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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アジア』






『小さな一歩を踏み出して7カ月』

〜カンボジア(シェムリアツプ)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 黒岩あつ子

 日本はまだまだ寒いことと思いますが、お変わりございませんでしょうか? こちらに来て間もなく1年を迎えます。「一日、一日」と思いながら過ごしての1年ですから、驚きと喜びと感謝、そして感動を覚えます。また、援助金をいただいての活動も半年経ちました。私たちにとって手探りで活動を始めた日、つまり栄養・健康管理の支援として食物の補給(お粥の供給)を始めたあの7月1日、トンレサップ湖畔のプノム・クラオムに向かうトラックの上で、胸が熱くなりいつしか涙が頬を伝っていたことが思い出されます。
 日毎の変化、その日、その時にならないと状況が分からないため、予定、計画通りにはまず行うことができないという難しさを体験し、その都度、その都度の対応に四苦八苦。問題にぶつかった時には、悩みに悩みますが、そこから色々なことを学ぶきっかけとなっていることが分かると、励まされています。
 さて、活動のご報告ですが、何しろ全てが初めてのことですから、状況を見ながら、徐々に行うことにしました。まず初めに実施したのはボボー(カンボジアのお粥)です。お店から購入せず、センターを管理しているおばさんに作ってもらうことにしましたが、水っぽく、野菜類が殆ど入っておらず、余りにも栄養価の低いものでした。それで、シュムリアツプの「カリタス・カンボジア」が子供たちの健康のことを考えて作っているボボーの作り方を教わり、そのレシピに従って作るようにお願いしました。2〜3回様子を見ていましたが、野菜の多いボボーは食べ慣れていないせいか、食べ残す子供が結構いるので、如何したものかと早速悩みが生じました。そこで関係者たちと相談し、ボボーに関する説明会を開くことにしました。
 特に野菜の栄養価について話し、健康のためにどれほど良いものであり、必要で大切であるかを大人にも子供たちにも理解してもらえるようにしました。その結果は見事に功を奏しました。子供たちは健康のことを口にするようになり、食べ残しもぐっと少なくなりました。現在、学校の授業が午前のクラスと午後のクラスに分かれているため、火曜日の午前と金曜日の午後に実施しています。
 次に行なったのは、新学期を迎えるに当たり学校へ進学するための支援です。識字教育を行なっている先生たちの協力を得て、支援の必要な子供たちをリストアップし、制服のサイズを調べて買い揃えました。どのようにして手渡すかも問題でした。結局、一軒、一軒廻って届けましたが、制服を手にした子供たちの笑顔が印象的で、私達も嬉しくなりました。
 もう一つは、ミルクによる栄養補給です。私たちの予想とは異なり、いざ始めるとなって、どんなミルクにするか、どのように配るかが問題になりました。話し合った結果、栄養面から考えて豆乳が一番いいということになったのですが、今度はどのように豆乳を得るかも問題となりました。またおばさんの協力を得て、手作りに挑戦してみましたが、量が多いこともあってなかなか思うように上手に作れず、4回目からはお店で購入して供給することにし、しばらく様子を見ることにしました。
 とにかく、何をするにも予想もしないような問題にぶつかるのです。中でも生活習慣、考え方の相違による問題は簡単には処理できず、解決に向けては時間、寛容、忍耐、希望が必要だと感じています。貫き、転びながらも小さなことを一つ一つ実現していくことが出来たことに、感謝の気持ちで一杯です。どうぞこれからもお祈り、ご支援をよろしくお願い申し上げます。










