『アフリカ』『チャドのガールスカウト達』ショファイユの幼きイエズス修道会 有薗順子
チャドではカトリックの宣教が始まって30年後、宣教女によってスカウトの精神による婦女子の養成が始められ、内戦や飢饉にもかかわらず熱意は消えず、2002年6月18日〜25日までフィリピンで開催されたガールスカウト世界大会で、チャドのガールスカウトは、めでたく国際連盟に加入しました。
チャドのガールスカウトの発祥は18年前に遡ります。 1984年、当時のチャドの司教様はガールスカウトを担当出来る宣教女を探しておられました。チャドではスカウトは、一つの信仰教育の場でもあって、毎年求道者や洗礼を受ける人が多かったからです。そしてこの活動に無経験な私がその任に当たることになったのでした。 現在チャドでは、3500余名のガールスカウト達が“常に備えよ”をモットーに、自立を目指して次の5つの面から学校教育以外の教育を受けています。 1.健康に関すること:現地の薬草の使用法、病気の初期の手当て法。 2.お互いの交わり(他部族との交わり等) 3.能力開発:一人前の女性として料理、育児、手芸等。 4.奉仕と活動:病人見舞い、公共施設や教会の清掃、独居老人訪問。 5.神との交わり:各自の信仰を深め、他の宗教も尊敬するなど。 2000年には日本財団の援助によって、チャドのガールスカウト事務所、研修室、物置、野外炊事場が首都ンジャメナに建設され、2002年には、日本宣教者活動援助後援会の視聴覚教育のためのビデオ、自家発電機を援助して頂きましたので、教育内容を充実させて行きたいと思っています。チャドの婦女子が女性として、チャドの国民として、人間としての責任を自覚し、世界の人々と共に、正義と平和のために貢献できる“準備が常に出来ている者”となりますように。 ミサ中ガールスカウトの「誓約式」 『生き生きしたスラムの子供達』マリアの宣教者フランシスコ修道会 南雲 春江
私は3月中旬にこちらに戻り、2カ月程他の共同体の手伝いに出掛け、5月中旬に今の共同体に移りました。此処には、直ぐ目の前に、キベラというケニア一番のスラムがあります。その人口は100万人ということです。
私も何度か足を運びましたが、想像を絶する所でした。そんな大変な所なのに人々は生き生きしているのです。とくに子供達はあちこちに居て、人なつっこく「ハバリ……」と握手を求めます。誰かから聞いた「How are you」を舌が回らないのに一所懸命……とても可愛いです。 毎日、入口の門を叩いて「食べ物を」と願う子供たちにトウモロコシの粉や豆を買って配りました。 『マダガスカル新事情』マリアの宣教者フランシスコ修道会 平間 理子
今回のマダガスカルの政治的混乱では、如何に政治が市民生活と密着していて、貧しくも、豊かにするのも政治の力であることを思い知らされました。
新しい大統領は全国を回って詳さに実情を見て回っています。未だに世界の四貧困国に入っているマダガスカルでは、今、何をまず解決しなければならないかが問題です。道路事情も、70%も悪く、水道の普及も20〜30%ですが、教育には重点が置かれ、子供達は学校に行くよう勧められています。ユニセフの援助で、5歳以下の子供全員にポリオの予防接種が行われています。以前は私立の病院、学校への援助は一切ありませんでしたが、現政権は私立、国公立が一緒に協力して行くという姿勢を見せ、准看学校も今年から国公立学校が出来ました。 助産婦希望者が多いのに国立の助産婦学校が一校では足らないので私共の学校へ働きかけがありました。書類を出すと直ぐに許可が下りるようですが、人数的には実習条件、場所の問題もあるので20人以下になると思います。 少しでも進歩していくのは心強いです。 私達の病院でも、この6月から救急室と集中治療室(5床)を始めました。建物も医療機材も全て寄付によるもので、まだまだ不足なものがありますが、少しずつ足して行くより他はありません。 『“無い無いづくし”からの再スタート』御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子
