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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アフリカ』

シエラレオネ チャド ガーナ ザイール





『新任教師、八カ月無報酬』

〜シェラ・レオーネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
…こちら、ルンサは、今年は雨が全くないので、水不足は非常に深刻になっています。濁った水を飲むので…赤痢が流行、大変な時期に入っています。
…今、一番大きな問題は、新任教師の給料が、もう八カ月も支払われていないことです。…九月から、工面して、政府に代わって先生たちに給料を前払いしてあげていましたが、そのストックも先月で終り、今月こそはと、文部省に約束したはずですのに…お金は、一銭も支払われませんでした。…新任教師の一カ月の給料は、シュラ・レオネでは、約五千円で、現在、十人の教師が給料なしの状態です。
つまり、毎月、五万円を必要としています。月謝は最低に制限されておりますし、生徒は貧しくて、三十%は未払い、雀の涙のような月謝では、先生の給料を一年間支払うことは、完全に無理です。どうしてよいか、思案に暮れています。
…幸い、ルンサは、お蔭様で平和です。今年の九月からは、職業センターを開始する予定です。また、OLG学園の寄宿舎も再開予定です。…シュラ・レオネの私達の修道院は、世代が交代しようとしています。以前は六十代、五十代、四十代が中心になって活躍していましたが、今は皆、三十代と二十代、五十代後半は、私一人になってしまいました。しかも、半数以上が、アフリカ人のシスターです。アフリカは、アフリカ人の手でやる時が、少しづつ、近づいているようです。






『自力開発に必要な協力』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 脇山ミキ子
…チャドも、表面上、静かですが、首都ンジャメナでは、強盗も増えてきています。…仕事のない若者たち、先進国での生活の豊かさを知った若者たちにとって、チャドの貧困から脱出する方法は、見えにくいと思います。自分たちの力で開発を実現するようにと、言い続けているのですが、歩み始めの協力を必要としているのを、強く感じています。回教徒の大統領の立つ国で、カトリック者が十分に能力を発揮する場は、ふさがれているようです。
 …私も、子供たちのカトリック・アクションに、関わりを持つようになりました。…子供たちによる福音宣教に…出来ることから始めたいと思い、まず、ビニール袋などを放棄しないようにしようと、語り合いました。チャドに来て、心痛むことの一つは、都市のビニール公害とも云える汚さです。ビニール袋を使って小売りをされるものが多くなり、それをポイ捨てしていますので、溝がビニールで埋まっています。私たちの田舎町も、風で吹き寄せられたビニールがフェンスや生け垣の下に溜まります。それが汚くて、病気を流行させる原因になるし、それを飲みこんだ山羊やロバが死ぬことも知られていますが、捨てることを止められないのです。子供の宣教活動の中に、ビニール類をポイ捨てしないキャンペーンを入れたいと思っています。
(一九九七・三・七)






『シスター、刺殺される』

ショファイユの幼きイエズス修道会 永瀬小夜子
…すでに、チャドへ再入国して二カ月…この国に来て、今回ほど多くのことが起きたことはないな…と、クーデターやいさかいで、銃声に追われたことよりも、ショックな出来事。今回は、私たちの敷地内で、エイズの人々への関りをもって、仕事を始めたばかりのシスター(三十二歳のフランス人の医者)が、刃物で刺されて死亡されました。…夕方五時四十五分頃、「シスター永瀬、永瀬」と、悲鳴と私の名を呼ぶ人があるので、飛び出して行くと、すでに犯人は逃げた後で…シスターは流血の中で、すでに、息は絶えておられました。横のカリスマチイクの事務所には、祈りと歌で、十五名ほどの人が、シスターの叫びを聞いたらしいですが、まさか、横の事務所とは思わなかったとのこと。…三日前に犯人が捕まったとのこと…盗みが目的だったとか…犯人は、よく知っている青年でした。
 始めてチャドに来て、ご本人も張り切っておられましたのに、本当に残念です。
 今まで、チャドでは、貧しくても、今日の糧を恵まれたら喜んで、明日は、また、明日の日が心配してくれるという人が多かったのですが、近頃は、とくに、若者たちの心に、すさび、荒れがみられます。(この国には)自国で生み出す産業、工業は何もないのです。一生懸命、苦学をし、免許をとっても、仕事は何もないのです。
(一九九七・一・二九)






