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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アジア』







『これからも宣教者の使命に真剣に生きる』

〜韓国(江原道横城郡)〜
聖ドミニコ宣教修道女会 徐 元子

 2005年のとびらが開かれました。竹でいえば〈ふし〉のような感じです。宣教者たちが宣教地に行き、また帰国し、また宣教地の土となり、歴史は流れていきます。その中でひとしずく、私も韓国に来て20年、70歳になりました。身体は衰えを感じる今日このごろですが、心は今からこそ宣教者の使命を新しく真剣に生きるときだと感じます。皆様方の暖かいご支援に励まされて、聖霊の力に信頼して歩き続けていきたいと心をひきしめる今日このごろです。
 ここ韓国では、今もって何十年前に戦争から受けた傷跡がハッキリと残っています。これが癒されるためには、真実な私たちの生き方と時間が必要です。キリストの霊による毎日の回心が問われています。
 日本の皆様方の奉仕が世界中の各地で宣教する人たちの大きな支え、力になっていること思い、心から感謝をお伝えすると共に、今年も祈りと愛の「きずな」でより一層拡げ、固め、強めていただきたいと期待しています。






『小さなパウロ書院に希望がいっぱい』

〜タイ(バンコク)〜
聖パウロ女子修道会 阿部 羊子
 いつもニュースレターをありがとうございます。日本から宣教の輪が広がって行く様子をたいへんうれしく思っています。
 タイに来て10年目のクリスマスを4人の姉妹と迎えました。手探りで迷いながらの日々も、主の恵みと導き、多くの人の厚意と祈りに支えられて歩んできた道を振り返り、感謝の思いでいっぱいです。
 世界一小さい「パウロ書院」も誕生1周年、ささやかながらも人々への宣教の場となり、まだまだよちよち歩きですが、前進しています。自社発行は、単行本…27冊(@CD…11枚 AVCD…2枚 BVideo…1本 それに、主にフィリッピンからの洋書など、小さな書院にぎっしり詰まって脹っています。
 待ちに待った版権使用の許可をいただき、現在28冊目、タイ語の福音書と使徒言行録(文庫版)の出版を準備しているところです。初のカトリック訳で、もうすぐ校了の予定で、タイトル、装丁も準備中。仏教の国で関心は低いのですが、教会外の人々にも歓迎されるように、そして、福音がタイの隅々まで届けられるように、ただただその願いを込めて励んでいます。
 これからの大目標はタイ人の志願者を本気で探し、志願者の受け入れの準備をすることです。先日管区長訪問があり詳しく話し合ったところです。タイ語の勉強を終えた4人の姉妹が直接の担当になり、私がこれまで歩き回ったところと連絡をとって、道ならし橋渡しをして手伝います。早速1月上旬から地方に出張し入会を希望している人を訪問することになりました。
 現在、教会の広報室に勤務、ビデオカメラマンとして取材などで活躍しているマスコミ学科卒のケイさんが入会準備をしています。休みの日に修道院に泊り共に過ごしています。先日はおいしいパパイヤ・サラダを作ってくれました。
 現在、1人の姉妹が書院担当、もう1人は広報室常勤です。私は編集出版が主な担当で、展示即売、売店、委託、その他すべてはみんなで手分けしてやっています。新しい年も、姉妹たちと願い思いをひとっに、タイの女子パウロの会員を希望しながらがんばります。








『村人にも少しずつ認知されて』

〜カンボジア(プノンクラオム)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 樫野 寿美子 園田 国子
 カンボジアのプノンクラオムで2回目のクリスマスのお祝いをします。家庭訪問に行くと、村人はイエズスさまの学校とか、イエズスさまの病院とかいいますので、「コペイのセンター」と訂正しています。でも、村人はカトリックであることをと知っているわけですし、また、クリスマスは世界中でお祝いされていますから、少しクリスマスの話をして、キャンドルサービスでもできたらよいなと思っています。
 イエズスさまの誕生の話をした後、イエズスさまはどこに生まれたのかとたずねますと、正解をちゃんと答えてくれました。その中でもうれしかったのは、イエズスさまは自分たちの村、プノンクラオムに生まれたというのですね。そう言った理由を説明できないけど、そのように考えられる子供の感性はすごいなあと思います。
後でスタッフに話すると、なるほどプノンクラオムではイエズスさまがいつも生まれていますね、という答えが返ってきました。ここはお寺を中心に広がっている村ですから、ちょっと宗教的なことに敏感ですので、注意しながらの一歩一歩です。
 私たちは「支援する会」の皆様のお祈りと援助に支えられて、カンボジアで活動しています。どうぞこれからも、いろいろな国で働く宣教者のための支援をよろしくおねがいいたします。






