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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『南米』






『大忙しの聖週間とご復活』

〜ブラジル(イタポラ)〜
フランシスコ会 小川満

 私は、日本での3か月の充電期間を終え、3月27日、無事にブラジルに着きました。サンパウロ空港では連邦警察のストのため、税関の手続きに3時間半も長蛇の列にならばなければならず、予約の国内航空便にも乗り遅れ、手配してくれた代替えの航空便は他の飛行場から出るために、タクシーを拾って1時間半かけて市内を移動。大きな旅行カバン2つ、大きなリュックサックを肩に背負い、35℃にもなる気温の中、大あわてのドタバタでした。結局、12時間以上遅れて無事に家に着きました。
 ブラジル流に言えば、これも全部「神様のおかげさまで」うまく行ったことになるのでしょう。私も本当にそう思えるようになりました。帰伯した私を待っていたのは、同僚のブラジル人神父の異動でした。発令は1か月以上も前に出されたとあって、私の帰るのを待っていたかのようにあたふたと出て行きました。そのため、聖週間・ご復活と目の廻る忙しさでした。ここの教会は、今年89歳になるドイツ人神父と私の二人になりました。司祭の召命の多いブラジルではありますが、働く場所が多いので働き人が少なく思えます。
 5月は教会の大フェスタ(バザー)があり、5月、6月にかけて一部の共同体では初聖体が予定されており、その準備(洗礼や両親の結婚、告白の秘蹟)が始まり、忙しくなっています。どうぞ皆さまのお祈りの片すみに私のことも思い出してください。






『秋は大豆の収穫』

〜パラグアイ(エンカルナシオン)〜
聖霊奉侍布教修道女会 林静子

 先日は「きずな」86号をありがとうございました。「きずな」を通して海外に新しく派遣される方たちや派遣先も分かり、たのもしく感じています。また、それぞれの地で苦労して働いていらっしゃる宣教者たちの生の体験談を読んで、大いに励まされます。そして、日本で宣教者のために物心両面で、陰の援助を静かに行われる方たちのことを思いますと、カトリックのありがたさを痛感いたしております。
 ここパラグアイは秋、大豆の収穫も70%くらい済みました。今年は1月、2月の旱魃の影響で、穫り入れば平均作を少し下回る状態ですが、大きな天災がなくて助かりました。
 今年になってコロニアの日本人の方が二人お亡くなりになりました。一人は前からの信者さん、もう一人は佐藤さんとおっしゃる70歳になったばかりの方。入院中に洗礼を望まれ、ホワキン神父様、シスター・チタ、それに私も呼ばれ、息子さん、お嫁さん、お孫さんたち大勢の立ち会いの下に洗礼を受けられました。そして、その後1週間位して安らかに息を引き取られました。入植50年近くになりますと、一世の日本人は次々と他界されます。
 今年枝の主日に、聖霊会の一人のシスター(54歳のパラグアイ人)のお葬式、またプラムのコロニアでは日本で亡くなった方の納骨式がございました。義理のお姉様がご遺骨を飛行機で運んでくださいました。聖週間の最初の日にこのような出来事がありますと、神様にお祈りを心を込めて捧げるよいチャンスになります。

移住地に咲くサボテンの花
移住地に咲くサボテンの花






『神のみことば=「水」で生き返らせ、清めてください』

〜ブラジル(サンパウロ)〜
宮崎カリタス修道女会 川端千鶴子

 2004年のカレンダー「はなつづり」をお送りくださりありがとうございました。本当に目が覚めるほど美しく、一枚一枚のいけ花を生けてみたくなりますし、生けた人の心を想っては、心が清められる感じさえいたします。大事にして聖堂に飾る生け花の見本にさせていただきましょう。
 86号の巻頭言にあったように、ブラジルの四旬節兄弟愛運動のテーマは「水」:Aguafonte de Vida 水は命の泉、私たちの生活になくてはならないものです。全てを生かし、清めてくれる水のように、神を忘れた今の現代生活の中で、神のみことば〔水〕で生き返らせ、清めていくミッションに努力していきたいものです。人を、植物や動物を生かし、清め、堅固にするという大きな力、役割を持つものですが、反面、こちらでは水の力は全てを破壊するという、恐ろしい現実を見聞きしている昨今です。
 今、ブラジルは雨の時期で、今年は何十年ぶりの雨といわれるほど、しかも今まで干魃で飲み水さえ不足していた北ブラジルに多量の降雨が続き、多くの人々が家も土地も失い,人命までも失うという悲惨さが続出しています。自然の災害とはいえ、毎年この季節に繰り返されている水害や土砂崩れなど、何とかならないものかだろうかと、心は痛みます。
 町では人々はカーニバルのデスフィーレ踊りで酔っています。そのコントラストにこの国の文化とはいえ、矛盾さえ感じさせられますが、無力な私たちには力ある「おん方」へ嘆願するほかありませんね。どうぞ苦しんでいる多くの兄弟たちのためにお祈りください。