『対立部族間のはぎまでの宣教』

〜ガーナ〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 玉木志津
…一九九四年に、コンコンバ族の間で働いていた私は、その小教区と隣の小教区のリーダー達に、月一回の聖書コースを始めましたが、部族闘争のため、やむなく一時閉鎖しなくてはならない事態に、落ち込みました。そのうちに、今度は、私が、反対側のダコンバ族の問で働くことになり、同じ大司教区ですが、小教区が変わりました。
この小さな町では、多くの人が、私のコンコンバ族間でのミッションを知っていますので、初めのうちは、少なからず恐怖を感じたものですが、今は、すんなり、ダコンバ族間に入りこめました。
 第三者にとっては、コンコンバ族も、ダコンバ族も、同じ兄弟姉妹なのですが、当事者にとっては、そうはいかないのが、悲しい現実です。
 昨年十一月より、二人の司祭と二人のシスターでチームを作り、「聖書を体験するコース」と名前を変えて、ダコンバ族のカトリックのリーダー達に、月一回、金曜日から日曜日昼までのコースを再開することが出来、今日も、三月のコースが、ちょうど終了したところです。
 皆様のご援助のお蔭で、聖書を体験するコースが、少人数ではありますが、毎月、着実に開くことが出来ることを、心から感謝致しております。
(一九九七・三・二六)








『ミッションも襲う、飢えた兵士達』

〜ザイール〜
聖心会 嶋本操
…こちら、ザイールの状勢は、政治的な混乱によって、経済は破綻的状況です。去年一年間のインフレは、七〇〇パーセントと、公に発表されていますが、十倍以上の物価上昇率には、目を見張ります。
その間、貧しい人々は、ますます貧しくなり、兵士・教師・公共職員は、全国的に、今のドルの値段から云えば、一ドルの1/5ぐらいの月給を払って貰えればよい方です。…空腹の兵士が、銃だけは持っていて、それを使って、一般市民や教会関係(修道院など)で強奪して歩くビヤージ″という苦い体験が、九二、九三年ごろから、二回、ひどいのがあって以来、人心は、落ち着いて仕事が出来ない状況と思います。何か始めても、「何時、奪われるか分らない」という恐怖が、人々を、何もしないで、誰かが助けてくれるのを待つという状況に追いやっています。…今日も、北東部のリシロという町でミッショナリーの多くの方々が、新しいビヤージ≠ノやられました。…先日、こちらザイール人の司教様でビヤージ″に遭われた方が…(その)体験について話されました。それは、きつい体験で、教会の在り方は、何だったのだろうと考えさせられたと言っておられました。
 ここでの仕事は、初期養成期にある若いシスターたちとクラスをしたり、霊的同伴を通して、この混乱の中で希望を見付けて、よりよい明日のために、今から歩み始めて欲しいと思っています。






『南米』

ブラジル パラグアイ アルゼンチン





『園児の泣き声が、歓声に』

〜ブラジル〜
マリアの布教修道女会 鹿山ミエ子
…私たちも、皆、とても元気です。新学期を迎えた園児たちと職員ともに、新しい年に向って出発しました。入園の頃は、朝早くから、大声を上げて泣き叫んでいた子供たちも、今ではすっかり慣れて、泣き声も、今では、喜びの歓声に代わってきました。
 ブラジルの教会では、今年の兄弟愛のテーマキリストは、あらゆる牢獄を解放する″に向って、あちこちで、とても熱心に活動をしています。毎日曜のミサでは、私たちのファチマ教会でも、四つのミサがありますが、人々で一杯の中、声高らかに、歌声が響いています。…二月二日に、ロンドリーナのカテドラルで、大司教様と共に、長崎二十六聖人殉教四百年祭が、盛大に行われました。






