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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アフリカ』

コート・ジュボアール alt="コンゴ共和国" href="61_2.html#平和の兆(きざし)はあるが…"> マダガスカル





『社会教育学級・初の卒業生たち』

〜コート・ジュボアール〜
クリスト・ロア宣教修道女会 勝一美
…沢山の皆様の祈りと励ましに支えられて「ズグブ社会教育学級」の最初の卒業生を送り出すことが出来ました。
一九九六年〜九七年の活動報告書をお送りいたします。
 今年度、八十五名の生徒を受け入れました。昨年は小学校低学年が全体の十三%居ましたが、今年は一名だけで、中学校年齢の生徒が五〇%近かったのに比べ、今年は一〇%を割りました。その代わり、十九歳以上の生徒は二倍に増え、生徒の年齢が進んだことのほかに、地域の人々のセンターに対するイメージが、学校から、婦女子のための教育の場に変わって来ているように思います。
 過去三年間で、延べ二一三名の申込みがありましたが、三年間続けた生徒は十七名です。年齢や出席日数、とくに識字クラスの理解度で、十一名が留年(?)、六名だけが三年間の養成プログラムを終了し、六名のうち一名が、来年度一年間の実習生として、センターに残ることになっています。昨年一年間通った六六名中、四七名が続けて申し込み、そのうち三年目は一八名、二年目は二九名です。破棄者一八名のうち一三名は、二年目の識字クラスの生徒達で、クリスマス休暇の後、次々と辞めていきました。学校の集団生活に慣れていないことと、識字よりも「手に職を」という思いが強く、センターが、そのニーズに答えていないことが理由として考えられます。…一月と三月に、近くの村を訪ね、センターで学んだ知識と技術を分かち合いました。二カ所で二百名近くの村人が集まり、センターの目的と活動に関心を持ってくれました。保健衛生の公開授業では、たくさんの質問があり、生徒達も精一杯に答えてくれました。また、裁縫のデモンストレーションでは、その場でモデルを選び、サイズを計り、型紙を作り、裁断し、仕立て上げ、拍手喝采を浴びました。
 私にとりまして、二十一世紀のアフリカを担う子供達の母親となるセンターの生徒たちの同伴者という使徒職は、何か、神様から、特別な贈り物を頂いた気がしています。
(九七・九)






『平和の兆(きざし)はあるが…』

〜コンゴ〜
聖心会 嶋本操
…三月末に一時帰国するよう、外務省の方々のおすすめ…を頂いてしばらく日本に帰り…また、こちらに戻って参りました。
…さて、こちらは、内戦の集結にともなって、次第に平和の雰囲気が感じられるようになりました。兵士たちに脅かされる恐怖も収まり、政府も出来るだけコミュニケーションを保つよう努力しておられるようです。一般の人々の生活に、別に変化もなく、貧しさに苦しむ人々の姿は、まだまだ、目に痛いものがあります。
 隣りのブラザビルでの戦争は、最近、国の地方部にも拡大しているとのこと残念です。現政権を支持する国と旧政権を支持するグループや国が、それぞれ援助しているという現実に、皆で頑を痛めております。時々、こちらに飛んで来る砲弾に悩んでいます。
 アフリカに真の平和が来るのは、なかなか時間がかかることと、しみじみ思います。
 苦しい中でも礼儀を失わず、声を出して挨拶しながら握手する子供たちの目の輝きに、主の御心の素晴らしさを見る日々です。
 ミサに行くとき、乾期ですっかり茶色になった地を歩きますと、前方に朝の月が赤色に大きく空をかざっているのを見ます時、日本の皆様、教会のことを想わずにはおられません。






『五年ぶり、日本に帰って』

〜マダガスカル〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 平間理子
…さて、私が(日本から)こちらに帰って来たのは五月十六日です。
昨年十二月初めに出発を予定していましたら、十一月末(二十八日)に札幌の路上で転び、肩の骨(上腕骨々頭)の複雑骨折で、天使病院に入院、手術をし、その後リハビリをして、やっとよくなりましたが、八カ月も日本に居ました。(日本に帰ったのは)五年振りとは云え、テンポの早さに落ちこぼれ、四つ角ごとにある信号は、いつ渡っていいのやら、信号のない国に長く居ると、車の間をスルスル渡るのには慣れても、信号どうりに道を横切るのには、少々、抵抗がありました。…こちらの政情は不気味なほど静かです。こちらの日本大使が「この国は、何が起こってもおかしくない」と言っていましたが、あまり人の命にかかわることだけは起こって欲しくないと祈っています。これからは、緑が美しく、いろいろの花が咲き乱れます。
(九七・八・八)