『すくすく育つ子供たち』

〜パキスタン(ファイザラバード)〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 岡野真弓

 今回は病院で産まれた子供たちについてお知らせします。以前お話したシキラは肺結核で衰弱し命が危ぶまれていましたが、9カ月の療養後すっかり元気になり、1年後トマスが産まれました。そのトマスも1歳半になり、先日、シスターたちが訪問にした時には、もてなすためお皿を抱えて歩いていたとのこと。そのトマスにも4カ月前に、妹が産まれました。
 昨年のニュースでお知らせした、レハナの双子も1歳4カ月となりました。早産だったこの2人が1キロ半弱で退院したときは、育たないだろうと内心心配していました。 昨年の12月には発熱と咳で二人とも入院してしまい、本当に心配しましたが、皆様からのご援助によって薬を買い、温かい衣服も整えることができました。
 近隣の村の訪問医療で出会ったオリバー(写真P6)も本院で産まれました。2度の死産の後の元気な男の子、母親そっくりの丸々した顔で、私たちが診療している机や椅子の下を探検しています。オリバーの母は今、妊娠4カ月です。
 訪問診療の一つの利点は、病院から離れた村の人々が私たちの病院へ来やすくなったことです。つい先日も、オリバーの母の友人のファルザナが流産で大出血したとき、私たちの病院へ直ぐ連れて来てくれました。家で様子を見ていて、手遅れになることもあるのです。ファルザナは2日で退院できました。
 訪問時には、咳、発熱、下痢、皮膚感染症の子供がたくさん来ます。結核に気がつかず、発熱と全身衰弱に悩まされている子供もいます。
多くは、両親や家族の中に結核患者がいます。
1人、結核の人を見つけたら、他の家族や兄弟、子供たちはどうなのか聞き、診察に連れて来る
ように勧めています。
 「支援する会」からご援助いただいき、結核患者のための基金と、訪問診療のための基金で必要な薬が買えますので、安心して活動が続けられます。本当にありがたいことです。








『日本の女学校との交流も軌道にのって』

〜タイ(スリン)〜
ヌヴェール愛徳修道会 村上モニカ 森清子 水元文子
 いつも皆様がご支援くださっている生徒たち共に、クリスマスと新年にあたり、感謝の心を込めてご挨拶申し上げます。今年の活動の状況をお知らせします。

 1.奨学金制度関係
 この奨学金制度を始めて12年になり、多くの生徒たちが巣立っていきました。当初、奨学生だった生徒が、今は母親になって、その子供もまた奨学生となっています。
 月に一度の奨学生のキッチャカン(活動)の日に、今は社会人になっている卒業生が来て、自分の体験や学んだこと、感じたことなどを話し、今の自分の近況などを分かち合ってくれることもあります。奨学生たちは身近
なこととして興味深く先輩の話に耳を傾け、感銘を受けているようです。
 今までは、奨学生は小学校3年生からを対象にしていましたが、種々の状況を考え、必要に応じて例外的に小学校1年生、2年生も受け入れるようにしています。タイでは小学校から、学年の試験に合格しなければ進級できないので、10才でも小学校3年生というケースもあります。
 現在、少なくとも月1回の家庭訪問によって、家庭の状況、家族の問題などを見聞きしながら子供たちのためにどうすればいいか、家族と共に考えています。相変わらず仕事のない父親、両親が出稼ぎ、または離婚、死去などで祖父母、親戚に預けられている子供たちはあとを絶ちません。そういう中で最近ある奨学生の親から、経済的に自立できるようになったからと、奨学金を辞退するという嬉しい申し出も受けました。しかしこういうことは滅多にありません。家庭訪問をしていて最近よく目につくことは、学校から帰ってきた子供たちが、軒下(窓も電気もない家がまだたくさんあります)の台や床机で勉強している姿です。学ぶことの喜びを少しずつ実感しているようです。
 また、奨学生の希望者を対象に洋裁教室を土曜日に開いています。平均して4、5名の参加ですが、長く続けている生徒は、家族のためにもその腕を活かせるようになっています。また、シスターを補助して後輩に教えてくれるようにもなっています。これからは保護者にも呼びかけようと思っています。

 2.移動図書
 移動図書は1989年頃から、村に住んでいたシスター・ホーマンによって始められ、当初は読む本のない村の11校に、本を回し読みするというごく小規模な活動をしていました。その後皆様の理解あるご支援をいただき、現在では30校を対象とし、いろいろなカテゴリーの本120冊入りのBOX15箱を、1カ月ごとに各校に移動しながら一人でも多くの子供が良書に接し、学んで行けるようにと努めています。先生方も書籍の選定に協力するために自分たちで組織を作り、バンコクでのブック・フェアーにも同行し、移動図書の充実に協力してくださっています。
 また、移動図書の活動にはアジア・子供・教育センターの司書と協力して、読書指導も行なっています。一つの学校に年に4回指導に行きますが、子供たちはその日をとても楽しみに待っています。多くの方々の援助を受け、タイ国の教育活動が向上してきたのに伴い、良書が少しずつ子供たちの目に入るよう になってきたことは本当に喜ばしいことです。
 感謝いたします。

