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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『南米』

ブラジル パラグアイ アルゼンチン ボリビア アルゼンチン





『今、問われる「信仰と生活」の一致と証しを』

〜ブラジル〜
マリア会 青木 勲
 2001年10月に私の将来に関して、ブラジルの宣教に専念するとのブラジル地区評議員会の正式な決定を受取りました。
 日本と異なり絶対多数のカトリック教会ですが、現実は伝統と宗教的習慣こそあれ、福音、もしくはキリスト教に基づく「価値観」「倫理観」は極めて希薄です。教会は現代世界に対して福音に沿って判断したり、識別する証しの場であるべきはずなのに、現代世界の価値基準が教会内に氾濫しつつあります。勢力争い、嫉妬、悪口、不正義、不忠実…。
 教皇ヨハネ・パウロ二世の「新世紀を迎えるにあたって」の回勅にあるように、今一番必要なことは「聖性」だと思います。同時に教会自体が「誰かが来るのを待ってる教会」から「誰かに出会う教会」への変化が求められています。小数区は教会の目に見える組織体の前線部隊ですし、教会の細胞組織の末端で、現実に、一番接触している部分です。それだけに、「信仰と生活の一致と証し」が問われています。キリスト教初期の、生き生きした宣教精神とキリストの生き様にあやかろうとするひたむきな精進精神を今一度復活させる必要がありましょう。






『ブラジル通信』

大阪聖ヨゼフ宣教修道女会

祈り、歌い、歩く
 10月12日は、ブラジルの保護者“アパレシーダのマリア”の大祝日で、サンパウロを中心に巡礼、ミサ、Cirio(シリオ・大ローソク行列)を行い、国中で、熱烈にマリア様を讃えました。シリオはナザレのマリア様のご像にビーズで飾られたマントを着せ、生花で美しく飾った輿(こし)に乗せ、祈り、聖歌を歌いながら大行進します。ベレンでは、6時間、170万人の行列でした。

巡礼
 8月15日(創立記念日)にプロビテンチーノ会の、新司祭クリストーヴァンによるミサ、数人の信者さんと共に創立記念日を祝い、その時、ヨゼフ様のご像を祝別して頂さました。そして、土曜日毎に有志の家庭にヨゼフ様を運び、共に祈っています。そして、1週間、その家庭にヨゼフ様と、イエス様が留まり、家族の祈りに耳を傾けます。

保育所だより
 ブラジルでも、日本と同じようにふだんの保育の合間に特別な行事が入ります。子供達は、これらの体験を通して、他の人、自然、社会との関わりを持ち、休も心も成長して行っているようです。

父の日
 初めての集いでしたが、ゲームや歌で楽しい一時を過ごしました。父親の手を引っ張って来て「僕のパパイ」と紹介するわが子の顔の誇らしさにきっと二度と家族を捨てない決心をしただろうと想像し、祈っています。

木の日
 アマゾンの大自然の破壊が進む中で、自然の大切さを学びます。子供達は寸劇を通して理解を深め、訴えました。今回は薬草を集め、父兄の前で、どんな病気に効くかを説明。緊張の余り、せっかく覚えた言葉を忘れた子供も先生や父兄の応援で……拍手喝采!に満足した子供の笑顔は素敵でした。

独立紀念日(9月7日)
 Sr平田の太鼓のリードに合わせて、タンバリンを叩き、国旗、国旗を先頭に、自然保護を訴えるプラカードを持って行列する子供達に、近所の人達も外に出て、声援を送ってくれました。

敬老の日
 さすがブラジル、サンバの国!参加したお年寄りの中で、“ミス”“ミスター”が選ばれ、会場で投げキッスをしながらサンバのリズムで現れる姿に子供達も大喝采!Sr橋本が送ってくださったタオルを1枚づつプレゼントしました。

子供の日
 バスでベレンヘ行きました。海(本当は河で向岸が見えない)に舟があった!エスカレーターに乗った!ジュゴンを見た。水から頑を出して草を食べた!猿がいっぱい木の間をとんだ!おやつをいっぱい食べておいしかった!。
 嬉々として、興奮して報告する子供達の頻を想像して下さい。
Obrigada!!
(ありがとう)






