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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『南米』

ボリビア ペルー ブラジル パラグアイ





『ジャングルでの宣教体験』

〜ボリビア〜
扶助者聖母会 小浜 静子
…さて、少々、時期はずれになりますが、今年の聖週間のジャングルでの宣教体験を報告させてもらいます。
…maria AUXILIADORAの学園では、毎年、聖週間に、司祭の手不足のジャングルでの宣教体験学習が高校4年生の慣例となっています。…生徒達は、出発前日、ミサの後、小さな十字架を頂く派遣式があり、小さな宣教女らが75人誕生。翌日正午、バス2台、貨物3台、5人のシスターと一緒に、生徒、父兄、先生達に見送られて目的地へ向いました。約2時間半はどバスに乗り、第1の目的地アントファガスタ村に到着、25人の生徒、2人のシスターが下車、…他の2つのグループは、東はエスタチオン、プエンリチーロ、西はドスデ、アダストに分れて40分ほど、さらに奥地に進みました。蚊の大群が、歓迎してくれたそうです。
 アントファガスタ村は、40年前は、サンタクルス州・ヤパカニ河流域の密林でしたが、貧しい山岳地方の人々が国内移住して来たコロニアで、米、大豆、トウモロコシなどを生産することになっています。教会の建物と公共物は赤いレンガ造りですが、民家は殆どモルタルです。家の周りはコケむして、アヒル、ブタ、犬、馬牛などが、人間と共存しています。…電気、水道も形だけはありますが、司祭館、台所の水道も使えず、外の水道から、汲み溜めた水を運ぶのも重要な仕事でした。
…この3つの村を司牧していた司祭は、6年前過労で亡くなりました。その後、司祭は定住せず、巡回教会となり、他の2つの村には教会もありません。エスタチオン、プェンレチーロに行った生徒とシスター達は、村の小学校の教室に泊まりました。村には電気、水道もありません。飲み水も近くの川から汲んで来て使うしかなかったと言っていました。彼らは、あまり貧しさを苦にしていません。子供たちは素朴で人なつっこく、聖職者に対して非常に信頼しています。ラジオ体操のカセットを持っていましたので、…体操をしてみせると、喜んで、何度もさせられ、1日8回もさせられました。
 初めは、子供たちを勧誘するため、他は衣料配りや医療奉仕の目的で家庭を訪問して回りました。歩いて目立つ建物は、プロテスタントの教会です。以前は皆、カトリックだった人口4000人ほどの村に、教会は4つもあります。
 これは、南米の教会の共通の悩みでしょう。…ここでの1週間の体験学習はボリビアをよく知るために大変助けになりました。ボリビアのラパス、コオチャパンパ、サンタクルスの繁華街を歩くと、ボリビアの貧しさは見えません。しかし、ジャングルに足を入れてみるとよく見えます。しかし、彼らは心まで貧しくなく、信仰を持っている。これは物質文明の繁栄の中で心がスカスカになっている「日本の子供たちより幸せなのではないか」と感じさせられました。
1999年5月30日

