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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『中・南米』

ブラジル パラグアイ エクアドル アルゼンチン





『言語障害児達を大学で検査』

〜ブラジル〜
長崎純心聖母会 堂園みつ子
…九七年は健康について学ぶことが多くありました。二カ月に一回の父兄会で、病気、健康食品、虫歯予防等について勉強したのですが、栄養不足から来る知能、言語障害、骨が弱いためにケガをしやすいケース等々、底なし沼のようです。また、出産時の処置が悪くて一生涯の大きな障害になるケースも少なくありません。
…言語障害の子供達は、私立ロンドリーナ大学の好意で玉名が三カ月検査を受けました。知能、鼻、耳、口の検査に一週間に一回出かけて行きます。…この三カ月のためにガソリン代は三倍以上、昼食代、付添、運転手…とかなりの痛手です。
 それでも政府の援助が毎月来ればコントロールできるのですが、九月からストップし、本当に因ってしまいました。…こんな時に限ってコピー機が駄目になったり、洗濯機が故障したり、あちこち修理が増えたりして、いつ来るか分らぬお金を待ち続けましたが、残念ながら無理なようです。
 「ひどい行政」だと言ってみても「こんなものよ」という返事しか返って来ません。それでもなんとかやっていけるのは、善意ある人々の援助のお蔭です。日本からの援助は必要不可欠なものですが、ブラジルで運営出来る状態にまでもっていかないと、本当だとは言えません。しかし、この言葉にも空しさを感じます。
 十二月に初めて卒園式をしました。二十三名の卒園児、子供達の誇らしげな顔、みんなで喜んでいます。大学生のような角帽をつけるのです。これからも勉強を続けますという声に、本当に頑張って欲しいと思いました。






『プレゼントに喜ぶ、拘置少年たち』

殉教者聖ゲオルギオのフランシスコ修道会 林七枝 佐藤幸子
…先日頂きました二個の荷物、仲介者、若いおまわりさんと四人で、プレゼントを持って、少年拘置所に案内されました。(拘置所と言っても)外見は普通の家。しかし、中に入ると、鉄の扉があり、高い塀に囲まれたテラスで待っていると、一人ずつ、十二人の少年たちが現われ、挨拶を交わし、窓枠のようになった腰掛に並んで話しました。お送り頂いた運動衣上下と、真白に洗ったネーム入りの運動靴がぴったりの人達だと嬉しくなりました。
 教会には行っていませんが熱心なクリスチャンである女性の友人が皆で祈りましょうと、手をつないでPai nossoとAve Mariaを誦え、握手して別れました。玄関脇の部屋に戻ってみると、係の人が箱を開けていたので「少年達に靴とシャツをあげて欲しい」と頼み、皆で手分けして一組ずつ揃え(ました。)、少年たちは、一人ずつ人って来て、嬉しそうに受取って帰っていきましたが。皆、サイズが合うかどうかなど調べもせずに(一人の子には同じ側の靴が当たりました)抱えて立ち去りました。
…もし、あのような品が、定期的に(一年に一回・同じ位)送って頂けるのでしたら、日本の若い人達と「授ける会」の方々の御厚情は、間違いなくブラジルの、恵まれないあのような少年達に届けられると信じております。
 申し遅れましたが、私達、ドゥラードスの二人は、この度当地を引き揚げることになり、九八年二月下旬離伯、南米の保護の聖人、グワグルペの聖母の祝日の今日(十二月十二日)公けに、日本語学校で働く務めは終了いたしました。






『日本の暦に掛けかえて』

宮崎カリタス修道女会 川端キヌエ
…九八年度の美しい日本のカレンダーを頂きました。早速、ブラジルの暦と取り換えました。酷暑のサンパウロの昨今、壁に掛けられたカレンダーの美しい菜の花の絵が、甘い香りや涼風を思わせ涼しさを感じさせてくれます。暑さ寒さも彼岸までとか言われますように、ここブラジルではカナパルまでは残暑も厳しく大変ですがカナパルを境に涼しくなります。ブラジルでは近づくカナパルの準備に大童の此の頃です。私たちの事業所も、夏休みから帰って来た子供達で振っています。来週から授業開始なので、残り僅かな休日を、存分に楽しんでいます。(二月三日)