『若さ溢れる教会』

マリアの宣教者フランシスコ修道会 牧野幸江
…南半球のマダガスカルは、冬、とくにアンチラベは、高地(一、五〇〇m)にありますので、朝夕は寒く、温度差が大きいので(日中は二五度C、朝四度C)風邪が大流行、ジスパンセールは風邪薬を求める人が多くて大変な、今日此頃です。
 沢山の日本人の宣教者の方々が、全世界に散らばっておられるのを見て素晴らしいと思いますが、召命の少ない日本の教会のために毎日祈っております。マダガスカルには多くの召命があり、若い人達が働いておりますが、その養成のために長い時間がかかることが、問題と云えば問題なのでしょうが、教会は若さで溢れています。
 のんびりとした時の流れの国ですから、慣れると、さほど長く思わないのが不思議で、(私も)マダガスカル化して来ているようです。






『南米』

パラグアイ ペルー ブラジル





『盛大に、ピラポ幼稚園三十周年記念行事』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 伊藤伎余子
…八月十七日、お蔭様で、ピラポ聖霊幼稚園三十周年の記念事業は、全て、無事に終了致しました。
 当日は、朝七時三十分より感謝の集い(ごミサ)が、ピラポカトリック教会にて、神言会管区長品田神父様の司式で行われました。
 全園児四十五名と、日本人会会長様はじめ、エルマーナ方、父兄代表、先生方、信者の方々も多数参加して、荘厳に捧げられました。その後、日本人会サロンで記念式典が挙行され、創立者シスター・ジェンマに、三十周年実行委員長・永見三義様より感謝状が贈られ、代理として、聖霊奉侍布教修道女会管区長エルマーナ・オブドリアが、お受けになられました。
 十時三十分から大運動会が開かれ、広い運動場で競技が繰り広げられました。十二時からの祝賀会は、ピラポ日本人会婦人会長はじめ、多数の婦人方の、腕を振るった立派な手料理、立派な食卓が整えられ、大変、穏かな雰囲気でした。午後三時には運動会も終了、子供達には、立派なお祝いの品が渡され、大喜びでした。
 このようにして、園児登園送迎バス購入の件がきっかけとなって、その資金を、寄付などにより調達する。そのため、「三十周年の記念を行いましょう」ということになり、多数の方々のご援助、ご協力によって実現することが出来たのは、夢のようです。








『おしゃれをして、サナトリオに…』

聖霊奉侍布教修道女会 上杉もと
…こちらは、相変らず、ゆったりと時が流れておりますが、この度は聖霊幼稚園三十周年に当り、記念式典の中に巻き込まれ、…二カ月が夢のように過ぎてしまいました。…こちらに帰りまして(六月十一日)、頂いた貴い援助金は、皆様のお心に適うよう大切に使わせて頂きたいと願い、とりあえず、点眼薬を求めました。今期から、インディオとか貧しい地区に私共が行かないで、人々をサナトリオに連れて来るシステムに変りました。ピラポの市長さんが岩手県出身ですので、県から救急車が寄付されましたので、その救急車で貧しい人々を運んでくれるのです。患者さん達も救急車に乗れ、診察はしてもらい、薬は無料なので、とても満足ですし、私共も、わざわざ遠くまで行かなくてもよくなりましたので楽になりました。
 それに眼科では検査が十分に出来ますし、手術の必要な人は、市長さんにお願いし、出来る範囲で点眼薬をあげたり、古眼鏡をあげたりしています。ところで、彼らの地区に行っていた時は、(人々は)貧しい家とか服装とかそのままでしたが、市の中心部にあるサナトリオに救急車で来ることになりましたので、彼らは…精一杯のおしゃれをして、洋服も最良(借着?)のもの靴もちゃんと穿いて来る、そんな雰囲気になり、…少々、戸惑っています。






