問題点を、将来子供たちが大きくなってからも抱え続けることになります。教会の識字教室は子供たちにさまざまな教育を提供すると共に、公立小学校へ入学するためのプレスクールという役割も果たしています。 昨年度、24名の生徒を教会の識字教室から公立小学校へ送り出しました。しかしながら、残念なことに半年を過ぎる頃には全員が退学してしまいました。いくつかの原因がありますが、その一つに学校までの交通手段がないことがあげられました。そこで通学船を購入することを検討し、支援する会にお願いをしたところ、今回ご支援をいただき、通学船を購入することができました。 2005年10月に16名の生徒を教会の識字教室から公立小学校(水上)へ送り出しました。5か月が経過し、両親の都合などで退学したのは3名。13名の子供が今でも元気に公立小学校へ通っています。昨年の今ごろは全員の子供が退学していたことを考えれば、通学船はとても大切な役割を果たしていると思います。途中退学を防ぐために、子供たちとの定期的なミーティングをもうけています。ベトナム人であることでいじめられたり、お金がないことで補習授業を受けられなかったり、いろいろな問題を識字教室の先生たちも一緒になってフォローしています。 子供たちがよりよい教育を受けることができ人材が育成されれば、未来のコンポンルアンを変えていく土台になると思います。将来、子供たちがカンボジア社会との交わりを持ち、自らの人生を切り開いていってくれることを強く望んでいます。たくさんの問題を抱えるこの村の中にあっても、子供たちが通学船に乗って、笑顔で手を振りながら登校して行く姿に神様からの恵みを感じる毎日です。 『これまでのご支援ありがとう』ヌヴェール愛徳修道会 村上 モニカ
このたび、20年にわたってここタイ国、ウボン教区マンサップ司教様の下、スリン県において活動させていただきましたミッションを、3月末日をもって去ることになりました。当初は右も左もわからない手探りの状態の中、皆様のご親切なご指導、ご援助によって、カンボジア国境の村や、必要とされている村々で、保健衛生関係、教育関係の場で働かせていただき、また村の開発のお手伝いもさせいただきました。 1991年からは、福祉課の要請もあって、ムニティー・カトリック・プラチャーピーパットの組織下で、タイ人スタッフの協力を得て、スリン市内における貧困家庭の子供たちの教育支援のための活動を始めて今日に至っています。子供たちの教育を支援するために は家庭との深い関わりの必要性を体験してきました。そして、多くのことを学ばせていただきました。 2005年の3月までは、村の31の学校に巡回図書活動も行なってきました。これらの長い歩みの中で、名実ともに同伴してくださった方々、また、必要な時々にご指導ご支援くださり、歩みをともにしてくださいました皆様に、心から感謝いたします。 2006年より、スリン・ムニティー・カトリック・プラチャーピーパットの活動運営の責任を、司教様のご仲介ご承認の上で、サンヨゼフ・アパリション修道会が引き受けてくださることになりました。その献身的ご厚意に深く感謝しております。今後ともこのプラチャーピーパットの活動を温かく見守り、ご指導、ご支援くださ経済的にも社会的にも独立した国を造るために貢献して欲しいと思います。そのための手助けができるのだと思えば、希望の光が見えてきます。大海の一滴にすぎない私たちの小さな歩みですが、神に委ねながら、ボリビアの青少年の教育に汗を流し続けたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 『南米』『ミシオネス州の信者が一堂に』神言会 北島泰治(代筆 山田哲士)
毎月カトリックの雑誌などを送っていただいておりますことに心よりお礼申し上げます。当地の信者の大きな心の支えとなっております。 時が経ってしまいましたが、「日系カトリック信者の集い」の写真を送ります。毎年、北島神父様の特別のお計らいによって、年に一度クリスマスに、ミシオネス州内の各地に住む信者が一堂に会します。楽しいひとときを過ごしながら、お互いに絆を強める集いとなっています。 北島神父のサンタさん 『ファックスをありがとう!』聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
