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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『南米』

ブラジル パラグアイ ボリビア エクアドル





『ハプニング連続の毎日』

〜ブラジル〜
長崎純心聖母会 堂園みつ子
…さて、私たちがお手伝いしているセントロ・コムニターリオには、託児所(0歳〜14歳一六〇名)と、老人の家(25軒・50名)があります。毎日、ハプニングの連続です。病気、怪我、けんか、エ、ネルギーの有り余っている子供達は、託児所中の物を壊していきます。
…老人の家には、水道・電気・家の修理や、いざこざ等の問題が、これまた毎日のようにあります。老人の家の中央には「古着バザー店」があり、一人のボランティアの方が、午後1時からお店を開けています。皆様から送って頂いた古着は、この店で売っています。文房器具は、新しいものは、まとめてバザーをして、古いものは託児所の子供達に、必要に応じて配布したり、コンクールの賞品にしたりしています。
 私は2月からアモレイラで働いていますが、託児所の食堂の屋根の修理や、老人の家の屋根の取り替え、また、運営費等、お金の心配ばかりです。…毎日、町役場に出かけて、町長さんや町会議員の人たちに訴えています。






『絆″に励まされて…』

マリアの宣教者フランシスコ修道会 佐藤 和
 いつも「絆」をありがとうございます。
 未だお会いしたことのない方ですのに、あのシスターもお元気″、このシスターも頑張っていらっしゃる…″と励まされたり、また、楽しくなります。
 日本で祈って下さる方々の支えを感じながら、世界中の宣教者が一つのきずな″で結ばれていることを感じるのは、私一人ではないと思います。
…7月半ばから、今年は新潟のフランシスコ佐藤司教様をお迎えして、宣教者達の黙想会があり、つづいて年一度のPANIBの大会があります。全伯から、隣国からも宣教者達が集まり、共に祈り、討議し、抱えている問題を話し合ったり、一夕は、楽しいレクレイオに、次の一年の力、慰めを頂きます。






『ベタニアだより』

ベタニア修道女会 間野玲子
 日本からの真心は、私たちの使命をより強く感じさせてくださいます。神さまは必要の時、必要な恵みを充たして下さることを体験させて頂いております。暗いニュースの多いこの頃です。人口では東京に次いで世界第2位(一六、四百万)のサンパウロは「暴力都市」「犯罪都市」といった汚名が、全国に広まりつつあります。
 しかし、誰もがホッとするイエズス様の愛を広げつづけたいと、荷物を送って下さる皆様に、心から感謝しております。
同 松本圭世
 お元気でいらっしゃいますか?。いつも変らぬ御援助を心から感謝申し上げております。
同 大場喜代子
…こちらは冬に入り、風が冷たく感じるこの頃です。今、テレビニュースでは、昨日の昼頃、サンパウロ州のオザスコという町のショッビングセンターでのガス爆発のニュースをしております。四〇〇人が怪我をし、39人の人が亡くなったとのこと。まだ、見つからない人もいるとのこと。原因はプロパンガス洩れだったと報じられました。いろいろなことがあります。
同 松永泰子
…聖母月も終り、聖心の月になり…こちらは朝夕、めっきり寒くなり、冬に向う時です。6月6日は、「聖体の祝日」、クレッシェの保母さんたち、朝3時から、御聖体の道の準備のため参加、準備された御聖体行列に与り、ブラジルの民衆の信仰に感動しました。
Srグレゴリア
…皆様の愛の援助によって、喜びのうちに伸びていく子供達の姿、本当に感謝でいっぱいです。朝ごとに冷えていくブラジルの6月、聖心の愛のうちに、感謝の祈りを捧げつつ……。








『68歳のボランティア』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 林静子
…私は、昨年7月に、アッスンシオンの街で交通事故に遭い、その後暫らく、歩くのが不便でしたが、只今はもう運転も出来るようになり、階段の上り下りも不自由しなくなりました。先週はバスに乗って、アッスンシオンの黙想会にも行って参りました。
…先日の新聞で、葛木さんとおっしゃる68歳になるご婦人が、ポランティアとしてパラグアイのラパス市役所(私たちのコロニア)に派遣されることが載っておりました。昔でしたら、ちょっと考えられないのですが、よいことだと思います。
 先日も、アッスンシオンでお訪ねした79歳のおばあさんが、飛行機で、エルサレムまで聖地巡礼に出かけると伺って、お元気なので吃驚いたしました。この方は、元カトリックでしたが、たまたま、日本語をお話しになるクルッカ神父様が転任となり、アッスンシオンで日本語ミサがなくなって淋しくなり…宗教替えをしてしまわれました。同じイエス様を信じるならよいでしょうと言って簡単に別の宗派に行ってしまわれました。
 私たちも、出来るだけ家庭訪問などして、信者さん達を励ますようにしております。
(1月28日)