『インフレ、上がる一方』

宮崎カリタス修道女会 川端千鶴子
…私は、復活祭を東京本部で祝い、その翌日、ブラジルに向け出発したのですが、本部の大聖堂での今日こそ、神が創られた日、喜び歌え、この日を共に荘厳な歌声の余韻が未だ消え去らないうちに、残暑のサンパウロに帰り着き(ました)。
…ここ、サンパウロは初秋で、柿も美しく色づき、店先や食卓を賑わせてくれています。ブラジルも、国民の新たな年にかけた希望とは裏腹に、インフレは上昇するばかりです。プラノ・ヘアイスも、良い結果をもたらしてくれなかったし、品物(の値段)は、どんどん上っていくのに、サラリーは、ここ数年、据置きという現状で、国民の生活は一層、苦しくなっています。
…船便で届いていたジャージーの上下、ありがとうございました。
こちらは、これから寒くなりますので、大変助かります。
 (私たちの居る)周辺には、沢山の、現地の貧しい人達が居るので、安い値段で(古着の)バザーを年間を通じて行っているので、それに使わせて頂きます。貧しい人たちを助けながら、私たちの養護施設も、バザーの収益で助けられるということで、感謝致しております。
(四月二十一日)








『日本からの善意″に倣って』

フランシスコ会 小川満神父
…こちら、ブラジルの西部に位置する南マット・グロッソ州でも、早い秋の訪れに、皆は驚いています。…ここドゥラードスでも、ご復活までは、三十度を越していた気温が、急に十五度前後にまで下がり、あわてて、長袖の服を用意しなければならない程でした。
 ところで、皆様から送られて来る衣類や文房具、おもちゃ等は、無事に私の手許に届いています。昨年十一月には、連邦税務局から再び、いろいろな書類を要求して来ましたが、全部、揃えることが出来、小包も順調に届いています。…これらの売上げ金と共同体の維持費とで、現在ミサ要理教室の一部として使っているサロンの床に、椅麗な模様の、落着いた雰囲気のあるタイルを張ることが出来ました。ミサに来る人たちの顔が、自分達の共同体に対する誇りに輝いているのを見ることは、とても気持ちのいいものです。
 そして、共同体の人たちは、口に出して言いませんが、これらのことが、日本の皆様方の協力で出来上がっていくことを、充分、知っています。…今年になって、月の第三日曜日のミサを『自分の助けを必要としている人々のためのミサ』と名付けて、保存可能な食料(生米・塩・砂糖・スパゲッティ・マカロニ・コーヒー等)や、石鹸、歯ミガキ粉などを持ち寄り、奉献の時に、それらを祭壇に奉納し、翌日、最も必要としている家庭に、それらを配るように、自分達で決めて、実行に移しています。その効果が、徐々に出てきています。これらのことは、日本の皆さんの善意のおかげで、共同体の環境がどんどん良くなっていくのを目のあたりにして、自分たちも出来るだけ、人の役に立とうと思えるように、心に余裕が出て来たのだと、私は思います。心から皆様に感謝いたします。
(一九九七・四・二四)






『援助の放送機器でミサを』

〜パラグアイ〜
コングレガシオン・ド・ノートルダム 渡辺素子
…無事に三年目のパラグアイに戻り(ました)…こちらは、やっと酷暑から解放され、そろそろ、秋の気配です。
 秋は、大豆の収穫期で、今年の大豆は、やっと、収入につながる価格が決まったようで、二年越しの、小麦でのダメージも食い止められるとか…日系社会の農業の方々も、少し、一息つけそうです。
…ご援助によって、放送機器も揃い、日本人のミサで使っております。
…ピラポの教会は、日本二十六聖人殉教者を保護者として創立していますので、二月六日に、記念のミサを献げました。北島師のご家族から、大きい二十六聖人の写真を贈って頂き、ちょうど祭壇の向って右の窓の左に、額に入れて掲げることが出来ました。
 二十六殉教者を通して、このパラグアイの小さいコロニアのピラポが、つながりを持つことが出来る不思議さに、感嘆しております。
(三月二日)

パラグアイ・ピラボ中央カトリック教会
パラグアイ・ピラボ中央カトリック教会






『不況で、増えて来た泥棒』

聖霊奉侍布教修道女会 林静子
…ただ今、こちらは夏で、毎日、暑い日が続いております。一昨年着工したアスファルト道路も、ゆっくりですが工事が進んでおり、ラパスから六号線という国際道路まで、三十キロですが、あと五キロぐらいで完成いたします。雨が降っても心配なく、急病人なども町の病院まで運ぶことが出来ますし、コロニアから、バスで一時間足らずで、エンカルナシオンの夜学の大学、高校に通学することも可能になります。月一回、クルッカ神父様が、コロニアに、日語ミサをたてにいらっしゃっておりますが、ずっと便利になります。
 最近、雨がよく降りますので、大豆の成長も順調で、今年は豊作が予想されます。
 この国は比較的平和ですが、不況のため、泥棒が増えて来ましたので、夜の外出はなるべく避け、私たちも番犬を二匹飼って、夜は放しております。先月も、泥棒が入りかけたのですが、すぐに警察に連絡し、パトカー(オートバイ)が駈けつけてくれ、二匹の犬も吠え出したので、逃げてしまいました。若い人達に、適当な仕事がないということも、犯罪の因になります。学校を出ても就職先がないし、教育も、内容が充実しておりませんので、実生活にすぐ役に立つことも少ないのかもしれません。洗礼や初聖体、堅信なども、形式的に受けるためか、実際に信者生活を送っている人が少ないのです。