 3.歩行障害の少年との関わり
 貧困地域の家庭訪問をしている時、この地域の一角に、祖母、母親(知的障害者)と住んでいるこの少年の存在に気づきました。この少年は11歳ですが、生まれつき両膝の関節障害で立つことができず、移動には手と膝を使っています。右手にも障害があり、初めて声をかけたときには恥ずかしそうに、けれども明るい笑い顔で、「今一番望んでいることは、読み書きができること」とはっきりと答えてくれました。とても聡明な印象を受けました。少年は障害のため学校に受け入れてもらえないのです。その後スタッフの一人が彼の家に週3回、午前中勉強を教えに行っていますが、乾いた砂地が水を吸うようにすごい早さで読み書きができるようになっています。
 たびたび祖母や本人と話合いを重ね、市の福祉課とも相談して、間もなく彼はコンケン市にあるリハビリと勉強のできる養護施設に試験的に行くことになりました。うまくいけ ば正式に入所することができるでしょう。彼は希望にあふれ、その日を待っています。こ れからも目の届きにくい彼のような子供を、注意深く見つけ出していくことの大切さを話し合いました。
 さて、今年も大阪の聖母女学院の生徒有志30名が、6名の先生方と一緒に来訪する日が近づきました。生徒たちは、ウボンのミッション・スクールで交歓会を持ち、またスリンでは村の学校や聾唖学校で一緒に活動し、互いの親交を深めます。これは聖母女学院創立70周年の年に始められ、今年で13回目を迎えます。この交流を通して、聖母の生徒たちもタイの生徒たちも、互いに心に消すことのできない、かけがえのないすばらしい出会いとなっています。女学院の卒業生の中には、ボランティアとして再びスリンに来てくださる方も増えてきました。こうした草の根の心と心のつながりが、地球世界の平和を促進していくことを信じています。






『ちょっといい話』

〜中国(香港)〜
天使の聖母宣教修道女会 蓬田トシ子

 小さな小さな日本人カトリック会ではクリスマスに、2人の女の子(小2、幼)と家族4人の洗礼と6人の初聖体がありました。洗礼に必要な品々を縫うために、2日間夜なべをしました。急ぎの時にかぎってうちの老体ミシンはストを起こします。
 SARS騒ぎでは、さまざまな計画が中止され、解除後は倍の忙しい思いをし、基本法23条反対の50万人デモで、その威力を目の当たりにしました。何とかくぐりぬけたようですが、油断は禁物。
 ちょっといい話を!ある家庭に3人の娘さんがいます。2年前のイースターに長女が受洗しましたが、お父さんは反対。イースターの1週間前に3度目のお願いを。「お父さん、神さまは手が2本しかないのに、たくさんの人のために働かなくてはならないの。だから私、神さまの子供になって手伝いたいの」パパは直ちにOK.。次は2番目の娘が「神さまの子になっていい?」と頼んだとき、長女が「私、洗礼受けてとても幸せだから、許してあげて」と援護射撃。三女の受洗のときもOKでした。3人は今、「私たちは押さまの子供になってとても幸せだから、お父さんも神様の子供になって」と言って、お父さんもOKと言ってくれる日を期待し、祈っているところです。


