『南アメリカ』『大雨、工費値上りなどで保育所建設難航』大阪聖ヨゼフ宣教修道女会 馬場美保
…こちらは今雨季です。…昨年、聖週間「枝の主日」は、大雨の中の行列で…祈りの声は雨の音にも負けじと響き、力強く感じたことを思い出しました。相変らず、汗を拭き々々の毎日ですが、夜ミサに出掛ける時に見る美しい星空や、ホタルの飛び交う様、年中、豊かに実る果物など、自然の恵みの中にある豊かなブラジルとは裏腹に、殺人事件や内臓の売買で子供が居なくなったり、囚人の脱走、増えつづける失業など、心の痛むことが多すぎる毎日でもあります。
保育所の建設は、日本の多くの方々、現地の人々の援助で、ようやく、二月に始めることが出来ました。しかし、三月に入って、例年にない大雨続き、建築費の値上りなどで、難航しています。工期が大幅に遅れ、当初の六月開設予定が難しくなりました。 でも、多くの方々の善意に支えられながら、何とか完成に漕ぎつけたいと願っています。にぎやかな子供の声が聞けるのも、そう遠くないと祈りながら、その日を待っています。…衣類のダンボール箱3個を受取りました。保育所開設に合わせて、小バザーを計画しておりますので、大変嬉しく、今、整理を始めています。沢山の、子供たちのための本…絵を見て目を光らせる子供達の素晴らしい顔は、ご想像にお任せします。 (95・4・2)
『寄贈のコピー機、大活躍』マリアの布教修道女会 鹿山ミエ子
四旬節が近づくと…ブラジルではカールナバールの時というのがピッタリのようです。近くのサンバクラブから、毎晩夜おそくまで賑やかなサンバが聞えて来ます。ナタールが過ぎると、すぐにサンバです。はじめの頃は…寝ることも出来ませんでしたが、今では不思議なことに、すっかり憤れてしまいました。…早速、コピー機のための援助を…ありがとうございました。…私たちの毎日の宣教、司牧活動のために、子供達の幼児教育、保育園の仕事のためにと…感謝のうちに使わせて頂きます。…ブラジルは、今は雨期で、毎日雨が降り続いています。そしてあちこちで、沢山の水害を出しております。日本の皆様にとっても、神戸で、多勢の犠牲者を出した、大地震と、その影響によって、今も21万の人々が学校や体育館に救護されているとのニュースが、ロンドリーナの新聞にも出ました。
…世界のあらゆる所で、いろんなことが起る毎日です。アフリカのシエラレオネで宣教する、私たちの7名の姉妹たちが1月25日にゲリラ軍に捕まり、今でもその解放が、いつになるのか分かりません。 捕えられているブラジル人の姉妹のお父さんは、毎日、寸時も、聖書とロザリオを手から離さずに、すべてを神に信頼し、深い信仰のうちに、その苦しみを捧げておられます。 −木炭を使って、道路上でのお絵かき− 『ロンドリーナだより』ベタニア修道女会 大場喜代子
『贈られたノートに喚声』タピライのカテキスタ会 野田芳子
…毎年美しいカレンダーと手帳をお送り噴き…厚く御礼申し上げます。昨年暮には、郵便局のストライキが、長々と行われ、私達の仕事にとって貴重なおくり物が、どこか横道に入り込んだのではと残念に思い、新年になってからも、布教の旅の途中、いつも「日本から送って頂くあのノートは、私達にとって大きな宝物なのに…」と慨嘆していました。…遅れてノートが届きましたので、思わず「ワーツ」と喜びの声を上げてしまいました。私書函に、毎日受け取りに行きますので、ブラジル人の局員が、目を丸くしていました。
ブラジルは、カーニバルのやかましいお祭り騒ぎがやっと済んで、少しずつ涼しくなって来ました。 (3月2日)
『超宗派で、箕困者住宅建設へ協力』マリア会 青木勲神父
…四旬節と聖週間の最も忙しい時期を終了し、やっと一息つくことが出来ました。…実に沢山のニュースがあり、少し整理して、手紙を書こうと思います。