ジャングル宣教の指導凰景
ジャングル宣教の指導凰景

ジャングルの中の家庭訪問
ジャングルの中の家庭訪問






『自立を目指し、カフェテリア』

〜ペルー〜
フランシスコ会 マヌエル加藤神父
…ペルーは、フジモリ大統領の努力によってテロは沈静化され、インフレはどうにか押えられ、隣国エクアドルとの国境問題も解決し、そして、麻薬の密輸入もかなり厳しく取締りが行なわれるようになりました。ただ、未だに深刻な問題となっているのは、相変らず、非常に不景気だということです。…ペルーでは多くの国民が失業しており…残念ながら窃盗事件は日常茶飯事です。このような状況の中で、今年は日系人社会では、移住百周年を地味に祝っております。…エンマヌエルホームでは、ただ今、78人の子供を収容しています。とくに、今年ほテロの発祥地であるアヤクーチョから10人の孤児を連れて来ました。両親をテロリストに殺された、怖い目に遭った子供たちは、最初はオドオドして、目だけ大きく見開いて、周りを見ていましたが、今では元気に他の子供達と楽しそうに遊んでいます。目下、私達の最大の心配は、5〜6歳でホームに保護され、すでに7〜8年ここで生活している子供達のことです。もともと、彼らが育った環境は感心出来るものではなく、両親も、吾が子を捨てるような人が殆どですから、思春期に入った今、非常に反抗的で勝手なことをし、言うことも聞こうとせず…他の子供たちへ悪影響を及ぼさないうちに、親元に帰すしかありません。この経験から、2年前からは、出来るだけ1〜2歳、つまり物心がつかないうちに、ホームに連れて来るようにしています…。
 いつまでも外からの援助だけでなく…5年前から自活の道を模索しています。その1つが、カフェテリアの経営です。4年前からは、若者達のための黙想の家を増築しました。ペルーはカトリック国ですから、初聖体と堅信を受ける際、学校では3日間の黙想をさせられます。
 また、最近は、いろいろな教会でも、大人達がこの黙想会を催しますので、かなり利用されるようになりました。これが順調に進めば、ホームの出費の半分ぐらいは賄ってくれるのではと期待しているところです。また、政府から1万平方メートルの土地を寄付してもらいました。ここには、4つの計画を考えています。男子用の小さなホーム、技術学校、人口増に見合った正式な診療所、そして、日系人専用の老人ホーム建設がそれです。もちろん、時節柄、このプロジェクトの実現は非常に難しいと思いますが、神様のご摂理にお任せしながら、時を、根気よく待つことにします。 1999年7月15日






『山道に街灯ついたが……』

ベリス・メルセス宣教修道女会 真神 シゲ
 ここに釆て2カ月が過ぎました。スペイン語の方もまあまあで、La Cunaの子供達に指示を出したり、道を聞かれても答えられるし、遊んでいる子供達と会話が成立し、まだ道は遠いのですが、勉強が楽しくなって来ています。
CERROの道に街灯が!
 CERROの山道に街灯がつきました。その街灯から自分の家に電気を引いている人が増えています。…その街頭の高いこと、高いこと。3階の屋根ほどの高さを電柱に電気がついています。あんまり高い所にあるので、足許は暗いのです。
…「どうしてあんなに高い所に?」と聞くと、「ここは、いたずら坊主が多いから、低くしたらすぐに壊されてしまうでしょ」…納得!
LA
VIDA ANTES OUE LA DEUDA(債務よりもいのちを)  6月18日(金)、各教会の人たちが、ciudad de Diosという所にある大きな教会に集まって、夜8時から、グロチャガ司教司式、9名司祭、300名の信徒、シスターたちによるミサがありました。
 …会場には、溢れんばかりの人が集まっていました。聖歌隊(40名程の男女青年のみ)も、祭壇脇に居て…本当に椅麗なミサでした。
…奉納のところで私の心を打ったのは、1人の学生が3冊の本を持って、全ての子供が基礎教育を受けることが出来るようにと、祈りながら、祭壇に近づいていく姿でした。義務教育制度はあるのですが、貧しくて学校に行けない子供が大勢居るのです。修院の近くの、普通の家庭(のように見える)の子供たちでも、5人のうち3人は学校に行っていませんでした。
父の日に招かれて
 6月19日(土)、仲良しのマリーナさんに誘われて、彼女の子供2人が通っている聖心の学校に車で出かけました。学校も大きく、生徒数は少なく、先生の数も多く、特別な教育をしていることが一目で感じられました。…この学校の前に、イエズス会の学校があって、この地域は裕福な所らしく、チョット違った国に来たようでした。