『ディズニーのビデオに大喜びの子供達』

聖霊奉侍布教修道女会 伊藤伎余子
…ここパラグアイでは、今、小麦の種蒔きも終り、お百姓さんは、ホッとしているところです。
…この度の私の帰国にあたり、移住協議会からの御援助で…立派な21インチのテレビとビデオ、ビデオテープを購入することが出来ました。心から感謝申し上げます。
 子供たちも大喜びで、5月の「子供の日」には、ディズニーのテープを見せて上げました。(写真)。多面にわたって、活用させていただきたいと思います。
 8月には、佐藤司教様とローシャイタ神父様がパラグアイをご訪問下さるとの知らせがあり、今から心待ちにしております。








『異教徒とともに』

〜ボリビア〜
扶助者聖母会 漢那和子
…常夏の国と言われるボリビアですが、7月の声を聞き始めると、とたんに寒さが訪れ、夏から冬へと衣替えをしています。
…今年の私共の活動範囲としまして、サンタ・クルスに3つのグループ、沖縄コロニア第1に2つ、サン・ファンに4つのグループを持っています。それ以外に、老人や病人の家庭訪問、寮生のカテキズモがあhソます。
 昨年は、沖縄コロニア第2、第3と、巡回してグループを持っていましたが、連合婦人会がプロテスタントのため、昨年までのアカデミーは解散になり、今年は沖縄1のみです。
…今年は、サン・ファンで新しいグループが出来ました。8名のメンバーで、6名が(創価)学会員、カトリック信者は1人です。
 彼女たちの要望で、手芸や、ちょっとしたものを教えていますが、とても気持ちの良いグループです。宗教色を出すことは出来ませんが、私のつまらない詰も、喜んで聞いてくれますし(どのグループも、必ず、短い話をしてから始めています)、なによりも、異宗教者が共に一つに集い、集会が持てることは、すばらしいと思います。一、二回は、双方とも、ぎこちない態度でしたが、今はすっかり打ちとけ、友″として、月1回の集会を楽しみにしています。
 直接にキリストを宣べ伝えることは出来ませんが、一緒に手を取り合って歩んで行くことが、福音宣教ではないかと思っています。






『半分は他の人に〜貧者の贈物〜』

〜エクアドル〜
聖母被昇天修道会 横山まさ子
 毎回「きずな」を読ませて頂き、ありがとうございます。
 私たち宣教者を心から支えて下さる皆様のお陰で、こちらでの仕事を果せることを、いつも感じて、心から神に感謝、そして皆様に感謝しております。
…ご存知のように、3月28日に大地震があったコトパクシは私の司牧区で、プヒリという町は大きな被害があり…未だに立ち直れない状態です。
…私は、以前から訪問を続けておりました貧しい人々の地区Triunfoに、聖堂と要理教室を建設しております。毎週日曜日夜7時のミサ、子供たちの聖書講座なども定着しつつあり、母親たちも目覚めて来ており、私を助けてくれるようになり、とても、嬉しいです。
…先日、3ケ月程姿を見せなかった婦人が、ひょっこり修道院を訪ねて下さいました。ミエルカニヤ(砂糖みつ)とパネラ(砂糖の塊)を持って…。子供の学校が休みの間、兄弟たちの所へ行って、「砂糖を作る」仕事を手伝っていたとのことです。以前の婦人の仕事は、タバコ作りの日雇労働者です。仕事なし、これから仕事を探すとのことです。仕事にありつけるのか?。日々の食にも事欠くのに、「シスターのために」と持って来た砂糖類を売ることも出来るのにどうして?と思ったら、これは、「貧しい人たちの贈物」だそうです。貧しい人達は、何か援助を貰うと、自分の、今持っている物を「分かち合う」のです。例えば、オレンジが10個あると、半分は他の人のために−。「貯えること」が出来ないとのことです。金持ちたちは、どんどん「貯える」けれども、毎回、考えさせられ、教えられ、感動しております。人々と共に歩む〜とは、このことですね。
(5月14日)