…聖金曜日、毎年この日に、小数区レベルでの「十字架の通行」を5年前から実行しています。今年は「疎外された人々」をモチーフに、私たちの小教区内にある貧困者たちに焦点を合わせて、5つの共同体が第一留から八留まで、それぞれの共同体の必要性に応じて十字架の道行を準備し、第九留から十五留まで、私達の小教区の現状に合わせて皆が分担し、一留づつ黙想しました。トラックの上の即席バンドの音楽と行進のアニメーション、各留の出展者を招いて狭い露路を約五百人の行列が、祈りと聖歌を歌っての十字架の通行でした。 生命の尊厳と人権の尊重のため、宗派とイデオロギーを乗り越えて、町の周辺部に散在する貧しい人たちのために家を建てようという市役所の要請で「貧者の住宅建設協力合同計画」が樹てられました。町の市街地の一部に五六五軒のブロックの簡易住宅を、マッソナリア、成長の家、エバンジェリコ、カトリック、ライオンズの各団体で建設中です。実際に家を築いているのは、貧しい地区に住む住民ですが、土曜日か日曜日に全員出向いて、それぞれ自分達に合った材料と工具をあてがわれての連帯作業です。各宗教団体は彼等に、朝、昼食を振舞って、一人々々が、主体性をもってこの合同計画に参加出来るよう協力しています。エゴイズムの蝕む現代社会にあって、一つの復活になると思います。 『大統領迎え、アスファルト道路起工式』聖霊奉侍布教修道女会 林静子
「きずな」を読ませて頂く度に、全世界で働いていらっしゃる、宣教者方のご活動を見聞きし、勇気が湧いて来ます。…私達の移住地でも、アスファルト道路が5年計画で建設されることになりました。3月3日の起工式に、大統領がエンカルナシオンからヘリコプターで出席されました。…司教様の祝別式の後、40台の機械の行進がありました。この道路工事用自動車は、日本政府の援助金でブラジル製の機械です。チリからも日系の橋梁専門家も四人来ました。
道路が改善されると、農産物の輸送、通学、通勤が楽になり、また、私達布教者にとっても、都合が良くなります。ただ今、コロニアは大豆の収穫期で、毎日、大型トラックが、大豆を満載して走っています。適当に雨が降ったので、今年は豊作、値段は安くても、皆喜んでいます。 ご復活祭を心の準備をして迎えるよう、パラグアイでは、大分前からノベナが始まっています。隣近所の人々が夕方、集まって共に祈り、テキストを読んで対話します。今年のテーマはALFABETINAC}ON−識学教育についてです。貧しさのために、農村地帯には文字を読めない人が多勢居ります。…〓郡の勉強した人々が、金持で、賞しい農民は、ますます貧しく苦しい生活をしているのが現実で、この国の司教様も、それから立ち上がることが出来るようにと心配して居られます。 『不況下、子供達のアルバイト探しに大童』宮崎カリタス修道女会 恵英代
…私は今、ペルーの砂漠地のプエプロホーベン(スラム)と云われるシウダーディオスから、この便りを書いております。今年で、カリタス会がペルーに宣教女として参りましてから13年目を迎えます。
…多くの方々の善意ある祈とご協力に支えられて、異国の地でも元気で働かせて頂いております。…言語、習慣の困難を乗り越えて…福音、幸せを伝えることが出来れば幸いです。…私達が働いているサン・マルティン教会、サンリカルド養護施設、ヘスス・マリア志願者・アスピラント養成員の家、教会付診療所、幼稚園、大衆会蛍(貧しい人対象)等で、6名の日本人シスター、ベルギー、ボリビア人、合計8名の修道女が働いております。 宮崎カリタス修道女会 川端キヌエ
…現在ペルーは、12月中旬から3月末までの長い夏休みを過しています。クリスマス、正月を祝い、夏休みを有意義に過すために、15歳以上の少年、少女たちのためには、不況続きで、失業者達の溢れるリマで、知り合いの方々に頼み込んで、アルバイト先を捜し、将来に備えて、貴重な体験をさせてもらっています。私共は、いま、百名余りの子供たちと共に暮しています。
(95・1・8)
『励む、日系人学校の生徒達』礼拝会 斎藤クニ子
2月末にボリビアに着きました。留守中に美しいカレンダー、教会所在地、手帳など、沢山の贈物を有難うございました。片付けながら、本に夢中になったり、楽しく味わわせて頂いております。
