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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『南米』

パラグアイ ブラジル





『工事・公的援助も分割でヒヤヒヤ』

〜パラグアイ〜
コングレガシオン・ド・ノートルダム 峰 敬子
 先日は幼稚園のために、支援の「会」の皆様からたくさんのご援助を頂戴いたしましたこと心から感謝とお礼を申し上げます。‥今、コピーの会社に連絡をとっているところです。
 …パラグアイでは、連絡をとっても、直ぐには話せず、私がまだカステリヤーノを話せないので、日本語を話せる方を待っているところです。
 教会建築のお金の2度目のものが、アルトパラナ県から出ましたので、(教会建築が)が、再開されています。(これらのお金は)一度に出さないで、あるところまでの分を分割で出し、そこまでの工事が終れば、また書類を提出して出してもらうというやり方なので時間がかかります。計画的でもないので大変です。最後までお金がもらえるか、心配です。出なかったら、今までの古い教会を使うまでです。
8月25日






『インディオの村に学校が…』

聖霊奉侍布教修道女会 上杉 もと
 …日本は、今年の夏はとても暑かったと伺っております。こちらは9月21日から春となりますが、朝夕は未だ冷たく冬仕度をしております。
 この度、小型トラックの購入に際し、多額のご援助、本当にありがとうございました。ここでは、インディオの人々は未だ住民権を持たないので行政からこぼれ、いろいろな意味で差別された生活をしております。
 ピラポ市の中央から約40キロ離れた奥地の、インディオの集落の1つに、この度、2つ目の学校が出来、建築が始まりました。2人の女の先生も決まったようです。
 中央区の聖霊小学校の校長Srアメリアが、その責任者として、いろいろ面倒をみております。…このような活動が出来ますのも、ご援助の賜と心から感謝しております。
 私も、出来るだけ彼等へのお役に立ちたいと励んでおります。これが私共の、皆様のご恩返しと思っております。

2人の先生とシスターたち
2人の先生とシスターたち

建築中の学校と子供たち
建築中の学校と子供たち






『小学校の増築終わる』

聖霊奉侍布教修道女会 山田 雲江
 …この度、日本大使館を通して頂きました無償援助で、サン・アントニオ”プエルタ・デ・ソル”小学校の増築工事が完成し、無事に落成式も終りました。その時に、手作りでコンピューターで準備した招待状を皆様の日頃のご協力への感謝としてお届けいたしますので、どうぞ、お納め下さい。このカードは、放送記者のニコラス・アルグェリョ氏の案によるもので、彼の設立したサッカー教室を通して、貧しい子供達が200人以上も、いろんな意味で、人づくりの面で、勉学と共に精神的、物質的援助を受け、その指導の下に成長しています。
 イグアス時代、皆様の善意に支えられて育まれて来た子供達、今では、もう社会人として、また大学生として学び励んでおります。
 この貧しい子供達も、また、これから、皆様の善意に支えられ、育まれ、将来、また善意を分かち合いながら生きていってくれることを願いながら、奉仕と協力を続けていきます。
 今では、いろいろな所で道路がアスファルトになりましたが、まだまだ泥道も沢山で住民は訴えつづけています。旅費を払ってバス旅行しながら、(泥道で)よそ行の服を汚しながら、バスを泥道から引っばり出し、また、旅行をします。こんな風景(が見られるのも)も、パラグアイの良さと云えるかも…?。
 私達、聖霊奉侍布教修道女会の会員も皆それぞれに置かれた場所で務めております。Sr金永も修道生活50周年“金祝”を祝われ、ますます張り切っておられます。Sr上杉も無事に帰られ、頑張っておられますのでご安心下さい。