『アフリカ』

チャド ジンバブエ ザイール





『コレラ、流行しはじめる』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 永瀬小夜子
…昨夜17日、チャドの地に「花火」が打ち上げられました。
 「ドン」と一発目は驚きました。私達の家の近くでしたので、七色に…輝く打上げ花火を、すぐに捉えることが出来ました。
 「サテは大砲!」と騒いだ人もあったようです。
 30分近く、時々、ドンドン、パンパンと夜空を飾りましたが、いろいろと噂の中の大統領の就任祝いとの事でした。
 当分、国がなんらかの方向に一歩でも進むために、ここ当分は、戦いは避けたいものです。
 ただ今、雨期近しで、雲が厚味を増し、突風、砂嵐で、チャドの人たちは真白に、私たちは茶色になっています。井戸水も底をつき、一日も早い雨が待たれます。何もかもが、汗と泥にまみれて、コレラが、また、流行しはじめ、今のところ、4年前のような死者はありませんが、油断は出来ず、あちこちで、人の嘆きや悲しみが…。
「清潔に」と家々を回っても、水もなく、ドブや川岸で洗濯や炊事…そして、死者の衣服や、時には体を洗っている桟で、子供達が遊んでいるという有様で、どこから、どう手をつけてよいのか…が現状です。
(7月18日)






『共に生きる喜び』

〜ジンバブエ〜
ナミュール・ノートルダム修道女会 伊東千秋
…ジンバブエは、今年は雨期に、平年を上回る降水量に恵まれ、多くの人々は、なんとか、一年分の食糧の収穫があったようです。
 しかし、インフレが高く、貧しい人は、ますます、貧しくなっています。生活必需品は、毎月のように値上りしています。
 学校では、月謝の払えない生徒や、文房具の買えない子供たちが沢山居ます。
 現在、ノートルダム会は、学校教育、教区レベル、また、小教区での司牧活動をしています(カテケジス・リーダーの養成、病人訪問、黙想、霊的指導、カウンセリング、賞しい人々への援助、婦人たちに料理、手芸を教えること等々)。
 とくに、貧しい人々が自立できるような指導にも力を入れています。
 現在、私は、ジンバブエ人で、入会希望者の養成の仕事をしています。ノビス2人、ポストラント1人が、いま、修練を受けています。異文化の人々と共に生活し、アフリカでの修道生活のあり方など共に学びながら、若い人々が、神様から召された道を忠実に生きて行くことが出来るよう、お手伝いをさせて頂いています。
 また、若い人たちが育ち、リダーシップをとっていく日が、一日も早く来るようにと祈っています。
 この他に、学校の先生たちに料理を教えたり、教会の婦人会で、洋裁・手芸なども教えています。
 このような生活の中で、共に生きることへの喜びを日々感じています。










『誰が食べる?〜食事の当番制』

〜ザイール〜
クリスト・ロア宣教修道女会 前川春美
…一九八七年から、ザイール共和国で働いています。私の所属する修道会は、ザイールの首都キンシャサの近く、キムユンザという所に修練院を、シャバ市カニヤマとカサイ・オリエンタルに2カ所の修道院があります。…カニヤマでは、中学、高等学校と栄養失調と身体障害者の人々のお世話、他の2カ所では、学校(小、中、高)と医療、病院、診療所、産院、女子の自立援助教育、識字教育などを行なっています。
 ザイールでは、一九九〇年に起きた暴動以来、政治、経済の全ての面が麻痺状態となり、銀行、郵便局は現在に至るまで機能していません。また、一九九二年の部族戦争によって、国内難民が出、また、失業者の増加、栄養失調に伴う結核患者とエイズ感染者も増え続けています。
 政治の不安定と経済麻痺状態からの失業に加え、難民の流出に伴う失業者も増加しています。彼らの多くは、専門職に従事していたので、電気や水のない生活は、目に余るものがあります。
 2カ月に近い旅で、両親を矢ない、子供を失った人は少なくありません。食べるために、数十キロ離れた所の畑に作物を植えるのですが、食べ頃になると、全てが盗まれるという毎日。ある家族には食事の当番制があると聞きました。今日の食事(一日一回)は家族の誰が食べるか?…ということです。しかし、彼らは信仰を根底に常に希望を持って歩んでいることが、私達宣教者のなぐさめの一つであるように思います。
 教会と宗教活動については、私達の病院のベッド数が80床しかない状態で、患者はテント生活を強いられていましたが、現在では、一五〇床ということになりました。これらは、国境なき医師団″ベルギーチーム、ベルギー大使館、カナダ大使館、ヨーロッパ共同体という団体の援助で増築されました。
 また、修道院の庭で、難民への炊き出しと、栄養失調の子供たちへの食事の配慮は、責任者のシスターと地域の主婦、国境なき医師団チームの協力で行われています。
 私たちと共に協力して下さるスクート会の司祭と共に、子供たちの教育が進められています。
 難民の多くは、私たちの地区に止まり、修道院から約15km離れた所に教会(丸太とワラ葺き)を持ち、司祭を待っています。
 ここまでの道は登り坂が多く、自転車で毎週一回通っている司祭は、たびたび、その苦労と危険性を話されました。
 学校教育面でも、教師の給料の未払い(6カ月遅れ)、また、ザイールでは、旧紙幣と新紙幣があり、地区によって使用可能ということで、人々の生活は、実に複雑な構造をしています。
 以上、ザイールの実情を説明させて頂きましたが、私たちの宣教の場も、子供たちの教育、女性の識字教育という面からも、働きの場が、もう一つ、大きくなろうとしています。