『日系人は母語が苦手?』

コングレガシオン・ド・ノートルダム 渡辺素子
…ここパラグアイは、昨年同様、不順な天候です。「夏」に入っていながら、まだ冬服、寒い朝晩が続き、その上、小麦の刈入れ時なのに雨の日が多く、日系人の方々は、三年連続の小麦の不作…に困惑しています。もう、第一線を引退して敬老会のメンバーになっている一世、入植時の苦労を子供として共にされた二世(現在の家長)の方々が、弱音も吐かずに頑張っている姿勢には、頭が下がります。去る八月十七日には、シスター伊藤の聖霊幼稚園が創立三十周年をお祝いしました。…創立当初からの卒園生が七百名余りになります。この中で、いろいろな事情からピラポを離れ、日本に出稼ぎに行っている人の多いのには驚きました。約半数の人々なのだそうです。日本語を中三まで(日本と同じ教科書で)日本語学校で習得しておりますから、パラグアイからの出稼ぎ者は、言葉に不自由しないこともあって、きつい仕事のようですが、何とか働き口があるのだそうです。日本語には不自由しない日系人たちですが、母語のスペイン語では、皆、四苦八苦しています。西語学校での日系人の(学力)程度が大変低く、大きな課題の一つになっています。
 パラグアイ人が九〇点とるテストで、日本人の平均は三七点とか…家庭では日本語が常用語ということも(原因の一つとして)あるでしょう。






『トラックに枢を載せて』

聖霊奉侍布教修道女会 林静子
…三年前に、皆様の援助で購入することの出来た軽トラックも、この田舎のコロニアで大変役に立っております。昨日も、ちょうど主任司祭が不在で、お葬式がありましたが、このトラックの上に枢を載せて、お墓まで運びました。貧しいおばあさんのお葬式で、町で立派なお棺を買うことが出来ず、日本人の農家から製材した板を分けてもらって、このトラックで運び、大工(仕事)の出来る人が手伝って木の箱を作り、白い布で覆い、蓋の上に黒布で十字架を張りました。この国は土葬ですが、お墓も近所の人々が掘りました。
 小さな子供達が多勢、一人々々花束を持って来てお墓の上に置きました。お花も自分の家の庭の草花です。手造りのお葬式ですが、人間味があって給麓でした。日曜日のごミサの時に、神父様がこのカタリナおばさんの追悼式をして下さいました。
…今、コロニアの中も、幹線がアスファルトになり、雨が降っても、エンカルナシオンの町まで(五十二キロ)心配なく運転して行けるようになり助かります。また、電話も自動電話が開通し、連絡がとりやすくなりました。…電化が進み、道路も改善され、だんだん進歩していますが、その反面、犯罪は増えています。
 カトリック国といっても、やはり教育の不足で、刑務所は若者で一杯です。若い人に適当な仕事がないということも、犯罪の一原因かもしれません。”メルコスール“という経済機構が四年程前から出来ました。アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、パラグアイが、これに参加していますが、パラグアイのような小国は、アルゼンチンやブラジルという大国に押されて、ますます貧しく、小さくなっている感じが致します。






『”テロ″事件で、新聞記者に人質』

〜ペルー〜
フランシスコ会 加藤マヌエル神父
…今年は、日本大使公邸の占拠問題から始まって大変でした。
 私は五分前に公邸から出ましたので、テロリストの人質にはなりませんでしたが、その後、日本から百人以上の記者が来て…毎日のように教会を訪ね、文字どおり、彼らの人質になってしまいました。
…フジモリ大統領は、毎日のように、あちらこちらを飛び回って、ペルーの再建のために頑張っています。…ペルーの経済は徐々に良くなっています。しかし、貧しい所までは、残念ながら届いていません。最近、テロ問題は解決しましたが、大変なのは、コソ泥や通りがけの誘拐事件が頻繁に起こっています。
 エンマヌエルホームは…平和の中に運営されています。子供達も元気に毎日学校に通っています。…(ホームで)私は、一歳児か二歳の子供も受け入れています。幸いに十二歳以上の女の子が十人居ますので、学校から帰ると、この子達が世話しています。これは、この子供達の近い将来への準備となり、一種の実地教育になっています。…リマでは、性の氾濫で、思春期に入った子供達、とくに、ホームでは、女の子が関心を持ち始めたので、二年前から十二歳から、男子と女子を別々に育てるために、ある土地を、このホームの属する区役所から無料で提供してもらいました。しかし、この土地に三十家族が不法侵入してしまい、(今)出てもらうために、法的に交渉中です。