『酷暑の中、断水に脅かされて…』

マリアの宣教者フランシスコ修道会 佐藤和
…こちらは今、四十年来の暑さとか…毎日夜昼、三十五度〜四十度前後の暑さに、いつ断水か…と脅かされながら恵みの雨を待っています。…今は以前のように毎日のインフレに悩まされないこの頃ですが、経済、社会的にもまだまだ大きな格差があり、とくに今、土地問題、農地改革を政府がどのように?と大きな問題となっています。ナタール前後、正月にかけて物乞いの人が増え、毎日数人が、私共の修院にも食事をしに来ます。町では強盗、ひったくり、自動車泥棒が増え、銀行の出入り、夜の外出は特別注意するようにと言われています。一九九八年は、私共、マリリア・カトリック暁の星会も四十周年を迎えます。司教様方、多くの神父様も日系人の仕事に理解協力して下さいますので、感謝の共同ミサ、サンパウロからPANIBの会長様をお招びして、日本語での講話を…等々、考えております。それから、ブラジルの保護者アバレシーダの聖母の巡礼、集会所の増築も…と忙しい年になります。








『べタニアだより』

ベタニア修道女会
  • 皆様の暖かい愛とお祈りが届いて、遠いブラジルに居ても近さを感じております。二〇〇〇年の大聖年に向けて、平和と希望のうちにお祈り申し上げます。
    (野間玲子)
  • 修道院のささやかな花壇に、真白い月下美人が月の光を浴びて美しく沢山咲きました。いつも暖かいお心を寄せて下さる皆様のお心のように、新しい年も健康に恵まれ、神様のみ守りの中で過ごされますようにお祈り申し上げております。
    (大場喜代子)
  • 皆様からの愛のパワーを嬉しく感じつつ、感謝のうちに…。
    (原ワカ)
  • 皆様の励まし、祈りに支えられた、新たな年を感謝しております。
    (松本圭世)
  • 皆様の愛の祈りの中で、物心両面のご支援に支えられ…新しい年、主のみ旨の道を歩むことができますように、子供達と共に過しながら、皆様の上に主の祝福を願い、感謝の心をもって
    (グレゴリア)






『回覧板も、日本、スペイン両国語で』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 林静子
…パラグアイでは、十二月八日夜にドミニコ会のSr氏家が脳出血でお倒れになり、アッスンシオンのアドヴェンチスタ病院に入院なさいました。Sr中村が看護に当たって居られますが小康を得られ快方に向っておられます。十二月二十一日には、パラグアイの三つのコロニアの日系信者さんがイグアズに集まって、クリスマスをお祝い致しました。ピラポとラパス地区の信者さん達は、それぞれ大型バスを借りて楽しく出掛け、子供たちは遠足気分でした。バスで五時間近くかかりました。クルッカホワキン神父様がエンカルナシオンからいらっしゃって、日本語でごミサをたてて下さいました。
 ミサ後、イグアズの婦人会の皆様が用意して下さったお料理を皆でおいしく頂き、その後、イグアズ青年部による曲芸、くじ引きもあって楽しく、皆大喜びでした。…エンカルナシオンの町も、自動電話になり、便利になりました。道路もアスファルトになり、雨が降っても心配は要りません。パラグアイでは農産物も安く、農家の人も苦しいので、内地に出稼ぎに行く人々が居ります。内地に行っても教会を忘れないようにと注意していますが、内地で蒸発信者になってしまう人も多勢居ります。教会が分らない、日本語のミサになじめない、日曜日に休みがないなどの理由もありますが、結局、環境の信者で、信仰の根がないという点もあります。
…また、ここに居る日本人は一般に日本語の理解力が少ないので、送って頂く宗教雑誌は、漢字が読めなく、程度が高いのでよく分からないという年代(三十代、四十代)の人々が半分位居ります。
 かえって、今の十代、二十代の子供達の方が、日本語の能力試験もあって漢字が読めます。三十代の人々は開墾時代に育ち、学校も小学校か中学三年生しか行けなかった人々が大人になって居ます。
 回覧板も、日本語とスペイン語の両方で回す時代になりました。






