「海外宣教者を支援する会」会員 諏訪なほみ
「きずな」に寄せられる世界各地からのお便りを読み、帰国中の神父様やシスターの報告を聞いていると、この地球上には同じ国名を持つ、もっ一つの世界地図があるような気がしてしまいます。国連をはじめ国際機関に加盟し、オリンピックや国際スポーツ大会に選手を据置したりして、国際舞台に登場する時の国名と、幾重にも重なった困難を抱えている第三世界としての顔……、同じ国とは思えないはど大音なギャップを感じてしまいます。
かつて、日本でも電車やバスを乗り継いでも一日ではいけない場所、電気や電話の無いところがたくさんありました。日本は国土の狭さも幸いしてか、高速道路が開通し、新幹線も整備され、いまではほとんどの地区でその気になれば都市と同じような恩恵を受けることができるようになってきました。そんな日本にいて、はるか彼方の出来事ではすまされない多くのことを、各国からの「エアメール」は伝えてくれています。
水不足も、インフレも、政情不安も、経済被綻も、部族間の対立も、どれを取ってもいまの日本、日太人には想像を超えることであり、耐えがたいことばかりです。何日も、何時間も時には道が洪水でなくなってしまったりしているところを、自分の足で歩かなくてはどこにも行かれないところ、伝染病も流行しているところ、食料も木足しているところ、治安のよくないところ、どこでも宣教活動は続きます。さまざまな困難を越えて、南米やアフリカの、そしてアジアの国々で手作りの宣教活動をしていらっしゃる方々に思いを馳せ、国家体制や経済状態など個人の前に立ちふさがる大きな力にも、耐えられるような強さを持てるよう願っています。
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私はいま、スペシャルオリンピックスという知的発達障害のある人々のスポーツ団体のボランティナをしています本部がワシントンにある国際的な組織です。今頃どんなに医学が進歩したとしても約二%くらいの割で何らかの障害を持った赤ちゃんが生まれること、そしてそれは私たちにやさしさを教えるための神様からのプレゼントであること、だれにでも起こり得ることなどを、この運動に関わるときに知りました。この運動は競技会に出るためだけでなく、障害のある人々が日常的にボランティア(学生や、普通のおじさん、おばさん)と共にいろいろなスポーツのトレーニングをし、勇気と自信を持って社会参加して行くことを目指すもので、地域を巻き込む大きなボランティア活動なのです。スポーツを楽しむだけでなく、純粋な彼等の心の声を聞けるようになり、しつかりした「きずな」が結ばれ、私からもメッセージを伝えることができたらうれしいと思います。いつの日かキリストのメッセージを……。
「会」の第六三回役員会が、一九九七年(平成九年)十二月十五日(日)午後六時から、東京・四谷の上智大学SJハウス会議室で開かれ、次の案件を審議、決定した。
- 「きずな」第六一号について
・この度、本会の創始者で、常に会の活動を指導して頂いた梶川宏神父が帰天された。海外で働く宣教者を物心両面で応援していくこの活動を今後も継続させ、神父様の心に応えるために追悼文を載せたことが、編集者から報告された。
・紙面の体裁を横組みに変更するかどうか、構組のサンプルをもとに意見を交換したが、結論は出ず、今後も検討していくことになった。
- 「きずな」第六二号について・巻頭言は諏訪なおみさんに依頼・原稿〆切は九八年二月十日、発行日は三月一日、発送作業は三月四日(水)の予定
- 援助審議
・ボリビア・サンフアン教会信徒会長足立鶴成氏、礼拝会のシスター川俣より、移住地の教会の老朽化で建替え中だが、その設備の一部として一〇〇万円の要請があり、現地の必要性を検討し全額援助を決定。
・ペルーで働く大橋美智子さんより、宗教々育に使う、日本二六聖人についての教材用に五万円の要請があり、これを了承した。
- その他・会議後、一九九七年度活動の総括、新年度の活動方針などについて話合った。
・次回役員会は、一九九八年三月十六日(月)午後六時から四谷・SJハウスで開催(予定)。