『からし種のような日本人カトリック会』

〜香港〜
天使の聖母宣教修道女会 蓬田 トシ子

 カレンダーと『きずなJをありがとうございました。皆様が大変な状況の中で宣教活動をしているニュースを拝見するたびに、香港は恵まれていると思わずにはいられません。反日感情も香港ではそれはどではないと思われますが、年輩の方の心のうちは簡単に推測はできないと思います。いくら広東語ができてもローカルの人々に直接要理をするのは難しいようです。たとえ修道者であっても。
 からし種のような日本人カトリック会ですが、2004年のイースターには大人4人、子供4人が受洗、子供の初聖体は10人、大人の堅信4人とビックリするような神様の恵みに接し、一同大喜びでした。クリスマスには赤ちゃんの洗礼、女の子2人の初聖体があります。毎週家庭訪問をして、お母さんも交えて準備をしております。子供たちは目を輝かしてイエズス様の話に聞き入っています。まるでスポンジのように。
 皆様の支えに感謝しつつ、祈りを込めて。

マカオからのカード
マカオからのカード






『貴重な貴重なカレンダー』

〜東チモール(ディリ)〜
聖心侍女修道会 中村 葉子

 今年も美しいカレンダーをお届けくださり本当にありがとうございます。宣教者へたくさんのカードの準備、封筒書きなど、どんなに心を込めてお送りくださったことかと深い感謝の気持ちで一杯になります。 海外の過疎の地では、一枚のカレンダーの入手もほとんど不可能ですので、貴重な貴重な贈り物です。
 お陰様で東チモールでの生活も2年半になり、現地を知れば知るはど、長い植民地・占領地であったことの深い傷に触れ、立ち直りの難しさを経験しています。どうか相応しい奉仕ができますよう、お祈りくださいませ。






『中米』






『学びたい子供がいっぱい』

〜ハイチ(ポートプランス)〜
無原罪聖母宣教女会 本郷 幸子

 「カトリック生活」「あけぼの」を3回にわたりお送りくださいましてありがとうございます。小包確かに届いておりますのに、音沙汰のない受取人で大変失礼しております。皆様方のご厚意に改めてお礼申し上げます。
 大統領の追放、警察の弱体化、解体された旧軍人の不満、アリスティド元大統領を支持する人々との抗争で国は荒れています。今、首都に来ていますが、足止めに会い外出ができませんでした。
 学校の子供たちは新学期が例年より1か月遅れで始まりました。給食も当然遅れてですが、初日は給食の席に着くなり、子供たちは一斉に食事に取りかかり、どんなにか空腹であったかを物語っておりました。
 3年間の識字教室をしていますが、子供たちは勉強ができるのを喜んで、通学して来ます。収容人数が決まっているので、新しく入学できずにいる子が友人にさそわれて、入学させて欲しいと子供同志で頼みに来ます。私が仕事をしている教室は午後の空き教室を使わせてもらっているので、希望が全部かなえてあげられずに、いつも断る辛さを味わっています。
 今後とも皆様方のために祈りつつ、共に支えられつつ教会のため働ける喜びを伝えたいと思っております。 祈りのうちに。