『ブラジル日系人布教のパイオニア、ローレンス神父のこと』

〜ブラジル〜
編集部
 南米一の広さを持つブラジルはカトリック国として知られ、総人口の75%がカトリック信者と言われている。ブラジルでカトリックの宣教が始まって500年、日系人130万人のほぼ80%、約104万人がカトリック、これらの人々の司牧のために日本から68人の宣教者が現在ブラジルで福音宣教に当たっている。(1999年3月31日現在)
 ブラジル日系人への宣教は、1923年8月31日、任地ボツカツ市に着いた中村長八神父によって始まったと言われているが、それ以前からドイツ人神父が宣教に当たっていた。
 この間の経緯について、同神父と同じ修道会(レデンプトール会)に属する堀 興雄神父(長野・諏訪教会主任司祭)が、貴重な1枚の資料写真とともに、「きずな」編集部に一文を寄せられたので紹介する。
 そのドイツ人神父はローレンス・フパウエル神父(Padre Lourenco Hubbaver.1872〜1944.9.25)。ローレンス神父は、ドイツ・ババリア地方のレデンプトール修道院からブラジルへ派遣された。ブラジルに着いた頃は22歳の助祭で、翌年、司祭に叙階された。
 ローレンス神父は、「多くの日本人移住者のためにも福音を宣べ伝えなければいけない」と聖職者達に呼びかけ、この呼びかけに応じて、1923年8月31日、日本人最初の宣教師として、中村長八神父が、ブラジル・ボボツカツ市に着いた。この背景には、ローレンス神父の、並々ならぬ努力があったことを見逃す訳にはいかない。(この並々ならぬ努力については)1920年以来の当時の日本の海軍少将山本信次郎氏との交流があったという。
(編集部註:この山本信次郎氏との交流については、1955年10月25日付「暁の星」特集号”サン・パウロ400年祭にあたって”中に、ブラジル日系一世のジョゼー安田良一氏が寄せた「思いでのまま」というエッセーにこの経緯が述べられているので、引用する)
(・・しかし、(日本語を話せる神父を派遣して欲しいとの要望を)実行することになっても・・当方には一人も日本からの信者が居ないので、何処に相談すべきかも分からず、神父からローマ教皇庁に問い合わせたところ、時の、摂政宮(註:昭和天皇のこと)に随行してローマ教皇庁を訪問された山本信次廊海軍少将に、お願いするようにとの返事があった。
 間もなく数年後、中村神父が来られるようになったと思う)。
 東京カトリック青年会のペトロ・コヤマ氏がブラジルに渡り、フパウェル神父を友として日本への福音を布めるために挺身した。
 サン・パウロの福音伝道はめざましく、2〜3カ月毎に50人から100人もの授洗が行われていると、当時、神言会、イエズス会、フランシスコ会によって創立されたミッションの働きを同神父は報告している。
 ローレンス神父は、50歳で日本の漢字習得に難儀し、日本語の宗教用語に戸惑わされていたが、1944年9月25日、72歳で帰天された。

ローレンス師ローマ・ウルバノ大神学校で日本人神学生を激励 (中央)ローレンス師 (後列左)書沢神学生(司教・故人) (同右)里脇神学生(枢機卿・故人)
ローレンス師ローマ・ウルバノ大神学校で日本人神学生を激励 (中央)ローレンス師 (後列左)書沢神学生(司教・故人) (同右)里脇神学生(枢機卿・故人)






『ヨーロッパ』







『苦境に立つドイツ教会』

〜ドイツ〜
聖パウロ女子修道会 比護 キクエ
 …最近、ドイツの教会は、だんだん苦しい状況に置かれて来ています。
 毎年くり返される多くの信者の教会脱会に加え、敬虔なカトリック信者であった前コール首相と違い、無神論者に近い現首相率いる新政権は、あらゆる面で教会と対立しはじめています。
 日本では普通のことですが、キリスト教的な長い伝統に基づいて実施されて来た商店の日曜営業禁止が、この夏から各都市において、どんどん覆えされている実情も、それを端的に表わしています。
 “宣教国ドイツ”信じたくない言葉ですが、残念ながら、だんだん現実となりつつあります。でも、希望を主と未来に置き、私達に出来るだけのことをして行きたいと考えています。
 8月末に全ケルン教会から6000人の侍者が参加して侍者大会。未来の教会、世界を担うこの若者、子供達に、主が豊かな祝福と恵みを注いで下さるように――
8月20日






『近くて、なお遠き国ロシアへ教会を!!』

〜ロシア〜
聖母訪問会 諏訪 清子
 ”社会主義の抑制から解放され、教会の黎明期を迎えたロシアに、最も近い、アジアの隣人として、エリザベトの必要に答えて、山地を急がれたマリアと共に赴き、人々の中に住む”