『子供達の宣教活動』

〜ブラジル〜
マリアの布教修道女会 鹿山 ミエ子
…私たちは皆、元気です。ブラジルは今、コーヒーの季節で、保育園の庭にある何本かのコーヒーの木も、真っ赤な実を沢山つけて、とても椅麗です。私たちの毎日の宣教、そして、ロンドリーナ大教区で、今年は特別な行事として、Missoes Popularesが始まっています。
 家庭教会に、神のみことばを種蒔きながら、信徒宣教者たちは、2人ずつ、毎月、家庭訪問です。こうして、大聖年に向かっての準備も、とても熱心に、その協力と参加のうちに進んでいます。2人1組で、大体10家族から、多くなると20家族を受持ち、毎月、同じ家庭を訪問します。こうして信仰に目覚めさせ、あるいは、いろいろな理由で、教会から遠ざかっている人々、家庭と接しながら、共に歩みます。
Infancia Missioneria の子供達も、子供ながらにグループを作り、とても喜ばれています。
 このInfancia Missioneriaは、7歳から14歳までの子供達が、小さい時から宣教精神を身に付け、全世界の子供達に興味と関心を持ち、実際に行動していくグループです。
 “子供たちで、子供たちに福音宣教”がモットーです。そして、子供たちの家庭に、まず、影響を与え、よい結果を与えています。

”子供の宣教”に従事するリーダーたち
”子供の宣教”に従事するリーダーたち






『盛大だったバザー』

コングレガシオン・ド・ノートルダム 峰 敬子
 …先日行われました、イグアス聖霊幼稚園のバザーは、素晴らしい秋晴れの中…盛況に終ることが出来ました。
 バザーの準備は1カ月前から始め、主に日本からの衣類は…仕分けして、白い布にマジックで値段を書き、1枚ずつ縫いつけ…殆どのお母様方がお手伝いして下さいました。
 前日は、仕事を切上げたお父様方がトラックで机などを会場へ――、盗難防止の会場周囲のネット張り…当日は早朝から会場の設定…コロニアの皆様(日系)からも、沢山、野菜や果物等をご寄付して下さったり……。
 この日は、ここの教会の保護者・聖ヨゼフのお祝い日です。今年は今までになく盛大に…お祝いがなされ…サーカスまでやって来た程です。
…バザーが終りますと、今度は運動会です。
これから少しずつ運動会の練習を行い、道具作りに追われます。
 幼稚園の先生は専科が2人(うち1人は日本語ペラペラのパラグアイ人)1人はボランティアで日本のお嬢さんが手伝って下さっています。
そして、私の計4人、ちなみに園児数は35名です。私は年長10名を担当しています。日本語が分からない子には、クラスの日系3世が通訳してくれますので、大変、助けられています。
1999年5月6日






『現地の人々と共に』

聖心侍女修道会 栄田 妙子
…私は日本を出発し、ブラジルに参りまして、早や4年になりました。修院の近くに住んでおられる人々、また、教会共同体の現地の人々と喜びや悲しみ、労苦を共にして過ごしております。
 6月には、筋向かいの家族、長兄に初子の三つ子の男子が無事誕生しました。人々は協力して粉ミルクや衣類を持参し、訪問しています。3人の赤ちゃんは粉ミルク400g一缶を3日間で飲みつくし、すくすく成長しております。
 もう1つは、29歳の女性に4人の子供が居りますが子供の父親は一人々々、皆違い、現在は父親なしです。貸長屋を転々と変えて生活しているので、私共は、なんとかして家をと探しているところです。
 ブラジルは、6月21日から冬の季節に入りましたので、ベロオリゾンテは涼しくなり、活動しやすくなりました。北の州は未だに暑く、南の州は、とても寒いのだそうです。
1999・7・12






