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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『南米』






『ハゼナンバを頬ばる男』

〜ブラジル〜
愛徳カルメル修道女会 大西綾子
 ある日曜日のミサの帰り、一人の中年の男の人が大通りの傍らでハゼナンパの屑をほおばっていました。私は、いそいで、出来るだけ心をこめて、朝食に十分なだけ用意じて、食べて頂くために追いかけて行きました。可哀想に礼を言う力もないほど、弱っているようでした。毎日のように現実を前にして考えさせられ強く回心を迫られる思いがいたします。「これらの最も小さい兄弟にしてくれたことは、私にしてくれたことになる」イエズスさまのおことはが、私の心にかえって参ります。貧しい兄弟たちに奉仕するために召されている私達ですが、時には大きな勇気が必要です。






『ミルクはぜいたく品』

〜ブラジル〜
淳心会 司祭 ゲイトール・マルゴット
 …今度、保育園の子どもたちは、ずっと増えました。勤めに出るお母さんたちを助けるつもりで保育園を作ったのに、雨で出られない時に子どもが多いのです。自分たちの家に食物がないからです。
 私の神父館も行く所がない人で一杯になり、一時的に私の家の人は45人になっていました。子どもたちの中には孤児も居ますし、親に捨てられた子供、また、貧しくて、人が多すぎて、食べるものが足りないから連れて来られた子も居ます。…日本の子供たちには、毎日、ミルク、たまごなどがあるのは、当り前だと思っているでしょう。私たちの家に一才四カ月の赤ちゃんがいます。四カ月前にここに来た時ミ、ルクを飲んだことがありませんでLた。砂糖水で生きていました。皮膚病、肺炎、胃腸炎、腎臓炎などがあって、ぎりぎり生きていました。…このごろ毎日ミルクを買います。ほかの子どもたちも飲みたいですけれど、赤ちゃんのためだけだと分っています。ブラジルの子どもたちの殆どは、ミルクがぜいたく品であって飲めないのは当り前だと思っているようです……。






『日々新しい発見を』

〜ブラジル〜
信徒カテキスタ会 菊地麗子
 ブラジル・ロンドリナ市に来て十七年を迎えようとしています。
 …今、私は、このロンドリナ教区を始め、他の教区の要望に応えて若い女性の信者のリーダー養成に携っています。彼らが自分たちの小教区、職場、家庭などで、どうやって真のキリスト者として生きつつ、すべてを向上させていけるかが問題なのです。
 ……いつもガタガタバスで何時間も、家一軒ない奥地巡りをやっていますが、その度に新しい発見をしています。色々の人種と多くの階層の人間関係の中での、貧しさ、暖かさ、おおらかさ、のんきなこと、何しろテンポとリズムが違うのですから。






『移民、そして修道女として』

〜ブラジル〜
愛徳カルメル修道女会 白浜光恵
 私は日本生れですが12歳の時、農業移民として父母と渡伯して、早や24年が過ぎ去りました。21歳の時、こちらの愛徳カルメル会に入会し、それ以来、ほとんどブラジル人の中での生活です。……76年に帰国し…東京の国立の方に丁度、一年おりまして、最後の誓願をたて、ブラジルに帰って来ました。…去年から、こちらクリチーバの修練院で働いております。明日の修道生活をになう若い志願者たちと共に学び、教会の生きた道具として、キリストさまを証す生活に励む努力をしております。…こちらクリチーバにも、沢山、日系人が住んでいて、去年から、長崎純心会のシスター方が、日語学校、幼稚園を始めています。
月に一度の日語のミサもあります。






『アフリカ』






『暖い人々の心に…』

〜ケニア〜
聖心会 寺田和子
 私はケニアに来て、丁度三年になります。昨年(編集註・一九八二年)‥二年ぶりに日本に帰り‥梶川神父様にもお目にかかりました。…ケニアに帰って以来、ケリチョーというお茶の産地に住んでいます。海抜約二千メートルの所にあり、毎日、午後になると雨が降ります。赤道直下なのですが、ここでは、夜になると温度がぐっと下がり、火をたかなければならない程です。
 私は聖心会のシスターですが、ケニアとウガンダと合わせて、約四十人のシスターが、中、高、教育養成、診療、司牧の仕事に携っています。…私は町にある公立の中、高で英語と宗教を教えています。中高以上の科目は全て英語で教えます。スワヒリ語が一応国語なのですが、部族語が多くあるので、あまり徹底していません。
発展途上の国で、いろいろ問題はありますが」人々は一般に人間味のある暖い心の人々です。同じケニアでも、トルカナ地方のように、干ばつと飢儀で大変な所もあり、ケリチョーのように雨が降り、緑が青々としている所もあって、さまざまです。日本海外協力隊員が百人ほど居て、ケニアのあちこちで活躍しています。