−日系人学校の生徒たち− 『アジア』『インドネシア十七年』聖母カテキスタ会 浜谷真佐美
…私は日本を離れてから、もうすぐ17年になります。…インドネシア(北スマトラ島)に直接愛の手が差し延べられたのは、一九八〇年、当時、最初の勤務地ラウエデスキー教区でした。過激なイスラム教徒の多い地区と知ったのは、数年後のことで、当時、現地の神父、シスター達も、誰も、ここを訪ねる人は居ませんでした。
…当時の日本カトリック協議会を訪ね、現地の状況、活動目的を説明して、第一回のご援助を頂きました。…最初の勤務地で働く目的は、困窮した山村部落民の教育の向上、生活改善への協力、健康医療の向上、カトリックの布教、司牧への全面協力などでした。 …生活改善では、米作だけの生産から、畜産、その他による多角的農業生産が目標で、これは一応成功しましたが、投資金は殆ど返って来ませんでした。しかし、小さなラウンベブランの巡回教会は、毎週日曜日には満員になってしまいました。…今も、信者は増えているとのことです。…教育向上は、援助の必要性がある高校生、神学志廠、修道女志願者、大学生、看護婦等へ全面的援助(現在はストップ)を行い、今も、志願者は後を絶ちません。司祭志願者は今も続いており、援助を受けて現在、司祭として活躍している人は5人います。…医療、健康向上の面では、…あらゆる病気が舞い込んで来ました。小さな手術もしました。私はアカデミー看護婦、助産婦を20年も日本で体験しましたので、ある程度自信はありましたが、やぶ医者まがいの私とカプチン会員ラセンス師と協力してハンセン病患者の治療にも当りました。…同師は今年2月25日をもって、北スマトラ島での宣教師生活(五十余年)を終えて母国に帰ります。 布教、司牧の面では、週に2回、必ず夜七時頃から出発して、グループ布教、司牧に急ぎます。…教会学校の子供会が未だ出来ていない地区には、夜、子供達を集めて、日曜日の準備、それが終ったら、成人の司牧、歌、祈り、病気、経済、家庭、子供の教育、家族計画問題など、ありとあらゆる問題(の相談を受け)も増えて、なんでも屋のオバさん″でした。…8年足らずでしたが、6つの巡回教育を受け持ち、4つの教会建設に資金投資することが出来ました。…今は、59歳になりました。現在、国籍もとれ、メダン市のわか家に帰りシスター千葉と2人の生活で、メダン教区で、レヂオ・マリエで活動しています。週3回、受洗者の教理、その他の日は寝たきり老人の血圧測定と健康管理、老人ホームでロザリオの祈りと…病気をするヒマもありません。 (95・2・28)
『いま、タガログ語復習中』キリスト・イエズスの宣教会 渡辺栄子
…私は一九九〇年にコタバト(ミンダナオ島)に着任し、一年半滞在。気候、文化とくに言葉を習い…適応する時期でした。そのうち回教徒とキリスト教徒間の歴史的な紛争が持ち上り、私達もまき込まれて家を閉めて引揚げました。そして、一九九三年、マニラに家を開き、少しづつシスター遠か集まって来ました。九四年にコタバトの家を再開し、さらにコタバトの南一六〇キロにある高い山の上に、新しい活動拠点を設けました。マノボ(部族名)と一緒に働くためです。まだ電気、水道もない、道ももちろん舗装されていないので、雨が降ればぬかるみ、降らなければ…車のわだちをそのまゝ残して固まってしまうので、ジープの腹が座礁して動かなくなり、結局、岩のような土を削ったり、埋めたりして道を作らないと進めないところです。…行く先々で言葉が違うのには閉口です。
私は一回目に日本に帰る前にタガログ語は勉強したのですが、今、マニラの大学で日本語を教えているため、英語で説明し、タガログ語を使わないでいる中に殆ど忘れてしまいました。また頑張って復習します。…今、マニラはローマから教皇様が世界青年大会にいらっしゃるということで、準備に追われています。人種、文化、言葉の違いを越えて、人類は皆、兄弟姉妹であることを、体験することでしょう。平和は、そこに生まれると思います。 (95・1・7)
『名簿に、先輩・後輩を想う』聖霊奉侍布教修道女会 山崎陽子