『今夏からブラジルで・私の最後のミッション』

淳心会 ビトル・マルゴット
 2000年昔にベツレヘムの夜空に、天使は“善意の人に平和”と歌ったのに、今、私達の空に、人の作った飛行機が憎しみと復讐と死のメッセージを伝えています。
 2000年、ブラジルを三方月間も訪れ、クリスマス前夜には、スラム街のアリーシの私の貧しい家でごミサを捧げました。家は狭く椅子は一つもなかったので、ベッドに座れなかった人は立たなければなりませんでした。
 1月14日には、アモレイラで私の金祝を祝って下さいました。50年の司祭生活の半分はアモレイラで過ごしたので、司教様、佐々木神父、私の後継者の主任神父、そして、私の家で育った私の子供である若いシセロ神父様と5人で、ミサを捧げました。その前夜、真夜中に突然、下腹部に激痛を感じて病院に運ばれ薬と注射を打ったので、ごミサとパーティの時には、少し、ボンヤリしていましたが、誰も気がつかず、無事終わったのです。
 私が77歳の喜寿の誕生日を迎える前の晩、神戸市北区のヨゼフ修道院に泊まった真夜中にアモレイラの時と同じ発作があり、色々なテストの結果、「前立腺癌」と「腎臓結石」と判かりました。癌は既に骨に転移していると思われたのですが、テストの結果はマイナスで御復活祭には本当に生き返った気持ちでした。
 だんだん年をとると、やはりブラジルヘ帰りたいです。今、枚方、篠山、住之江、三田、浜寺、尼崎、姫路の7集団を預かっています。
 大阪教区のため、ブラジル人のためにも、とても大切な.ミッションであると思います。
 大切だからこそ、もっと若い人が必要です。日本からもう誰もブラジルヘ行かずブラジルの宣教者は少なくなっています。年もとりだんだん弱くなっていく私ですが、慣れたブラジルで、一番役に立つのではと思い、これから生きているうち、働ける中、日が暮れぬうちに日本人と日系人のミッションのために頑張りたいと思っています。司教様方も私の気持ちが分かって下さって、ブラジルでもっと若い神父様を捜して下さっています。
 この新しい年は、また、別れの年になりますが、夏からブラジルで私の最後のミッションが始まります。
 (マルゴット神父様は、長い間、ブラジルで宣教に従事し、現在は大阪教区で在日ブラジル人の司牧にあたっておられます。)






『後継者が居らず移住地宣教から引き揚げ』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
 長い間一緒に働いていたSr金永が転任されたので私は日本人として一人コロニアに残って2人のパラグアイ人シスターと一緒に働いていましたが、年をとりましたし、何時までも幼稚園を続けることは出来なくなりました。12月末の管区集会で、1年後にはラパス移住地から聖霊奉侍布教修道女会は引き揚げることになりました。20年も続いた幼稚園も、私達の会では後継者がおらず、といって閉鎖することは出来ないので、日本人会にバトンタッチを致しました。
 宗教教育などはおろそかに出来ませんので、たとえ、移住地を離れても、月に何回かコロニアを訪問して宣教をしたいと思っています。
 日本からのプロテスタント宣教者の布教で、幼児洗礼を受けただけの信者さん達はそちらの方へ引っ張られて行きます。
 短期間でもいいですから、私達のコロニアに来て働いて下さる方はいらっしゃらないでしょうか?。

〜ラパス幼稚園卒園式〜
〜ラパス幼稚園卒園式〜






『パラグアイ宣教50周年』

聖霊奉侍布教修道女会 山田 雲江
 2002年、聖霊奉侍布教修道女会パラグアイ管区は宣教50周年を迎えました.
 これも神様のお恵みと皆様の変わりないご厚情のおかげと感謝しております。
 人生の重荷に打ちひしがれている人達、長引く病に耐えている人達、貧しい子供達の数が増加しているのは、パラグアイだけでなく世界的な実情として、日々報道されていますが、それを誰のせいにするのでく、善意の人々に呼びかけながら、私たちの出来る範囲で協力しています。






『バスで19時間、ルハン巡礼へ』

〜アルゼンチン〜
神言会 北島 泰治
 2001年10月26日金曜日に年に一度のルハン巡礼のため、此処ミシオネスのハルジンアメリカよりバスで17時間かけてブエノスアイレスまで行って来ました。土曜日の朝にブエノスアイレスに着き、早速、シスター清水(聖母カテキスタ会)の案内で病人訪問をしました。日曜日、巡礼当日は、朝、ブエノスアイレスの中心地にある、ビクトリア小教区に集まり、バスで2時間かけて巡礼地ルハンまで行きました。雨だったせいか、例年に比べて少ない60名程の参加者でしたが、盛大なミサを捧げることが出来ました。昼食後は、「全ての苦しみより解放されるためには」という内容で、ルカ18、9−14をもとに、各1時間、日本語とスペイン語で話をしました。この機会を通じて、お互いの信仰を深めることが出来たように思います。また、11月6日は、パラグアイのピラポ移住地で日本語のミサを捧げにハルジンアメリカを朝6時半に出て、帰宅したのは夕方の6時半、一日、宣教の日でした。
2001年11月7日