『シスター達も炊出し奉仕』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
…ご存知と思いますが、パラグアイも、政治問題で、3月23日、副大統領の暗殺、3月26日には、青年、農民達が大統領支持派から攻撃され、青年6名が死亡、150人の怪我人が出るなど大きな騒ぎでした。大統領の辞任と亡命、新しくゴンザレス・マーキー大統領が就任し、内閣を再建、一応、平和になりました。政治も経済も乱れていますので、これからの再建には、まだ、幾多の困難が残っております。
 この度の事件では教会側も多分の援助を致しました。アスンシオンで、シスター達は、何万人という人達のために炊出しの手伝いをしたり、一般の信者さんも医療活動その他に奉仕いたしました。聖月曜日の晩には、アスンシオンのカテドラルで、大統領の就任と、亡くなった人達のためのミサが行われました。36年間の、独裁政治が、1999年に終り、民主主義国家になりましたが、…血を流して民主主義を獲得しようとした青年達を、人々は“殉教者”と讃えています。亡くなった日が「悲しみの聖母」の日でしたので、とくに、この青年達の母親の悲しみ深く偲んで、テレビのニュースでも写しています。
 カトリック国と言っても、このような残酷な事件があり、人々は教会で一生懸命お祈りしています。神様だけが本当の平和を与えて下さるのだと言うことが分かります。
(3月30日)






『赤字ながら、なんとかやりくり診療所』

マリアの宣教者フランシスコ修道会 拾尾 智子
…パラグアイでは…不況が激しいため、診療所経営も大変です。しかし、今のところ、赤字でもどうにか運営しています。日本からの援助金は、貧しくて、どうにも支払えない患者にだけ使用しています。診療所では、総ての薬は15%引きで売られていますので他の薬局よりも安く患者さんの手に入ります。
 援助金は、少しでも長く使えるようにしています。そうでないと、殆どの患者は貧しいので援助を望んでいますが、総ての貧しい人に援助しますと、すぐに使ってしまいます。
 いく人かの患者さん。1人の奥さんは、11人子供が居て、12人目を妊娠しています。「シスター、私は幾日も、食事をしない日があります」と、胸が痛くなる現実です。また、6歳、10歳…の子供たちが「食べ物を下さい」と。
 私たちも、訪ねて来る人皆に食物を与える余裕はあり享せん(ので)この子たちを家に帰らせることもあります。…この子供たちと家族のために祈りながら…、子供達はガッカリして、去って行きます。また、1人の22歳になる3児の母親は、腹部が膨張して来ています。はっきりした病名は、まだ分かりませんがエコグラフィアをとっても、何か分かりません。多分、手術が必要でしょう。そのために、1,500,000GSを確保しています。
1999年7月12日

−ある母子家庭−2カ月の赤ん坊を抱え子供は5人父親は?……
−ある母子家庭−2カ月の赤ん坊を抱え子供は5人父親は?……






『アスンシオンの桜』

聖霊奉侍布教修道女会 山田 雲江
…私達の修院の庭に、2年前、Sr金永がフラム移住地から桜の苗木を1本持って来て、植えて下さいました。40度近い熱気、灼けた土、また、何カ月も続いた干魅、寒さの中、気がついてみたら、2mもない高さの木なのに、美しい花が一杯に咲きはじめました。多分、オキナワ桜に接木したものと思いますが、アスンシオンでも珍らしいと言われるくらい、数少ない例だそうで、植林専門家の方も見に来られました。
…私も4月一杯ダウンし、約3週間ベッド生活、やっと体調が整って来たようです。…専門家の奥様が心配し、日本移住地から、とても美味しいお米を届けて下さり、毎日、ご飯を頂いています。他のシスター方も、こんなに美味しいお米が…と喜んで召し上がっています。(フィリピン人、インドネシア人。また、日本人移住地で長年、働いていらっしゃった方が2人居られ、日本人のように、ご飯なしでは…というような状態です)…。
 7月10日にシスター金永の金祝の祝い…シスター上杉も6月23日に無事到着されました。
7月5日