…こちらは、間もなく、後期の授業が始まるというようなところです。このたびは…名簿をお送り下さいまして、まことに有難うございます。
ちょうど、旧正月休みのこともあり、始めからずっと目を通し、大学時代の先輩・後輩の方々が、あのような遠隔の地に、また、あのような困難な政治事情の所に…などと、驚きと感嘆の念を禁じ得ませんでした。…このような冊子の編集も、細々としたことの連続で、私共の所に届けられるまでに、何人の方の、いろいろな過程を経て、仕上げられたものであることを思い、有難い気持で一杯です。 (2月19日)
『韓国の春、六月に心身障者施設開園』汚れなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会 飯田栄子
…韓国の春の装いーただ今、黄色のケナリー(れんぎょう)が土手や垣根で長い枝にぎっしりと咲き並び、チンダーレ(つつじ)は可愛らしく、モクリヨン(木蓮)は厳かに、サルグ(杏子)が賑やかに咲いています。…私のハングル語学生生活についてご報告します。冬の数カ月は、20代の男子学生達と一緒のクラスで学びました。
ある方が紅一点″と仰言ったのですが、紅顔の美しい青年たちの中で、ハルモニーハクセン(おばあちゃん学生)は、灰一点≠ニ云った方が正しいのではないでしょうか。少しずつハングル語で話せるようになりました。4月になって級の変更とクラスメイトチェンジがありました。私のクラスは10カ国人の国際色豊かなクラスです。…冬の間、とくに朝は、道路が凍るので、危険を避けて、学校のミサに参加しました。毎月、授業終了後、教室でミサが捧げられます。…私は、ただ今62歳で、ここで一番年長学生のようです。この年齢で学校で勉強するなど、思ってもみなかったことです。 6月10日ノンサン(論山)に建設中の心身障害児・者の新しい施設聖母の村(ソンモー・へニマウル)″の開園式の予定です。 若い院長が、ソウルに泊まりがけで出かけ、新しい事業のことで、二人が夜更けまで話し合ったり致します。いろいろな難しさが起りますが、いつも祈り、そして聖母の御導き、お助けで解決し、好転していきます。そのことを心の深い所で感じています。 『アフリカ』『美しい建物と段ボールハウスの現実』ナミュール・ノートルダム修道女会 深堀清子
…こちらの2月は真夏で汗を流しています。雨期ですが充分に雨が降らず、南部では給水制限が始まり、また、旱魃に…と恐れていまする…去年、プラワヨ教区トレーニングセンターのために援助いただいたコピー機、発注、…免税手続も順調にいき、今年一月に南アフリカから無事着きました。…ついに来た″と、大喜び、司教様始め、皆大変感謝しております。ありがとうございました。
実は私は残念ながら、このコピー機が届く前に異動になり首都・ハラレに移りました。 こちらは、セント・ヴィンセント・パウロの活動が活発です。最も貧しい人にチケットを渡し、そのチケットを持って食料や衣料を貰いに教会に来ます。…私のこちらでの新しい仕事は…婦人を対象に、洋裁・手芸・繕いものの仕方など実用的なクラスを持っています。赤ちゃんを背中にくくりつけて来るお母さんが、「この子が学校に上がるまでには上達して学費を…」とか「手芸品を街で売って…」など、それぞれ意欲満々で学んでいます。 …ジンバブエは内戦もなく、今は安定している国、安定しているように見えますが…今年4月の大統領選挙を控え、昨年から静かに変な動きが見えます。…(しかし)何が真実かは一向に分かりません。 町は確かに発展しているように見えます。とくに、ハラレには、次々と新しい建物が…建っています。しかし仕事を求めて町に出て来た人たちは住む所もなく、町から離れた草むらに、段ボールで囲いを作り、つぎ合わせたナイロンをその上から覆い、何世帯かが、吏可り添って住んでいる所が方々にあると聞いています。国が発展して来ているというその陰には、美しい建物とは余りにも対照的な現実があります。見なければならない人たちは、見ぬふりをしています。 −草むらのダンボール・ハウスに住む人々− |