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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アフリカ』

シエラレオネ マダガスカル 南アフリカ





『職業センター立直しが急務』

〜シエラレオネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子
 「お金にカビが生える…?」と言うと、お金持ちのようですが、湿度100%で、お金に真っ黒なカビが生えてしまうのです。
 2002年、いつもの年ですと10月末には乾季で雨は殆ど降らないのですが、アフリカも異常気候になっている証拠なのか、毎日雨が降り、全てにカビが生えてしまいました。
 (私の居る)職業センターは日本で言うならば家庭科、商業科専門の高等学校のようなものです。希望する普通高校に入れなかった生徒が、こちらに来ます。商業科の生徒はタイプライター、会計事務等を始めました。
 2002年をここシエラレオネで迎えられたことは、大きな喜びでした。屋根は穴だらけ、家も壊れたままでとにかく学校は始まりました。
 幼稚園、小学校、中学、高校、職業センター等合わせて4800人以上。戦争で沢山亡くなったのにどうしてこんなに多いのかと首を傾げていましたら、とにかく、周りの他の学校はみな崩壊、先生もキチンと学校に来ない等の理由で、カトリックの学校に集中したことが原因なのだそうです。ここに来れば、授業はキチンと行われ、給食もある等々、お蔭様様でマンモス学園です。中には、日本でいう落ちこぼれの生徒も居ますが、少しでも、手に職をと、希望を持ってやって来るのです。
 実際にこのセンターは、大切な役目を持っています。問題は、この内乱て設備を壊され、何も残っていないことです。センター建て直しが私の目下の使命です。そして、切に望んでいるのは、政府が先生の給料を支払ってくれることです。あちこち借金に走り回る先生をみると気の毒です。






『新体制に期待感』

〜マダガスカル〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 平間 理子
 政治混乱も漸く落ち着き、現大統領が国際的に認められつつあります。経済の低下を各国からの援助で取り戻そうといろいろ計画しています。大臣クラスもよく動き、地方にも出掛け、現場での必要性を自らが確認するというのは、今までにはなかったことで今後が期待されています。2002年は、国立の看護学校は、フランスの奨学金援助が来ないので、募集が中止されたようです。その一方で、マダガスカル唯一の私立看護学校である私どもの学校は、助産婦科の申請をしています。認められると思いますが。
 9月に看護学校の入試があり、88名の受験者の中30〜35名が合格したようです。
 良い看護婦が育ちますようお祈り下さい。
 日本人も続々と帰って来ており、とくに、JICAの方々は一番先にこちらに戻って来ました。あらゆる国からの援助で、少しでも、生活レベルが向上すればいいのにと思っております。






『なお不安定な社会情勢』

〜南アフリカ〜
聖パウロ女子修道会 植山 由紀
 私も4年目になり、こちらでの生活がすっかり身についたところです。相変わらず犯罪が多く、私達の店でも、(賊が)大きなガラスを破って侵入し、コンピュータ4台と、お客様の車が盗まれました。11月末にはサレジオ会の神父様が殺されました。ここから約30分程の所にあるホスピスにはフランシスコ会の根本昭雄神父様が居られ、HIV・エイズ末期患者の世話を見ておられますが、そこでも毎日、人が死んでいます。
 時々、(此処には)希望があるのかと感じることがあります。しかし、子供たちの生き生きした目を見ると、この国の平和を祈らずにはおれません。