ハイチからのカード
ハイチからのカード






『南米』







『『楽しみなコロニアの合同クリスマス会』

〜パラグアイ(ピラポ移住地)〜
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子

 日本は冬でお寒いと思いますが、こちらは暑いクリスマスを迎え、スイカやマンゴをいただいております。
 パラグアイ日系人の年中行事のひとつ、3つのコロニア合同クリスマスは、今年はイグアズ・コロニアで行われることになりました。ピラポとラパス・コロニアの信者さんたちは貸し切りバスで12月14日に旅行することになりました。年末はとにかく行事がつまっており、いつも早いクリスマスをお祝いし、クリスマス当日は、それぞれのコロニアの中央教会でお祝いいたします。ですから1年1回のこの出会いは、皆さんとても楽しみにしております。シスター・ホセフィナ山田もアスンシオンの聖霊会本部からイグアズに出張される予定です。
 私は2003年2月からピラポ移住地から転任になりましたが、月に2、3回はバスで通って、ニパス・コロニアの布教に行っております。ラパスの支部を閉鎖しましたので、そのために日系人の布教者がいなくなったからです。「エホバの証人」とか「ルーテル教会」の伝道師さんたちは、熱心にコロニアで布教されております。ラパスには牧師さんの住宅も建築されております。
 この度、ピラポ移住地からシスター宮入キワ子さんが、アスンシオンのサンローレンツにある「黙想の家」へ転任されることになり、12月末日にサンローレンツに引っ越す予定です。私は月に2、3回はエンカルナシオンに出張し、郵便局、税関などに行って用をたしておりますので、私あての郵便物はエンカルナシオンのままでお願いします。カトリックの雑誌、家庭の友、聖母の騎士、あけぼのなど月遅れのものを送っていただけると伺いましたが、布教のため使用したく、お待ちしています。日本の本をこちらで求めますと、送料も入れると相当高くつきますから、それで求めにくいのです。
 パラグアイでは8月15日に新しい大統領ニカノール氏が就任して、一生懸命国の改善のために働いておられます。今までの政治が適切でなく、政府の高官が国の財産も外国に持ち逃げしてしまったため、貧しい国庫でとてもやりにくい状態です。
 また、先生たちのストライキが2週間もありました。その補いのために学校の授業の終了も延期になり、いつもは12月の初めに行なわれる卒業式も延びて、私たちの学校もやっと12月16日に終了式をいたします。日本の皆様の上に神様の祝福を祈りつつ。








『日系人のお年寄りに心安らかな日々を』

〜ペルー(リマ)〜
フランシスコ会 加藤マヌエル

 海外宣教者を支援する会から60万円を喜びをもって受け取りました。この援助を受けられる方々に代わって心からお礼申し上げます。
 ペルーの経済事情は、政治家のエゴと欲で国民は貧しさを強いられています。また長引く不況で今まで比較的に豊かな生活を送っておりました日系人も、この煽りを受けてやはり因っております。若者はここ10年間日本に出稼ぎに行って、送金しながら各家庭を助けております。それだけでなくペルーに見切りをつけて家族まで日本に連れて行き、永住するつもりのようです。
 しかし、お年寄り、特に50年も60年も亜熱帯のこの地で生活をしている一世の方々は、もう日本には戻りたくありません。この方々のために日本のさまざまな団体や、知っている方々の援助を仰いで、ペルーの政府からいただいた3千坪の土地の内、2千坪の敷地に日系人専用の老人ホームを建て、現在、ここに15人のお年寄りが喜びと感謝の内に余生を送っております。
 この老人ホームには個室のパビリオンと3人部屋のパビリオンがあり、そこには44人が入居できます。営利が目的ではありませんが、この事業を維持するためによく計算してみましたら、必要経費が1人につき1月に3百ドルとなりました。 しかし、そのほとんどの方がその半分の150ドルしか払えません。また払えない人、あるいは150ドルの半分しか払えない人もいます。出稼ぎに出て日本から仕送りしている方々も、ほかの家族もいるので150ドル以上は払えないのが現状です。これを補うための一つの方法として日本でいろいろな方々の協力援助を願っております。
 翌日のことは心配しないで、やるべきことを一生懸命やりながら、全てをご摂理にお任せしているのがこの事業の運営です。このような中での皆様の寛大な援助は、ただただ感謝の内に受け取っております。改めて心から感謝を申し上げます。






『間もなく待望の図書室もできます』

〜ペルー(リマ)〜
宮崎カリタス修道女会 恵 英代

 今年もまた日本の美しいカレンダーと「きずな」をありがとうございました。毎日の宣教の励み、力、心の憩いとさせていただいております。
 さて、ずっと気になっていることがあります。2003年に皆様からいただいた援助金(図書室の机や椅子などの備品)の残金を未だご報告せずにそのままにしていたことです。小学校はすでにできあがり、中学校も4月か5月には図書室が出来上がる予定です。また、ご報告させていただきます。








