『アジア』『シッ!これは私たちだけ』聖母訪問会 山下正子
…イサベラ教区では、教区養成プログラムという一つのプログラムに私を含めて三人のシスター(三修道会)と二人の一般の方がスタッフとなって、小さく貧しい兄弟姉妹と一つになって、真のクリスチャン共同体を建設しようとする青年リーダーの養成を行ない、この教区に青年の組織を作ろうとしています。…昨年から…教区の中に青年の演劇リーダーを育て、その中からリーダーを育てる方法を始めました。一九八三年度は七つの小教区から約一三〇名…各小教区ごとに約十五名づつ泊りこみの五日間のトレーニングを行ない、最後の日は小教区に戻って、五日間のトレーニングの成果をドラマを通して発表するというものです。一九八三年度の最後のまとめとして、三月三十一日に「シッ!これは私たちだけ」という演劇祭を教区の司牧センターで行ない、四小教区から参加したアクター、アクトレスたちは、四つの演劇を通して、一年間の成果を発表しました。いずれの演劇も、今のフィリピンの現状を人びとにアピールするものでした。…フィリピンに来て早や四年が過ぎ、日本にいた時には予想もしていなかった多くの、この国の問題を知った今…だからこそ、何も出来ないながらこの国にとどまって、この愛するフィリピンの人々と苦楽を分ち合いたいとの気持が…益々私の中で強まっています。
『日本人として何ができるか』神言会 竹山光雄
今…タガログ語を学ぶために毎日学校へ通っています…ミサと告解を終えると朝食もとらずに出かけるという日々です…私が今居る教会は信者数約8万人、それに私も含めて司祭が5人です。平日はミサが4〜5回、日曜日は22回です。日曜だけは大神学校から、司祭が一人手伝いに来てくれます。毎日、ミサ毎に説教するので準備が‥大変です。都会の教会ですが、聖堂だけでなく、道路や屋外バスケットコートでもミサをします。
いつも思っていることは、日本人として、私が、ここで何ができるかということです。‥ここに何十年間住んだとしても、私は日本人だから、日本人として一、日本の教会に支えられながら、この国で頑張りたいと思います。 『患者さんに励まざれて』マリアの宣教者フランシスコ修道会 芹田宏子
…近頃は、日本の教会で海外宣教者への関心が高まり、本当に素晴しいことだと思っております一方、自分の行なっている奉仕の内容が反省させられます。
私の居ります聖心園は二百人ほどのハンセン病患者さんの村で、神父様、修道士さん五名、シスター五名がおり、一般職員は六名、他は患者さん方の協力によって生活しております。 お年寄、盲目の方、義足の方‥などが多い共同体ですが、98%がカトリックの信仰を持ち、明るく、楽観的で訪問される方々が驚かれ、力づけられるそうです。日本でよく知られているラザロ村は、ソウルで北の方ですが、私のところは南の方で、釜山からですと、二時間ぐらいです。 『来年の教皇様、訪問ニュースに大喜び』天使の聖母宣教修道女会 杉本美佐子
ご援助によってお送り下さいました当島の台風被害のための援助、物資を…受取りました。…おかげさまで、校舎も借金して屋根がつき、子供たちも通学しております……私どもの司教様がローマ滞在中に教皇様に謁見した時、近い将来多分、来年中にポリネシア諸島をご訪問下さるという大ニュースが入り…この島の教会と信者一同は大喜びです。
(なお、学校長からのお礼の手紙が同封されていました。編集部) 『たゞ今、聖堂新築中……』聖母カテキスタ会 浜谷真佐美
ルンサは今年は雨の到来が遅く、毎日、うだるような暑い日が続いております。殆どの井戸が滑れてしまい、辺りはカラカラですが、私達の身体は、汗で乾くひまがありません‥アフリカの教会は、男子の信者がとても多く、若い青年達でいっぱいになります……。