『中・南米』

ペルー パラグアイ ブラジル





『エンマヌエルホーム19年』

〜ペルー〜
フランシスコ会 加藤マヌエル
 1983年、当時、比較的裕福に暮らしていたリマ市内の日系人の経済的援助を仰いで、市内のストリート・チルドレンを収容する施設「エンマヌエル・ホーム」が政府から無償で頂いた土地にスタートしました。2人のシスターと8人の子供達でした。
 それから17年になりますが、その間皆様は継続的に助けて下さったのです。その援助のお蔭で20年計画で始めた事業を6年で完成し、1989年8月18日、日本移住90周年に、私達日系人を暖かく迎えて下さったペルーの方々に贈呈しました。96人の子供達が暖かい雰囲気で生活出来る建物を建てました。同時に、この地区の貧しい人達にも役立っ保育所、国立校の校舎、小さな診療所も設けました。後に、子供達の実地教育とホームの経済的自立のために、若者達の黙想の家、美容室、靴の修理、レストラン、パン製造工場、コンピュータ室も設けました。区役所も事業拡張のため、3000坪の土地を寄贈して下さいました。
 その後、ペルー経済悪化のあおりを受け、これまで比較的裕福だった日系人も貧しくなり、その影響を受けたのが老人でした。20年前に、協力を惜しまなかったこの人達のために、やはり日本の皆様の援助で、2000坪の土地に、44人収容出来る老人ホームを建て、既に今、5人の宮崎カリタス修道女会のシスターの協力によって元気に余生を送っています。
 今、農業に見切りをつけた農民達が海辺の町やリマ郊外の砂漠地帯に住みつき、20年前は砂漠地帯で精々1万しか住んで居なかったホーム周辺でも今、30万人以上が住んでいます。
 1万人を目標に建てた診療所も小さくなってしまいました。目下、27人の医師(15人が日系人)が献身的に診療していますが、診療所には毎日120人から130人の患者が来院し、診療所はパンク状態です。
 そのため、今、診療所建設を優先課題としています。老人ホームの一角に1000坪の土地が残っていますので、ここを診療所の予定地に決めております。
2002年11月1日
ホームの様子1
ホームの様子1
ホームの様子2
ホームの様子2





『ピラポから”通い”で日系人のお世話を』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
 日本では冬のクリスマス、こちらでは真夏のクリスマスで、馬槽へのお供え物には水瓜、まくわ瓜、シウモロコシ等が並びました。12月22日には、日系信者による3移住地合同クリスマスがラパスで行われました。12月23日夕方にはエンカルナシオンの司教様、神言会、聖霊奉侍布教修道女会の管区長様方がお見えになって、私達の送別会をして下さいました。人手不足のため30年間働いたコロニアから、聖霊奉侍布教修道女会は引き揚げることになったからです。
 幼稚園は日本人会が引き継ぎ、建物は、日系人老人クラブに使われます。私はピラポのコロニアに転任になり、そこから定期的に通って日系人のお世話をします。ラパスの主任司祭は神言会のマルセロ・カイネル神父様でアルゼンチンの方ですが、76歳で25の小聖堂の掛け持ちですから手が回らずお気の毒です。
 只今、パラグアイでただ一人日系人のために働いて下さっている神言会のクルッカ神父様が11月24日に車で2時間もかかるマリア・アクシリア教会からサンタ・ローサ教会に来て下さり、初聖体が行われました。この日は丁度、クルッカ神父様の司祭叙階41年の記念日にもあたり、大変喜んでおられました。

−初聖体を受けた子供たち−
−初聖体を受けた子供たち−






『バスを止めて両替をする老婆』

聖霊奉侍布教修道女会 山田 雲江
 修道院の勤めの間を縫って、奉仕を続けさせていただけることを感謝しています。殆どの人が自分のことにとらわれ、社会の動きに振り回され、また、貧困の度合いも深まり、その必要を満たすことが不可能になって釆ています。
 今、身近で最も必要とされていることは、「その人の身になって話を聞いてあげること」だということを、強く感じさせられています。
 先日、郊外に住んでいる病人を見舞った時のこと。道端で自分の家の庭先でとれたミカンやメロンを売っていたおばあさんがバスを止めました。誰かが乗るのかと思っていたら、そうではなくて、お金の両替を頼んでいたのです。やっと買い手が見つかっても小銭が無くて…ということも多い田舎のことです。
 バスの運転手さんも、そんな実情を心得ていますし、乗客も時間がどうのこうの呟くこともなく、黙って両替が終わるのを待っていました。
このような人間味の暖かさに触れることの出来る日々を感謝しながらの毎日です。