『トラックは、人も満載?』

ショファイユの幼きイエズス修道会 松本公子
…昨年頂いた御援助のおかげで、ペルーのショファイユの幼きイエズス修道会のシスターが働いているオコンガテ村で、一台の小型トラックを購入することが出来ました。沢山の人を荷台に乗せて(日本では想像もつきません)、必要な荷物を積んで、シスター達は、山村から山村へと出かけ、時には、そこで二〜三泊して、オコンガテに帰って来ます。
 シスター遠から、くれぐれも、皆様によろしくとのことです。
 カトリック国でない日本の皆さんが、寛大に協力して下さることの重みを感じ、皆で、神様に感謝しています。

新しい車で旅するオコンガテの若者たち
新しい車で旅するオコンガテの若者たち






『中村長八師の列福調査、正式ルートに』

〜ブラジル〜
マリア会 長谷川一郎神父
…今日は、中村長八神父列福調査のための準備会の吉報をお知らせいたします。昨年の九月四日に、一年を期間に発足した準備会は、多くの方々の協力のおかげで、必要な書類を期限までに整えることが出来ました。しかし、受け取り側のブラジル司教団(CNBB)との連絡がうまくとれず困っておりました。幸いリンス教区の近藤神父様が神学校時代からの友であり、中村神父をご存知のポッカツの引退大司教ジオニ師の取り次ぎをして下さいました。それで十一月三日にマリリアで行われたポッカツ管区の司教会議に呼ばれ、関係者も出席して、経過を説明しました。その結果、現役のアントニオ大司教をはじめ、全司教の支持を受けることが出来ました。
 いよいよ、正式のルートに乗ることになります。…皆様方の支持とお祈りをお願い致します。
(九七・十一・四)






『進展する宣教司牧』

愛徳カルメル修道女会 高澄子
 ……私が一九六五年二月九日にサントス港に上陸してから、もう三十二年七カ月も経ってしまいました。故木村義己神父様が、教会のいろいろな行事を手伝うために、「聖母婦人会」を創立されてから今年は三十周年になります。田中亮神父様が、皆様のご協力で創立された聖フランシスコ・ザベオリ教会は、始めからブラジル人、日系人が共に歩んで来ましたが、だんだん成長、発展して、今は八つのコムニダデがあり、日系のコムニダデには、現在、五つのがあり、毎週または十五日毎に集まり、聖書の集いをしております。……マリンガには、他に、いろいろな宗教団体、日本人会館の行事が毎週あって、宣教司牧は少しつつ、ゆっくり進んでいます。
 モンセニョール木村保育園の子供たちも、毎年百十名づつ元気に成長しています。
(一九九七・八・八)

マリンガ1996年12月「モンセニョール保育園」のクリスマス会
マリンガ1996年12月「モンセニョール保育園」のクリスマス会






『大洋州』







『力出て来た教会活動』

〜ミクロネシア〜
援助マリア修道会 赤岩恵子
 先日は、カテケジス・ポンペイ再発行のためのご援助を有り難うございました。……アメリカとの自由協定が、二〇〇一年に切れるにあたり、援助金が削られ、自分たちの手で国、教会の運営をしなければなりません。今まで、何の心配もなく暮らしていたのに、突然、自分たちの手で……というのは、とても、難しいものです。
 しかし、目覚めた人達は、自分たちの手でやろうという意欲があります。
 私は、五年前から、ポンペイ全体の子供の要理促進のための助手をしています。……年に一度は二日〜三日のワークショップを計画し、各教会(十ケ所)へ出かけます。教理を深めること、新しい教え方、材料等を提供する機会になります。……百人を越す初告解、初聖体、五百人を超す子供のミサ、また、今まで、うまくいっていなかった教会では、新たにリーダーを募集し、彼らのための初心者用の研修会を申し込んで来ています。リーダーは、十八歳〜七十歳と、年齢に幅がありますが、殆どが二十代〜五十代、男性もかなりの数を占めています。……教会活動は、燃えたり、下火になったりの繰り返しですが、全体的に根を張り、力が出てきている感じがします。十年以上も前から、教会が二〇〇一年に向けて、ミクロネシア人の手によるミクロネシア人の教会のため、努力を続けて来た成果だと思います。
(一九九七・九・一)