『マリアミカエラの家の女性たち』

〜ペルー(リマ)〜
 
礼拝会 川俣恭子

 私たちの小さな訓練所「マリアミカエラの家」も2月に新学期を迎えました。始まったばかりなのでまだ15名くらいしか集まっていませんが、だんだん増えてくることと思います。
 ご存じのようにペルー共和国は南米大陸の西、太平洋沿いにあって、北の国境付近はほぼ赤道直下にあり、また、東のブラジルとの国境はアマゾンの密林地帯、さらに下ってチチカカ湖でボリビアと接しています。面積は日本の3.4倍。中央に横たわるアンデス山脈の東はアマゾンの熱帯雨林地帯で、人口の2,500万人の半数以上が西側の海岸都市に住んでいます。長さ3,000mに及ぶ海岸砂漠地帯コスタでは、一年中雨が降らず(南極から北上するフンボルト寒流の影響で)、一年中一滴の雨も降らないのに人が住めるのは、万年雪で覆われたアンデス山脈から流れる河川のおかげだそうです。
 リマ市内は至る所に緑豊かな樹木や草花が見られますが、すべて水道水で育てています。リマの市外地で水道のない地域は全くの砂漠です。地方で住めなくなって、都会へ都会へと流れ込んできた貧しい人々は、この砂漠にムシロの小屋をたてて住んでいますが、週一回やって来る給水車から水を買わなければなりません。私たちの「マリアミカエラの家」にやって来るチカスと呼ばれる娘たちの多くが、このような砂漠地帯に住んでいます。想像できない貧しさ、今日食べられないのは当然、明日は食べられるか、明後日なら大丈夫だろうか、という毎日なのです。種をまくにも鶏を飼うにもまず水を買わなければなりません。このような地域がリマ市をぐるりと囲んでいて、見渡す限り豆粒のようなムシロ小屋が延々と続いているのです。
 市内には人が溢れていて、簡単な仕事にもありつくことは難しいのです。学歴もない若い女性たちにできることは身体を売って小銭をもらうことくらいです。私たちはそういう女性たちを探しに街へ出かけます。危険はないのですかとよく聞かれますが、その辺に立っている人たちは普通の女性たちとあまりかわりませんし、私たちの修道服が彼女たちに近づきやすくしてくれますし、護ってもくれています。
 産業は工業などのハイテク関連のものはなく、鉱物や石油、ガス、イワシ加工の魚油や肥料、わずかな農産物が輸出されていますが、国内に出回っている品物はほとんどが近隣の国からの輸入品です。政治は未だに安定せず、くるくると内閣が変わります。
 今回は私たちが対象にしている女性たちの生活環境についてお話したかったのです。どうぞ皆さま、不毛の砂漠に住んで、今日も生きていかなければならない彼女たちにも思いをはせてお祈りくださいませ。