『”教会のひとりに数えられて…=x

〜ハイチ〜
クリスト・ロア宣教修道女会 阿部道子
「カトリック教会住所録」「ハンドブック」手帳など数々の品をお送り下さり…私のごとき小さい者が日本教会のひとりに教えられていること、大変嬉しく思い力づけられました。
一九七六年に現地に入ってから今日まで、神の恵みと多くの方々の祈りに支えられて、主の望まれる所で…小さな愛の奉仕に励んでおります。現在はハンセン病院で働かせて頂いております。当院の周りは広い砂糖キビ畑ですが、現在、私が頂く砂糖は皆外国のものです。首都より離れた所ですから、直接に政治的現状からは遠いですが、時々、悲しいことを耳にすることもありますので祈りは忘れることは出来ません。この度は”きずな“を通して、「海外宣教者を支援する会」の創始者であられる梶川神父様のご帰天を知り、神父様のご冥福を祈らせて頂きます。本当に、いろいろありがとうございます。
(九八・一・十六)





『一輪車日本一周少年は、卒園生!』

無原罪聖母宣教女会 本郷幸子
 一九九七年は…デリア・テトロの子供たちと沢山の経験をしながら学んで参りました。
 その(一)は、識字教室の子供たち十三人が正規の小学校二年生と三年生に編入出来たことです。思いもよらなかった進学の道が得られた子供たちは、二、三歳年下の生徒に交って意欲的に勉強に励んでいます。留年せずに小学校の課程を卒業して欲しいと願っています。新学期からは、一一五人が在籍して三クラスになりました。ハイチの子供たちは、皆様のご支援によって教育を受ける権利を手にしたのです。
 その(二)は六月でしたが、十六人の児童のうち八人が洗礼のみ、八人が洗礼と初聖体という秘蹟を受けました。親はこの恵みを望んでいても、経済的な理由で怠り、教育の足りなさ、親の責任不足で、等閑にされています。教会に行きたくても貧しさ故に行けない現実は、どこにもあるのです。
 その(三)とは、雨期に入ったので、五〇〇坪の畑の草取りから始めて、トウモロコシを三回に分けて蒔きました。労働を共にした子供達と、収穫を分配したり、ゆでて食べることを夢みていたのですが、一粒の実も、口にすることが出来なかったのです…背丈まで伸びた茎を穂先から折られて全滅!!、子供たちと顔を見合わせて言葉が出ませんでした。人の侵入か動物の仕業か…柵の管理の不行き届きか、その上、灌水用の水道管まで掘り起こされて持って行かれました。
 シスターの管理下にある土地となると、甘えがあるのでしょうか、来年はどうしようかと思案しています。
 その(四)は、聖母幼稚園の卒業生、市山研君(十歳)は、一輪車で日本一周(六二五八km)を六一日間で走り、ハイチの子供たちにと募金をし、多くの方々の支援と励ましで集まった義援金を、ご家族で届けに来て下さいました。
 彼は日本とハイチを結ぶ、少年親善大使として、空港で同年齢の子供たちに迎えられ、ポートプレンス・エンシューで一輪車のデモンストレーションを通して沢山の友達をつくり、歓迎を受けました。
 そして、カップ・ハイシエンの砦を見学し、歴史にふれ、ハイチの人々に触れ、一週間の滞在でしたが、活気溢れる露天市、庶民の生活の一コマを垣間みることも出来ました。
 皆様が集めて下さったプレゼント、市山一家がご苦労を惜しまず届けて下さいました。六百人が待つクリスマス会に間に合い、今まで見たこともない贈り物に目を輝かして大喜び、また、韓国のシスターからも、度々、小包みをいただき、学用品など助かっています。
 ハイチに寄せられる皆様のご支援、ご奉仕は、日々、私の働きの力となっています。子供たちと共に、ハイチの意識変革に微小ながらお手伝い出来ます喜びを伝え、これからも皆様で、ハイチの子供たちを支えて下さいませ。
 いつも、会報をありがとうございます。楽しみに読ませて頂いております。また、クリスマスカード、海外宣教者名簿など役立てております。
 遠隔の地に住む私たちに、なにかとお心配り、感動と励みとなっております…。