『南米』






『いただく喜び、与える喜び』

〜ブラジル(アモレイラから)〜
長崎純心聖母会 シスター一同

 9月に行なわれた「第二回春祭り」は大風と停電でメチャクチャになってしまいましたが、収益金は去年を上回り驚いています。今回の目的はお年寄りの家の天井張りのためでした。10%を教会の屋根の修理に寄付して材木を買いました。
 理事の方たちと材木を買うために何回も出かけ、何時問もかけてあちこちの町を回り、ここはというところで安くしてくれるように頼みます。私は一緒に立っているだけ。理事の方たちから「シスターは何も言わないように」と念を押されています。こちらが恥ずかしくなるくらい理事さんたちは粘りますから。理事長の神父様は教会の屋根の修理を手伝って腰を痛め、12月に入っても回復されていません。神父様は2か月ほど休養され、私たちのセントロも教会のミサも主任神父不在でした。
 12月には去年と同じように、クリチバの純心学園のお母さん方が子供たち一人一人にクリスマス・プレゼントを準備してくださいました。おもちゃ、洋服、靴、お菓子が大きな袋に入っています。新しい靴と洋服はクリスマスとお正月、そしてフェスタ用です。
 子供たちもまた、お年寄りのために時々寄付をもらいに歩きます。初めはとても恥ずかしかったようですが、今では大切な仕事と思ってやっています。それは町の人々を知る機会になりますし、いろんなところでいろんな人にお世話になるからです。それにまた、「お願いします」と謙遜の修業にもなります。宣教の本質は今も昔も変わらないのではないかと感じます。人と人の関わりによって神様は伝えられて行くのだと思います。
 2005年は、私たち純心聖母会がブラシルに来て25周年になります。早いものですね。
 それから、アモレイラで初めて日系人の町長が誕生します。セントロのためにたくさんのプロジェクトがあるようですので、楽しみです。今年一年間、私たちは「生命である水」について祈り、考えてきました。具体的に実行出来たのはわずかですが、神様が望まれている世界に少しでも近づいていきたいと努力しています。救い主イエス様が私たちの世界にご託身されるためにマリア様、ヨゼフ様の体験された苦しみ、喜びを多くの人々と思い巡らすことができるようにお祈りしつつ。






『合同クリスマス会はピラポで』

〜パラグアイ(ピラボ)〜
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子

 先日はマリア様とイエズス様の御絵のついたカレンダーをお送りくださり、また会員のお書きになったクリスマス・カードをうれしく拝見いたしました。こちらで日系人の司牧のために働くシスターたちは皆元気でおります。
 ホワキン・クルッカ神父様が、12月22日(水)にピラポ教会にお越しくださいまして、3つのコロニア(イグアズ、ラパス、ピラポ)合同のクリスマス会をいたしました。イグアズからは貸し切りバスで25名参加し、ラパスからはそれぞれの自家用車に乗り合わせて、35名の信者さんが、ピラポは会場とご馳走作りのお当番でした。
 午前10時からミサの前に幼児洗礼があり、4名(男児2名、女子2名)の子供たちが両親、代父母の見守る中で無事に洗礼のお恵みをいただき、その後におミサがございました。
 ミサ後、用意してあった地区のサロンに集い、昼食。それぞれのコロニアの信者さんたちが準備してきたコーラスの披露がございました。3年前にはアルゼンチンのミシオネスからも北島神父様が20名くらい信者さんたちと参加してくださいましたが、ただ今はさらに遠くに転任されてしまい、おいでになれませんでした。
 また、エンカルナシオンからは80kmの道をバスに乗って、シスター金永が一人の信者さんと共に参加。イグアズのコロニアから3人のノートルダム会のシスターが信者さんたちと一緒に来てくださいました。
 このようにして、毎年1回日系人の信者さんたちが集まることは、とても意義があります。
コロニアも40〜50年経ちますと、二世、三世の時代になりましたので、おミサの中のクリスマス聖歌も日本語とスペイン語を交互に唱いました。メロディーは同じですから、1節は日本語、2節はスペイン語という具合です。オルガン伴奏は三世の中学生にお願いしました。
 結婚縁組みによって、この3つのコロニアの日系人はお互いに親戚関係になっている人々も多数ありますので、この1年1回の合同クリスマス会は出会いの喜びの場にもなります。
 クルッカ神父様も来年満70歳、私たちシスターも歳をとって来ましたので、日本から若年の宣教者が来てくださることを希望しております。移住地の中で召命があればよいのですが、日系人は少子化のために自分たちの子弟の中から聖職者を望む人は少なく、またあっても残念ながら途中で挫折してしまうのです。
 いつも『きずな』をお送りくださってありがとうございます。2005年が日本の教会にとってお恵みの年となりますよう、祈りつつ。