9月20日夕、シエラレオネのルンギ空港に着き出迎えのシスターと共にルンサに向かいました。
学校は今週から始まりましたが、私は年齢的な理由もあり、校長ではなくマリアイネス職業センターの責任者に就任しました。 この仕事は初めてで何も無いところから始めるので、正に大変です。座る椅子も机も無い、修理していない修道院の屋根の雨漏り、部屋にはネズミや虫が入って来てネズミ恐怖症のシスターの悲鳴が絶えなかったそうです。 生徒達も、机、椅子が無いので、椅子は自宅から持って来させるようにしています。 職業センターは中学卒業資格テストを受けて高等学校の学力に達しなかった生徒達、教育を受ける機会がなく結婚した若い女性達のために門戸が開かれています。この職業センターは、以前は300人の生徒がいましたが、戦争で全てを失い、現在、100人程度です。小学校と中学の教室を借りて授業を行っています。 センターにはタイプライター1台、ミシン10台しかありませんが、とにかく、手で縫うこと、ガラ染めなどから始めます。人々は食料不足で苦しんでいますので給食も欠かせません。 4人のシスターによって幼稚園、小学校、セカンダリー、職業センターとすべて開校し、汽車は走り出しました。どうぞこれからも応援宜しくお願いいたします。 毎日、雷雨がやって来ます。これはいよいよ乾期が始まるということです。この世紀に未だ電話も電気もなく石油と薪で食事作りが行われてるいのも不思議ですね。でも、平和であることがどれほど素晴らしいことか−。 完全に壊されてしまった神父様の修道院も、今、ブロックが積まれて新築されつつあります。 3つの学校と修道院が一緒に使えるように、3馬力の発電機が買えます。 無い無いづくしの職業センターもどうやら動き出しました。今は石鹸作り、染色等をやっていますが、上達したら市場にも出したいと思っています。来学期は土でかまどを作り、パンを焼くことを計画しています。 私もこの頃やっと朝起きるとまず、ローソクに灯をつける習慣に慣れました。 現在、子供達が原因不明の病気で沢山死んでおります。またルンサでは頑に沢山カビが出来る病気があり、調査しています。 やっと、病院のブラザーが戻って来てくれました。スペイン人ドクター(外科・ブラザー)も加わり、ホッと胸を撫で下ろしています。 無料の成人教室も始まり、今まで学校に行ったことのない人々が、1本のペンとノートを持って来て大喜びです。 小学校低学年は、午後1時半に授業が終わり子供達は大きな声で歌を歌いながら帰って行きます。その歌声は街中に響きわたり、人々は、子供の歌声が帰って来たので大喜びです。 『南米』『ボリビアだより』サレジアン・シスターズ 山口 多香子
6年ぶりにボリビアに来て、国民の生活レベルがかなり上がっているように感じました。
(十分とは言えませんが)。電車のない国ですので、日本の中古車が名前入りのまま活躍しているのが愉快です。「00温泉送迎車」「□□閣結婚式場」「△△せんべい」等々。 ボリビアは暑かったり、寒かったりでその都度、セーター、カーディガン、靴下を脱いだり着たりです。持ち歩いている袋のなかには、メンソレ、うがい薬、絆創膏、虫下し、目薬も入っています。蚊除けも大切ですが、日本から持って来た薬は効き目なし。ボリビア蚊は黄色人種がお好きなようで、片方の足だけでも20カ所も刺され、カユイこと、カユイこと。 コロニア沖縄では麦の刈り入れで黄金色に輝いていますが、「ミレーの落ち穂拾い」とは程遠く、コンバインがバリバリと刈っています。 3年不作でしたが今年は良いようです。 サンファンでは鶏と卵が良く売れるそうで一息つけると喜んでいます。私は車がないので、コロニアめぐりも仕方なく乗合タクシーやバスを使いますが、時には、オートバイタクシーをすっ飛ばします。「へ−イ!」と手を上げて止めてもらい、後ろに横座りに乗り、おじさんのベルトを掴み、ベルトが無い人には肩をムンズと掴まえて、パパバ!ドドド!とベールを靡かせてすっ飛ばします。一幅の絵どころかマンガで皆が心配して下さっています。 礼拝会のシスター方が四半世紀働かれたサンファンを引き揚げられ皆が寂しがり、懐かしがっています。シスター小浜、漠那も身を粉にして働いておられます。5月にシスター斉藤と一緒に、コトカへ巡礼、10月にはご一緒に教会めぐりを致しました。 『スラム街の学校建設を目標に』宮崎カリタス修道女会 白沢 康子