『夏の異常気象で、氾濫・洪水の恐怖』

〜エクアドル〜
二コレット聖母被昇天修道会 横山まさ子
…ご援助頂きました図書館(室)の設備は、少しずつ机や本棚を取り揃えておりますが、肝心の図書室が完成出来ずに居ります…私の仕事も順調です。少しずつグループが出来ました。本当に時間がかかり、日本語で言うとノロノロの歩みです。
 今年はエルニーニョ現象の影響で天候が全く不順です。夏(乾期)なのに一日中雨が降り、河川は氾濫し、洪水で人々は苦しんでいます。…私の町も大きな川があり、いつ氾濫するか、雨が降る度にハラハラしています。人々はこの世の終りが近づいているとか神様の罰が下っているとか噂していますが、異常天候のためであることを説明するのに、各地で集まりを開き、また、災害時の対策などを話し合い、年一回の町のお祭りを取り止めて災害費用に当てるなどの準備をしています。
 毎日のニュースは、あちらこちらの町や村が洪水で、エクアドル全国で何千世帯の人々が家を失ったと大きく報道しています。学校の授業も、通常は一月二十日ごろから休みに入るのですが、今年は十二月五日で終了。生徒達は、今年度は半年間ぐらいしか授業を受けていません。約一カ月近くも教職員のストライキもあり、教育の必要性、重大性は感じますが、この国の教育制度のあり方についても疑問を感じております。
(十一月二十九日)

1997年12月14日日本人移住地に完成した新聖堂での初ミサ
1997年12月14日日本人移住地に完成した新聖堂での初ミサ






『忘れられていないという実感ー司教訪問が大刺激ー』

〜アルゼンチン〜
神言会 北島泰治
 私は、アルゼンチンのミシオネス州に一九九三年十二月二十日に赴任し、現在もなお教会司牧をしております。毎日、アルゼンチン人のために働いていますが、週に一度の休日の月曜日には、日本の皆様より支援していただいている日系アルゼンチン人、日系パラグアイ人のために働いています。この日に巡回する地区は全部で六地区(ポサダス、オベラ、アリストポロ、ハルディンアメリカ、ガルアッペ、パラグアイのピラポ)です。
 その中の一つガルワッペへは、一九九六年四月に赴任しました。そのとき以来いつも、「自分たちの教会があればいいなあ」といった信者さんの願いを聞いていました。というのは、いつもミサを小学校で行っていたからです。しかし、いっこうに盛り上がりがなく、やっと一九九七年五月に信徒全役員会を組織しました。私が新しい教会用のマリア像を購入することをみんなに申し出ましたら、少し熱心に教会用の土地を探し始めました。七月始め、一人の日系人が、ちょうど日本人移住地(コロニア・ルハン)の真ん中に位置する土地(一五〇〇平方メートル)を寄付してくれることになりました。
 そのような時、八月始めだったと思いますが、佐藤敬一司教様とロシャイター神父様が、パラグアイのピラポに来られ、ミシオネス州のカトリック信者の有志もミサに出席しました。この司教様方のミサへの出席は、それまでの信者の不安感「私たちは忘れられた存在では?」をいっぺんに払い除け、彼らの信者としての自覚と意識を高めるものになったようです。
 その後、日系人が、マリア像購入への寄付、教会の壁板、屋根の寄付を続々と申し出るようになりました。そして、ついにはガルアッペ市長が整地のためのブルトーザ一派達、教会の床用セメントと工事の作業員の派遣を申し出てきました。実際の建築にあたっては、現地アルゼンチン人と日系アルゼンチン人の調和と一致が見られ、毎週末には、共に協力し合って、十二月の始めには新聖堂が完成したのでした。
 十二月末日アルゼンチンを帰国休暇のために離れ、四月にアルゼンチンに戻りますが、帰国後転任する私のために、彼らはその新聖堂で初めてのミサを準備してくれました。
 こうしてガルアッペの日系アルゼンチン人は、今現地のカトリック教会との一致への一歩を歩き始めました。しかし、まだまだ言葉、ミサ中の習慣、要理教育の問題もあります。私は、彼らがこうして現地の教会の一員となれるように導く日系アルゼンチン人司牧が今特に大切だと実感しています。