@ エジプト
『アレキサンドリアの友達』
〜エジプト〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会・島村 哲子
 私は今年で18年目を迎え、エジプトの第2の都市アレキサンドリアに住んでいます。
 ここは、地中海に面したギリシャ・ローマ時代の歴史を持つ遺跡の町です。
 つい、この間も、カイロとアレキサンドリアを結ぶ228kmの砂漠道路の途中から、アレキサンドリアの西港に道路を延長させたところ…港の手前でネクロポリスの遺跡にぶつかり、工事は一時中断されてしまいました。
 ところで私は13年前、ラ・サール会(キリスト教学校修士会)の経営するサン・マルク・カレッジ(幼稚園から高校までの男子カトリック校)の中に、知能障害児特殊教育の仕事を、4人のエジプト人と私が15人の子供達と共に始めました。センターは「マルカズ・アル・ハヤート」と名付けられました。
 エジプトにもダウン症、自閉症、てんかん等を持つ子供達が居ますが、この国では近親結婚で生まれて来た障害児が増加しています。
 14年前、カリタス・エジプトの主催によって、ジャン・ヴァニエ師を迎え、障害児センターを普通児の学校内に設けることが勧められ、それが実現したわけです。…子供達は毎日・サン・マルク・カレッジの幼稚園、小学生達と一緒にスクールバスに乗り登下校、中、高生による訪問、触れ合い等、また、今年からはボーイスカウトが正式に発足して、私共のセンターの子供達の社会の輪も、少しずつ、大きく広がって来ました……。
 エジプトの宗教は、イスラム教90%、キリスト教10%の割合です。
 聖マルコがもたらしたと言われるコプト・オーソドックスの原始キリスト教が98%を占めています。私たちのセンターには、現在18名の指導員、うち11名がキリスト教徒、4名がイスラム教徒。子供たちは5歳〜18歳の50名。うち40名はイスラム教徒です。
ところで、センター設立以来、イスラム教徒とキリスト教徒が共に、仲良く生きることを大切にしていきます。
 クリスマスには、大きなツリーにつけられた豆電球のイルミネーションに目を輝かせる子供達、ラマダンの“断食の月”には、大きなファヌース(大提灯)を庭の木に吊し、一杯にリボンで飾り、祝います。
 ちょうど昨年からラマダン月が冬を通り越し、クリスマスツリーとラマダンのファヌースが隣りどうしに並んでいる光景は“みんなと仲良く生きるシンボル”のようで、感慨一入でした。






『アジア』







『魚の養殖で資金を』

〜インドネシア〜
聖母カテキスタ会 M・H
…私たち信者は、司教団をはじめ一同団結して、神様の平和と正義と愛のために少しも揺らぐことなく…頑張っています。
 私達のハイアムルの教会も、失業、貧困、老人等、社会生活に困難して生きている方々のため、すべての信者に呼びかけ、社会に平和と、正義と愛を求めて祈り、努力しております。
…私たちのハウスの裏庭にあるセメントの池で魚の養殖を始めました。稚魚から始めて4カ月、今週中の市場の売出しには間に合うでしょう。
 私の仕事は老人の家庭訪問、健康管理、時には病院で、入院患者の直接看護をしています。
 亡き梶川神父様の御写真が、私の聖務日課に挟んでありますので、死者の記念日ごとに、想い出と共にお祈りをさせて頂いております。メダンの大司教館の客間にも、梶川神父様の写真が飾られており、嬉しく思っております。
1999年5月7日






『善意の”灯に将来を期待』

〜ドイツ〜
聖パウロ女子修道会 比譲 キクエ
 …皆様方のお祈りとご支援のお蔭で、私の、ドイツでの生活も、はや、13年となりました。
 元ユーゴスラビアのコソボでの戟争が悪化するなか、ドイツ政府は10万人の難民を受入れ、まだ多くの人々を受け入れようとしています。
 カトリック教会をはじめ、多くの団体がこぞって難民基金を設け、援助に当っています。
 年々、教会離れが進む中、貧しい人、因っている人々への援助だけは、以前と変らず、活発なのには感心させられます。それは、教会を離れ、一見、神から遠去かっているように見えても、人々の心の中に、真・善・美である真の神を求める、ともしびが消えていないという証拠でしょう。
 私はこの“ともしび”に将来の希望を託して主のお望みの填で、お望みの時まで、がんばるつもりです。             5月2日