 6年前、当時ロシアを訪問された元横浜教区長の濱尾司教(現・教皇庁移住・移動者司教評議会議長※編集部註)さまに、極東ロシアの話を聞いた時から、私達の中に、ロシアに対する気付きと関心芽生えました、その後、サハリン北部の大地震、即時対応されたカリタス・ジャパンの援助、協力などのニュースを通してアジアとしての極東ロシア、その最も近い隣人である日本と日本の教会の立場、役割を深めていく中で、昨年、私達3人がハバロフスクに派遣されることになりました。
 上記の言葉は、派遣に先立って、はじめの呼びかけを目標としたものです。
長い間、鉄のカーテンに閉ざされていたロシアは、私達にとって、とても遠い未知の国でしたが、距離的には、たった2時間足らずで行ける最も近い国であることに吃驚しました。
 −20℃〜30℃の冬の体験は初めてで想像以上のものでした。
 それにも増して、あまり若くない私達にとってロシア語への挑戦はきびしいものです。
…長い複雑な歴史を持つロシア、とくに極東ロシアは余りにも暗い悲しい歴史で彩られた地です。それ以前からも、とくにロシア革命にともなって、流刑の地になり、日露戦争、シベリア出兵、スターリンによる大粛正で多くの人が死に、またシベリア抑留で何万という日本軍人が眠っている忘れられない土地でもあります。
 ペレストロイカ後、ロシア大陸には2つの司教区が復活しましたが、昨年から夫々の司教区が二分され、4つのカトリック司教区になりました。
 ハバロフスク小教区は、新しく出来たイルクーツク教区に属することになりました。ウラル山脈を境にしたイルクーツク小教区は、サハリン州、カムチャツカを含むシベリアといわれる、広大な地域です。
 現在、このイルクーツク教区には、23名の司祭と14名のシスターが居ます。未だロシア人の司祭もシスターも一人も居ません。ポーランド、スロバニア、スペイン、アメリカ人、3人の日本人シスターです。
 私達が住んでいるハバロフスク小教区は、日本々土がスッポリ沈む面積の上にアメリカ人司祭と3人のシスターだけです。私達より数カ月前に来られたアメリカ人のメリノール会の司祭によって、ハバロフスク市内にある大学寮の一室を借りて、ミサが始まりました。
 73年間、沈黙する教会の中で信仰を守り続けて来て、今、老境を生きる数名のポーランド人の強っての願いが叶って、教会の小さな扉が開きました。
 墓地に立っている十字架によって、先祖がカトリックであること発見した人。古い家の隅からロザリオが見つかり、自分の家系の宗教に目覚めた人。ロシア正教の教会に通いつつも家に残された一枚の写真、茶色に変色したカトリックの祭壇の写真を宝のように持ち続けていた、婦人などなどが、ポッリボツリと集まって来ています。
 何百キロも離れた町から村から、カトリックの教会が始まったことを風の便りに聞いたので、是非、自分達の町にも来て欲しいとの便りが舞い込んだりするこの頃です。
…ただ、組織としてのロシア正教からカトリックに対して、なかなか開いた姿勢は、未だ、いただけませんが…。
…今、この小教区が急いでいるのは、教会堂の確保とカテケジスの推進、祈りの体験などです。
 また、小教区を17の地区に分け、それぞれの地区の主だった町に、サンデーサービスの出来る家を確保することと、リーダー達の養成です。
 ペレストロイカのあと、生きる指針を失った人々。とくに若者たちは右往左往し、…モラルの低下も目立っています。
 昨年からの経済の激変にまき込まれ、人々は、とくに年金生活者の苦しい生活は増加し続けています。こうした社会の現状を背景に、ストリート・チルドレンや難民の姿も巷に増えて来ています。
 再び芽ぶき始めた教会のためにも祈りと共に、物質的援助も緊迫した問題です。皆様からのお祈りと支援を心からお願いいたします。

連絡先:〒248−0032 神奈川県鎌倉市津550 聖母訪問会「ハバロフスク州の教会を支援する会」シスター大河
TEL:0467−32−4621
FAX:0467−31−4778
聖母訪問会・ロシア・ハバロフスク修道会

郵便連絡先:680009C. Khabarovsk RUSSIA a/R12
電話番号:7−4212−646706
会員:諏訪清子 吉村喜美子 瀬谷和子

振替講座
口座番号:00250−3−37586 口座名称:「ハバロフスク州の教会を支援する会」

(向って左から)Sr諏訪 清子 吉村 喜美子 瀬谷 和子
(向って左から)Sr諏訪 清子 吉村 喜美子 瀬谷 和子






『アジア』







『子供たち、真夏の宗教特訓』

〜フィリピン〜
善きサマリア人修道会 バコロド共同体 影山ひろ 鈴川 良 フェルシティ フランセス ミシェル レオニー ジュリエタ
…こちらは6月から雨季に入り、たっぷりの降雨があります。雲一つない晴天でも、30分家を空けるなら、必ず洗濯物を取り入れ、傘を持って出掛けないと“後の祭り”です。夜中などに叩きつけるような大雨になると、小さな小さな掘立小屋がひしめく貧民街の人々はどうしているかと心配する。
 この間も大工さんが物置に大きなビニールが放置してあるのを見て「これ、持って帰ってもいいですか。夜中に子供達がぬれるので、これがあれば大助かりです」と心から喜んで持って帰りました。
 この雨期の始まる4月、5月が常夏の国の真夏にあたります。こちらの学校の新学年は6月ですから、5月は夏休み中ですが、キリスト教国フィリピンでは、美しい伝統行事があります。
 それは、聖母アリアに捧げる“5月の花”と呼ばれる教会行事です。
 日曜日を除き、毎日午後2時頃から4時半まで、耐えられない程の暑さの中を各教会単位で子供達(4歳〜小6)が集まり、キリスト教の教育を集中的に1カ月問受けるのです。聖書の勉強、世界・国・社会・家族・恩人のため聖母マリアに託したロザリオの祈り、レクリエーション、おやつといったプログラムです。
 先生は信仰教育の専門教師と大学生、高校生のジュニア・ボランティアたちです。
 貧富の差を超え、長い夏休みの午後、汗にまみれて、大人、青年、子供達が一つになって、宗教教育の特訓を行うわけですから、うらやましいだけでなく、頭が下がります…。
私共の修道院も10周年を迎え、初期養成中のフィリピン人2名、オーストラリア人3名、日本人2名と賑やかになりました。
 おかげさまで、これまで続けて来た奨学生プログラム、砂糖農園(ハシエンダ)の子供達の給食プログラムの他に、乳児院、ボーイズホーム等の子供達の世話、老人ホーム、病院訪問、女性の自立のためのプログラムなどなど、少しずつ広がりを持ち、貧しい人々との関わりの層が厚くなって来ました。