『修了生の感謝の言葉に涙』

〜ペルー(リマ)〜
礼拝会 川俣 恭子

 12月17日は終了式でした。トマシ司教様による感謝のミサをもって、今年も無事に終わることができました。2004年2月から、私たちの訓練所を訪れた、貧しさのゆえに夜の街に立たなければならなかった若い娘さんたちは全部で135人、そのうち最後まで頑張って修了免状を手にしたのは20人でした。大半は、残念ながら、数日または数か月で姿を消しました。でも、私たちは信じています。彼女たちの心に愛の種が蒔かれたことを…。私たちは何もしてあげられなかったけれど、少なくとも、彼女たちを暖かく抱擁してあげました。
 修了生の感謝の言葉「シスターたちは、私たちを暖かく迎えてくれました。私たちを軽蔑しないで、お母さんの心で接してくれました。ありがとう、私たちのママ!」に目頭が熱くなりました。神様に感謝の祈りをささげました。






『ヨーロッパ』







『ジオットの聖家族によせて』

〜イタリア(アシジ)〜
コンベンツアル聖フランシスコ修道会 瀧 憲志

 ご降誕と新年のお祝詞を申し上げます。「21世紀は平和な世紀に…」と、皆が期待したと思いますが、現実は逆の方向に展開して行くようですね。
 ところで、アシジの聖フランシスコ大聖堂には、へロデ王の魔手からイエスさまを守るためエジプトへ避難する聖家族の絵も描かれています。そこには、2位の天使が描かれていますが、1位の天使は前方を向いています。ガイドブックには、前方を見ている天使は前方の安全を確認し、後方を向いている天使はへロデ王の追手を警戒していると説明されています。また、聖書には「聖家族」の道連れには触れていないけど、ジオットは二人の道連れを描いています。その道連れについての私なりの説明は以下のようです。
 「聖家族」は、今のわたしたちの言葉で表現すれば、「難民・亡命者」です。私たちの想像を絶するような、難儀、苦労を体験なされたお方たちです。人はだれでも悲惨な目にあうとき、「なぜ自分だけ…」、との思いを抱いたり、口に出したりもします。でも、このような時にも、「世の終わりまで、いつもあなたたちとともにいるのである(マタイ28−20)」とのイエスさまの約束があります。ジオットの絵はそのイエスさまのみことばを想起しながら見ることをお勧めします。
 「聖家族」は私たちが、困難に遭遇しているとき、いつも「道連れになってくださっているのです。ジオットの絵には、「聖家族」が先に描かれています。お伴の二人は後からついて行きます。お伴の二人が先導しているのではなくて、「聖家族」が先導しています。「聖家族」が天使(神)のご保護のもとに先へ進んで行きます。これは、意味深長な構成です。イエスさまのご降誕が新約時代の幕開けです。時間的な視点からしても、「聖家族」のお三方は、私たちより先にいらした方々です。わたしたちより先に、後から来る私たちが体験するであろう、難儀、苦労を先に体験なさった方々です。そのお三方がわたしたちの人生の道案内をしてくださっているのですね。
 戦争・テロの犠牲者、また、地震、台風、洪水の被災者たちが、多くの善意の人々の物心両面からの支援で困難を乗り越えて、明るい希望のうちに生活の建て直しが出来るように…。「…恐れることはない、わたしは、すべての民に及ぶ大きな喜びのおとずれをあなたがに告げる。きょう、ダビデの町に、あなたがたのために、救い主がお生れになった…(ルカ2−11)」。この大きな喜びを、戦争の犠牲者、災害の被災者たちと分かち合いながら、主のご降誕を祝い、新しい年を迎えましょう! アシジより祈りを込めて。