『長谷川神父様も天に召されて』

〜ブラジル(サンパウロ)〜
マリア会 青木勲



 神様のプランはいつも人間の考えや憶測をはるかに超えています。梶川神父様のときもそうでしたが、このたびの長谷川神父も全く予想外でした。でも、彼らしい素晴らしい生涯の終焉でした。4月8日聖木曜日の朝、パウロ三木長谷川一郎神父は50年の奉献生活を捧げつくして神様の御許に戻られました。69歳でした。その2日前、マリリアの修道院から長谷川神父が胃腸関係の精密検査のため入院されたと知らされたばかりで、お見舞いもこ復活後の月曜日でかまわないとのことでした。医学知識のあるマヌエル修道士が付き添っていましたが、病院から修道院に戻って15分後の出来事だったそうです。死因は心筋梗塞で、ほとんど苦しむことなく天に召されたと推察されます。
 昨年心臓の手術を受けられたこと、お年を召されたお母様にお会いできたことも、み摂理のように思えますし、四旬節の修道女たちへの黙想会のテーマが「死と復活について」だったことも、彼自身の「死と復活」への序曲だったように思えます。
 弔問客は実に幅広く、聖職者、修道士、修道女、パニブの関係者、彼が働いた小教区の信徒、マリア会関係者と、長谷川神父の人柄がしみじみ感じられました。翌日はバウルーのマリア会墓地へ約2時間の葬列後、バウルーの弔問客と合流。日本語の聖歌に続いてポルトガル語の祈りと聖歌、「世界はひとつ、信仰はひとつ、死と復活への希望はひとつ」というマリアの家ならではの埋葬式でした。『一粒の種が地に落ちて死ねば、多くの実を結ぶ』。ショックは大きかったですが、きっと何かが胎動し始めるでしょう。

〜イタリア(ローマ)〜
枢機卿 濱尾文郎
 復活祭後の休みの間、旅先で長谷川神父様の訃報を受け取りました。本当に驚きです。「ブラジルも淋しくなりました」とおっしゃる通りですね。2002年、佐々木師の診療所設立25周年記念で、サンパウロのPANIBの事務所兼宿舎で久しぶりにお会いしました。とてもお元気でした。中村長八神父様の列福式への調査にも熱心に関わっておられました。何といっても、いつも謙虚で、忠実に宣教・司牧活動をしておられたのが、とても印象的でした。彼の素晴らしい司祭活動、宣教活動が、今後ブラジルでも日本でもみのり豊かなことと確信します。こちらで、ご冥福を祈ります。






『美しいカレンダーを応接間に』

〜ブラジル(サンパウロ)〜
宮崎カリタス修道女会 白沢康子

 日本の美しいカレンダーをありがとうございました。早速応接間にかけました。訪問される方々にも日本の文化を紹介できるよいチャンスとなっています。
 さて、2002年度にご援助いただきました「スポーツコート」ですが、現在、生徒数も増えて、休むひまなく活用されています。週末は地域に学校を開放し、子供たちが路上でたわむれないようこちらで宗教、スポーツ、レジャーその他の活動を展開しています。私たちを支えてくださる「支援する会」への感謝を忘れないように、また、それをこの現地の人々にも伝えるよう心がけています。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。








『アフリカ』






『復活前夜祭に90名が受洗』

〜チャド(ンジャメナ)〜
幼きイエズス修道会 有薗順子
 今日は少々こちらのニュースをお知らせしたいと思います。現在(4月)こちらは猛暑、室内で40°〜43°という暑さです。首都とはいえ日中は停電、断水で、夜は早く就寝、朝は早起きしますので、健康には最適のようで、お陰様で病気一つせず、水を飲み飲み過ごしております。(電気は0時から5時半ごろまで送電され、その他は必要に応じて自家発電を使用しています)
 今年も2月22日スカウト創立者の祝日には、小学校に12小教区から1,000名近くが集い、キャンプをしました。この日何人かの代表者は自分たちで手続きをして、婦女子の拘置所を訪問しました。
 また、ご復活前夜祭は私たちの教会で90名、隣の小教区では160名もの受洗者がありました。式は延々と4時間も続き、白衣をまとってランプを手にした受洗者たちは輝いていました。一方、スーダンとチャド、中央アフリカとチャドの国境には、それぞれ150万人位の難民が滞在していて、最近やっとカリタスや他の援助団体が動き出しました。その他、シエラレオネやリベリア、ウガンダなどから私たちの所に援助を求める人が絶えません。戦争が続く限り、難民は増える一方です。世界に一日も早く平和と正義が訪れますようにと、どれ程多くの人が願っていることでしょうか。
 私たちの修道会にはライ支部にシスター泉よしみが2003年9月に、ンジャメナ支部にシスター日置まりえが2004年2月に派遣されて来ました。暑さにも負けず、フウフウいいながらも元気にしております。どうぞ皆様もお元気でいてください。お祈りと感謝をこめて。