『コピー機の申請が認められ、みな大喜び』

〜ブラジル(パラ)〜
大阪聖ヨゼフ宣教修道女会 馬場 美保

 皆様からのご支援を心より感謝申し上げます。
多くの方々に支えられながら、今年は保育所に2教室と多目的広場が増築されました。新年度より112名の子供たちを受け入れる予定となりました。
 コピー機の申請をしておりましたが、援助許可されたことを今日、「きずな」で知り、シスターたちはじめ職員、神父様も大喜びしています。
 ありがとうございました。多くの方々の善意が子供たちの成長に大いに役立つよう、大切に利用させていただきます。感謝と喜びのうちに。






『長い間お世話になりました』

〜ブラジル(ロンドリーナ)〜
ベタニア修道女会 松本圭世 和田しず枝 松永泰子

 皆様お元気でお過ごしのことと思います。ブラジルでの私たちの活動のためにいつも大きな協力と支えをいただいておりますことを心から感謝申し上げます。
 この度、今年度(2003年)の活動を終えてからブラジルを引き揚げることになりました。コロニア・エスペランサでの日系司牧、その後スラムの保育所で16年間、多くの方々に助けられて続けることができました。昨年から『バストラール・デ・ナザレ』として、スラムと地域の子供たちと関わり、手仕事を教えることなどを通じて70名も集まるようになっておりました。これからも何らかの形でこのバストラールが続けられるようになったので、うれしく思っております。
 12月には日本に帰ります。また、新たな気持ちで求められる活動に励みます。これまで本当にありがとうございました。心から御礼申し上げます。






『悲しいお知らせです』

〜ブラジル(パラナ)〜
佐々木治夫
 2月10日の夜、吉田宰冶神父(ブラジルのシトー会)がサンパウロ州イタボランガ市で自動車事故のため亡くなりました。92歳でした。1月半ばに私たちのところに10日はど滞在されお元気でしたが、耳が遠くなって、これも事故の原因だったようです。補聴器を購入すると張り切っていた矢先の出来事でした。お棺の上に彼が愛用した鳥打帽と写真が置かれていたのが印象的でした。
 最近は漱石の「我輩は猫である」を翻訳をし、出版を夢見ておられたようです。武内神父に続いてまた大きな支えを失ってしまいました。どうぞお祈りください。






『アフリカ』






『結核で4人も命を落とした貧しい家庭』

〜マダガスカル(アンポヒナリオ)〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 遠藤能子

 本日(11月8日)、日本管区を通じて私共の50万円の申請が許可されたことを知らせが届き、感謝の気持ちで一杯です。すでに緊急を要する輸送患者が出ています。幸いその患者はその後、順調であることを家族を通じて知り、共に喜び感謝しております。お金を前借りするに当たって聖書には、「貸す時には返済を期待しないように」と書いてありますが、返済されたら次の緊急患者のためにまわすことができますから…。
 私がこちらに戻ってから、ある貧しい家庭の主婦が子供たちはまだまだ小さいのに、結核に冒されて、悪化をたどる一方でした。その弟は28歳の若さで亡くなり、すでに家族4人が結核で亡くなっています。一日も早く治療を受けさせるには、どうしても援助が必要です。どうして彼女に援助の手を差しのべずにいられましょうか。
 農繁期の今、マダガスカルでは農家の人々は経済的に貧困のどん底にいます。診療所も支払える時に払っていただくというシステムにしています。それでないとお金がないからという理由で、もう最悪の状態、手遅れの状態でやって来ます。どうしてこんなにまで…と言いますと、皆さんお金がないから来られなかったと同じ答えを出します。そのことをもう知っている私はどうしたらよろしいのでしょう。
 もう一人は前立腺肥大の患者で、緊急に輸送しました。さらにもう一つのケースは、20歳の精神病患者の治療です。父親に見放され、貧しい女の手でどうして長期に及ぶ治療に対処して行けましょうか?この青年も次のチャンスにリストに載せて、独り立ちできるようにと母親と話し合っています。日常生活が送れるようになるまで援助したいと思っています。
 「会」の皆様、本当に海外宣教者を援助し続けていただきありがとうございます。一人でも多くの人が自立への道を開き、普通の生活ができるようになることは素晴らしいことですね。希望と感謝のうちに…。