『婦人学級で分かち合い』

聖霊奉侍布教修道女会 宮入 キワ子
 社会的にも経済的にも、大変不安定な時に当たって私達もそれぞれの場で工夫をしながら生活を続けています。
 私は一一年前から婦人学級を開いて、洋裁、編み物、手芸、料理、薬草の煎じ薬、クリーム等家庭用に使用出来るようにと皆で学びながら、分かち合っています。そこでは、み言葉の分かち合いや困難、悩み等の分かち合い、そして、助け合いへと少しずつ進め、お互いに結ばれていくのを感じています。小さいグループですが、それぞれの家庭から子供たちへ、そして、お隣へも広がっていけるなら、すこしでも社会が変わって行けるのではと希望しています。






『新大統領に期待感』

〜ブラジル〜
長崎純心聖母会 堂園 みつ子
 2002年のアモレイラの夏は、夏なのに寒かったり、暑かったりの日々が続きました。老人の家は天井なしの長屋ですので、暑い日は著すぎて家の中に入れず、寒い日は寒すぎて、この時も中に入れず、結局、お年寄りは一日の大部分を家の外で過ごしていました。
 8月の聖母被昇天の祝日には、私立純心幼稚園の許可が下り、新たにスタートしました。10月の大統領選挙で初めて野党のルーラ氏が当選し、沢山の問題を抱えていますが、まず、飢えをなくす特別な組織を作りました。
 選挙中はドルが急上昇し、スーパーに行く度に、値段が変わるので、お母さん達は失神しそうだと話していましたが、実際、心臓に問題があったお年寄りがスーパーで倒れ、亡くなったという事件もありました。
 (新しい)ブラジルは良くなるかもしれないと、大部分の国民は期待しています。






『ギー神父との再会』

マリアの宣教者フランシスコ修道会 浅沼 みどり
 ブラジル北管区アマゾンに派遣されて1年になりました。1月4日から9日まで、司教座教会のある町テッフェで全小教区の代表者が参加して開かれる集会に初めて行きました。教会のモーター船に三日二晩乗ってジュルワ河を下りました。飛行機なら40分の距離ですが、代表者6人ではとても高くつきます。皆船旅で来ます。集まりでは、召命の年2003年をどのように過ごすかを、司牧、家族、先住民族、コミュニケーション、幼児、青少年、典礼面での体験、提案等がその内容でした。2日目にはケベック外国宣教会のギド神父様が講師として招かれていました。驚いたことに、ギド神父様は1971年から85年まで、日本の川崎、東京で働いておられた方でした。神父様も日本人の私がいることにびっくりしておられました。日本では“ギー神父様”と呼ばれていたそうです。今はブラジル司教協議会の宣教部門でアマゾン地区を担当しておられ、日本をとても懐かしんでおられました。






『飢餓、悲惨と戦う力を』

マリアの宣教者フランシスコ修道会 佐藤 和子
 こちらは盛夏、暑い日が続いています。
 日に一度は富を伴う大雨、その度に下町、スラム街は水浸し、崖崩れ。広い、広いブラジルのこと、こちらでは大洪水に家が流され、救援物資を待っている人々。隣の州は干ばつで土地はカラカラに割れ、飲み水も無く、家畜も倒れ、死んでいます。クリスマスの集いでは飢え、悲惨さと戦う一致した力、‥を具体的な行動として選び、集めた物資を重しい家庭に配りました。私はサン・パウロの日系共同体で働いていますが、月に一度、サン・パウロからバスで6時間のマリリア、其処から更に1時間のガルサ等に宣教に行っております。田舎町で公害はなく、美しい星空、広いカフェザールに車を走らせながらも、一息つく時です。
 まだまだ、ミッションのために働く場が沢山あります。そして、働き手の少ないこともつくづく感じるこの頃です。