『会の援助金で多くの人を救済』

〜ボリビア〜
礼拝会 川俣 恭子
 昨年は、月曜〜水曜はサンタクルス市で未婚の少女ママ達や寄宿学生のお世話をし、週末のみ、サンファンに通っておりましたので、助けを求めて来た人々は、以前より少なかったのですが、いずれも本当にお気の毒な事情で、場合によっては、自宅を訪問してみましたが、家畜小屋のような家に住んでいて、食べるものにも、事欠くような生活です。ボリビアの労働賃金は安くなんらの保証もないので、その日暮らしの人々は、一度病気にかかると病院に行くことも、薬を買うことも難しいのです。「会」からの援助金で沢山の人々が、窮地から救われました。私はいつも、「助けて下さった日本の皆さんに感謝しなさい。」と言いながら、お金を手渡しています。「み摂理の修道会」のサンカルロス病院のシスター達も、いつも、快く病人を受け入れて下さっています。
司祭、シスターも通いで
 サンファンを引き揚げることになっても、後継者がなかなか決まらず、サンファン村では司祭もシスターも通いでやって来る状態が続くことになりました。サンファンは昨夏は猛烈な暑さに見舞われて連日 35度の真夏日、夜、室内でも30度の熱帯夜でした。さらに悪いことに、長い間旱魃で早蒔きの稲は全て枯れてしまいました。遅蒔きの分も危なかったのですが、2、3日前に2カ月振りに雨が降ったのできっと生き返ると思います。サンタクルスに帰り、サンファンの信徒の名簿作りに取りかかっています。
 今までは、10年前の手書きの名簿があるだけで役にたなくなっていますので、6年間サンファンで働かせて頂いたお礼に、洗礼、堅信、結婚等の年月日を記入した名簿を作って残しておこうと考え、大仕事ですが頑張っています。






『アルゼンチンの1本の小さなマッチ』

〜ボリビア・アルゼンチン〜
サレジオ会 倉橋 輝倍
 数年前のこと。新潟教区の佐藤敬一司教様とベデリーノ・ローシャイタル神父様が、南米の日本移住地を視察され、ボリビアの日本移住地にも立ち寄って下さいました。その折、一つの依顆がありました。それはアルゼンチンに住む日本人のために年に一度、一過間位の日程で司牧に行ってもらえないかということで、管区長に許可を願うと快諾してくれました。
 アルゼンチンのブエノスアイレスには、20年近く前から、聖母カテキスタ会のシスター清水渓子さんがおられ、日本人カトリック信者の世話をしておられます.毎月第三日曜の日本人ミサ、プェノスから高速道路を一時間位走ったエル・パト村に住む日本人移住者のための、年に一度の黙想会の指導、辺鄙な町や村に散在している信者の、家庭訪問やミサ、その家の人や老人達を励まされる、その貴い姿は見る人を感動させずにはおれません。老人ホームで孤独な生活を余儀なくされている方々もこまめに訪問されています。私がまだ神学生の頃、神学院に今田神父様が来られて「宣教」というテーマで講話をして下さいました。「宣教」それは1本のマッチと1本のローソクの関係のようなものだ。マイクを手に、大群衆に語りかけることも大切かも知れない。けれども、一司祭である私が、私の前にいるこの、一人一人に語りかける、そういった「宣教」もとても大切といった内容だったと記憶しています。
 シスター清水は日本のカトリック教会から、アルゼンチンに派遣された唯一人の邦人宣教女として、正しく、“一本のマッチ”となって、アルゼンチンに渡った日本人、カトリック信者、病人、ご老人の心に“愛のともしび”を点火され続けておられます。

信徒宅の家庭ミサ
信徒宅の家庭ミサ

黙想会を終えて”
黙想会を終えて”