日本と異なり、無神論者がほとんどおりませんので、回教徒も、キリスト教徒も唯一の神を信じ、キリスト教の祝日には、回教徒も多くの人が、教会にやって来たり、町の中を十字架を担って信者が行列する時も、それぞれ小屋から飛出して来て、説教や…朗読を静かに聞いています。…今年は……物不足、物価高で多くの人が苦しんでいます。私達の学校の三つある井戸の水も、すべて乾いてしまい、四月六日から臨時休校に入りました。……本当は乾季なのに今年はどうしたことでしょう。雨が毎日夕方か夜には殆ど必ずと言ってよいくらい雨が降ります。 ‥新築中の教会が大きく威張って建っています。その横に、古い、小さな掘立小屋の教会があります。信者たちはブタを売ったお金でつり鐘を買い‥アンジュラスの鐘と言います。……カン、カン、カンと毎日曜日、アンジュラスの鐘を合図に、教会に三々五々集まる信者たちの顔がみえるようです。……八月十五日に献堂式の予定です。 第2信…マルデインデイン教会は、いまや半分以上がレンガ造りでの教会が、大通りから少し顔をのぞかせています。ブタも大きくなりました。六月ごろにはレンガ建の新しい大きな、マルデインデイン教会が完成の日をみることでしょう。…信者たちはいま、張切っています。…私と信者の希望は、この地区住民のためにカトリック幼稚園を建てて幼児の基礎教育にあたりたいのです。…… このマルデインデイン教会地区を一つのモデル地区にしたい1まあ、ゆめ”のようですが、…神様はきっと、その実現に到らせて下さると願っています。 『フローレス島の司祭』御聖体の宣教クララ修道会 中野かおる
マディアンの町には教会が一つ、司祭は二名、信者は七千人です。一人の司祭は学校の仕事を持っているので、司祭一人で七千人の指導は大変ですので、助手として一人のビヤコンが居ます…六月一日から一カ月間のイスラム教の断食に入りました。夜、または午後六時から朝の三時まで、何を飲食してもよく、その後は断食、断飲です。この朝三時に、町、村中の道々を竹をカタコト鳴らしながら最後の食事を知らせに来ます。その後、夜中中、条のようですし、昼間はスピーカーで、至る所でイスラムの祈です……学校も休に入っております。…先日、翁年間インドネシアのフローレス島で宣教していたオランダ人の神父様が…本国へ帰るため私達の修道院へ、最後のお別れに‥来ました。…この神父様は……一人で四カ所に教会を建て、ご自分は竹の掘立小屋で過し、山の上の泉を探し…村々に水を引き……お産の手伝いもしたりしました。……教会も自分で設計し‥信者も毎日々々教会へ石を探して持ってくる‥このようにして、何年もかかって大きな教会が出来上りました。
『ヒンズーの国からこんにちは』ノートルダム教育修道女会 Sr今村・田中・金谷・河瀬
私たちがネパールに参りましてから早くも一年…昨年11月7日から一週間、アクラタール村で生活実習をしました。…カトマンズに戻って……語学研修のコースが終ると、いよいよ本格的に使徒職のかかわりが始まりました。土曜日はネパールの休日です。朝、日曜日のミサがありますが、青年会主催の歌の練習に参加したり、ネパール語で祈りの集いに出席したり、神父様の家庭訪問に同道したり、…少しつづ教会活動に参加しています。……私たちは四人共、セント・メリー校に勤めさせて頂くことになりましたが、習ったばかりのネパール語でする授業には、勇気と機転がいります。「静かにしなさい」のつもりが、ちょつとの違いで「静かにしないように」になってしまったり…「早く帰って来るのですよ」のつもりが「早く帰って下さいませ」と尊敬語になったりするのには…閉口します。
ヒンズー教国であるネパールでは、本来は、聖書やキリスト教について教えることは禁じられているのですが、道徳の時間には宗教を教えることが出来‥やり甲斐があります。私たちは……ミラ神父様から…食事の招待を頂きました。ところがその時にはネパール服サリー、またはバックン(チベット人の服)を着用するようにとのリクエストがついていたのです。それで私達もはじめてサリーを手に入れ、ネパール人の装い新たにおよばれの席に着きました。 『ヨーロッパ』『ローマの日本人会』山元真
ローマの日本人会は…当初はローマ在住の神父、シスターが集まって、日本語でミサをし、お茶を飲む会でしたが、最近は信者、教会外の方もだんだん参加されるようになり、徐々にではありますが盛り上って来つつあります。……いろいろな問題で悩んでいる方に、少しでも助けになれはと念じています。…みなさん、それぞれに勉強・仕事などを持っておられるので、なかなか、日本人会のことだけを考えているわけにはいかず、日本人の多いローマに、司牧専属の神父様が来られたら、すがすがしい空気ができるのではないかと思っています。
『南米』『ダニや蚊を友に宣教を』フランシスコ会 山田伸一