『新教会に貧富の差なし』

フランシスコ会 小川 満
 お蔭様で立派な教会を建てることが出来ました。これもひとえに皆様方のご理解とご支援によるものと感謝しております。この新しい教会は貧しい地区の入口にあり、虐げられている多くの人達の精神的な中心として機能することでしょう。街の裕福な地区に住むある信者さんが言いました。「立派な美しい教会は何も金持ちだけのものではなく貧しい人も良いものを共有する権利があるのですね」
 新しい教会の建立を通じて福音の心が伝わっているような気がしました。






『保育所だより』

大阪聖ヨゼフ宣教修道女会 馬場 美保
 「きずな」を通して、多くの宣教者の方々のご苦労を知り、日本の皆様から大きな支えと勇気を頂いています。

「保育所だより」
 私達の保育所の一つの特徴は音楽の時間があることです。毎年、クリスマスや卒園式には、クラス毎に何かを発表します。(この時に)香里幼稚園から頂いたタンバリン、トライアングルに鈴、道尾から頂いたピアニカが大活躍します。2002年には、木の実をくり抜いて中に豆を入れたマラカス、サボカイアという木の実の部厚い殻の中をきれいにして乾燥させ、音が響くように切り目を入れ、これを棒切れで叩き、ドレミファソの音を探り並べて特製の楽器を作りました。子供達は週に1度のこの時間が大好きです。普段は、先生を手こずらせる“悪ガキ”達が真剣に取り組む姿は感動的です。
 10月18日の「子供の日」には、500m程離れた修道院の畑まで遠足しました。鶏、兎、豚等を見て、木や野菜等の自然観察、その後ゲームをしたり、おやつを食べたりしました。
 ところで、保育所の子供がまた一人、登園しなくなりました。父親の仕事がないため他の州に探しに行き、帰って来なくなって数カ月、食べることが出来なくなり、知人を頼って何処かに行ったとか…。家庭訪問を考えていた矢先、行方不明になってしまったのです。今、2教室と多目的広場の増設を考え、検討中です。






『子供達の笑顔に迎えられて』

〜ハイチ〜
無原罪聖母宣教女会 本郷 幸子
 2002年9月9日から学校が始まり、顔見知りの生徒たちがニコニコ顔で私を迎えてくれました。留守中しっかり躾けて下さったので勉強に励む姿勢が窺え、これからが楽しみです。
 クリスマス会では素晴らしい劇、ダンス、ポエム等が披露され、6人の先生方への感謝のプレゼントは、家で採れた果物やコーラでした。
 識字教室からは援助物資の贈り物でしたが、中でも、手作りのショルダーを背に子供たちは喜んで帰って行きました。
 何かをねだる時、「00を下さい」ではなく「何でもいいから下さい」と言います。
 給食の献立がいつも同じなので、豆の混ぜご飯と、豆のスープかけご飯とどちらが好き」かを聞きましたら、殆どの子供が「どちらも好き」と返事が戻って来ました。選択の余地のない質素な食事にあずかれること自体満足なのだと教えられました。
 多くの方々のご厚情がハイチに運ばれ、その恩恵に与かれる子供達に代わり、お礼と感謝を申し上げます。外国宣教に出ている者に対するお心遣いを感謝致しております。休暇から戻りハイチで子供たちと共に過ごせる日々を喜び、皆様の祈り、物的支援に支えられている実感を、身に沁みております。