毎日のように増える難民の家
毎日のように増える難民の家

学校を建てるため、子供たちもレンガ運び
学校を建てるため、子供たちもレンガ運び






『アラビア半島のカトリック教会』

井上信一
 私は仕事の関係で、アラビア(ペルシャ)湾に面したアラブ首長国連邦のアブダビで3年間暮らす機会を得ました。到着早々は、朝四時半を過ぎると、フラットの左右とその近所にある合計5つのモスクの尖塔のスピーカーから朝の祈りを呼びかける朗々とした声(アザーン)で目が覚めましたが、慣れとは恐ろしいもので、そのうちにアザーンも気にならなくなりました。このアッラーの神への礼拝が一日5回行われ、メッカに向かって祈る敬度な姿を目にする度に、イスラムの信仰が、生活と職場の隅々にまで入り込んでいることを実感させられました。このようなアブダビのモスリムの社会で、カトリックの信仰も立派に存在しているのです。
 アブダビの政治の中枢にいるシェイク(首長一族の称号)たちは、回教徒ではあっても、聖職者を兼ねていません。それが故に、政教分離がかなりはっきりしているところが、他の中東諸国と少々違っています。非回教徒であれば、お酒も収入に応じた制限額の範囲で、買うことを許されます。ミサに捧げるぶどう酒も神父には許されています。ただし、一般の信徒の聖体拝領はパンのみです。
一九六〇年代に石油の開発が始まる以前、このアブダビには、ベドウィンと呼ばれる遊牧の民と、天然真珠採りを生業とした貧しい漁民しかいなかったのですが、石油が発見されると一転して、世界のメジャーと言われる石油会社の進出が引き金になり、あっと言う問に国際都市になりました。砂漠の中の寒村が、高層ビルと植え込みの緑(人工散水による)が眩しいモダンな街に、一世代で変貌してしまったのです。88万の人口の内、アブダビの人は僅かに20パーセントで、残りの80パーセントは欧米と地中海側の中東諸国の人々、さらにインド、パキスタンを中心としたアジアの人々が占めているので、まさに人種のるつぼです。従って、カトリック教徒も驚くはど沢山います。現在の聖ヨゼフ教会は、一九八三年に建てられたものですが、なんと巨大なモスクの直ぐ側に建てられています。クリスマスの時期は、涼しい季節なので、野外ミサも行われ、一度に沢山の人々がミサに与かれますが、そのモスクから聞こえる夕刻のアザーンに、容赦なく邪魔されることもしばしばです。
 イタリア人の主任司祭ユジーノ神父は、一九六〇年代の始めに、アブダビ首長から土地の使用の許可が下りて、この地に最初の小さな教会ができて以来ずっとおられる神父さんです。信徒の国籍も多種多様なので、その他の神父もヨーロッパの方、インドの方、パキスタンの方、レバノンの方がおられ、金曜(イスラムの休日)から日曜まで3日間の朝夕に、アラビア語を含む沢山の言葉でミサがたてられます。特に、英語のミサは何時も人が溢れるほどです。
 7世紀にムハンマドが回教を説いて以来、アラビア半島は、イスラムの世界になりましたが、その中で聖職者なしで、生き残った少数のキリスト教徒がアラビア半島の一部で、一九世紀になって捜し出されています。アラビアの隠れキリシタンということでしょうか。また、回教以前のキリスト教会の遺跡が、一九八六年にサウジアラビアのダーランの近くの、ジュベイルという所で、砂漠の中からそっくり発見されています。
 イエーメンのアーデンを中心に、厳しい気候と闘いながら、アラビア半島の宣教が再スタートされたのは一九世紀になってからとのことです。そのアラビア半島の宣教の歴史の中で、ユジーノ神父は、世界中からやって来るカトリック教徒のために一生の大半を捧げられています。アブダビでは、石油が富を産み出して35年経ち、国は奇蹟的な発展を遂げましたが、それで幸いだけがもたらされた訳ではなく、沢山の不幸と社会問題も出てきています。ユジーノ神父は、そんな変遷の全てを見つめて来られたと思います。お別れの挨拶に伺ったら、一九八〇年代に、一度訪れた東京の田園調布の丘の上の教会の思い出を、懐かしそうに語っておられました。
(前・アブダビ日本人会々長)