『アジア』







『夏が過ぎ、「砂糖の島」は、「死の季節」』

〜フィリピン〜
善きサマリア人修道会 景山ひろ
…常夏の国の真夏…も過ぎ、ようやく涼風を感じる…と同時に、「砂糖の島」ネグロス島では、労働者にとっては、「死の季節」が訪れます。それは、砂糖キビの刈取り、積込み、植え付けがすむと、人口の七十%を占める砂糖労働者は仕事が全くなくなり、わずかな収入すら得られない一番苦しい時期なのです。これは、何世紀も続く大地主の専横で、有り余る土地を、砂糖キビ以外の何ものにも使用することを厳禁、労働者の権利を剥奪しているのです。
 私たちの目にとまるニュースでは、一九九六年度第一四半期のフィリピンの経済成長率、GNPの向上や雇用率のアップ等も上、中層階級に止まり、最も必要度のある底辺部の人々には、全く影響がないのです。「過去六カ月の物価上昇率は、二ケタ台ですから、彼らの貧困は、前よりずっと悪化しています」と、長年、貧しい人々と共にフィリピンに居られる一宣教師の最近の声です。
 このような状況の中で、皆様のご好意によるバコロド基金は、どんなに大きな活力と希望を与えているでしょうか。
 去る三月には、昨年に引き続き、二十名の奨学生が晴れの高校卒業式を迎えました。また、四月から、以前、国内難民の仮居住地であったマナプラから、さらに、トライシクルとカラパオ(水牛)で行き着く遠隔地で、九六年度の給食プログラムが始まりました。
 そして、六月から、山岳地域に、人や生活必需品の運搬に小型トラックが走るようになったことなどです。六月の新学期には新たに奨学生を迎えました。






『二周年を迎えた聖母の村″』

〜大韓民国〜
汚れなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会 飯田栄子
…韓国・聖母の村重症障害者養護施設が一九九五年に開園して、今年六月十日で二周年を迎え、三年目に入りました。
 今世紀前半の、日本帝国主義時代の傷痕が未だ深い韓国の地で、開園と同時に、民族的な痛みを受けましたが、皆様のお祈りや励ましに支えられて、平和を取り戻しています。
…さて、韓国における私ども修道会日本人会員は、施設に三名、ハングル語勉強中の二名がソウルに居ります。
 ただ今、施設の園児、園生は七十一名で、今年度中八十名収容予定です。…直接的な宣教面から申しますと、一九九五年開園の年、十二月に園生十一名が受洗し、翌九六年暮、二十名の受洗と二名の初聖体がありました。今年五月二十九日、大田教区長、そして、この社会福祉法人「聖母の村」の理事長でもあられる景ヨゼフ主教様の司式によって、四十二名の園児、園生、四名の職員の堅信式が、執り行われました。
 韓国・忠清南道の田園も、そろそろ実りの秋となり、近くの鶏龍山国立公園も色づいて来るこの辺りは、古代王国百済(くだら)の地として知られています。昔、日本の大和朝廷は、百済とは深い友好関係に結ばれ、新羅と戦う百済に援軍を送り、六六〇年に敗北すると、王族をはじめ、軍人、学者、技術者たち、当時のインテリ層が次々と亡命して来ました。古代日本文化は、この国から多くの恩恵を受けています。私たちの「聖母の村」が、日本と韓国を結ぶ、愛の絆となりますように、神の祝福と共に、皆様のお祈りとご声援をお願いいたします。