『日本からの便りは何よりもうれしい!』

〜コンゴ(プラザヴィル)〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 高木良子

 皆様の暖かいご支援をいつも心より感謝いたしております。「きずな」そして宣教者名簿をありがとうございました。国を離れておりますと郵便を受け取ることの喜びは、それはそれは大きいのです。この度、月遅れのカトリック雑誌などを送ってくださるとのこと、楽しみにしています。
 ところで、9月29日から10月1日の3日間、曽野綾子氏を団長に日本財団の方々がここ、ブラザヴィルを訪問されました。日本人がこの国を訪れるのは本当に珍しく、私にとって大きな喜びでした。この国も内戦後、復興が目覚ましく、外国人が多くなりました。しかし、まだまだ安定した状態とはいい難いのです。今は雨季、毎日雨に見舞われる日々です。






『一滴の雨も降らない乾季』

〜カメルーン(オバラ)〜
シャルトル聖パウロ修道女会 田中一栄

 ここオバラは首都ヤウンデから車で約50分ほどの町です。6年前日本を発っとき、オバラは豊かな町で電気も水もあると聞いていましたが、実際は停電と断水の連続です。私は男女共学のカレッジを経営している修道会におります。生徒たちは一見豊かに見えますが、ほとんどの生徒は毎日朝食をとらずに登校しています。雨季には1日一食、乾季には3日に一食という家庭環境にあって、今は乾季で雨は一滴も降らず、辛い毎日です。修道院では幸い三食食べることができますが、日本では考えられない内容です。
それでもカメルーンのシスターの話では、一般家庭よりまだよいとのことです。
 幸いにカメルーンは内戦や戦争がなく、ある程度安定した政府ですが、別の見方をすれば、ダイヤモンド、金、石油など利益になるものがない国なので、安定しているともいえます。送っていただく「きずな」を読むたびに私は勇気をいただき、もう少しここで生活できると思い、また一歩を踏み出しております。
 初夏に一時帰国の予定ですが、そのときには「支援する会」をお訪ねして、お礼を申し上げたいと思います。






『早速、訓練センターへ』

〜ブルキナファソ〜
マリアの御心会 野間順子

 この度は、鍛冶屋を職業にしたいという青年の希望を実現してくださり、誠にありがとうございました。早速、訓練センターに登録し、訓練に励んでいます。先日訓練所に行きましたので、訓練の様子を写真に撮ってきました。彼は字を書くのが苦手なので、「助けてくださった皆さんによろしくお伝えください」と大変喜んでおりました。








『一日も早い校舎の修復を願いつつ』

〜シエラ・レオーネ(フリータウン)〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子

 一昨年9月から私たちは、次々と日本からのお客様を迎えました。9月には曽野綾子団長の日本財団の方々が一日だけ、ここルンサにも見えました。その時は私たちの修道院には窓ガラスも枠もなく、ねずみ君はいっでも入って来る状態でした。ベッドーつありませんし、屋根は穴だらけでした。それで、半数の方は神父様が住んでいる家をお借りし、あとの方々は私たちの修道院で、床に皆さんご持参のスリーピングマットを敷き、カヤをつって寝ました。ねずみの安眠妨害などあり大変でしたが、これも「アフリカのよい体験」とおっしゃってくださいました。曾野さんは個人的になさっているNGOから、すばらしいトヨタの車を寄付してくださり、いつもこの車は私たちの唯一の足となって、大活躍してくれています。
 昨年の2月には日本大使がお見えになり、私たちの壊れた校舎などを見て何とかお手伝いしましょうと言ってくださいました。そして、5月には菅野美穂さんとフジテレビの方々が来られ、5日間ルンサに滞在されました。私たちのところは相変わらず壊れたままでしたので、修築中だったヨゼフ会(イタリア人)修道院の部屋に泊まっていただきました。
 そして、7月には黒柳徹子さんがユニセフ大使としてルンサに。もう夏休みに入っていましたが、近所の生徒を集めてお迎えしました。黒柳さんは、政府から何も支援が届いていないことに同情され、大統領に会ったらお話ししましょうと言われました。
 この間、日本からは4月に「手を貸す運動」の佐藤先生と一人の大学生、そして8月には北イタリアから12名の若者が、夏休みを利用して奉仕活動に来られました。また、10月には関西の「国際エンゼル」の方2人が来訪、この時には私たちの修道院は修築がはば完成して、お客様をお泊めできました。生徒が机も椅子もなく、床に座って勉強している様子を見て、120個の机と椅子を寄付してくださり、本当に私たちのエンゼルになってくださいました。事務用戸棚も1台ずっ幼稚園、小学校、中学校、センターにいただきました。
 そして12月には、「国境なき医師団」の山本医師がNHKの方と一緒に、北シエラレオネのマプラカの病院へおいでになり、ここルンサにも寄られました。
 現在、まだ小、中学校の校舎なども修復の手が加えられておりません。あちこちのNGOに働きかけていますが、ここルンサは最後まで反乱軍の基地であり、かなりの元反乱兵がいますので、支援も後回しにされています。2004年にはせめて屋根、窓、机、椅子だけでも揃いますようにと祈っております。幸い私の働く職業センターは建物だけ「DEFI」という英国の組織によって修復されました。これには日本政府の基金が回されているそうで、日本人が校長であるからと優先されました。日本政府に感謝です。建物は2学期から使用することになっています。青空教室さよならで、とてもうれしいです。
 この内乱ではとんどの生徒は、反乱兵士や連合軍の兵士の慰安婦とされました。生徒の手記は涙なしには読めません。残酷なひどい体験を皆が持っていますので、心の傷跡も深いです。この生徒たちを少しずっ励まし、希望を与え、生活の手段を考えてあげるのが私たちの役目だと思っています。いっの日か生徒たちの手記を読んでいたく機会があることを願っております。






