『南米』『治療費なく、失明した老人』マリアの宣教者フランシスコ修道会 拾雄 智子
パラグアイは、日本の約1.1倍の面積を持ち人口は約500万人。しかし、実際はそれを上回っていると思います。原住民(インディオ)、貧しい人々の中には出生届、住民登録をしていない人も居ます。35年に亘る独裁政権が倒れ、9年前から民主政権となりましたが、政情はあまり思わしくありません。貧富の差は激しく年々貧しい人々は増加しています。工業は小規模で農、牧畜業が主です。大規模農業の大半は外国人で、当地の農民の中には土地のない人達も居て苦しんでいます。
私達のF.M.M共同体は、首都アスンシオンより約186km離れたカワズ市内の貧しい地域にあり、そこは農、牧地帯ではなく、主に自営業(小スーパー、小食料品店、雑貨店、木材店、大工、電気修理店等々)で生活を営み、サラリーマンは少数です。しかし、男性失業者がかなりあり、多くの家族は決まった収入がなく、とくに女性は他家族の洗濯物を洗ったり、市場から仕入れた野菜、果物、自家製のパンを売り歩いて収入を得ています。父親の居ない未婚の母の家庭もあります。子供達も何らかの形で働いています。学校に行けない子供達は、大体、一日中仕事をしていますが、その日の収入は食費として消えていきます。 栄養状態は悪いです。医療面では健康保険制度がないから、病気になると全額負担になるので、家計はもっと苦しくなります。 一人の70歳位の男性が私に言いました。「シスター、私達貧乏人は、ひどい病気になると、死を待つだけです」。彼は15年前に緑内障にかかり治療費がなく、両眼失明しました。 このような中で、私達はそれぞれに、カテケージス、料理学校、家庭訪問、そして、医療に携わって居ます。看護婦である私は、F.M.Mに全てを委ねられた診療所で仕事をしています。 ここには常時ドクターは居ませんので、私が医師代行をしています。一般に病院や医院へ行けない人々、診療所内にある薬局利用者も含めて赤ちゃんからお年寄りまで、大体40〜70人が、ここを利用しています。主な病気は、栄養不良、貧血、寄生虫症、肺炎、肺結核、胃腸病、腎臓病、高血圧症、外科治療等です。 このような現状ですから、自給自足では事は運べません。かと言って、貧しい病人を放っておくわけにもいきません。 彼らが人間として、最低の生活が出来るよう努力するのが、私に課せられた使命だと思います。貧しい病人、とくに、乳、幼、小児を見ていますと、心が痛くなります。時には、重症の場合、どうしたら良いか分からず、家族と共に苦しみ、祈っています。 公衆洗濯場の現地婦人 診療所前 診療を待つ現地の人 診療を受けにきた婦人 4人の子供(3人の父親)がいる”未婚の母” 『義務教育、受けられない子供達』聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
…パラグアイは、他の南米諸国と同じで、富の分配が不公平で、一部の金持を除いて多勢の貧しい人々が居ります。来年から義務教育が9年間になりますので、あちこちで教室の増築をしております。一度に出来ませんので来年は(義務教育)7年、次の年は8年と毎年次々と増やしていく計画です。ところが、農村では、この義務教育もまともに受けられない子供達が増えて居ります。両親が、子供達を学校に送るだけの余裕がなく、四年生位で退学させ農作業の手伝いをさせています。女の子も小さな子供達の子守りをしなければならないし、小学校の上級や13、4歳になると、田舎道を一人で歩くのは危険だという理由で学校に通うことが出来ません。都会の場合は、働きながら通学する生徒が増えて居りますが、これもよい指導者が必要です。麻薬とか売春などに誘われる危険があります。