大聖堂の祭壇画
大聖堂の祭壇画






『アフリカ』







『修道会創立者の帰天100年祭』

〜コンゴ(キンシャサ・ゴンぺ)〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 中村 寛子

 2004年11月15日に私たちの「マリアの宣教者フランシスコ修道会」の創立者福者マリー・ド・ラ・パッションの帰天100年祭を祝いました。それに先がけての1年間、会長からの指示により各国の状況に応じて難民のために奉仕することになりました。コンゴ・キンシャサ管区は2つのプロジェクトを選び、発展させて行くことにしました。
 1)難民キャンプ ンガンダ・ムソロ(ンガンダとは広い場所の意)に診療所を開設
 2)孤児院の設立
 キンシャサ市内から65kmのンガンダ・ソロムには、数年前から何もない広い場所に300世帯、約1,500人の難民が住んでいます。1998年以来の東部地方の戦争から逃げてきた人々で、まず北の国境を越えて中央アフリカ国へ逃げ、さらにコンゴ共和国(首都プラザゲィル)を通過して、コンゴ河を渡り、コンゴ民主共和国首都のキンシャサに避難して来たという、気の遠くなるような移動をしてきた人々です。
 私たちの修道会(FMM)の仕事は特に医療面の奉仕ですが、何でも頼まれます。ケンカの仲裁に遠いところから頼んできたり、キャンプの診療所で手当てできない重症患者を市内の病院に運び、入院や手術など必要な処置を頼んで診療費を支払っています。
 さて、第2のプロジェクトは孤児院の設立です。戦死したり、行方不明になった兵士たちの奥さんと子供たちが軍のキャンプから追い出され、未亡人キャンプとして市内の自動車修理工場跡をあてがわれました。一人のシスターが軍属の看護婦として働いていたので、面倒を見るように命令されて、他のシスターたちもその人々と関わるようになりました。未亡人の中にはエイズに罷っている人たちがいて、亡くなった後に次々と孤児が出てきて、結局、その子供たちを引き受ける羽目になりました。
 我々の創立者福者マリー・ド・ラ・パッションが望んだからでしょうか、修道院内の空いた敷地に孤児院を建て、正式に管区の事業とする許可が本部から下りたのです。これが「子供の家」です。基礎工事を始めるくらいの費用の援助がありましたが、建築を始めているうちに、お金も集まることでしょう。
 最近、Sorcier(ソルシエ)=魔法使いあるいは悪魔つきという社会現象が増えてきて心配です。老人や子供、無力な者がソルシエとされ、不幸の原因と名指しされ家から追い出されているのです。特に子供たちは何もわからないまま、”私は魔法使い”と自供させられ、家族から見放されて、街をうろつき、食べ物を探し、盗み、売春をして、路上生活をしているのです。生活が苦しくなって、食い口を減らすために性格の難しい子や、勉強のできない子、両親が亡くなって引き取られた厄介者の甥や姪、孫たちがそうゆうレッテルを貼られて、追い出されるのです。10年前にはこういうことはなかったのですが…。
 2005年6月に行われる予定のコンゴで初めての、国民による大統領選挙にこぎつけ、新しい大統領のもとに国が正常な歩みをできるようになることを望むばかりです。今年はコンゴ民主共和国にとって非常に重要な年になるので、どうぞ皆様の力強いお祈りをお願いいたします。