『中米』






『若い女性エイズ患者の増加』

〜ハイチ(ポートプランス)〜
クリスト・ロア宣教修道女会 須藤昭子

 ただ今、シスター徳永から検査室のための援助金をお送りいただいた旨、知らせがありました。心からお礼申し上げます。
 すでに皆様ご存じの通り、今日(3月31日)でちょうどアリスチド大統領が国外に出て1か月になります。ポートプランスでは多国籍軍の兵士が治安にあたっていますが、まだ何かと不安を感じます。新しい政府はどのようにして意見の異なるグループを調整してゆけるのでしょうか?いつも騒動の代価を払うのは声を上げることのできない一番貧しい人と病人です。
 シヴノサナトリウムには結核とエイズ患者が入院してますが、前と比べて目立っのは若い女性のエイズ患者です。すごい貧血、高熱,肺感染のために結核と思って来ますが、多くはエイズにかかっている人です。家族はエイズと知ると病院に来なくなります。亡くなっても電話がないので知らせもできず、病院の敷地内で粗末ながらお棺を作って埋葬しています。家族は埋葬のためのお金がないので見捨ててしまうのですが、患者はそれを知ってか知らないのか、ともかく一言も愚痴をこぼさず亡くなってゆく人が多いのです。私はいつもこの人たちを看ながら、黙して屠所にひかれる子羊、キリストを感じています。国立病院であるにもかかわらず、このサナトリウムは何ひとつ国からの支給がないところに苦しみがあります。
 実は、検査室を動かすために電気がいること、発電機をそのために動かさなければならないことを考えていませんでした。それでこれからそのために何とかして、いただいた検査機械を活動させるつもりです。今までも神様は助けてくださいましたので。
 今年、初めて木酢を使った野菜作りをしましたが、よくできて、ちょうど騒動の大変なとき買いものに出られなかったので、患者に何とか食べさせることができました。これもみ摂理と思います。すべては神様に感謝ですね。機械を買いましたら写真を送ります。






『アジア』






『愛の学園便り』

〜インドネシア(メダン)〜
聖母カテキスタ会 浜谷真佐美

 私たちの学園は広大な田んぼのど真ん中に建っているので、かなり遠くから学園を見つけることができます。今日も学園のバスが田んぼの溝に、片方の車輪を落として大変な騒ぎになってしまいました。園児は無事だったのですが、方向が分からない、よく放浪することがあるひとりの園児が逃げ出してしまい大変でした。
 学園生たちはとてもダンスが上手で、特にテンポの早いリズムに合わせて踊る姿は健常児と変わりません。保母さんがよく面倒を見ていますが、新入生や重度の子供はやはり大変です。子供たちはいつも突然大声を出して笑ったりして、それが余りにもうれしそうなので、つい皆がゲラゲラ笑ってしまっています。彼らはお客様が大好きです。必ずプレゼントがありますから。迎えるときはいつもよく練習してあるダンスを披露します。
 新入生を迎えるときは、必ずすでに訓練された子供のお手本や実際に上達した子供を保護者に見せて、rきっと我が子もいつの日かあのようになれるだろう」と希望を持ってもらいます。実際に学園に入ればほとんどの子供たちは、少しずつではあっても上達していくのです。そして、子供自身も自分のできることを見つけると、しっかりして落ちついてきます。いつも励まし、勇気を与え、やさしい心で接すれば、上達することを私たちは体験しています。
 数年間、繰り返して訓練しているうちに何とか身の回りのことができ、あるいはお客様の接待もできるようになり、女子であれば家族の一員として、役に立つことになります。しかし、男子の場合、家から外へ出るといとも簡単に近所のよくない人々やマフィアに誘われてしまい、お金のことで暴力をふるったりすることも起こるのです。そうなると社会問題となってきます。本当に彼らには多くの時間と忍耐と愛が必要なのです。