『小学校は50%の低就学率』

〜シエラ・レオネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
 …今日は少し私達の活動についてお話ししましょう。
 朝五時半になりますと、アラーの神に祈る大きな叫び声で、私達は起されてしまいます。朝八時に学校は始まります。ある先生は、毎日、山羊をつれて登校します。…シエラ・レオネの就学率はまだまだ低く、小学校でさえ、50%以下で‥年が進むにつれ、生徒も少なくなっていきます。小学生の半数は、はだしで登校します‥中学部に入ってくる生徒は国民の1-10以下になります。今年は物資不足汲ニ物価上昇で殆どの寄宿舎が閉鎖されたため…カトリックの学校は助けてもらえるよい教育をして頂けるなど多くの理由で生徒は増える一方です。私達は、…今年はノートもテキストも手に入らないので、テキストの多くを印刷し、ノートはワラ半紙を半分に折り、ホチキスで止めて、分けてあげています。授業は二時に終えますが、午後は四時より公教要理、家庭訪問、そして、印刷やノート作りに皆大忙しです。






『因習の中での要理教育の困難』

〜コンゴ〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 高木永子
 コンゴは独立して20年とちょつと。旧仏額でしたが社会主義をとり、ほとんど国有化しています。‥幸い社会主義といっても、教会活動は自由な活動が出来ます。信者が多く、どの教会も満点です。
 …昨年10月より、私も要理教育にたづさわるようになり、その困難さを味わっています。というのも、アフリカには青からの因習があり、カトリックと、それとの受入れをどのようにするかが問題になっているのです…福音の土着化という面で、いま、考えられています。






『物価高、月給は敷布2枚?』

〜ボリビア〜
礼拝会 斉藤クニ子
 私は5年前にこちらに来まして、日本人移住地で働いていますが、日本人的千五百名に対して、日本人に使われているボリビア人約二千五百名位の、小さな村に居ります。…日本からみて、地球の裏側ですので、総てが反対です。考え方も、物の見方も習慣も。その中で父兄は日本人子弟の教育に頭を悩ましております。
この二、三年は雨が多くて米の収穫が非常に悪く、それに加えてドルが上昇して来ましたので、すべて輸入でまかなっているこの国では物価が日増しに上って参ります。数年前までは、1ドルが20ペソでしたのに、最近では八百ペソ、または九百ペソまで上るだろうと予想されています。敷布を2枚買えば月給が飛んで行ってしまうようです。
 ただ、大自然の中で、朝夕の日の出、日の入りの景色、果しない米の畠、自然にできるマンゴーやバナナを見ていますと、すはらしい神様の業に気を奪われてしまいます。






『物価高で出版布教も難航』

〜ボリビア〜
聖パウロ女子修道会 松崎信子
 私も今年一月で、日本を離れて十五年を迎えます。
 日本もこの間にどんなに変っていることでしょう。進歩の見えないこの国でさえも変っていますから…。七年前ごろから人々は少し汲テつ本を手にするようになっておりましたが、何しろ、この二年前からの物価上昇では、出版の布教も、そう易しいものではありません。そんな中でも、皆さまの祈り、はげまし、熱心さに支えられて、がんばっております。






『アジア』






『香木の国での.修道院開き』

〜ネパール・カトマンズ〜
ノートルダム教育修道女会 Sr今村・金谷・河瀬・田中
 ‥ネパールに降り立った私たちは、早速、カトマンズ修道院開設の準備を始めました。まずはともあれ、お借りした家の大掃除です。
 何から何まで磨きあげ。分厚いススに被われていた台所の戸の大地があらわれてくると、今度は必需品の買い出しです。敷物を三人で小脇に抱え、一人がホウキやバケツを下げて町中を練り歩いたのですから、注目の的となったのは当然のことでした。
 前庭には百日草、玉すだれ、ベゴニアなどが咲き、なかなかすてきな修道院です。早速、オープンハウスのお客様を招いて、持参したお茶で、お点前を披露しました。さて、いよいよネパール語の学習です。不慣れな文字と発音、相当数の単語、イデオムの習得を要求されるレッスンがアリのスピードで進められています…新しい単語を覚えるための努力は涙ぐましいものがあります…。
 はじめは、うす気味悪かった野菜類も、思い切って料理してみると大変おいしいものであったことが分り、せっせと頂いています。
 香木や花々の香るここネパール国、深い信仰心の息づくこの国‥この自然に‥人々の中にすでに息づいておいでになる神と、その恵みを証しすることができますように、これからもお祈り下さい。