『見捨てられた母子』

礼拝会 斉藤ク二子
 ビヤ・エミリアは、ボリビア・サンタクルス市郊外にある礼拝会経営の福祉事業の母子寮です。約7年前に始めました。
 一夜の遊び、過ちで子供ができた若い女性が相手からは捨てられ、親からも見捨てられると売春の道を選ぶか、堕胎するか、ますます転落の一途を辿っています。
 これらの、行く所のない女性を保護し、その間に職を身に付け、例えば、洋服の仕立てや、美容術を覚え社会に復帰出来るようにしています。敷地内はに、学生服製作工場や母親が自由に働けるように保育園があります。
 此処に約20家族が住み、子供達は約50人います。
 親たちは園内で働いたり、外に出て働きますが一般に給料は低賃金で月50ドル位で、みな生活費に追われ、食べるだけが精一杯です。
 子供たちが自由に安心して勉強が出来るよう、子供たちの養育と学資、学用品などの費用の一部を支援して頂ければ幸いです。






『アフリカ』

チャド マダガスカル





『ご援助で白蟻被害・雨漏りから解放されて』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 入江 多嘉子
 2000年12月に援助金の申請を受け入れて頂きました。
 申請書では助産院を会議室と事務室に改築し白蟻にやられている天井板と傷みはじめているトタン屋根の張り替えと塗装のし直しをお願い致しました。
 お陰様で30年ぶりに新しくなりました。
 雨漏り、白蟻にやられた天井板が何時落ちるかという心配からも解放されました。
 大会議室は今から一般の人達を対象にいろいろな衛生教育の場になります。
 家族計画、思春期を対象にしての性教育、妊産婦教室etc……。
 スタッフと地域代表で構成する運営委員会のメンバー達と話し合っています。診察棟、入院棟も整備され、従来に比ベスタッフの動線も短くなりました。寒さのため患者も増えて来るでしょう。火傷の患者も増えてきます。小さな家のなかで暖をとるため火を置くので、火が掛かっているものに燃え移ったり、穀物の取り入れで大人が居ないので、子供達だけが家に残され、火事や思いがけない事故を起こします。薪の火が洋服に燃え移ったという例もよくあります。今の時期、“火の用心”を地域住民に呼びかけています。






『国家免許の出る唯一の私立看護学校』

〜マダガスカル〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 平間 理子
 現在、私共で経営する看護学校は、マダガスカルで唯一の私立のカトリック看護学校です。1993年に国公立の看護学校が資金不足で、全校休校となり、司祭団、修道女速から要請があり、開始しました。
 最初は、国立でないため、国家免許が出せませんでした。失業者が多いので卒業後の就職先の確保が条件でした。しかし、三年後1996年から国家免許が下り、その時、一般の人々も受け入れることが厚生省の条件でした。一般の方々を受け入れると、合格しても学費が払えず、中途で学業をやめる学生も出て来ます。国からの援助も一切なく、先生の給料の支払いにも支障が出て来ております。
 なんとか、奨学金を出して下さるところを探しましたが、貧しいマダガスカルでは無理。
 優秀な看護婦を育てて行くために学費の援助をして頂ければ幸いです。






『ヨーロッパ』







『83年振りの司祭叙階』

〜ロシア〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子
 こちらサラトフは粉雪舞う毎日で温度計も零下15度をマークするこの頃です。ポルガ河もすっかり凍りました。
 2001年11月23日、こちらでは素晴らしいことがありました。共産政権下では許されなかったサラトフ教区の司祭叙階が83年ぶりに行われました。残念ながらロシア人ではなくドイツ人のマルコス神学生でしたが、教会にとっては大きな喜びでした。サラトフ教区の神学生も沢山これに参加しました。マルコス神学生の両親もドイツから駆けつけ、晴れの息子の、叙階式に与り涙を流しておられました。
 サラトフ地方のTV局まで来て、式の様子が報道されました。この式には、ロシア全土の、司教様(といっても4人だけですが)とバチカン公使、ベトナムのフランシスコ・ヴァン枢機卿様も参加されました。枢機卿様は、説教の中で、自分が13年間、牢獄で過ごした体験を淡々と話され、息も詰まりそうな部屋に監禁され、何もない所で頂いたパンと一滴の葡萄酒で、毎日ミサを捧げたこと、かまどに燃やす木を少し取って十字架を作ったこと、針金でそれを首にかけたと今でもそれを大切に持っておられ、それを見せて下さいました。式は司祭、修道者だけでも百人を超え、小さな聖堂はぎっしりでした。サラトフの神学生14人がサンペトロスベルグ等の神学校からやって来ました。若い神学生達の姿にロシアの教会の若々しさと希望を感じます。
シェラレオネ・ミッションの再建調査へ
 ロシアで一年過ぎ、生活にも慣れ、わからないながらもロシア語の音になれて、さあ、これから…と思っていましたら、ローマからの電話で、シェラレオネに戻り、私たちのミッションの再建が可能かどうか調べて来るようにと顆まれました。
 全てを失ったミッション、ルンサをどのように再建出来るのか、不安がのしかかって来ます。此処ロシアを離れるかと思うとちょっと淋しく感じます。たった一年半の生活でしたが、アフリカでは味わえない困難、不自由、厳しさを体験させて頂きました。
 24時間電気とガスが通じ、お金さえあれば殆ど何でもあるロシアの生活はアフリカとは比べられませんが、精神的にはまだいろいろ困難があります。
 しかし、私のシェラレオネ行きはまず調査ですので、また、こちらにも戻る可能性もあるわけです。