『晩秋の朝、成田から帰路に』

〜シエラレオネ(ルンサ)〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子

 はるか日本の皆様、52日間の帰国中には大変お世話になりました。皆様から暖かい歓迎を受け、励まされ、本当に私は支えられているとつくづく感じました。身体検査は血糖値を除いて青信号が出ましたのでひと安心ですが、これから厳しい食事制限をしなければなりません。野菜がほとんどないので大変ですが…。
 11月27日、瀬田の修道院を5時20分に出発。早朝にもかかわらず、お見送りくださった方がありました。美しい橋やビルのネオンに見とれているうちに成田に着きました。空港にも早くから駆けつけてくださった方々があり、皆様のやさしいお心、家族のような暖かさ、私は本当に恵まれているという幸せを深く感じました。
機上から見る富士山は本当に見事でした。山々の上にくっきりと高くそびえ、まさに絵のようでした。「美しい日本、さよなら!」私の心はやはりここでちょっぴり寂しく、悲しくなりました。でもその一方、神様が「ご覧!私は本当にうれしい。日本のたくさんの人々が自分の事を忘れ、アフリカの人々を助けようと支援してくれ、かつシスターがんばれ、身体に気をつけて、いつまでも元気で、また帰ってきてくださいよ!と励ましてくれる。宗教の区別もない、私に向けられたすばらしい愛の祈りであり、この愛の祈りを聞くことは、私にとってもうれしいことなのだよ」と私の心に語りかけているように感じました。私も新しい勇気でいっぱいになりました。
 飛行機はガラガラでしたので、疲れると横になることさえ出来ました。13時間の飛行の後、無事ローマに到着。アフリカ行きの飛行機はいっぱいでした。エンジンの故障で2時間遅れて出発しましたので、シエラレオネに到着したのはすでに夜の8時半でした。そこから川底のような道を走り、ルンサには11時に到着。ローソクの生活が待っていましたが、日本で明るいのに慣れてしまった私の目には大変でした。
 つい最近、修道院に大きな雷が2度も落ちて、かなりの被害を受けていました。雷が落ちたとき、発電機は消えていたそうですが、それにもかかわらず、無線ラジオや電気製品、配線が焼かれてしまいました。電気の専門家がいないので、そのままになっています。あまりの強さに人は立っていられなかったそうです。日本でしたら避雷針をたてるのに、それが出来ないのは残念です。
 再び、電話もテレビもインターネットもないルンサの生活に戻りました。来週は学校祭が行われます。平和であることがどれはどすばらしいか、今年はまた、牛を1匹殺して、おいしいジェロフ・ライスを作ります。4つの学校の生徒が大喜びするでしょう。






『クリスマスミサには3000人が参加』

〜チャド(ペレ)〜
クリスト・ロア宣教修道女会 大畑 八重子

 チャドのべレからクリスマス便りを送ります。南部サバンナ地帯の中にある村は、中心部のミッション・カトリック地区の周囲に小さな村が102もあり、広範囲に跨る地域と言えるでしょう。クリスマスの夜半のミサに参加された人々は、ほとんど中心部の人々で、半数以上が未信徒の方々です。近くに、プロテスタントの教会とイスラムのモスクもありますが、主の降誕の鐘が鳴りわたる夕刻、着飾った人々が三々五々と教会に集まりました。およそ3,000人くらいでしょうか。半数は子供たちですが、素足に布を身につけているだけかと思われる貧しい子供の姿が沢山目に止まり、せめて綿シャツ1枚だけでもクリスマス・プレゼントできたら、と胸の痛む思いでした。
 でも、その子たちの目は喜びに輝いていました。主の平和のあいさつの時、遠くの席にいる私のところまで握手を求めて次々と差し伸べられる小さな手に、どうぞ主の恵がありますようにと祈りながら、振り返しました。
 祭壇上に子供たちの手作りの馬小屋が飾られ、24日、日没後の午後6時、ゆるしの秘跡から始まり、お告げの祈り、ミサへと進められました。
 今年はコンポニァ会(スペイン)の主任司祭とべレ出身の神学校付き司祭の司式により行なわれ、部族語の通訳(終身助祭的役割を担う男性)と真っ白い従者服に身を包んだ中高生、彼らの身のこなしはとても美しく、ミサに荘厳さが加わりました。先尊区者であるカブチン会の神父様の並々ならぬご努力が偲ばれる思いでした。
 ミサは、フランス語、ナンチェリ語、ガンバイ語の3言語ですすめられ、典礼音楽はアフリカ特有のタムタムとダンス、かん高いあいの手が混ざり合った、非常にリズミカルなもので、幼い子供たちが一緒に手を打ち踊る姿は、ほほえましいものでした。延々2時間余り続いたミサ終了後、教会広場で歌と踊りが繰り広げがれ、真夜中まで主の降誕祭を楽しんでいました。輝く月と満天の星空が色を添え、アフリカならではのクリスマスでした。
 私たちはミサ後神父様方と修院で、ささやかな夕食会を催しましたが、生憎、自家発電のバッテリーが上がってしまい、ローソクとランプの光での晩餐となり、これまた優雅な主の降誕祭にふさわしい一時となりました。