『アジア』







『未熟児双子は育つ』

〜パキスタン〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 岡野 真弓
 ファイザラバードの病院で、ラハナという女性が手術で女児の未熟児双子を出産しました。
体重が1キロ300〜400gしかない未熟児の生存率は半分以下です。その上、母親はもともと鴫息で手術後喘息の発作に苦しみました。
発作でベッドを離れられない目は、新生児室でミルクを調合して双子に飲ませていました。手術2週間後、母親の鴨息発作も起こらなくなり、子供の体重も、1.5kgまで増え両方とも順調だったある日、夫が病院を訪れ、これ以上入院費を払えないという理由で(私達の反対にもかかわらず)母子を強引に退院させました。後は神様がなんとかしてくれるというのです。
 退院前に母親が双子のためのミルクを買いたいと願ったので、「母乳が足りない虚弱な母親が(子供を)育てる積もりなのだ」と嬉しく思い、未熟児用の、少し高価だが特別のミルクを2缶渡しました。約2週間後、この母親は双子を両手に抱えて病院の外来に現れました。
 ミルクが無くなったので貰いに来たとのこと。
喘息は収まったようで、何より嬉しかったのは双子が2kgを超えていたことです。すっかり人間の赤ちゃんらしく可愛くなっていました。母親を褒め励まし、また、ミルクを2缶渡しました。新生児室のナースによると2缶で一月はもつ、少し無くなるのが早いかなとも思いました。
もしかしたら、1缶は子供に飲ませ、1缶は売っているのかも知れない。両親も食べる物が必要だろう。とにかく、子供が育てば良いと思いました。
 このミルク1缶は約600円します。日雇い労働者の日給は約200円ですから、とても、高価です。もし、病院からミルクを渡さなければ、子供は忽ち死んでしまうでしょう。
 1カ月2,400円で双子は育つのです。
 母親は一人を私の手に抱かせ、「あなたによってこの子達は助けられた」と感謝しました。
 子供の温かさと軽さが両手に痛く感じました。しかし、私によってではありません。
 皆様のご好意によってこの双子は育っているのです。






『山岳民族が難民化』

〜フィリピン〜
新潟教区 山頭 泰種
 第三の千年紀が始まって2年が経過しました。グローバル資本主義経済が地球上を覆い、そのスピードは益々加速するばかりです。その行き着くところは「弱肉強食」です。世界の富の一極集中化がさらに進み、世界中で、貧富の格差が増しています。
 日本では1年間の自殺者が30,000人以上、過労死が100人以上と聞いています。
 大都会の公園や公共の場には仕事の無い人が増えています。20年前には見かけなかった光景です。どうしてこのような現象が地上のあちこちに出現したのでしょう。それは人類が正しくない方向へ進んでいる、極論すると人類が破滅へと向かって進んできた結果ではないでしょうか。フィリピンで私が今、とくに関わっている問題は、ミンドロ島の地下資源採鉱のため外国資本が入り込み山岳民族が村々から追放されて、マニラ首都圏や近郊に難民としての生活を余儀なくさせられている数百の家族です。因も地方自治体も援助の手を差し出してくれない現実です。今日、あらゆるキリスト教会や心ある人々は「貧しい人を優先的に選択する」という一大スローガンの下に力強く歩いています。
 私達も身の回りを注意深く観察しながらその歩みに加わりましょう。






『品切れ、再版本相次ぐ』

〜タイ〜
聖パウロ女子修道会 阿部 羊子
 2002年も多くの人に支えられ、タイ国の人々に神様からの喜びと励ましのメッセージを届けたい……ひたすら、そう願って励むことが出来ました。講談社の聖書マンガ本のタイ語版を完成させた後、単行本@「愛と結婚」A英・タイ語対訳「Finding the Serenity of Acceptance」B「マンガ ベン・ハー」(2巻・再版)、Aの再版5000部を含め、それぞれ5000部を出版し、宣教に大いに役立てています。これからも良い作品を探して制作し、タイの人々に届けていきたいと思っています。