『水道の蛇口にはいつも布袋を』

〜フィリピン〜
御受難修道女会 松田翠
 今年の3月から5月の暑さは格別です。当地は盆地なので湿気と通風不足で、現地の人でさえフーフーいっております。その上、5月の総選挙を控え、近辺のディスコや民間のダンスが夜通し続いて、猛暑と騒音で睡眠不足の日々ですが、全員が精一杯祈りと奉仕に励んでおります。以前、月遅れの雑誌の希望を問い合わせくださったので、『福音宣教』を希望したところ、月遅れでなく新しいものをお送りいただきました。私は来年7月に在比30年を迎えますが、雑誌により日本の教会の動きなどにふれることができ、とてもうれしく思っております。本当にありがとうございました。
 私共の修道院の井戸水は、長年沈殿物が堆積しているため、少しでもきれいな水を、と工夫しながら蛇口にはいつも布袋をつけて使用しています。すぐに泥がたまってしまい、たびたび袋を換えなければなりません。洗濯物は灰色になるか黄土色になってしまうので、漂白剤を使用しています。飲み水は、神学校の神父様方も必要とされていますので、ここから20分くらいの所に湧き出ている泉の水を汲みに行っていただいております。私共よりもっと大変な所で苦労しておられる宣教者の方々を思い、これまで援助のお願いをためらってきましたが、このたび思い切って新しい井戸を掘るためのご援助をお願いすることにいたしました。よろしくお願いいたします。


体を洗う子供たち
体を洗う子供たち






『ヨーロッパ』






『活動が村長さんにも認められて』

〜カンボジア(シェムリアップ)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 黒岩あつ子
 こちらは例年になく涼しい日が続いてありがたかったのですが、次第に暑さも増して夜も室内の気温が30度になってきました。ご復活を目前にしたある旧、4か月ぶりに雨が降りました。その2、3日後、もう完全に枯れてしまっていると思っていた花の芽が出て、緑の葉が日ごとに大きくなるのを目の当たりにしたところでした。「死んでいたのに生き返り...」とのみ言葉が思い出され、新しい命の力強さに心がぱっと明るくなりました。
 皆さまからご支援いただいたおかげで私たちのプノン・クラオムの子供たちへの支援活動は順調に進んでおります。幸い、村長さんはじめ村の方々、子供たちに大きな喜びと感謝を持って受け入れられています。そしてまた、そのことが私たちにとって大きな喜びであり、恵みとなっております。これからもどうぞご支援をよろしくお願い申し上げます。








『大聖堂の壁画「洗足式」によせて』

〜イタリア(アシジ)〜
コンベンツアル聖フランシスコ修道会 瀧憲志
 今年は休暇をとって一時帰国し、8年ぶりに故郷の奄美修道院で復活祭を祝いました。
 今回はアシジで日本からの巡礼団、観光団を案内しながら学んだものから、一つを分かち合いたいと思います。ご存じの方も多いと思いますが、アシジの聖フランシスコ大聖堂の祭壇右側の壁にはジョット学派の画家たちがイエスさまの幼少時代を描き、左側にはロレンチェッティーと彼の弟子たちがイエスさまの受難と復活を描いています。その中で、「最後の晩餐」の場面は「食事」と「洗足式」に分けて描かれています。
 イスラエルでは、先ず、お客さんの足を洗う水を差し上げることからもてなしが始まる習慣があったそうですが、人の足を洗うことは卑しい労働とされ、お手伝いさんも水はもって来ても洗うことはしなかったようです。
 そのような時代背景のもとで「師」とも「主」とも仰ぐイエスさまが足を洗おうとなさったとき、ペトロはそれこそ心臓も止まるほど驚いたことでしょう。
 壁画には椅子に腰掛けたペトロの前に、ひざまずいているイエスさまが描かれています。この場面の出来事は毎年、聖木曜日の「主の晩餐」を記念するミサで行なわれています。
 ある日、疑念がわきました、「足を洗ってもらったのは、12使徒たちだけ」だったのでしょうかと。いまでは、そのことは「聖木曜日」に記念されるだけなのでしょうか。今でも私たち皆が、イエスさまに足を洗ってもらっているのではないでしょうかと。
 洗わないでくださいというペトロに、イエスさまは「洗ってもらわなかったら、私と関わりのない者になる」とおっしゃいます。
 私たちは洗礼のとき、神の子となり「全身」が清くされています。でも、私たちは罪によってイエスさまと疎遠になってゆきます。そのままに放っておくと、「イエスさまと関わりのない者」になってしまいます。そうなってしまわないように、イエスさまは「赦しの秘蹟」を準備してくださいました。「イエスさまと関わりのない者」になってしまわないように「赦しの秘蹟」を受けるとき、私たちもイエスさまに「足を洗ってもらっているのだ」との思いに到達しました。

アシジの聖フランシスコ大聖堂
アシジの聖フランシスコ大聖堂