バチカンの切手
バチカンの切手






『おかげさまで立派な井戸が完成』

〜カメルーン(ドゥアラ)〜
援助マリア修道会 佐藤 浩子

 日本から帰って早や5か月が過ぎてしまいました。2004年、日本の夏はアフリカを超える暑さが続いた上に、台風、地震…と自然の脅威に脅かされていますね。被害者の方々のために心を合わせています。
 さて、「支援する会」よりいただきました井戸掘りの援助金で、大変立派な井戸が完成しました。47メートルの土を掘っトところで水脈に当たり、いま透明な冷たい水が湧き出ています。タンクに水を貯めるようにしたため、約2〜3日は停電になっても、大丈夫です。
 診療所では救急患者の傷も流水で洗浄できるようになりました。職員も注射ののち、手も洗えますし、患者も遠くから来た人は、水がその場で飲めるようになりました。
 第一日日、水の湧き出た瞬間、皆信じられず、数秒経って、皆躍り上がりました。やっと衛生的な仕事ができるようになり、日本の皆様に大変感謝しております。10年間、水の足りない生活をしている周辺の人々にも、分かち合いたいと思っています。
 乾季に入りますと、水が不足し、一滴の水がまるでダイヤモンドのように貴重になります。
 さて、カメルーンでは10月11日に大統領選挙が行われ、現大統領が当選し、22年目の統治に入りました。失業者、貧困、エイズ…などの大きな問題を抱えています。アフリカ諸国の中では治安はまだよい方ですが、首都周辺ではすでに食糧に欠く人も出ています。生活環境は決してよいとは言えません。貧困の問題は深刻です。
 簡単ですが、報告と心からの感謝をお伝えいたしました。宣教者のためにいつも心を向けてくださっていること、私たちは共に宣教者ですね。皆様のためにお祈りいたしております。










『オセアニア』







『ソロモンのクリスマス』

〜ソロモン諸島〜
サレジオ会 飯田 徹

 クリスマスの前の週は、クリスマスの3つのミサのために、翌日の聖家族の祝日のミサのために説教を準備したので大変な忙しさでした。
 24日は朝6時半に教会で、7時半にはテテレの刑務所でごミサをお奉げしました。プリゾナーたちにはクリスマスケーキやパネトーネというわけにもいかず、私はホニアラの街で市販されているビスケットをささやかなクリスマスプレゼントにしました。普段そういう機会に恵まれない彼らはとても喜んでくれました。
 そして夕方の6時には私は教会で、ほかの2人の司祭もそれぞれの集落でミサを行い、9時半には教会で私とアンプローズ神父様と共に深夜のミサをお奉げしました。深夜のミサが終わるころ、ようやくカベッリ神父様が戻ってきました、おそらく聴罪希望者が多くてなかなかごミサを始められなかったのだと思います。私が普段タラウラ部落を巡回する時は、平均1時間半くらいは聴罪に時間をかけていますが、おそらくクリスマスということで、2時間以上かかったのだと思います。深夜ミサの後、RTC(Rural Training Center)のサレジアン・レジデンスの食堂で、夜中の11時からイタリア人ボランティア、現地人協力者を交えて、ささやかなクリスマスパーティーが開かれました。
 25日は9時から教会でクリスマスのごミサをお奉げしました。さすがにクリスマスとあって、お聖堂に入りきれない程の会衆が集りました。お聖堂は風通しをよくした構造で、窓が大きくガラスも入っていませんから、お聖堂の横の庭でミサに与っていても、殆ど違和感がありません。司式は私一人でしたので、ご聖体を配るのにかなりの時間を要しました。ミサ後、サンデースクールの子供たちに、イタリア人ボランティアたちが持参したサンダル、石鹸、手拭、小振りの井、スナック菓子の詰め合わせをプレゼントしました。スナック菓子はともかく、取り合わせの品々は、以前にソロモンに来てソロモンの実情を知っていなければ選べない物であると、感心させられました。

海外からのクリスマスカード
海外からのクリスマスカード