日系アルゼンチン人、現地アルゼンチン人が新聖堂で共に与るミサ
日系アルゼンチン人、現地アルゼンチン人が新聖堂で共に与るミサ






『アフリカ』

チャド シエラレオネ ブルキナ・ファソ





『”兵隊狩り″で百人以上、虐殺』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 永瀬小夜子
…チャドの一九九七年は、あまり良い事で終らず、十一月三十日に旧兵隊狩りがあり、些細なことから(兵士の)その家族、友人にまで及ぶ百名を超す”虐殺“という事件が起きました。
 匿まったという理由で、ムンドゥ教区の司教様、秘書の神父様達もかなり厳しく…でも、よく聞いてみますと、兵隊との言葉が通じなくて…(ということでした。)…こうして、追われる人、逃げる人はザイール、コンゴー、その他難民でより痛みを感じます。
 どうして、このような貧しい国に入って来たのか…自国を証明する書類もなく、関門を避けての日々は底が見えています。なんとかして上げたくても、どうにも出来ない問題も多く、ここにも言葉の問題が出て来ます。アフリカ大陸をさまよい歩く人の多さ、二十一世紀はどのように、どんな時代に(なるのか)と、不安と期待も含めてのこの頃です。…南部・ライ・ギダリーの支部を含めて、近々ショファイユの幼きイエズス修道会の集まり、十六名で「私たちのミッション」と「奉仕生活」についての会合を持ちます。それぞれの支部で、仕事の内容は違っても、悩み、善、喜びを分かち合うことによって、また、勇気を預けると信じています。
…近頃、子供達が「字を習いたい」「本を読みたい」と訴えて来ます。学校にも行きたい〜(ということで)出来るだけ入学金を手伝うようにしています。公立は無料になるとの事ですが、まだまだです。日本円で一〇〇〇円あれば、一年間の手続が出来ます。ここでは教科書を持っている人は、一クラス一〇〇人に二、三人です。
…大阪教区の西山俊彦神父様が「平和と正義」の意向で、初めての日本人司祭として一週間訪問され、私たちは、チャドで初の日本語ミサに(与ることが出来ました)。(九七・十二・十五)






『荒廃の地に戻って』

〜シェラ・レオーネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
…司教様が「平和になるのを待っていたら、教会は止まってしまい、福音宣教は出来ない。…われわれ宣教師は苦しみも死も共にするのが使命ではないか」と言われ…修道女も皆戻るよう呼び戻されました。…それに応じて私たちも十二月三日、こちらに戻りました。…現在のシエラ・レオーネは、私の二十三年のアフリカ経験のうちでも初めての経験で、天災ではなく人災により、静かに、じわじわと、たくさんの人が殺されています。九六年、軍部がクーデクーを起こし、反乱軍と合同して政権を取りました。国民も国の内外もこれを認めず、外からは経済封鎖、内からは無抵抗の抵抗で九六年五月から無期限ストが続いています。学校も未だに開いておりません。封鎖により物資が入らず、給料がないので人々の生活は日々、苦しくなっています。…栄養失調やマラリアで、あちこちで沢山の死者が出ています。一番辛いのは、飢えた子供達が沢山で、食料も充分手に入らないので、思うように助けることが出来ないのです。
…シュラ・レオーネは緑の国です。植えれば植物は生え、自然資源も豊富な国ですから、この国が飢えることは有り得ないことですが、…内乱で土地は荒れ果て、反乱兵士の悪業の連続に人々は恐れ、小さい荷物を頭に乗せて逃げ回る。悲しいこんな生活が続いているわけです。…私達も唯一の交通機関、革もガソリンがないため動けません。歩いて事を足してはいますが、ルンサは地方の小さな町ですので、すべてが足りません。…先生の給料も、やっと十月までは支払われましたが、この給料を取りに行くには車が必要です。ガソリンがないので、お金も取りに行けないのが現実です。すべてが麻痺しておりますので、本当に、じわじわと拷問にあっているようです。
…頂きました支援金がどれ程人々を助けましたか分りません。ルンサ全域の教職員、教会職員を助けてあげることが出来ました。






『日本大使が現地視察で来訪』

〜ブルキナ・ファソ〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 黒田小夜子
…私はブルキナ・ファソに帰って一カ月目に大型のマラリアで再適応しました。仕事の方では、助からない貧しい人々の命が救われています。
 十二月二十日、アビジャン駐在の日本大使が、センター新築資金援助の目的で視察においで下さいました。農園、センター新築用地、現在の仮センターを御案内したあと、修道院でこの事業の運営委員会、コミノテのシスターと共に、和やかな夕食の一時を過ごしました。カトリック協議会からの援助金で、すでに中古車を買い、農場への往き来に活躍中です。今年はトウモロコシの収穫でした。






