『大乗キリスト教』カルメル会 奥村一郎神父
初期仏教の保守的出家主義に対し、衆生済度を説いた進歩派の仏教を、大乗仏教(大きな乗物)と言い、前者を指して「小乗仏教」(小さな乗物)という差別用語が出てきた。 ここでは、そのような暗い面を措(お)くとして、全人類のための福音という無限に広いキリストの愛の秘儀に生きるキリスト教、という意味での「大乗キリスト教」ということである。「大乗的生き方」でもよい。そのことば、原始キリスト教以来、本質的に変わらないことであるし、また、そうあるべきものなのだが、不幸にして人間の罪業のために、キリスト自身が、無残にも引き裂かれる歴史が、教会のなかでもあった。 「皆がひとつになるように」という、間もなく、十字架の死に渡されるキリストの最後の念願は、キリスト教徒自身によって、何度も厳しくされてきた。しかも、キリストの名のもとに。 また、これからも、人間の底深い罪の性のために同じ悲惨は避けられないとすれば、「大乗キリスト教」というのは、叶わない人類の夢かもしれない。しかし、それは、夢だからと言って捨てられない理想であり、また、キリストのうちに、キリストによって、必ず実現する聖父のみ旨であることを信じ、キリストの与えられた新しい掟、「相互愛」を生きることによって、今の救いがあることも確かである。 人種、文化、宗教のあらゆる壁を越えて、全ての人を迎えられたマザー・テレサの「死を待つ家」は、政府から与えられたヒンズー教の神殿であった。また、かつては、日本人が生活の場を求めて移住していった南米からは勿論のこと、他の国からの何十万という外人労働者が、今、日本の隅々に見かけられる。まさに、「行く人、来る人、帰る人」、航空機の急速な発達によって、世界は、一つの広場となりつつある。 「私たちは死んで、私たちの命は、キリストとともに神のうちに隠されている」と聖パウロは言う。 現代キリスト教の宣教とは、宗教の縄張り争いをする、かつての小乗的思考を破り捨て、自らの殻を割って、森も、山も覆わんばかりに鳴く蝉の声のように、地の果てまで、限りない大空の彼方まで響き渡る「愛の讃歌」となることである。 『帰天』前・日本カトリック−移住協議会専務理事 マリア会 梶川宏神父様 『追悼・梶川神父様』「海外宣教者を支援する会」広報担当 八巻信生
衝撃的な梶川神父様の「死」であった。
一九九七年十月三十一日午後十二時三十分、梶川神父様は、ついに昏睡状態から目覚めぬまま帰天された。 梶川神父様は十月十四日、持病の心臓痛を訴え、かかりつけの病院で検診、心電図をとり、直ちに、東京・港区の虎ノ門病院に緊急入院、検査の結果、冠動脈二本が梗塞状態、他の一本の血管も極端に細くなっていることが判明、バイパスを作るため、十五日に手術することになった。手術を待つ間、いつものように冗談などを言う明るさだったが、この時、すでに、師の体内では、血管各部に梗塞が見られ、血管も細くなっていた。手術は約十時間もかかり、集中治療室に戻って来た時は、夜八時半を回っていた。だが、病状は必ずしも好転せず、出血も止らず、昏睡状態だった。それから二週間、意識不明の昏睡状態が続き、十月三十日には、瞳孔の反応もなく、ついに、十月三十一日午後十二時半、心臓が停止した。バイパス手術後の脳梗塞、正式病名は「小脳々管梗塞」であった。 梶川神父様は一九三三年二月九日、中国の現東北地方鞍山で生まれ、一九六一年六月十一日、マリア会司祭として叙階された。 一九七〇年から一九八五年まで、カトリック中央協議会移住協議会の専務理事として活躍され、この間、日本から海外に宣教に赴く宣教者達を支援する「海外宣教者を支援する会」の創始者として、今日の、吾々の「支援する会」の発展の基を作られた。 いつも明るく、冗談ばかり連発して周りの人を笑わせ、人懐つこく温く包み込んでいた梶川神父様だが、その体内に病魔との激しい戦いがあったとは想像だにつかなかった。 十一月二日、三百人以上の人々が参列して行われた梶川神父様の葬儀にあたって、喪主のマリア会富来正博日本管区長が言われたように「梶川神父にとって、死は恐れではなかった。師は休むことを知らず、ただ、彼を必要とする人々のために働いた」のであろう。 梶川師のみ魂安らかならんことを祈り、一人々々が師の遺志を継いで、「海外宣教者を支援する会」の支援活動に邁進することを、お誓いする次第である。 アシジの聖フランシスコカテキスタ宣教在俗修道会会長 前川サワエ
この度、突然の梶川神父様ご帰天の計報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。お知らせを頂きました翌朝、十一月一日にごミサをお捧げして、会員一同、神父様のご冥福をお祈り致しました。
要職にあって、いつもご活躍なさっておいででしたから、皆様にとりましても、どれ程かお力落としの事でございましょう。 どうぞ、一日も早く悲しみから立ち直られまして、尊いお仕事をお続け下さいますようお祈り申し上げております。 同 石原テルエ・高原真知子
十月三十一日午後三時三十分頃、松尾神父様からの連絡により、梶川神父様のご逝去を知りました。ご病気とは何も聞いておりませんでしたので、この急な訃報に驚くと共に、非常に残念に思っております。よくお働きになり、私共も大変お世話になりました。
神様の御旨によって、天に呼ばれてお帰りになった神父様が、安らかに、お憩いになりますよう、一同お祈り申し上げております。 きっと、イエズス様のお側で、終わりなき生命の喜びにひたっておられる事と思い、この地上での働きの終わった神父様に「ご苦労様でした」と申し上げつつ、皆様にお悔やみの言葉を送らせて頂きます。 (以上・在ブラジル)
マリア会 長谷川一郎神父
一年先輩の梶川師の急死は、私にとって大きなショックでした。
それよりも、現在の日本のマリア会にとって、もっとも必要な同僚を失いました。 (在ブラジル)
=追想・梶川神父様= 『援助決定』(1997.9.29決定分)
|