『アジア』







『フィリピンだより』

〜フィリピン〜
聖母訪問会 マニラ修道院
 アジアの人々との共生を求めて、3人の姉妹がフィリピンに派遺されたのは、1976年25年前のことになります。皆様の温かい思い、ご支援を感謝し、多くのフィリピンの方々と、喜びのうちに神様からのお恵みを感謝します。
(梅本 玲子)

ライパン村から
 昨年も12月6日早朝4時から、クリスマスを迎える準備の祈りの集いを、村の人々、若者、幼児共々致しました。5月からは村のチャペルでの幼児、小学生の要理学習と祈りの集い、6月から青年の集いで、聖書の分かち合いと、勉強会、8月からは幼児教室を始め、天真爛漫な子供達から“幸せ”を貰いました。
(山下 正子)

ソーイングのお店
 イザベラのソーインググループは、いよいよ、自立の道を歩み始め、昨年はマカティ市で、3カ月問、小さなお店を持つことが出来、何回かのバザーでも多額の売上がりました。
 在比の岡本みち子さんのご協力に感謝しています。

ブックロド(タガログ語・“集会”)
 “ブックロドよ!”“ブックロド”と、私は、毎週、隣の貧しい人々のグループに行き、聖書のみ言葉を読み、分かち合っています。
 共同体作り、家庭の福音化のためで、夫妻での参加を勧めています。
(上野)

聖書100週間
 タリム島で聖書100週間を英語とタガログ語で始めています。彼らの信仰に心打たれるものがあります。
(河内 洋子)

歯科医誕生
 昨年の嬉しいニュースは4人の大学生が卒業し、それぞれの道を歩み始めたことです。
 とくに、歯科学を学んでいたPETTYが、国家試験にも受かり、歯科医として出発したことです。
(芝崎 冨美子)








『フィリピン独特の志願者養成』

無原罪聖母宣教女会 守山 陽子
 21世紀は暗雲立ちこめる中で始まりましたが、新しい年はまことの光が求められ、愛と平和に満たされますように切に祈りたいものです。
 暗闇の中でこそ光は輝きを増すことを信じていたいものですね。
 志願院での生活も、間もなく一年が経とうとしています。フィリピン独特の養成に戸惑うことが多く、一緒に住んでいるだけですが、慣れるのに思いの外時間がかかっています。
 長く社会生活をして来たキャリアのある志願者たちからチャレンジを受け、若くして入会した私はいろいろ考えさせられています。
 週一回伺っているダウン症の方達は草を刈り、煮出し、型どり、乾燥させてワークショップで作った紙に絵を措いたカードを作っています。僅かな収入になるそうで、私もタガログ語は出来ませんがお仲間に加えさせて頂いています。






『大きなプレゼントをありがとう』

〜インドネシア〜
聖母カテキスタ会 浜谷 真佐実
 「愛の園学園」のために今後、毎年援助金が出る―大きな、大きなクリスマスプレゼント、本当に有り難うございました。受話器を置いた途端、冷静さを失いそうでした。
 「会」のスタッフの皆様、専いご寄付を下さってる全会員お一人お一人に、私の拙い言葉では到底言い早くせない感謝の念をもってお礼申し上げます。
 神様から「愛の園」の子供たち一人一人に、こんなに大きな愛のプレゼント。子供達からは、神様にも、日本の皆様にも、何一つお報いすることが出来ませんが、せめてもの「聖夜の歌」を♪MALAM kudus sunyi senyap… (聖なる夜、静かな夜…♪と、心をこめ、元気に歌っていました。
2001年11月18日