『アジア』







『四年目で、小さなショールーム開店』

〜タイ〜
聖パウロ女子修道会 阿部羊子
…私はタイ国に来て四年、四回目のクリスマスを迎えました。
 常夏の太陽にこんがりと日焼けして、心身ともに元気にしております。…今年は住居も落ち着き、コミックス、”BEN-HUR””QUO VADIS”とヤコボ・アルベリオネ(マスメディアの宣教者)の伝記を出版、玄関の駐車場用のポーチをアレンジして、小さいながらショールームという名目で書店も開店しました。祝福式に沢山の方が来て下さり、喜びを共にすることが出来、嬉しかったです。タイ社会には、日本からの影響が蔓延しています。とくに子供と若者に日本のコミックスは大変に人気があります。海賊版が大半でしたが、今は著作権を得て出版しているものも多くなっています。残念なことに、暴力、セックスものや、現実逃避の夢、空想物語、礼儀、尊敬を欠くものなどが多く、タイの心ある人たちが心悩めています。どんどん入って来て子供たちに影響しています。…タイ語の方はまだ悪戦苦闘していますが、徐々に習得していくことにして、これからはタイの人々の協力に大いに期待し、喜んで献身していきたいと思います。
 タイ国の女子パウロ会は、今、まだべトレヘム生活ですが、皆に暖かく見守られているのを感じます。






『引越すまで、井戸は閉鎖』

〜フィリピン〜
御受難修道女会 松田翠
…今日(一月二十六日)は石油、ガソリン類の値下げ反対のストライキで交通機関がストップ、学校もオフィスもお休み状態。…十一月に山口神父様がこの修院のすぐ近くのホテルでカリタスの会議をもっていらしたことを知り、お目にかかったことがなかったのですが、お電話したら、とても喜んで下さり、すぐ会いに来て下さいました。…ご滞在があと二、三日という時でしたが、ごミサと夕食にお友達とご一緒に来て頂き、シスター達と一緒に日本語での話がはずんで、楽しい一時を過させて頂きました。…ご援助頂いている、深井戸工事の現場にも、ご一緒して頂きました。深井戸は一五〇メートルまでの井戸掘りに成功し、暫らくの間、近所の人々に朝夕と水を配分して喜んでもらうことが出来ましたが、今のところ管理人が雇えませんので、私共が引越しするまで井戸を閉鎖するのが一番ということに決定し、空き口を熔接し安全な状態にしておきました。一日に三百個の容れ物に水を一杯にする程に美しい冷たい軟水が湧き出ていました。(一個の容器は一ガロン(約四リットル)ですから、一二〇〇リットルの水の恩恵に人々が浴したことになります)
 パイプなども値段が上ったり、いろいろ問題もありましたが結局、三九〇、000ペソに落着きました(日本円で約二〇〇万円)。
 タンクその他の必要品などは、新しい修道院を建てる時に設置することになると思います。






『ラフレーシィアの花が咲いた』

〜インドネシア〜
聖母カテキスタ会 千葉礼子
…インドネシアでは(一九九七年)九月半ばから二カ月余り、あちこちの島々の山が大火に見舞われ、煙は隣国マレーシア、シンガポールまでもなびき苦情が来ました。そのためか飛行機事故、船の事故と相次ぎ、続いてインドネシアのルピアの著しい低下による十六の銀行の営業停止令が出るなど、人心の動揺は尚続いております。
 イリヤンジャヤの山岳地帯に住んでいる人々は、山火事で主生産物のトウモロコシが全焼、住家を失った上に、飢えとマラリア病で約五百人が死亡と惨事が続きました。…以上のような世の騒々しさをよそに、インドネシアでも珍しいと言われる「ラフレーシィア」の花が咲いたという報道をたよりに、私も見に行って来ました。
 花の高さは一メートル余り、直径約七十センチ、足もとが滑って登りにくい急斜面の密林に咲いていました。下から見ると、ちょうどルルドの洞窟に大きなローソクが灯っているようで、神秘的な気品が漂っていました。この花は、幹から一メートル半ぐらい離れた根先から生えていると思われました。花の見頃は一週間位とか、タイミング良く見ることが出来ました。