マリアの御心会のSr野間順子さんから、梶川神父様の御帰天を聞きました。ブルキナ・ファソに帰る時点で、非常に危険な状況とは察しておりましたが、いざ御死去とお聞きして、まだまだ生きていて欲しかった。いつも楽天的でにこにこして、何でも聞いて下さるやさしい方だったのに…。神父様の御病気と御人生を想い起せば、神様の御計画は完成に至り、召される時だったのだと、畏敬の念に襲われます。
(ブルキナ・ファソ・マリアの宣教者フランシスコ修道会・黒田小夜子)
梶川神父様の御帰天のお知らせを本当に悲しく思います。一時帰国の際には、いつも暖かく、朗らかに励まして頂いていました。 今は天国から見守り、取り次いで下さることを確信しています。
(フィリピン・聖心侍女修道会・千葉桂子)
十二月一日付機関誌”きずな“の御恵送によって知りましたが、梶川宏神父様が大変な闘病の末…帰天されましたことを知り驚きました。玄に謹んで哀悼の意を表し、御冥福をお祈り申し上げます。
(埼玉県上福岡市・杉岡三千雄)
…梶川神父様のカード、どうも有難うございました。…梶川神父様がご帰天されたという悲しいお知らせを頂いた時、移住協議会の部屋で、心のこもった励ましのお言葉を送って下さった、あの時の優しいお父さんのようなお顔を思い出しておりました。今度、日本に帰る時は、もう居らっしゃらないのですネ、本当に淋しいです。
(ボリビア・礼拝会 川俣恭子)
謹んで梶川神父様へのお悔みをインドネシアから申し上げます。 私よりもお若いのに、もったいない方を失ってしまったという実感です。まだまだご活躍を期待していたのに…それに、何時かは、きっとインドネシアにも御訪問頂けるかと思っておりました。 「きずな」の発足以前からも、個人的に御援助を頂いたことがありましたのに…ほとんど二十年近くも、梶川神父様、海外移住協議会から毎年、御援助を頂いておりました。…もう、書けなくなりました。こんどは、天国から祈りをもって大きな力でお助け下さるでしょう。
(インドネシア・聖母カテキスタ会・浜谷真佐美)
十一月九日付のカトリック新聞で、梶川神父様の御死去を知り、何度も新聞を読み返し、本当に神父様が亡くなられたのかしらと、疑ってしまいました。神父様のご冥福を心からお祈り申し上げます。 神父様の海外宣教者に対する暖かい心遣いと励ましの言葉を、私は決して忘れません。神父様の深い愛徳と信仰に倣って、宣教者としての使命を新たに問い直していきます。私は九月より新しいミッション、国営の診療所でナースとして働き、土、日曜はイエズス会の「黙想の家」で黙想指導をしています。
(ブルキナ・ファソ・マリアの御心会・野間順子)
…カトリック新聞で、梶川神父様のお亡くなりになったことを知り(ました。)…私も長いことお目にかかっていなかったので、私の思い出は、あの元気な朗らかな笑顔です。天から私たちのために、助けて下さることでしょう。
(ブラジル・聖心侍女修道会・日高和子)
梶川神父様が御掃天なさいました由、御冥福をお祈り申し上げております。最初の渡伯の時から随分、お世話になりました。
(ブラジル・愛徳カルメル修道女会・大西綾子)
…カトリック新聞で梶川神父様の御帰天を知り吃驚いたしました。 …移住協議会の皆様も、さぞショックだったでしょう。余りにも早く逝かれてしまい、心から、共に別れの悲しみをお捧げします。
(ブラジル・愛徳カルメル修道女会・高澄子)
…先日、コロニア・イグアズのシスター方から連絡があり梶川神父様がお亡くなりになったことを承わりました。以前から体調を崩されていらっしゃることは伺っておりましたが、まだ六十代で帰天され、借しうございます。十一月一日、こちらの神父様にお願いして、ごミサをたてて頂きました。移住協議会が、まだ四谷・六番町にあった頃、度々伺って大変お世話になりましたが…今はなつかしい想い出となりました。
(パラグアイ・聖霊奉侍布教修道女会・林静子)
…梶川神父様の計報をカトリック新聞で読んで、信じられない程驚きました。彼は私が渡独する前から、海員(船員)宣教等で、Stella Marisの集会で話し合う機会に恵まれ、また、一時帰国後、再渡独の時も、いろいろお世話になりました。今後は、ただただ、彼の冥福を祈るばかりです。
(ドイツ・広島教区・藤沢治明神父)
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