こちらは3月に入っても暑い日が続き、暑い新学期を迎えました。今年の大豆の収穫は早稲(わせ)は悪かったのでがっかりしましたが、中手(なかて)は1月末から2月にかけてよく雨が降ったので、豊作でした。 1月にご援助いただいたお金で、コンピューターの部品とファックスを購入することができました。聖霊小学校は創立26年になりますが、ファックスがなく、いつも日本人会の方に市役所まで行ってファックスを送るのをお願いしていたので、時間外とか日曜日には送信できず不便でした。学校の事務室に取り付けて、大いに役立っています。本当にありがとうございました。 こちらでは幼稚園教育も義務教育の一つになり、10年ほど前から義務教育が6年制から9年制になりました。また、数年前から私たちの学校で、夜間に大人のための識字教育(スペイン語とグアラニー語)を始め、昨年12月に第1回の9年生の卒業式があり、14名の大人が卒業しました。最年長は61歳の徳永三代さんでしたが、ABCからならったのですから感心するばかりです。 農繁期には夕方から始まる学校に来られないこともありますので、宿題として家で勉強する方法も取っています。パラグアイの未開発の奥地にも、インディオの子供たちの学校が建ち、献身的な先生が教えています。やはり、教育は布教の第一歩であると思います。もちろん、日本人の子供たちも毎年洗礼をうけますし、堅信の勉強に通ってきます。四句節には、よい復活祭を迎えるための家庭集会もしております。とりあえずご援助のお礼と近況のご報告まで。 事務室に設置されたファックス 『国を背負って立つ青少年を育てる』宮崎カリタス修道女会 立石 順子
ここボリビアのサンタクルス市の郊外に、「カリタス学園」の名称で修道会が公立契約学校を始めてから15年目を迎えました。現在小、中、高生を合わせて1800名が懸命に学んでいます。こちらは1家庭に3〜4人の子供がいますが、国の予算は軍備に取られ、教育予算はけずられて公立の学校不足や教職員の給料に問題が絶えません。 私たちの学校をはじめ多くの学校は、午前は高校生が教室を使用し、午後は小中高生が同じ教室を使います。新学期には入学、転入を希望する生徒が大勢きますが、満席で断らなくてはならないので心が痛みます。私たちの学校では、特に貧しい子供たちのために全校生の10%に相当する数で、月謝免除を行なっていますが、免除を必要とする数には到底及びません。 公立契約校は、政府から教職員の給料は技術科の教員以外は支払われますが、維持費や衛生費などは対象外です。このため毎月家庭からの協力を願って、月謝として徴収するのですが、1800名の3〜4割は滞納したままで、中には未納のまま他校へ転校する子も多いのです。そんなわけで毎年赤字会計です。こんな赤字運営を続けてどんな意味があるのかと、問う人もいます。私もこの問いに思い悩みます。 将来、資源に充ちたこのボリビアを背負って立っ青少年が、必要なよい教育を受け自らの手で、経済的にも社会的にも独立した国を造るために貢献して欲しいと思います。そのための手助けができるのだと思えば、希望の光が見えてきます。大海の一滴にすぎない私たちの小さな歩みですが、神に委ねながら、ボリビアの青少年の教育に汗を流し続けたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 『紺碧の空と真っ赤な大地から』横浜教区 石川 裕之
四旬節中の3月8日にここカスタニヤール教区にきました。毎週木曜日がゆるしの秘蹟が行なわれていますが、ある木曜日は、10人の司祭が担当して、15時に始まって終わったのが22時近くで、なんと7時間も聴いていたことになります。いくらか言葉もわかるようにもなり、“すすめ”なども与えられるようにもなってきました。復活祭が終わったら、少しは暇になるのかと思いきや、木曜は相変わらず大勢の人がこの秘跡のために待機し、普段でもお御堂で祈っていればすぐ「パドレ(神父さん)、ゆるしの秘跡をお願いします」と。それを見て次々にやって来ます。ユニークなのはこの秘跡に与る人々の表情ですが、終始ニコニコと微笑んでいる人、真剣な人、緊張している人、ずっと私の手を握っている人、私に寄り添って甘えてくる人、ずっと泣いている人、実に多種多彩です。 この秘跡を授けている間、ある話を思い出しました。 町におじいさんがおられ、大変多くの人が悩みや相談に来ておりました。人によってはかなり遠くから相談に見えることもありました。おじいさんはそれだけ多くの人から信頼されていました。お客さんが笑えばそのおじいさんも笑い、お客さんが泣けばおじいさんも手を取り合って泣きました。常におじいさんはお客さんの顔をじっと見つめ、祈るような思いでお客さんの言葉に耳を傾けました。そして仕舞いにはお客さんは感謝して感激と喜びを一杯にして帰って行きました。おじいさんも一緒になって喜び、そのお客さんを見えなくなるまで見送りました。しかし、後でわかったことは、このおじいさんは耳がほとんど聞こえなかったそうです。さらにかなり認知症も進んでいたそうです。(地球村通信3月号より) これは実話だそうですが、私はこの話にいたく感動し、ゆるしの秘跡を授けている間、言葉がまだ十分でないところはこのおじいさんと全く同じだと思い、やはり秘跡というものは人間ではなく、神が人間を通して相手にしっかり伝えるものだというのがよくわかりました。 |