『支援に力づけられる少数日本人移住者』

〜アルゼンチン〜
神言会 北島泰治神父
 アルゼンチン到着時より、手紙や「きずな」などのご支援にいつも感謝しておりました。先日、パラグアイにて、佐藤司教様やローシャイタ神父様にお会いできたことは、大きな心の糧となりました。というのは、司教様方が、この南米の地まで、私たちを励ましに来られたように思えたからです。この度、日本人司牧のためにご理解、ご支援頂きましたことは、この地に移住者及び宣教者にとって大きな力となるでしょう。
 こちらには、多くの違った国からのカトリック信者の移住者がいまして、それに比較して、少数のカトリック信者しかいない日本人移住者は、こちらの教会では忘れられがちですから、日本人信者の援助が唯一の頼りです。私はこのために、日本語学校で教えたりして活動資金にしています。とは言っても、私の仕事の中心は、もっぱら、小教区のアルゼンチン信者へのスペイン語ミサを捧げることです。ですから、日本人司牧は、土曜日の午前中と休日(月曜日)に限られます。ミシオネス州のガルワッペ日本人移住地(通称コロニアルハン)で、アルゼンチン人と一緒にミサを捧げました。
 ここの小学校は日本の援助(JAICA)で建てられたが、現在、日本人の子供は一人も居ません。皆、都市部の学校に行くためです。
ミシオネス州には、五十世帯ぐらいのカトリック信者がおり毎月一回、パラグアイ・ビラポで日本人のためミサを捧げています。








『アジア』







『ある修道女の帰天』

〜フィリピン〜
御受難修道女会 松田翠
…一九六八年、フィリピン・南コタバト州マーベルに修道院を創立するため、アメリカから派遣された、御受難修道女会のシスター・マリリンが、三月一日、安らかに息を引き取り、その清らかな、美しい魂を、神様にお返し致しました。…シスターは、十年余り以前から、アルツハイマー氏病にかかり、病気が原因で、呼吸器が侵され、内臓疾患を患い、十二月二十日には腸閉塞の手術、その後、きびしい闘病生活が、昼夜二十四時間、三月一日に息を引き取るまで続きました。…十二月二十日の手術後は、必死の看護にもかかわらず、血圧、脈拍、体温、呼吸の低下の状態が続き、二十五日のクリスマスの夜八時には、十五分間、呼吸が僅かに停止する状態だったそうで、神父様を呼び、病者の塗油を施して頂いて、息を吹き返したようです。
 シスターが亡くなった、その時の顔が、余りにも美しく、神々しいまでに透き通っていたため、私共は、看護婦達さんと、ただ、畏敬と深い愛と感嘆をもって眺めていました。
 ベッドから、内側がガラス張りの美しい枢に移され、お通夜のため、チャペルに運ばれたのは、夜八時すぎでした。三月三日朝九時、司教司式による葬儀ミサが、行われました。そして、三十台程の自家用車と共に、美しい外車の霊枢車で、丘の上の素晴らしい眺めの新しい基地におもむきました。墓地は、近く建てる計画のある、新しい修道院、丘の上の頂きに、町で一番大きな金物商の友人家族が、使用人六人を使って、一メートル八十センチのお墓を、一夜がかりで掘ってくれました。…その墓に、美しい枢が降下装置で下ろされ、参列者達が、洋ランやバラの花びらを撒く光景は、さながら、天国への凱旋への出発を喜び、祝しているようでした。
 三月十九日に、シスターの聖性の芳香を漂わせ、シスターの苦しみと聖なる最期を見守ったシスターの部屋を、聖なる場所としてチャペルに変え、毎日、何回となく、このチャペルで、祈りを捧げております。