サン・パウロ市のサン・マテウス区は、北部の貧しい州から食と仕事を求めて南下して来た人々が、サン・パウロの街から溢れ出て郊外に住みついて出来上がった街です。
ここ数年は、住居や失業者の問題がますます深刻化し、郊外への人口移動が激化しています。街にも入れない人達はその周辺に住みスラム街化してその数は7つにも達し、さらに増えつづlナています。 そして、この街に住む青少年は貧困故に就学はおろか麻薬常習者、暴力、不道徳の悲惨な状況の中におります。少なくとも、この子供たちに基本的人格から要求される教育機関は必須です。 私達は、此処に小・中・高校の建築を完成させることを目標にしています。既に3年前から幼児教育に取り組み始めていますが、一貫教育が必要です。 (学校建設に当たっては)スポーツコートを設置することが義務化されています。 サン・マテウス地域の子供達が、生涯与えられなかったかもしれないこれらの条件を少しでも満たし、良き環境を整え、視野を広めることがレベル上昇に繋がり、良き社会人としての基礎教育が出来ると信じております。 一粒の種子が地に落ちて……そのような気持で、ブラジルの大地で少しでも全人教育に尽せればと願っております。 『アジア』『子供達への衛生教育』カトリック信徒宣教者会 棚町 久美子
この度、ゴミ捨場で働く子供達の衛生教育のためにご支援下さり、感謝申し上げます。
乾燥し、ゴミ山からの煙で子供達は結膜炎になり、目を赤くしています。先日、目の病気についてトレーニングをしました。50人近く集まり、半数が“目が痛い”と手を上げました。 病気が何処から来るのか、予防法を教えました。衛生がいかに大切か、繰返し話しています。 何よりも子供達が楽しく参加している表情、反応は私達の力のもととなります。 昨年から、栄養失調児のケースにも関わり始めました。子供との出会いは、そのお母さん、お父さんとの出会いです。 2歳の女子チャンターは6kgしかなく、立ち上がることも出来ず、細い腕と足をしていました。毎日、栄養のためにおかゆを一緒に作り、お腹の虫薬を飲ませて1カ月後、やっと立てるようになった時はとても嬉しく、お母さんと喜び合いました。今は保育所に通い、プクプク、可愛らしい女の子に成長しています。 人との出会いは恵みです。沢山の学びがあります。これからも、カンボジアの人達の中で、助けてもらいながら、活動して行きたいと思っています。 −カンポシアの子供たち− 『制作したDVD作品を初披露』聖パウロ女子修道会 山田 絢子
ご援助で求めたプロジェクターとノートブックは有効に使わせて頂いております。私達の最初のDVD作品「十戒」はカートンスタイルで北京語、広東語、英語、フィリピン・タガログ語版が7月に制作が完了し、教区事務所ホールで披露会をしました。これから学校等に普及していきたいと願っています。
島本大司教の計報に接し、驚き悲しみ、さまざまな思いです。1995年に、マカオに眠っていた殉教者のお骨を、長崎に運ぶお手伝いをさせて頂いた折、「お帰りなさい」と慈父のお心で迎えて下さったことが深く印象に残っています。私達海外宣教者を支援して頂くために選ばれた方と感謝しておりましたのに残念です。 『新しい歩みへ向かって』聖母訪問会 総長 渡辺 清子
実はこの度、新たな呼びかけを感じ、フィリピン共同体を閉じることになりました。
私達、聖母訪問会がフィリピンに参りまして早や、26年の歳月が流れています。 多くの皆様のお陰で此処まで歩ませて頂いたことを、改めて深く感じております。 多くの思い出と共に、言葉に言い尽くせない感謝の思いでいっぱいでございます。 今後の新しい歩みがどのようになるか分かりませんが、これからもアジアにいる日本の邦人会として、アジアに必要としているところに出掛けたいと願っています。(8月15日) 聖母訪問会・マニラ修道院