『新しい使徒職に向かって』

〜カンボジア〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 カンボジア共同体
 私達はカンボジアで暑い暑いクリスマスを迎えました。12月13日、プノンペンからシェムリアップに移りました。新しい土地で教会の皆様が心境かく迎えて下さり、沢山の祈りに支えられてこの地にまで達することが出来ました。
 星の導きによって博士達が、救い主を見つけたように、私達も神様の導きにお任せして、これからの歩みを続けることが出来るよう、引き続きお祈り下さい。
 シュムリアップは世界三大遺産で有名なアンコールワットがあるので観光客が多いのですが、街としては、プノンペンより緑が多く落ち着いています。
 この町は小さくてまとまりのある町ですが、周辺には沢山の貧しい村があり、ここで新しい使徒職が示されるでしょう。






『病院の二期工事間もなく完成』

〜インドネシア〜
御聖体の宣教クララ修道会 服部 麗子
 2002年3月に資金難のため一時病院の建築を延期しましたが、8月に建築を再開、12月12日にとにかく、未完成ながら、スラバヤの司教様によって祝別して頂きました。
 院内を締麗に掃除してからご援助で購入したベッドを病室に入れましたが、先生や職員も大喜びでした。ベッドは8台購入出来ました。
 病院の第2期工事も間もなく終わりますので私もはっとしております。

−搬入されるベッド−1
−搬入されるベッド−1
−搬入されるベッド−2
−搬入されるベッド−2






『根づいてきた宣教』

〜ミクロネシア〜
援助マリア修道会 斉藤 高子
 私達のポンペイでの宣教も長くなり、だんだん、根づいて来ました。これも皆様の暖かい援助によるものと思います。幼きイエスの喜びと平和がひろがりますように。

木村 和恵
 お蔭様で22年間の歩みの中で、ミクロネシア人のシスターが6人誕生しています。

真浦 キヌエ
 全世界が平和の光で満たされることを祈りつつ。お祈りと支え有り難うございます。

赤岩 恵子
 2002年には、新司祭誕生の喜びがありました。自立する教会を目指して小さな一歩一歩を歩んでいます。






『ヨーロッパ』







『イエスの嘆き』

〜イタリア〜
コンベンツアル聖フランシスコ修道会 瀧 憲志
 戦乱の暗雲が重く垂れ込めて、光が薄らいでいるような情勢になっています。
 でも希望があります。
 2002年、21世紀2回目のクリスマスをどうにか平和裡に迎えることが出来ました。
「エルザレム エルザレム、予言者を殺し、自分に遣わされた人を石で打ち殺す者よ、めんどりが翼の下にひなを集めるように、私は幾度か、あなたの子らを集めようとしたことであろう。
 しかし、あなた方はそれに応じようとはしなかった…(マタイ23章27節)」 このお言葉は本来は頑なイスラエル民族に向けられたイエス様の嘆きでしょう。でも今は、全世界の全ての人に向けられた嘆きのお言葉ではないでしょうか。
 白・黄・黒と肌の色は違い、話す言葉、文化が違っても、皆、アダムとエヴァの子孫で創造主の側からは皆、兄弟姉妹です。
 人頬は何時まで分かれ争うのでしょう。
 血肉の争いは、他人同士の争いよりも凄惨な争いになることがあります。戦争という名の争いはそれなのでしょう。
 すべての民が、唯一の救い主であるイエス・キリストを認め、喜び、受け入れることが出来るよう祈っています。
 皆様の上に、神様の恵みと祝福が、豊かに、注がれますように。






『援助金でヘブライ語版祈りの本完成』

〜イスラエル〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 阿久津 玲子
 2002年に頂きました援助金で、ヘブライ語の「教会の祈り」の本が出来上がり、ユデオクレチアン教会員一同心から感謝申し上げております。
 イスラエルの文化を取り入れ、教会暦に沿って祈れることは歴史上にもなかったことで、新しい聖霊の息吹を思わされるものです。
イスラエルの内乱は益々困難化し、イラクとの問題も重なり緊張の続く毎日です。
 沢山の犠牲者を出し、悲しみの涙、恨みの心は、イエズス様の地を荒廃させております。
 クリスマスにも巡礼者はなく、寂しいものでした。