日本人は勤勉なので大体、中流の生活をして居ります。今年は8月から9月にかけての長雨のために、主要作物である小麦の実りが悪く、もうすぐ収穫が始まりますが減収の予定です。 最近、ひまわりを蒔く人が増えて参りました。今のところ値段も良く、小麦のようにここの気候に左右されないのではないかと言われています。ここの国の主要作物になった大豆は、日本人の泰泉寺さんと言う方が入植当時、内地から持ってきた大豆の種子を蒔きつけ、その後、改良されて、此処の土地に合った種類の大豆が出来るようになりました。内地も不景気になりましたので、ボツボツこちらに帰って来る人も出て来ました。 テレビやビデオが普及して、よい点も悪い点も出て来ました。ロザリオのお祈りをするよりはテレビを観る人の方が多くなり、日曜日のごミサにも限られた人が集まって来ます。日本人もパラグアイ人にも同じ傾向が見られます。子供達にだけ公教要理を教えても、初聖体も堅信も形式的で深い信仰に入らないように見え残念に思います。 8月14日に深堀司教様がイグアス移住地にお見えになり、2時間ぐらいでしたが、ご一緒にお食事をしながら、お話を伺うことが出来、私達シスター、また、神言会の神父様方も、共に喜びました。 『ブラジル教会巡礼の旅』高松司教 深堀 敏
私は、日伯司牧協会のお招きによるこの旅が、本当の意味で巡礼であるようにと願っていました。福音宣教500年の歴史を持っこの国は、神の救いの働きをふんだんに受け、ゆたかな実りをあげている聖地であり、そこで神の息吹きが感じられると確信したからです。あたかも、今年は日本人のブラジル移民90周年記念の年でした。 わたしの出席がもとめられたのは、宣教者大会(今年は第36回)への出席とアバレシーダ巡礼地でのミサ司式の2つでした。 まず、イエズス会の「黙想の家」で開かれた3泊4日の宣教者大会では、ブラジル、パラグアイ、ボリビアなどで働く日本人および日本人宣教者(司祭、修道者、在俗会員ら)約50人のみなさんと合宿をしました。そこで研修の講師として来られたカルメル会の奥村一郎神父様の「キリスト教と仏教」の講話にも参加できました。各地の宣教活動の報告や分科会では要理教育、日本語教室、家庭教育、葬儀の典礼、死者崇敬、新宗教やセクトの異常な広がりなどが取り上げられました。一世と二世、または三世の間の言葉や文化の遠いから家庭での信仰教育が難しく、洗礼を受けただけの信者への再教育が、宣教の第一目標になっているとのことでしたが、これは、外国人信者が急増した日本の教会の問題と共通する悩みです。 もちろん、最も貧しい人達、とくに、その子供たちへの援助と教育が優先活動日標であることは言うまでもありません。この分野でのブラジル全土にわたる、とくに、シスターたち宣教者の徹底した奉仕に、頑が下がる思いでした。 日本に居て、かなりの情報に接していたとしても、その場で直接、それを確かめたことは、私にとって強い衝撃となりました。 その後、ブラジルの北から南まで、日程の許す限り現地を訪問し、ミサを捧げ、多くの人と歓談するなかで、とくに、アルヴァレス・マッシャードの村では、日本人最初の宣教師・中村長八神父のお墓に詣で、神父と生活を共にされた方々のお話を聞くことができました。中村神父の列福運動を進める上で、日伯両教会の協力が強く望まれていることを知りました。 国として、世界長大のカトリック人口をかかえるブラジルの教会から学ぶことの一つは、この教会が、さまざまの困難にもかかわらず、多文化、多人種に開かれた共同体であるということです。自然が豊かであるばかりでなく、すべての人を受け入れる、懐の深さこそが、この国の教会の最大の宝ではないかと思います。 各地で暖かいおもてなしを受けたことに対し、心からお礼申し上げます。 日伯司牧教会・宣教者大会 『アフリカ』『知的障害児とキャンプ』マリアの宣教者フランシスコ修道会 島村 哲子
日本は秋も深まり、自然の美しい季節ですね。こちらエジプトはまだ夏です。
私は、この数日前まで、知的障害児7人と共に、リビア寄りの美しい海岸で、一週間キャンプして参りました。 “きずな”64号により、私共の援助への願いが受けられコンフェランス・ド・サン・ヴアンサンのグループは大喜びをしております。 心より、お礼を申し上げます。 |