『タオルの編み賃一枚百円』

〜マニラ〜
援助修道会 勝谷久子
 先日は‥品物を‥むりして売って下さったようで‥ありがとうございました。竹製品、カゴなど‥タオルを作っている方々も日本の方々に使って頂けると心から喜んでおられました。タオルはスラムのお母さん達の手によって作られるものですが、収入のない彼らにとって生活を支える手段です。どこでも同じですが御主人が仕事がなく、七、八人の子どもを育てていくのは大変です。タオル一枚あんで4ペソですから(百円)、たくさん売ることができれば彼らにとって助かります。4ペソでクマゴ小さいのが8個、パイナップル安い時は4ペソで一つ買えます。しかし、どんなに働いても、賃金の安いのには腹が立ちます。…一日も早く正当な労働力の価値を認め、人間を尊重するようになってほしいと望んでいます。





『砂漠に花を咲かせるために』

〜ペルー〜
三位一体聖体宣教修道会 斎藤万里子
 ペルーに来てしみじみ思うのは「神さまの御国」です。日本のように「みどりしたたる」というような、自然に恵まれた国とは異り、ペルーの海岸線は砂漠なのです。山には樹が全然生えていない、砂山ですし、行けども行けども人の住まない砂漠が続きます。そして、たまにオアシスのような村落があるのです。リマ市も砂漠の上に建てられた街で、雨が全然降りませんが、水を毎日まくと樹も生えるし、花も咲くのです。…当座は砂漠の中に立たされたようで、どこから手をつけてよいか分らず、呆然としてしまいましたが…砂漠を眺めて生きているうちに、花を咲かせるために、まず、その前に、沢山のことが必要なことに気がつきました。今は、いつ沢山の花が咲くか分りませんけれど、神さまの光を浴びて、目を天に向けて、コツコツと働いて居ります。






『黄ばんだ白い制服』

〜インドネシア・メダン市〜
聖母カテキスタ会 干葉礼子
 私たちは、インドネシアに来て、もうすぐ6年になります。
 私のいまの仕事は約四百人の生徒のいる小学校の責任をまかされています。この学校はカトリック経営ですが、主に市内の貧しい家庭の生徒が多いです。
 人種もバタック族(この中にも2種族)、中国系、インド系、その他といろいろです。貧しい故に、月謝の納入時期に納められない生徒は約半数です。白の制服も黄ばんで、破れかかっている生徒が大勢居ます。胸章さえも買うお金がない現実に、胸が熱くなる思いも、どうしたものかと戸惑うこと、しばしばです。
 しかし、子供たちの純真な笑顔は世界共通だなあと思います。






『コプラ袋とやせた老人』

〜サイパン〜
ベリス・メルセス宣教修道女会 清水靖子
 …私の脳裏に今も焼きついて離れないのは、トラック島の離島で見た朝の風景やせた老人がコプラを詰めた重い袋を肩にかついでよろよろと山道を下っていた姿です。…コプラは、まぎれもなく高級石鹸、化粧品の原料として日表の商社に買われ、日本の船で日本まで運はれるのです掛一袋の値段は生産者からの買取りが川ドル 〜7ドルにしか過ぎません。中継ぎの会社がコミッションを、日本商社は大儲けをする仕組みになっていて、あの老人が実際に受け取るのは8ドルから5ドル(千九百円〜千二百円)で、これが一週間汗水流して働いた結果の収入なのです。「医者にみて貰いたくても金がない。娘を学校に入れたくても不可能だ」これが、その離島の村の現実でした。もし日本の‥消費者グループ、市民グループによってふさわしい値段でコプラを買いつけられるようなシステムが考えられるならば、それはミクロネシアの経済の自立のためにも‥一役買うことになると思うのですが、そのような方法はないものでしょうか‥今、トラック島ではココナツ・オイルを製造するコプラ工場を計画中と聞きます。ポラペ島の農業高校では…小規模ながら、コプラから、オイル、石鹸等を生産販売しています。こうしたプログラムがあの離島の老人の収入増につながりミクロネシア連邦自身の経済的自立につながる方向に発展していくために、日本の市民レベルでの何らかの協力が考えられないものでしょうか。






『北米』






『転換迫られる日系教会』

〜カナダ〜
クリスト・ロア宣教修道女会 佐野好子
 森と湖にめぐまれ、本当に親切な人々に囲まれての当地の生活は、「海外宣教女」のイメージからは遠いものですが、それでも、一世の問題、何らかの転換を迫られている日系人カトリック教会をその他に働き手を必要としています。皆さまのお祈りの支えもー。