…4年9カ月のRODONOPOLISでの仕事のために、日本の皆さんから沢山の援助を頂き、心から感謝しております。……4年9カ月の間に4つの教会を建てることが出来、学用品を買えない子供たちのためにも使わせて頂きました。…今年の3月RODONOPOLISを去って、三五〇kmさらに北のROSARIO・OESTE(ホザーリオ・オエスチ)という小さな町に転勤になりました。一万人足らずの小さな町ですが‥端から端まで走ると三百肋以上もある広さです。…ミサを一つ捧げるのに、川を越え、谷を越え、ドロ沼に事をつっこみながら走らなければなりません。行った先ではハンモックを吊って寝ます。
蚊は沢山いますがミクィンと云って、目には見えない小さなダニの一種に悩まされます。4日から5日、そのかゆさが続き、何をつけても、まったく効き目なし。ブツブツ文句を云いながら、かゆいところを掻く以外に方法がありません。その跡のひっかき傷が癒らないうちに、また旅行に出かけて、またまた悩み続けるわけです。 ダニや蚊と友だちにならなければ、ここでの宣教はつとまりません。 …今後も皆さんのご協力をお願いします。 『手紙受取りに50km』聖霊奉侍布教修道女会 林静子
…私の住んでおりますコロニアは、田舎で郵便局がありませんので、エンカルナシオン市まで、50キロぐらいの所を出て参りまして汲ィ手紙を受け取ったり出したりしております。……この国も人々は質素に暮しておりますが、農業国で、政治が安定しているので、飢死する人がないだけ幸せだと思っております。
‥今年、パラグアイにパパ様が訪問して下さる予定でございます。 アフリカ
『三つある井戸が滴れた』御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
皆様のご援助で学んでいるエリザベト・コロマは寄宿生の中で、とても品行よく、がんばっております。‥成績も今学期は頑張り、大分上の方に上って来ました。…一所懸命、努力しているのがよく分ります。…エリザベトは四月二十九日に受洗しました。
『アンゴラ脱出記』マリアの宣教者フランシスコ修道会 中村寛子
昨年十二月十八日、クリスマスも間近な日曜日の朝五時少し前、突然の機関銃の射撃の音に叩き起され、アンゴラの反政府軍のゲリラに描虜になって、百三十日間、彼らと行動を共にしました。…外国人を危険な戦争地域に置かないということで、特に宣教師達に危害が降りかかることを恐れ、自分達は宗教的と表明していたゲリラ兵達は、私たち(宣教師ら8人)に彼らの出来る最高の扱いをしてくれました。ミッション(アンゴラ北東ルンダ州)のカコーロの家の中で機関銃やバズーカ砲の音にふるえたはじめの時と、後で三カ月間過した一つの基地で、野獣の吠声におびやかされた時以外、こわい思いはしませんでした。一日中の徒歩行軍のあと、疲れていても、寒さで充分に睡眠がとれていない筈なのに、朝四時に起こされて、いつ終るか…分らない行軍を、疲れや、嫌気を感じず、いつも張り切って始めることが出来、誰も病気に躍らなかったことは不思議なことでした。
…そして、何よりの大きな力は、はじめから最後まで、長いエンマウスへの道を、ご聖体のイエズス様が私たちと行動を共にして下さったことです。出来る限りミサ、教会の祈、聖体礼拝を欠かしませんでした。グループに二人の神父様(神言会)がいらっしゃったことは大きな恵みでした。教皇様に私達の経験をお話しした時に「楽しいハイキング旅行をしたようですね」と、冗談を仰言いました。 …四カ月間、早く自由になって、心配している人々を安心させたいと釈放のニュースを待ちに待っていた筈なのに、四月二十二日、ご復活の祝日に赤十字の人々からそのニュースを聞いた時、心の中に大きな穴があいたような気持がしたのは私一人だけではなく、決定的にアンゴラを捨てなければならないということで、皆の気持は沈みがちでした。四月二十六日、私達を乗せた赤十字の飛行機がアンゴラを離れる時、一緒に釈放された‥民間の方々の歓声の中で、私たちグループはあふれる涙を押えることが出来ませんでした。アンゴラの人々は、戦争のため‥想像できない程悲惨な生活を強いられています。ゲリラの地帯で不自由な中、頑張っている五人の司祭の一人は、苦しんでいるアンゴラのことを世界に知らせて欲しい、理解して欲しいと言いました。どうぞ忘れずに彼らのためにお祈乃をお願いいたします。 |