26年間お世話になった日本の皆様、私達は8月末でフィリピンを去りました。
マニラ共同体 姉妹一同
『イスラム教徒と信頼の共生』マリアの宣教者フランシスコ修道会 岡野 真弓
パキスタンは97%がイスラム教徒の国で、私達の聖ラファエル・ホスピタルの患者さんも殆どがそうです。彼らの信頼を得て共に生きるとても良い宣教の場だと思います。
結核治療薬と訪問治療のためのご支援によって、2001年3月から12月までに計6人の女性患者が薬を得ることが出来ました。 また、2001年6月までで9カ月コースを終えた21歳の女性は、2002年6月に男子を出産しました。 夫は当病院のキッチンで働く青年で二人とも嬉しくて仕方がない様子です。 今年、薬を得ることが出来た人は2倍に増えております。 生まれた赤ちゃんは新生児室の手作りの保育器に入れます。赤ちゃんの足元の上部に電球があり、保育器の中を温かく保ちます。 また、二つの穴があり、蓋を開けずに穴から手を入れて診察や介護が出来ます。 手作りの保育器で(パキスタン) 『オセアニア』『ソロモンにも目を向けて!!』サレジオ会 飯田 徹
ソロモン諸島国と言っても、日本に住む方々には余り馴染みがないでしょうが、地理的にはオーストラリア東端、北側の海域、或いはパプアニューギニアの東の海域に連なる島々の国です。首都はガダルカナル島のホニアラにあります。ガダルカナルと言えば、特に年配の方々は前大戦時の激戦の地としてご存じでしょう。
ソロモンは世界でも指折りの「最貧国」です。と言うと、痩せ衰えたひと、貧困故に親から見放された子供達、非行に走る子供達等想像されるかもしれませんが、ガダルカナル(他の島々でも恐らく)に関しては、そのようなことは殆ど見られません。(つまり)ソロモンは熱帯雨林地帯で雨と太陽には恵まれ、植物生育のための良い環境に恵まれ、朝夕の涼しい時間帯に畑作をするだけで、食べることだけには困ることは無く、従って、飢え、痩せ衰えた人は殆ど居ないのです。多くの宣教他に於ける箕富の差、富の偏在、支配階級による搾取などということも、ソロモンではあまり問題ではありません。言い換えると、ソロモンという国全休が等しく貧しくて、その意味で貧富の差がそれはど大きくないというのが現実なのです。 首都のホニアラや市街地、町は電化されていますが、それ以外の地域は電気は無く、ランプ、ローソク、かがり火生活を強いられています。沿岸地帯の集落はともかく、山岳地帯では未だに原始的な生活を送っています。 サレジオ全日本管区では1996年以来、首都ホニアラの東30キロにあるテテレ小教区の司牧を担当し、巡回司牧と生活指導を、また、2000年からは首都の郊外ヘンダーソンで、青少年のための職業訓練センターを展開しています。小教区区域北部の平野部には悪路と言えども道があり、4WD車で何とか集落を訪問出来ますが、南部の山岳地帯は徒歩なので難儀を極めています。 ソロモンの人々は、部族毎に小島やジャングルの中に孤立的に暮らして来た歴史かち、人口約60万前後に70以上の言語があり、公用語は英語ということになっていますが、実際にはピジンイングリッシュが公用語になってます。 テテレ小教区のうち平野部は消費地で車による農産物その他の出荷等経済活動は可能です。しかし、山岳地帯では、それが困難なため、殆どが自給自足的原始生活を余儀なくされています。 それでも、険しい山道を、車の通る所まで出荷物を運び出し、細々とした経済活動が行われ、灯油、衣料、調味料等の生活必需品を購入しています。 (このように)経済活動手段を多く持たない貧しい部落では、原始的生活を強いられているにも関わらず、司祭が来てくれたということを喜んで、輸入品で決して安くない虎の子の砂糖を使って、砂糖湯を振る舞ってくれます。 これら素朴な、しかし、強い信仰を持った人々が喜んでくれて司祭冥利に尽きます。 |