『祈りつづけましょう!』

〜フランス(ジョンシィ)〜
幼きイエズス修道会 堀内操

 いつも「きずな」をありがとうございます。
皆さんが世界各地で、とても苦しい中で一生懸命、神と人とのため働かれているのに勇気づけられます。人間のすることばいつもどこか不公平で、強い者が弱い者を勝手に自由に使い、釜しい者はますます宜しくなります。貧しさは物だけでなく心も貧しく、分け合う心を失いっつある文明国に対して、神様からの警告が発せられています。今なお戦火のもとに生命の不安、内戦で同国人が殺し合うというこの矛盾に、心はいつも痛み、何もできない自分に対して神様にゆるしを願っています。祈り、それは強い強い信仰、平和のために、苦しんでいる人のために、祈りつづけています。早く、早く平和になりますよう心から願いつつ。






『オセアニア』






『新しい修道院スタート!』

〜ミクロネシア連邦(トラック諸島)〜
援助マリア修道会 赤岩恵子

 9月からトラック出身のシスター2人と共に新しく修道院を設立し、トラック島にいます。信徒宣教者の山手雅子さんも12月から英語研修のため、こちらに来ておられます。
 トラックでの設立が決まり、家探しは大変でしたが、やっと、メルセス会が以前住んでいた古い修道院に落ち着きました。でも家の中には何も無く、修理が始まったばかりでした。最初の日は灯油ストープ、灯油ランプ、ヤカンを買い、食堂にポンペイから持ってきたゴザを2枚敷いて、3人で寄り添って寝ました。廊下にたらいをおいての洗濯、床の上での食事、そして、夜な夜な現れる鼠から食べ物を守るための工夫などキャンプのような生活です。メルセス会のシスターが、床の上で食事をしている私たちを見て、古いテーブルを、Sr.エネリーナとSr.ソフィーが勤めるセシリア小学校の校長先生が椅子を、アグルバート神父様(ェネリーナのお兄さんでトラックの教会の司教代理)が、ローカル・マットをくださり、家の中も少しずつ整ってきました。家の修理は10月末に終り、個室、洗濯場、客室などもできました。エネリーナとソフィーは宗教を教えていますが、学校は修道院の階下にあるので通勤時問30秒です。私はトラック語の勉強中で、初めのころトラック語を聞いても音にしか聞こえませんでしたが、今では単語として聞き取れるようになりました。
 生活が厳しい時には、互いの協力は案外スムースにゆきましたが、生活が落ち着くとそれぞれのやり方、意見の違いから、互いに緊張を感じる機会が増えました。難しさを感じながらも、共同生活を宣教として生きたいという思いは、3人に共通していますし、互いに、喜び、痛みを受け取りながら成長しています。どうか祈りをもって私たちを支えてください。