『三年振りの日本』コングレガシオン・ド・ノートルダム 斎藤好枝
ブラジルから三年振りで故国日本の土を踏んだ私の目に強く映じた光景は、時、恰も、緑したたる街路樹にはさまれた歩道の清潔さと、歩み行く人々の清楚な装いだった。
しかし一度、車中の人となると、生活に疲れた様相をした人々の、しどけない居眠り、わけても若い男女が肩にもたれ合って眠っている姿が注目された。だから、老齢者、病弱者、妊婦、授乳婦などに、ごく自然に席を譲るというジェントルマン・シップどころか、シルバーシートなどは名のみで、自己本位の人間の集まった、社会のエゴが、むき出しにされている。これは、ブラジルで体験した事実とは対照的である。 しかし、ある日、私が立っていると、自分の子供をひざの上にのせて、私に席を譲ってくれた母親に出会った時に、私の心は、日本にもこのような人が居ることを知り癒された。 こうした教育こそ、やがて大人になった時、共に分かち合い、助け合って、国際性豊かに、平和な社会を築くに必要な原動力が蓄積されるものではなかろうか……。 東西南北を旅していると、日本の国土に生い繁る捏葉の柔らかさ、豊かさに抱擁される。ブラジルの自然の広大さといかめしさには見られない、優しさがある。海に囲まれている国ならではの、海産物の珍味は云うまでもなく、新鮮な刺身の種類も多い。北陸地方特産の鱒ずし、鮎ずし、鯛ずし弁当に舌鼓を打つ一時は楽しい。 日本の国土の総面積の60%は緑葉地帯であると云われるが、そこから産出される食品も雑多である。 山海の珍味と古来から伝承されたもてなしの料理は、四季折々の自然感を満喫させる。 東北地方を旅すると、山野の緑の美、黄金なす稲穂の波に心意かれる。しかし、関東以南を旅すると、稲田は高層ビルと工場地帯へと変貌し、工業国日本の躍動を覚える。 国体の開催地となった福島県内の道路は整備され、秋の草花は風に揺れ、カラフルな旗が歓迎の意をこめて、はためいていた。 親戚、知己、友人を訪れ、細やかな人情に培われた、丁重なもてなしは、四、五十年の別離の情を急速に縮減させる。 一カ月足らずで再びブラジルの土を踏もうとしている。どこに居ても、共にいて下さる神−エマヌエルは、あの広大な自然の中に住む人々と、日々、提供されるテーマの中に共に歩んで下さることを渇望しつつ、名残を惜しんでいる。 『第54回役員会報告』「海外宣教者を支援する会」の第54回役員会が、95年9月13日(水)午後6時から、東京・江東区潮見のカトリック中央協議会会議室で開かれ、次の案件を審議、決定した。議事に先立って、梶川神父より「宣教者への援助は、経済的な援助だけでなく、人間と人間の繋がりが大切である。 名も知れない、大きな組織に属さない宣教者を援助することで、各地域の人との分かち合いを通じて、共に生きるという原点を確認しよう」という話があった。
『援助決定』('95.9.13決定分)
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