『きずなの広がり』日本カトリック移住協議会理事 元コロンビア・アルゼンチン大使 藤本芳男
「絆」というものは、人間関係を作り上げるのに最も基本的なエレメントだ。職業柄、開発途上にある僻地に行く機会が多かったが、そこで働いておられる日本人シスター連が、如何に「絆」を実践しておられるかを目にして、現地での感動を未だに忘れられない。
一九八三年夏、仕事でハイチを訪れた時、シスター須藤の医療活動の現場を見せて頂いた印象を、まるで昨日の事のように覚えている。ハイチと言えば、中南米でも生活水準は最低の国。サナトリウムとは言え、欧米風の?洒な病棟とは似ても似つかぬバラック長屋に、結核患者達が黒い体を並べて横たわっている。シスター須藤は患者の一人一人にハイチ訛りのフランス語で声をかけながら脈をとる。黒い手がシスターの方に伸びる。愛を求めている。 驚いたのは重症患者病棟にドクター須藤が着いた時だった。息も絶え絶えの病人達が、なんと一斉に拍手、そして歓声が上る。愛と感謝が花咲いている圧倒的なシーンだ。献身の「絆」が現実のシナリオになっている。倫理や哲学、芸術を超えたキリストの愛が目の前にある−その夜は眠れなかった。 アフリカや中南米では、多くの邦人宣教者達が、シスター須藤のように愛の「絆」を実践している。だが宣教者達の献身的な働きは十分、世界に知られていないように思われる。中には、現地に移住した日本人のために教えを宣べているシスター達も居る。すべての人間関係が「絆」というものから出発して動いているように思える。 「絆」を通じて、愛や憐れみや助けが広がってゆく。その静かな広がりを、吾々はもっと知る必要があるように思う。 南米に住んでみて、教会が現地の日太人社会の精神的な支えになっているのに感銘を受ける。同時に、宣教者が受け入れ国と日本との間の架け橋の役割を果して来たことに驚く。集団移住が盛んだった昭和三十年代から今まで、移住地コロニアでは、日本人家族が集団で生活することの安易さと現地カトリック社会に順応しなければならないという要請が絶えず二者択一の問題として移住者を悩ませてきた。そういう状況の中で、宣教者達が教会の教えやカトリック社会の綻を分かり易い父祖の言葉で説明して来た功績は大きい。日本人は器用だから、現地に簡単に同化できるという人も居るが、必ずしもそうではない。北米などで、中途半端に終っているケースが多く見られるし、南米アンデスの奥地で、東西いずれの文化からも取り残された日系カボクロ(土着民)達が居たという詰も聞く。 海外で日本人聖職者達が果す役割は、大変ユニークである。日本異質論からすれば、なおのことそうである。日本と海外のカトリック社会を結び付けたり、南米の邦人社会と母国を結び付けたり、開発途上国の支援で愛のシナリオを実践したり、「絆」が期待する仕事は限りがない。 『第52回役員会報告』「海外宣教者を支援する会」の第52回役員会が、95年3月15日(水)午後6暗から、東京・江東区潮見のカトリック中央協議会会議室で開かれ、次の案件を審議、決定した。
『援助決定』('95.3.15決定分)
『海外日本人宣教者の数と派遣国』
1995年2月14日現在
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