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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES






『日本はなお初代教会』

東京大司教 白柳誠一



 「きずな」第六号発刊にあたり、一言ご挨拶申し上げます。
 海外宣教者を支援する会が発足し、早くも、一年半が過ぎました。
 会員の方々のお祈りとご援助は、宣教者にとって、本当に大きな力となると思います。
 主イエズスは、この世を去るに当って、「全世界に行き、すべての者に福音を宣べ伝えなさい」(マルコ・16・15)と言い残されました。教会は、このお言葉を実践しているわけであり、宣教こそは、教会の重大な使命であるといわなければなりません。
 日本の教会は、世界的視野に立つ時、まだ、若い教会でありましょう。キリスト教の渡来以来四百年を数えるとはいえ、実際にキリスト教が自由を得た時から考えれは、まだ、初代教会であるといわなければならないと思います。
 この若い教会は、やはり、成熟しなければなりません。そして、成熟ということの中には、他国への宣教ということも含まれています。
 初代教会というべき日本が、どうして他国への宣教を考えるのかと、疑問を持たれる方があるかもしれません。しかし、主のみ言葉を実践し、日本よりも、もっと条件の悪い国で働くということは、とりもなおさず、日本の教会自身のためになることであって、私たちにとっては、むしろ、受ける事が大きいのだといわなければなりません。
 自分たちの共同体から送り出した宣教師と、その宣教地の小教区や教会とつながりを持つことも、きわめて有益なことでありましょう。
 共同体同士の交わりが目に見えるものとなり、相互に助け合い、感化し合うとするならば、これもまた、お互いの共同体にプラスとなることだといえましょう。
 はじめに書きましたように、宣教は主から私たちに委託された、重要な使命です。
 教会全体がこの使命に燃え、宣教を実践することを願ってやみません。
 そして、宣教師の海外派遣は、この宣教という大目的への意欲を盛り上げる、もっとも、大きな手段でもあると言えます。
 宣教は私たちの義務であると同時に、大きな名誉でもあります。
 私たちは、祈りのうちに、私たち自身が宣教に目ざめるとともに、また、その特殊使命を帯びた宣教師が輩出するよう、神に心からの祈りを捧げたいと思います。






『海外宣教者を支援する会報告』

 「海外宣教者を支援する会」では、去る三月十三日、中央協議会会議室で会合を開き、当面の諸問題について次のようなことを審議、決定した。

  • 特別講演会=ブラジルカトリック司教協議会会長イーヴォ・ローシャイタ司教の来日、センター二十五周年記念行事の一環として、特別講演会を開催=@「ブラジルの社会と現実―カトリグク教会の)立場からI」。四月十日火午後六時から上智大学七号館特別会議室  A「講演とレセプション」。四月十一日水午後四時半から隻葉同窓(会館※@はブラジルセンター、Aは国際協力委各主催。(報告)
  • 宣教地への援助=シエラ・レオネへ一二〇、〇〇〇円、ベニンへ六〇、〇〇〇円、インドネシアへ二五〇、〇〇〇円、ケニヤカトリックセンター行古着送料五〇、〇〇〇円(今回限)アルジェリアへ援助物資送料五〇、〇〇〇円、フィリピンへ医薬品五〇、〇〇〇円相当、韓国へラジオカセット一個。(承認)
  • インドネシア青少年奨学金=現在二十二名申込、奨学金七三四、四〇〇円、五十八年度分として三二八、四九八円送金、残額は五十九年度へ繰越。奨学生の状況は「絆」に発表する。(報告・了承)
  • 「会」の支援バザー報告=昨年九月より今年三月までの支援バザーの拠金、団体は戸塚・聖母の園老人ホームバザー、無原罪聖母幼稚園バザー、成城教会、多摩教会、隻菓同窓会館、樋口宅バザーで、計六〇〇、一八〇円の寄付があった(報告・了承)。
  • 在日アジア人女性で、東京はじめ各地の繁華街、温泉街で働かされている人たちを助ける場所として、各地の教会が活動中、さらに全国的な活動組織作りが国際協力委で検討されている(報告)。
  • アンゴラ内戦にまきこまれ、捕えられたSr中村とともに安否が気遣われていたSr林節子さんが無事、帰国された(報告)。






『海外宣教を考える会・研修会』

 宣教者、修道者の立場から、海外宣教を考えようという「海外宣教を考える会」(仮称・指導司祭梶川宏神父)では、今年1月23、24日「福音宣教者になるとは」をテーマにし、横浜・戸塚の「聖母の園」で初の全国研修会を開いた。この研修会には各修道会から、61名の修道女らが参加し、2日間にわたり、熱心な研修が行なわれた。
 研修会の初日、梶川神父が『修道女この遣わされた者』と題して基調講話を行ない「修道者とは奉献された信徒であり、奉献されたということは与えつくす者の意味である。また、修道者としては、神によって人の心に派遣されている者という意識をもって、常に神が人となって、どこまで吾々の中でご自分を与えておられるかを発見していかなければならない」と述べられた。
 また、ブラジルで宣教しておられるイエズス会・堀江節郎神父は、イエズス会入会からブラジル宣教までの宣教体験の中で、「宣教が日常生活の中に溶けこんだ中に回心を見出す」と述べられ、また、フィリピンで宣教する諏訪清子修道女(聖母訪問会)はフィリピンのスラム地区での生活で、自分の限界を知り、人々と共に祈ることの重要性を知り得たと語り、列席者に大きな感銘を与えた。
 二日目はそれぞれ小グループに分れて活発な討論が行なわれた。
 以下は、この研修会に参加された、何人かの方々の感想。
 「修練院生活―宣教生活―その真剣さを痛感」コングレガシオン・ド・ノートルダム修練女兼松益子―宣教のためのワークショップ〜初めその言葉は、私には遠くにしか響きませんでした。
 ‥ところが実際に‥梶川神父様の講話にあずかった時、その思いが間違いであることに気づきました。…どれだけ、人を自分の心の中に見出すことができるのだろう″、神がいかに私たちにとことん付き合われたかを発見‥人の心の中に派遣されて行く∴‥等々の言葉は、今の私の生活への振返りを促すものでした。宣教のためのワークシタツプは、今、私が生きている場における修道生活への問いかけに他なりませんでした。…修練院での生活が宣教生活という広い地平の中に位置づけられた、この生活の豊かさと、この生活への真剣さを覚えずにはいられない研修会でしたー。
 「神からの与え”の再発見お告げのフランシスコ姉妹会伊藤美子―「私が与えることによって、いかに神様から与えられているかを発見できる」研修会で梶川神父様のお話しを聞き、私自身、与えられることばかりを望んでいて、神様が先に与えて下さっていることを、すっかり忘れているのに気付かされました。現在、外国で宣教されている堀江神父様、シスター諏訪が、何の気負いもなく自然に体験談を語られるのを聞き、宣教生活とは実に地味で、小さな毎日の積み重ねであることをあらためて知らされました。‥言葉も文化も違う国の人々の中で…悲しみ、苦しみを体験しながらも…赤裸々な人間関係の中で神様から愛されていることを体験しているからこそ、目の前の隣人にありのままの自分を与えて、その人々を大切にしていくことができるのでしょう……。
この研修を機会に、私の視野は世界へと広げられました。
 祖国を離れて働かれる宣教者の方々のために心からお祈りしたいと思います。そして、私も、自分の身近から喜びを持って、キリストを宣べ伝えていきたいと思います。